2016年1月30日土曜日

俳句集団【itak】第23回句会評⑦ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評⑦

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 鱗片(りんぺん)に晦日(みそか)の孤独映しけり 佐藤天啓

「晦日の孤独映しけり」の措辞がなかなか佳いので惜しい感じがした。「鱗片」の意味がわからない。映した とあるから、魚の鱗なのか、己の肉片から零れた鱗なのか??それとも雪の欠片なのか?? 「晦日」という意味が12月30日でなく単なる月末という意味もあるので、べたに 映すものを 上五に置いたらどうであろうか?一案は「冬鏡晦日の孤独映しけり」などはいかがか。 いずれにしても映すものが佳いと思う。「氷面鏡」とか「みずかがみ」とか「手鏡」とか。


 喪の明けて女ばかりの大旦         青山酔鳴

中七までの措辞よくわかるしいいと思う。私は喪の句はごちゃまんと作ってきたからわかるのだが、ここで「大旦」はやはり目出度すぎて、大きすぎて、中七までの措辞が霞んでしまう。こういうときは「生活の季語」を選択すべきと思う。たとえば「喪の明けて女ばかりの初座敷」とか「初稽古」とか「初句会」とかならいいと思うが、作者は納得しないと思いますが・・・ムムムム。


 致死量の恋ぽとり入れ河豚(ふぐ)の鍋  酒井おかわり

致死量→毒→河豚 というふうに繋がりとしてはよくあるパターンに思えるが、そこは「致死量の恋」としてずらしてあるところがうまい。さらに中七の「ぽとり入れ」のオノマトペが意外に効果を出している。「致死量の恋」という具象性のないものを、中七の措辞で具象性を生み出して、あたかも「惚れ薬」を入れたかのように読める。河豚鍋を食べ尽くしたあとは、その恋は致死量に至っているという内容。この作者、名乗りをしたら会場からいつもブーイングがでるのは何故なのだろう。きっとこの句も可愛い女の子が作者だったらいいと思ったのかな?とりあえず返句でも出しておこう

 透けてゆくこの恋愛も河豚刺も       よしを





以上です。意に沿わぬ読みや、添削はひとつの選択肢として示しました。御寛恕下さい。次回3月は私は仕事が入ってますので参加できません。違う形でイタックに関わりたいと思います。それではまた。


(了)


※いつもより多めに読んでいただきました。ありがとうございます。次回は別の企画にてご執筆願う予定です。(事務局 J)
 

2016年1月28日木曜日

俳句集団【itak】第23回句会評⑥ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評⑥

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 福袋女の怖さ袋分。          藤澤汐里

福袋を争って買い求める女の餓鬼のような顔が思い浮かんで結構怖い。「袋分」という怖さが笑えるが、この袋に原爆級のエネルギーを女は秘めているのだ。最後の句読点「。」がさらに恐ろしさを増長させている。間違って付けたのか、深い意味があるのか、作者に聞くのも怖い感じがする。ここに怯えている還暦近い男がいる。


 裸婦像を残しものみな冬囲ふ    猿木三九

冬囲いがほぼ終了しているのであるが、裸婦像だけは取り残されている景。その寒々した景はとてもシュールで面白い。秀彦さんが天で採ったのも肯える。ただ高点句にならなかったのはわかりずらい表現であるから。「ものみな」がわかりずらくしている。たとえば「裸婦像を残してあとは冬囲」だとか「裸婦像を残しすべてを冬囲ふ」など。とにかく一番先に囲わねばならないものを一番あとまで囲っていない可笑しさがそこにある。


 着ぶくれて己れの芯を見失ふ    籬  朱子

うまいと思ったら案の定この作者の高点句である。平さんの「ぼくはぼくになりたい」が詩に傾いたアイデンテイテイー追求の句だとすると、掲句は「着ぶくれ」の季語を縦横に使いこなして天下一品の〇人協会的なアイデンテイテイーを詠んでいる。そういう意味では平さんが、天で採っているのも面白いし、作句、選句の微妙な関係が窺える。つまりいくら「着ぶくれ」ても、テクニックを付けても、詠みたい芯みたいなものは作者個々にあるのである。ゆずれない「何か」である。さてこの句「着ぶくれ」の中身を太った生身の肉体でなく、その中の芯を見通しているところがフックである。


 初湯たぷたぷ何時の間にやら古希迎へ  田口三千代

大変語数が多く、詰まった感じが否めないが、「たぷたぷ」といオノマトペがゆったり感を演出している。お湯の「たぷたぷ」、そして古希を迎えた女性のふくよかな「たぷたぷ」が、いやらしくない措辞として響き、初湯の縁起の良さがでている句だ。


(つづく)

 

2016年1月26日火曜日

俳句集団【itak】第23回句会評⑤ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評⑤

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 毛糸編む指なめらかに生きてゐる   高橋なつみ

句会でたしか榮一さんだと思うが、この句に「指」がなかったら採らなかったと言ったが、私もそう思う。「毛糸編む」の主体がなめらかに生きてゐるのでは面白くない。「指がなめらか」であり、「生きてゐる」のである。あたかも指が人間本体と別の生物であるかのように。その感覚を明確に打ち出すために一案だが「生きてゐる指なめらかに毛糸編む」ではどうだろうか。


 初湯出て尻の笑窪の天使めく     増田 植歌

句会のとき「尻の植歌」というあだ名がついたが、俳人としてあだ名がつくことは誉である。「天使めく」の座五の措辞で、この尻の持ち主が老婆やなまめかしい女性ではなく、乳幼児だとわかる作りになっている。それによって「尻」が品格よく座っている。とにかくわかりやすいのが作者の長所である。


 猪が蜜柑の汁をすすつてる      木内 望月

投げ出すような言葉。内容。猪が蜜柑の汁をすすっている という事実だけを提示しているが、山頭火のようなインパクトがある。猪も蜜柑もほかのなにものにも交換できないようなリアルさがあるのである。わざとやっているのか、意識しないでビギナーズラックなのか、恐ろしい句である。


 冬の雷文庫の世界閉じて聴く     長谷川忠臣

「文庫の世界」という措辞が利いている。問題は「冬の雷」「聴く」の予定調和的な繋がりである。一案だが  「冬の雷文庫の世界閉じてより」など 動詞は減らすべきであろう。冬の雷を聴きながら作者はどんな文庫の世界に身を置いているのであろうか。


(つづく)

 

2016年1月24日日曜日

俳句集団【itak】第23回句会評④ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評④

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 子猿抱く干支の土鈴はどや顔し   平田麗子
 
申年でもあるし、正月気分満載の句であるが、残念ながら無季である。また干支である猿の土鈴の顔が「どや顔」だっというオチも結構面白い。二つ手直ししてみたい。ひとつは子猿抱くを「猿回し」という季語に替えること。もうひとつは「どや顔し」を「どや顔す」と終止形にしたい。連用形止めはどうしても「川柳的」になるので。とにかくわたしは「どや顔」というとても俳句的でない言葉を使った挑戦的試行を買う。
 
 
 猿面に近づいてゆく福笑        西村榮一
 
申年でもあるし、福笑いがだんだんと猿顔にちかづいてくる可笑しさもある。すこし残念だったのは「猿面(さるづら)」。やはりここは素直に「猿顔」でもよいのではと思った。面(つら)は正月の用語としてはすこし乱暴な感じがする。顔とすると福笑いそのもののみならず、遊んでいる人間の顔まで猿に似てくる感じがして面白さが増す感じ。
 
 
 悴むといふこと知らず核家族     風間 弥
 
現代の象徴でもある「核家族」、少人数でも集まれば「悴むこともなし」という内容でよくわかる。ただわかりすぎるのである。もし核家族という現代性を出すのであれば、逆に少人数が温めあってもやっぱり悴んでいる といったニヒルな詠みも必要かもしれない。たとえば「屯してやがて悴む核家族」などとした方がいいかも知れない。私の句や五十嵐の句はいつも暗いとと言われているが、俳句はポジテイブな詩ではなく、ネガテイブな詩だと私は思っている。「ネガテイブに詠んでポジテイブに生きる」のがよいと思う。
 
 
 しずり雪大和ことばで言う科白    齋藤嫩子
 
「しずり雪」の白と、「科白」の中の白が遠く響き合っている。和歌の言葉や雅語の台詞なのであろうが、実際の実例が立ち上がって来ないのが少し欠点なのかもしれない。ただし「しずり雪」の季語の斡旋はみごとだと思う。

 
 
(つづく)

 

2016年1月22日金曜日

俳句集団【itak】第23回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評③

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 実家てふフォアグラ工場(こうば)去年今年 青山酔鳴

お正月の食べ過ぎ俳句が二句続いた。実家は何もせずに次から次と食べものが出てくるので当然、肝臓もフォアグラ状態と化す。ただ田口さんの句に比べて点が入らなかったのはやはり「去年今年」という季語。ここはお正月とかお元日といった季語が句の内容からも成功したのであろう。去年今年はやはり「旬が短い季語」なので難しい。フォアグラは一瞬ではなるまい、ある程度期間が必要である。実家=フォアグラ工場として去年今年と口調を整えたかったのであろうが、一案であるが 「実家にてフォアグラとなる去年今年」 であれば去年今年も生きたような気もするが。



 好きなものから放下せむ初風に    渉 千佐子

「初風」の季語に「放下」という禅的言葉が生きている。正月の気持ちの良い初風にすべてを捨て去りたい、とくに好きなもの、執着のあるものから先に捨て去るという作者の心持。これも正月だからこそ許される心象だと思う。これが秋風や凩だととても悲しい句になる。


 高齢のサイにサプリと腁薬(ひびぐすり) 福井たんぽぽ

動物園の高齢の鈍重なサイに若返りサプリを呑ませ、足の亀裂には罅薬をぬれ  という面白い内容。サイにサプリが 音調がよくて面白いが、私は「高齢の」が説明的すぎて、あとに繋がる言葉と辻褄が合いすぎる感じがした。どうせなら「最果てのサイにサプリと胼薬」のように「寒がりの」でもよいが、いずれにしても「サ」で言葉遊びをして欲しかった。いずれにしても面白い発想というかまさに奇想なのだから、それを生かすには説明しないほうが良い。


 引き算の果の望郷初御空       五十嵐秀彦

この句のコアは「引き算」なのだが、それがこの句のフックでもあり、瑕瑾でもある。句会の時に誰かがとても良い句評をしてその時は私もわかったつもりになっていたが、今になるとやはり引き算がよくわからない。説明すると面白くなくなるが、おそらく作者の言いたいのは「引き算の答えの果の望郷」なのかもしれない。引き算で考えると確かに人生は長くない。


(つづく)

 

2016年1月20日水曜日

俳句集団【itak】第23回句会評② (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評②

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 はつもうで木箱の中でうなる金      木内望月

これも笑ってしまう内容。内容はたしかに俳句というより川柳に近いかもしれない。しかしこの句の可笑しさは「うなる金」である。賽銭箱の金をうなると表現したつつましさが可笑しくて庶民の哀れさが表現できている。賽銭箱というとあとのフレーズの「金」と被るのでわざわざ「木の箱」としたのも気が利いている。


 鯛焼のはらわた透けてかぶりつく    高橋なつみ

鯛焼きの句を歳時記で調べて頂けばわかると思うが、鯛焼き=かぶりつく というベタな表現している句はほぼ皆無。ここがまず逆に面白い。はらわた=餡を比喩するのはよくあるパターンであるがここは「透ける」が佳い。透けるほどたくさん詰まった餡が見えてくるようだ。俳句的にかっこよく納めようとしていないのが佳い。


 君は神か否定したまへ冬将軍      高畠霊人

この句も人で頂いた。句会の評でも述べたが最近は「神対応」など「神」を本来の意味でなく、「とっさのときの気転の効いた対応や大人の対応」として使っている。この句の神もそのような軽い意味で使っているのであろう。あたかもすこし高飛車な彼女に対してその娘に惚れているすこし草食系の男子が「君は神なのか?否定しなさいよ」と言いよっているようにも思えて面白い。そこに冬を擬人化した「冬将軍」をつけたのも面白い。北海道にどっかと居座っている冬将軍に「お前か神なのか、帝なのかどっちなのか?」と毒づいているようにも思えてさらに面白い。


 歯みがきを終へてもの喰ふお正月   田口三千代

作者の正月の過ごし方が見えるようで可笑しい。お正月でなくてもあり得るリアルな日常であるからこそ、非日常のおめでたいお正月がよく似合う。わかりやすくて共感を得られやすい句だ。「もの喰ふ」が古典的な格調があり、うまい。


(つづく)

 

2016年1月18日月曜日

俳句集団【itak】第23回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評①

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 今年も50人以上が集まって新年句会が行われた。当初予想された人数より増えて、平均年齢も格段と下がり、北海道のどこを探しても(というか日本のどこにも)このような俳句集団はないであろう。そんな意味でも楽しんで参加させてもらっています。私自身は私の書く俳句評の散文にすごく飽きていて、自分の中で使い古された措辞しか出てこないのであるが、そこは俳句作品の新鮮さで、私の散文の既視感は勘弁してもらいたい。読んでくれる人が一人でもいる限りは書くこととしましょう。先日先輩俳人に「選句がひろい」と褒められ?ましたが、私自身も選句を狭めると自分の作品も狭くなる感じがして、広く俳句を楽しもうと思っています。それでは今回もなるべくたくさんの句を採り上げましょう。


 ストーブに波打際のありにけり    栗山麻衣

高点句。私も天で頂いた。句会でも言ったがストーブの句に「波打ち際」という水ものを取り合わせたのも新しいし、ストーブを中心にあたかも等高線のように広がる温度の波が画像として浮かんだ。サーモグラフィーの像はまさに浪打際のようになっています。また句会でも評で言われていたが、昔の薪ストーブや石炭ストーブにある斑(まだら)な熱の伝わり方があたかも「波打ち際」でとても詩的に表現できている。いまの集中暖房や石油ストーブでは在り得ないような、寄せては返すような「熱の波」が昔のストーブにはあったのです。ちなみに私の生家はなんと「おが屑ストーブ」でした。


 黒髪に隠すにきびも初日の出    宮川双葉

黒髪で隠されたにきびも地平線から顔を出す初日の出も「隠れていたものが顔を出す」というアナロジーで繋がり、詩になっている。句会でも言ったが「も」という助詞が難しく、この場合詩的アナロジーをダメ押しで説明してしまっている。つまり、作者の意図が「だだもれ」になっているのだ。だからここでは中七は「や」で切れを入れた方がいいであろう。「や」で黒髪に隠された可愛い女の子のにきびが強調されクローズアップされたあとで、カメラがロングショットに切り替わり「初日の出」へ繋がる。


 目が覚めた年越していたそば出てた  藤澤汐里

私は地で頂いた。もしかすると「去年今年」の出来ごとをただ、並べただけの「ただごと俳句」なのかもしれないが、その俳句的でない、読み手にこびない、斬新な詠み口だと思う。三つの出来事を並べ立て、季重なりを怖れることなく、しかも動詞を三つも重ねてタブーにタブーを重ねている。年末に酒を飲みつつ、紅白歌合戦を見ながら、うたたねをしてしまい、目が覚めたらカウントダウンも終わって、すっかり冷めて伸びてしまった蕎麦だけ残っているということ皆さんにもありませんか。この句の佳さは日常のリアルを、散文的な動作三つを重ねても、さらに韻文性があることだ。三つの事柄がすべて口語調で「た」で畳み掛けられている。したがってとても覚えやすく口誦性もある。


 一年の計ぼくはぼくになりたい   平 倫子

「ぼくはぼくになりたい」の措辞は自我というか、アイデンテイテイーというか本当は小難しい内容なのだが、「ぼく」を使ったことで口誦性もでてきたし、哲学的な小難しからも逸脱できている。この句はもちろん高点句であったが、成功理由は二つあり、一つはその吸引力のあるフレーズに加えて、「一年の計は元旦にあり」という誰でもしっている慣用句から「元旦」という季語ではなく、「一年の計」を採用したところ。厳密に言うとあえて無季の句を作っているのである。しかし十分季感は存在して、今後は「一年の計」は「元旦」の「傍題」として採用していいのではと思う。七+十の破調感も「ぼくはぼくになりたい」という強烈なフレーズを生かす作りになっている。


(つづく)


 

2016年1月16日土曜日

第23回句会 投句選句一覧④


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです







 

#投句・選句一覧


 

第23回句会 投句選句一覧③


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#投句・選句一覧


 

第23回句会 投句選句一覧②


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#投句・選句一覧


 

第23回句会 投句選句一覧①


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです



 

#投句・選句一覧


 

【第23回人気五句披講】


俳句集団【itak】です。
 
いつもご高覧頂きありがとうございます。
先日公開しました第23回句会【人気五句】の披講をいたします。
三句選で、天=3点、地=2点、人=1点の配点方式、( )内は配点です。
横書きにてご容赦くださいませ。

一年の計ぼくはぼくになりたい      平   倫子(17)
着ぶくれて己れの芯を見失ふ      籬   朱子
 (16)
引き算の果の望郷初御空        五十嵐秀彦 (14)
ストーブに波打際のありにけり      栗山 麻衣 (13)
歯みがきを終へてもの喰ふお正月   田口三千代 (12)

以上です。ご鑑賞ありがとうございました。

なお、同点2位1句、3位、同点5位1句は掲載不可でしたので
6位までを公開しています。

当日の参加者数は52名、104句の出句となりました。
大勢のご参加を頂き、誠にありがとうございました。
引き続き投句選句一覧をご報告します。
ご高覧下さいませ。


 

2016年1月14日木曜日

俳句集団【itak】第23回イベントを終えて


俳句集団【itak】第23回イベントを終えて

『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』

~俳句を愛する人たちの個々の力を信じて~
 
五十嵐秀彦


 

 
俳句集団【itak】第23回イベントも盛況裡に終了しました。
1月9日という開催日を考えるとあまり多くの参加者は見込めないのではとも思っていましたが、蓋を開けてみれば55名という結果で、私たち裏方としてはうれしいやら驚くやらでした。
 
今回は第1部の企画を琴似工業高校文芸部の皆さんにお任せしたため、いつもより高校生の参加が多かったのが大きな特徴となりました。
琴似工業高校4名、小樽潮陵高校3名、そして初参加の創成高校3名の計10名。そして琴工OBも1名参加という具合に、大変若々しい顔ぶれが中高年の俳人たちと句座をともにするという実にitak的で理想的な内容となったと考えます。
 
私たちは、itak創立のときから、あえて組織を作らず流動的な運動を展開することで、硬直してしまっている北海道の俳句の世界を揺さぶり、新しい血を流入させ、活気ある文芸の状況を作り出すことを目的としてきました。
その目的の実現は、けっして容易なことではないかもしれませんが、私たちはあきれるほどのオプティミズムで毎回のイベントを参加者とともに愉しんでいます。
 
さて、2016年も活気あるイベントで幕は上がりました。
琴似工業高校の文芸部顧問の佐藤啓貢(天啓)先生の軽妙な司会に、生徒たちが答えながら高校文芸部の活動内容を私たちに説明してくれました。
そして会場には四方の壁のいたるところに文化祭さながらに生徒さんたちの文芸作品が展示されているのです。
小説、詩、短歌、もちろん俳句、それらの作品を見て、彼ら彼女らは今、光り輝く時を生きているのだと感じました。その光の中で文芸に出会ったことを、ただ単純にすばらしいと言えば大人の感傷にすぎないのかもしれませんが、きっと一人ひとりのこれからの人生に大きく影響することは間違いないでしょう。
また、今回のitakでの発表は、高校生たちにとって貴重な体験として記憶されるのかもしれません。
 
【会場展示作品から(俳句のみ)】

黄昏や菜の花畑の波高し         田中 悠貴
風花や青き時代の写真越し       風間  弥
路地裏に線香花火の陽が落ちる    新川 託未
鈴の音を読み上げている南風かな   宮川 双葉
戦跡やレモン畑の大群生        村上 海斗

第2部句会は、前回に続き今回も、わたくし五十嵐と橋本喜夫さんの凸凹コンビ司会となってしまいましたが、十代から八十代まで句歴もさまざまな人たちによる言葉の競演を参加者みんなで愉しむことができたと思います。
句会作品については別にブログにUPいたしますので、お読みください。
 
イベント翌日、10日は愛媛県松山市で「まる裏」俳句甲子園(大人のためのもうひとつの俳句甲子園)」が開催されております。
実はそこにitakの鈴木牛後さん、高畠葉子さん、久才秀樹・透子さん夫妻、天野浩美さんが参戦いたしました。
詳報は後日となりますが、牛後さんの句が予選最優秀句となり、チームも予選一位で決勝進出。決勝トーナメント第1で惜しくも敗退はしたものの、鮮やかなデビューを飾ったことを、ここで合わせてご報告いたします。

「まる裏」の仕掛け人の夏井いつきさんから、「北海道からの参加で「まる裏」も全国区になった。北海道勢は会場でも大人気だった。」といううれしい言葉も直接届いております。
四国の松山と北海道の札幌、このふたつの地で、中央とは異なる独自の俳句活動が展開していることはけして偶然ではありません。
俳句を愛する人たちの個々の力を信じようという新しい潮流がうねり始めている手応えをそこに感じています。
これまで、itakに参加したことのない方々にも、北海道札幌の地で立ち上がった新しい文芸運動の目撃者となり当事者になって欲しいと願います。扉はいつも開け放たれています。
 
次回は3月12日です。
現代の「演歌師」、平成の添田唖蝉坊と呼ばれる岡大介さんのトークとライブ・ショーが予定されております。
itak発足4周年を飾る実にitak的な型破りの「座」となることでしょう。
お見逃しのないよう、これからの情報にご注目ください。

 
 

2016年1月10日日曜日

第23回俳句集団【itak】イベントは無事終了しました



昨日は俳句集団【itak】の第23回イベントにお越しいただきまして誠にありがとうございました。
琴似工業高校文芸部のみなさんによる『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』はいかがでしたでしょうか。どうぞご感想などをお寄せ下さいませ。
今回は55名のみなさんにご参加いただきました。新年早々の日程にもかかわらずお越しいただきましたこと、幹事一同深く感謝いたします。

第一部の抄録については改めてこのブログにてご報告させていただきたいと思います。

また、「句会評」「人気五句」「読む」企画などを随時アップの予定です。只今皆さんの原稿を鋭意募集中です(ごめんなさい、原稿料はありません)。 

itak】のブログは参加されたみなさんの発表の場でもあります。記事についてのコメントやツイッター等での評を頂けますと大変に励みになります。また、みなさまの作品もお寄せください。既発表作でも構いません。エッセイ、回文、短歌、どんなジャンルでも結構です。どうぞよろしくお願いします。

次回は3月12日(土)13:00から、北海道立文学館・地下講堂にて開催の予定となっております。
演歌師、カンカラ三線奏者として活躍中の岡大介さんをお招きして『届け演歌の風!岡大介カンカラ三線ライブ』と銘打ち、音楽と絶妙トークの企画をご用意いたしました。自由民権運動の路上説法や路地の酒場の流しの風情、投げ銭の大道芸のムードなどをお楽しみください。
 
年度末の慌ただしい時期ですが是非ともご予定を繰り合わせていただき、みなさまお誘いあわせのうえイベント・句会にご参加くださいませ。

詳細はメール・ブログ・Facebook・ツイッターなどで改めてご案内させていただきます。
以下のメールアドレスに随時お問合せくださいませ。 



本日のところは取り急ぎの御礼まで。
今後とも俳句集団【itak】をどうぞよろしくお願いいたします。



俳句集団【itak】幹事一同

2016年1月7日木曜日

俳句集団【itak】第23回イベントは明後日です!


俳句集団【itak】事務局です。

小寒も過ぎましたが積雪の少ない札幌です。
さて新春口開けとなります第23回イベント、展示と解説・句会はいよいよ明後日となりました。どなたでもご参加いただけます。当日参加も大歓迎です!お誘いあわせの上、どうぞお気軽にお越しくださいませ。
天気予報はいまのところ曇り時々雪の真冬日、降水確率70%です。
みなさま暖かく、またお気をつけてお越しください。

また館内に自販機がありませんのでお飲み物などはお持ちくださいませ。  

<第23回俳句集団【itak】イベントご案内>

*と き  平成28年1月9日(土)
       午後1時~4時50分

*ところ  北海道立文学館 講堂
      (札幌市中央区中島公園1番4号)

*参加料 一般500円、高校生以下は無料


●第1部  北海道札幌琴似工業高等学校文芸部
       『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』
       展示と解説 文芸部顧問 佐藤啓貢+文芸部生徒

●第2部  句会(当季雑詠2句出句)

●懇親会のお申し込みもお受けしております。
 詳細お問い合わせはEメール

itakhaiku@gmail.com)へ。


 
北海道立文学館へのアクセス ※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」駅3番出口をご利用の際には


①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両
②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両にお乗りいただくと便利です。
 

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