2012年9月30日日曜日

【第三回人気五句・披講】

俳句集団【itak】事務局です。


先日公開しました【人気五句】の披講をいたします。
前回同様、天=3点、地=2点、人=1点の配点方式です。
横書きにてご容赦くださいませ。



電柱に服直します草の花            古川 かず江 (19)
サーカスは去って背高泡立草          籬   朱子 (19)
このぶよに「クサマヤヨイ」と名をつける    福井たんぽぽ (14)
霧の底死体の髪が伸びてをり          四方 万里子 (12)
蛍の夜手足消えたるかと思ふ          久保田 哲子 ( 9)

以上です。ご鑑賞ありがとうございました。
なお、実際の第五位の人気句については掲載許可をいただけませんでしたので
第六位の句を繰り上げてご紹介させていただきました。
ツイッターでのコメントについては「ゆかりんノート」にまとめました。
このあといつものように全句の公開をいたします。
ご高覧下さいませ。



 

2012年9月26日水曜日

【itakスタッフ】りっきーリポート#2 俳句高校生増殖中の巻


…あれ?
りっきーリポートって、前回だけの単発企画じゃなかったの?
なんて思ったんですが、事務局から「書け」とのお達しがきてしまった。
ううう、今月も拙い文ながら書かせていただきます…(汗)


 9月8日。晴れ。
残暑という言葉では収まりきらないくらいの暑さ。どうした、日本?どうした、北海道?
秋はいつ来るんだ???
そんな凶悪な暑さの中で、俳句集団【itak】第3回イベントは札幌の道立文学館で開催されました。
うちのBOSSが「3回目は人がちゃんと集まるかなぁ」とぼやくように、スタッフ一同も今回も参加者が集まるかどうか心配しておりました。
しかしそれも取り越し苦労。 前回と同じくらい多くの参加者に来ていただきました。(ヒャッホイ!)

そして気になるのは前回来てくれた高校生達。
今回も………いた。 しかも増えてる、二人も!(ニヤリ)
前回の句会で一番話題をかっさらっていた琴似工業高校の文芸部のみんな。今回も注目を集めていたねぇ。
そして今回は顧問の先生も参加!(前回は付添いで句会には参加しませんでした)
そうですよね。生徒ばっかりにオイシイところもっていかれるのは、いくら顧問といえども悔しいですよねぇ(笑)

左側二人が今回初参加。黒いパーカーの彼は前回から。右奥は顧問のラディカルS先生(笑)




左側二人は前回も来てくれました。ちなみに右二人は間違っても高校生じゃありません(笑)


さてさて句会。
相変わらず選句の際の評がしっかりしている。俺なんか二言三言で終わっちゃうのに(汗)
やはり文芸部の活動をしてるだけあって、作品から浮かんでくる情景を自分の言葉でしっかり紡いで発表するのは、流石だよなぁ。
更にそれが空回りして会場を爆笑の渦に巻き込むあたり、軽く嫉妬すら覚えたりするし(!)
あなどれんぞ、この若人達。

今回の句会もやはり彼らが紅一点のような存在。
今のところ学生からの参加は琴似工業高校の皆だけだけど、他の学校からも参加してくれるといいよなぁ。
それと、高校生に限らず10~20代の若いコたちがもっと来てくれれば、更に面白いことになると思うんだけどなぁ。




ただでさえこの【itak】の句会、BOSSが云うところ『北海道で今までに無い異色な句会』なんだから、文字通り老若男女入り混じる、もっともっとエネルギッシュでカオスな、そして笑いの絶えない句会にしていきたいなぁ、なんて思ったり。

さぁ、次回イベントは11月10日(土)!今年最後のイベントだ!
【itak】はいつでも君達の参加を待っているゾ!
琴似工業高校の皆もまた来てね~~!!

2012年9月23日日曜日

俳句集団【itak】第3回句会評 (橋本喜夫)

俳句集団【itak】第3回句会評



2012年9月8日

 

橋本喜夫(雪華、銀化)


 
9月8日、残暑のなか第三回イタック句会が道立文学館で行われた。今後、イタックの会はここをフランチャイズに行われるという。少なくとも場所だけは素晴らしく、幸せな船出である。3回目となると人気低下または熱気低下が心配されたが、40人超の参加で不安も払拭できた。普段幹事として何もしていないので、今回も本欄執筆をJ女史に命令されても受諾するしかなかった。さて先日読んだ本でフリーライターの千野帽子氏が書いた俳句入門書の中に、俳句は「一発芸」とあった。川柳との違いは俳句は「モノボケ」に相当し、川柳は「あるあるネタ」に相当するらしい(そういえばあるある探検隊というギャグが一世を風靡したことがある)。私はこれは言い得て妙であると思った。たとえば「傘」を手に持って「モノボケ」をしようと思ったら、「親分、この座薬使いますか」とか言ってボケる。「あるあるネタ」の場合は「傘」を手に持ちつつ「雨ふりのなか、水たまりを踏んだら、犬のおしっこだった」とボケる。つまり意味が通じる、すべて説明がつくのが川柳で、すべてを言い切らず、話をずらす、ほのめかすようなお話を作るのが「俳句」ということになる(即興で作った実例がいまいちでした)。
いささか話が逸れて、いつものように筆が上滑りするがご容赦願いたい。さて3回目の句会評へと進もう。事情があり、すべての秀句を紹介できないことと、高点句をとりあげるのではなく、私が独善的に佳句と思ったものを取り上げるのでご寛恕ください。
 
   
頬杖の仏の前にソーダ水   信藤詔子

 
◆頬杖という動作は人間の行う所作のなかでも、興味をそそられる。恋の悩みも、哲学的な思惟も、ただのうたた寝もあるであろう。頬杖仏というのがあるそうな。今年のように炎暑が続くと仏さんもさぞかし暑いことだろう、しかも人間の救済のために、その場から逃げることはできないのだ。ソーダ水をそっと差し出す人間の心持を考えると、信仰心というよりもっと根源的な非自己を思いやる心が伺える。
自分のことを思いやることは優しさとは言えない。

 
さやけしや空は濁らぬまま暮れて   籬 朱子

 
◆中七以下の措辞だが、いえそうで言えない措辞であろう。茜色に染まりつつ、雲ひとつなくゆっくりゆっくり暮れてゆく。この場合作者は暮れてゆくという、明度が下がる状態を濁りとは捉えていない。もちろん、心持の問題も含んでいるのであろう。さやけしという季語に本意があるとすれば、この句のような景もその一つであろう。
 
オルゴヲルと書かれし箱に秋の声   鈴木牛後

 
◆旧体のカタカナを使用していることから昭和それも戦後すぐであることが推測される。何かの付録で貰ったものか、またはプレゼントに貰ったものか、もう音が出なくなっているかもしれない。だからこそ作者は箱と言ったのだろう。もう音が出なくなった古ぼけたオルゴールそこから作者は確かに秋の声を聴いたのであろう。「オルゴール」と呟いた自らの声だったのかもしれない。



 
アーケード野良猫だけの良夜かな   久才透子


 
◆近未来的な印象も受けるが、実は地方都市ならどこでもみかけるシャッター街であろう。猫と良夜(月)この取り合わせはよくあるのかもしれないが、アーケードを持ってきたところで、新しい機会詩になっていると思う。そのうち猫だけの街、犬だけの街ができあがるかもしれない、そんなSF的想像も可能である。

 
     ピーマン
青椒の欠けたるナポリタンの邪悪   早川純子
 
 
◆初出はピーマンの読みが入ってなかったと思う。私は「チンジャオ」と読むのか、「あおはじかみ」「あおざんしょ」なのか、他に読み方あるのか迷っているうちに時間が来た。この句の眼目はナポリタンの邪悪であるから、素直に読みを入れた方がよいであろう。作者はピーマンの入ってないナポリタンは邪道だと主張している。わたしはピーマンが嫌いなので、ナポリタンの正義と締めたいところだ。なんだかナポリタンに無視され、いじめにあっているピーマンの姿を思い浮かべて可笑しい。いずれにしても正義より邪悪の方が喚起力がある言葉だと思う。


 
天高く群れたる牛のアマゾネス   久才秀樹

 
◆秋の青空の下、放牧の乳牛の群れであろう。漲る乳房や、締まった大腿など見ているうちに、アマゾネスという語が浮かんだのであろう。気持ちはわかるし、言いたいこともわかるが、座五にこの言葉を使うのはあまりにも俗っぽい感じがした。アマゾネスという措辞を使うチャレンジ精神は買う。しかし最初に言ったように「あるあるネタ」になって、すべて意味が分かってしまう。ここは「モノぼけ」でぼやかしてほしい。たとえば「天高し牧にアマゾネスを思ふ」「牧はアマゾネスのごとし」とかでも十分伝わると思う。(またたとえが今一で悪いが)すべての人に伝わるのが川柳、わかる人はわかるのが俳句でいいのでは。もちろんわかりやすい俳句もいいが、ホトトギスじゃないんだから少しは謎がないと。。。


 
浴室が空くのを待ってる竈馬   新川託未

 
◆まるで家族の一員のように浴室の空く順番を待っている竈馬、なんかユーモラスな感じである。待っているでスリットを入れて読んでもよい。浴室が空くの待っているのは作者本人で、浴室に入ろうとおもったら、先客として竈馬が居たという景でもよかろう。有望な高校生である。本人の話だと家での実景だそうだ。すごい家に住んでいる高校生だ。

 
 
 
秋に入るラジオの熱き腹をなで   五十嵐秀彦


 
◆ラジオという昭和の道具を出してくると私は弱い。しかも使用時間が長くなってくると熱を帯び、腹が熱くなってくる。それを感じ始めたのも少し空気が冷えてきて秋になったからであろう。微妙な季節のゆらぎを、ノスタルジアのある素材で処理している。私はこの句を採ってしまった。いつからこんなしぶい句をつくるのか、これでいいのか秀彦!? 秀彦さんには私に採れない句をいつも作ってて欲しい。
 
「うるさい、ほっとけー」という声が聞こえてきそうだ。

 
九月来てサンドイッチの具に悩む   後藤あるま

 
◆中七以下の措辞は主婦にとっては日常ではあるが、なかなかキャッチ力のあるフレーズである。このようなフレーズができた場合、持ってくる季語が重要になってくるが、これがかなり微妙にうまい。絶妙と言っていいのではないか。7月、8月は夏どまんなかで、夏らしい具を考えるであろう。夏の暑さが残っている残暑厳しい、九月はどうか?夏らしさといってももう2か月続いているので飽き(秋?)が来ている。そこでさらに具に悩む。とすれば実は用意周到リアルな季語選択でもある。
 

 
 
残し置く帽子のへこみ鰯雲   今田かをり


 
◆ふつうに読めば、夏におもに被った帽子であろう、夏の思い出がいっぱい詰まった帽子をへこんだままにしておく。そして今は秋、空には鰯雲が湧き出るように広がる景だ。作者はこの夏、大切な身内の方を失くしているので、その人の形見の帽子だとしたら、さらに感懐がわく。故人の頭のかたちにあわせた帽子のへこみなのである。そのままにしておこうとどうしても思う。ただこの句の場合はそのようには読めないであろう。


 
木歩忌や家の奥より日向見て   久保田哲子


 
富田木歩という比較的珍しい俳人の忌日の句。生まれつき足が不自由で、大正十二年九月一日関東大震災で逃げ遅れて死亡している。私などは重症な結核の妹を詠んだ「かそけくも喉鳴る妹よ鳳仙花  木歩」を愛唱している。家の奥から外の日向を見る、角度が違うといつもの日常も違って見える。もし自分が歩けなかったらこのような角度、立場で世の中が見えるんだなとふと思う。そういえば今日は木歩忌だ、作者はほんの少しだけ木歩が近しく思えたに違いないのだ。


 
朝顔の紺に夜明けの染み出しぬ   栗山麻衣


 
朝顔、紺といえばあまりに有名な石田波郷の句があるので、けっこう詠みずらいのであるが、波郷の句が悠久の時間を詠んでいるのに対し、この句は直前の時間の切り取りを詠む。夜明けに朝顔を見る。その紺色はまるで夜明けの縹色が染み出ているように感じたという句である。
 
 
 
ルピナスの亡骸につと紅をさす   高橋希衣


 
ふたつの読みが成立すると思う。ひとつは色あせたルピナスの花そのものをメタファーしたという読み。もうひとつはいわばルピナスのような人が亡くなって、その死に化粧の場面を詠んでいるという読みだ。もちろんどちらも違うかもしれない。
ルピナスが色あせて亡骸のようになると紫色であれば、「ちびまるこ」の藤木くんのくちびるのようになる。たとえば夕日がさせばどうなるだろう、その紫色は紅をさしたかのように鮮やかによみがえる。 もうひとつは死に化粧の場面、納棺の前に女性であれば必ず死に化粧をする。故人は昇り藤のように生きた華やかな人だった。しかしいまその唇は色あせている、親族の方もしくは作者はその唇にそっと紅をさしてやるのだ。この句の佳さはルピナスという花の選択と、副詞の「つと」である。
源氏物語の「夕顔」などから着想したのかもしれない。いずれにしても亡骸に紅をさす行為のせつなさ、やさしさが胸に沁みる。


 
またけふも松茸ご飯炊いてはる   岩本 碇


 
◆「毎年よ彼岸の入りに寒いのは 子規」この句をはじめとして話し言葉が俳句になることはままある。この句も話し言葉が俳句として成功した例だと思う。お隣さんの日常を揶揄して詠んだのか、一緒に暮らしている人の松茸ご飯好きを揶揄して詠んだのか、いずれにしても事実をそのまま伝えて、揶揄なのか、妬みなのか、皮肉なのか、愛情なのか どう感じるかは読み手にすべて託している。この句の佳さはすべて「はる」という京都弁というか、方言である。この方言そのものに意味の重奏性があると思う。北海道の人間にとっては謎めいていて、品があるのである。同じ内容を北海道弁で伝えたら、おそらく隣人をねたんでいるとしか読めないであろう。面白い、方言俳句の新たな使い道である。

 
電柱に服直します草の花   古川かず江


 
最高点句かもしれない。私もしるしをつけた句である。まず中七までの口語体の措辞で場面がはっきり見える。それも昭和の景である。コールタールでまぶされた電柱の側面に縦書きで手書きのポスターが貼ってある。今のようにうるさくない時代である。勝手に他人の家の塀に貼っても機嫌のいいときなら見過ごしてくれることもあった。掲句が俳句として成功したのは「草の花」の選択である。その電柱の下、もしくは周囲に名もない秋の草花が咲いている。誰もが原風景として記憶のある景なのだ、だから多くの人が共感したと思う。


 
このぶよに「クサマヤヨイ」と名をつける  福井たんぽぽ


 
名をつけるパターンの句は「実名」と「実在しない名前」の場合がある。実名をつける場合は相当有名で、故人がいいのではと思う(その人の評価が定まっている)。
塚本邦雄はありそうな個人名をよく連続的に短歌にしていた。私はこの句が出たときこの名前は架空の名前だと思っていた、つまり「クサマ」さんを知らなかった。
ぶよの名前だから、実名だとするとまずくないかい、といろんな意味で思った。いずれにしても実験的試みとして面白い句と思った。そして高点句になったのは「クサマ」さんを知っているひとがこの句をたくさん採ったことになる。しかしこの句の「クサマ」さんはあくまでも、カタカタのそれであって、漢字でかくその人ではないのだ。この後わたしは漢字書きのこの人を知ることになり「ぶよ」の選択が悪くないことを知った(すまないけれど)。。。

 
まだ取り上げたい句もあったが、この辺で稿了とする。第4回イタックも盛会であることを祈念します。


 

平成24年10月9日 追記

お詫び
先日アップした第3回イタック句会評において不適切な記載が2,3ありました。

ただちに削除、訂正しております。
ご不快な思いをさせてしまった関係諸氏には深くお詫び申し上げます。
今後は気を付けて投稿いたしますのでご寛恕ください。

                     文責 橋本喜夫・俳句集団【itak】事務局一同



 
 

2012年9月12日水曜日

【itak】第3回イベントを終えて


【itak】第3回イベントを終えて    五十嵐秀彦
 
「3回目の魔物っているのか?」
 
 
 
 

3回目ってけっこう難しいな、というのが今回の正直な感想。
 

主催者側も参加者側も、「慣れ」を感じてしまう回数なのだと思います。

幹事会の準備も遅いというほどではなかったけれど、やや熱が下がった印象だったし、準備の事務作業でも意見の食い違いから小さなドタバタがあったりしました。

参加者側もおそらく「だいたい分かったから、なにも毎回律儀に出席するまでもないかな」という思いが出てくる時期だったのではないでしょうか。

そんな微妙な不安感を引きずりながらのイベントだったように思います。

 

今回から中島公園にある北海道立文学館の講堂を使用することにしたのが、ハード面の変化でした。

これまで適当な場所を探して彷徨っていましたが、ここであれば主催者の予想を裏切るほどの参加者数となっても十分受け入れられるキャパであり、しかも文学館側が我々【itak】の目的とするところを理解してくれているところも大きな支えとなっていて、本拠地として最適の場所だと思っています(近々発行される北海道文学館報に私が新しい俳句運動の旗揚げについて書かせていただくなど、【itak】をバックアップしようという文学館側の姿勢はありがたいことです)。


ソフト面では特に変化はありませんが、第部の企画として今回トークショーをやってみることにしました。

 
人数はまだ多くはないながらも、前回から市内の高校生が参加してくれるようになり、また全体に俳歴の浅い若手が多いこともあって、俳句の魅力をどんなところに捉え鑑賞するのかというテーマを下敷きに、3人の出演者がそれぞれ自分のオススメの句を肴にして語り合う「俳句って、面白い!」と題した分かりやすい内容のトークショー企画です。
 

そんなことを準備をしながら、広い会場まで確保して蓋を開けたらガラガラなんてこともあるかもしれないと正直思ってもいました。

「3回目の魔物」の影にちょっとおびえたりしていたのです。 

しかしそんな不安は開場とともに払拭されました。
講堂はどんどんいい感じに埋まっていき、最終的には43名の参加者となりました。

確かに魔物はいたのだと思いますが、幹事や事務局の努力、参加者の熱意でそれをはねのけることができたと言っていいと思います。
 

トークショーの出演者の一人として、第回のシンポジウムにも出てもらった歌人・山田航さんにまた協力をしてもらいました(彼も幹事の一人です)。

 

航さんは最近第1歌集『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)を発行したばかりで、それが道内短歌界で旬の話題となっていることもあってか、参加者の中に歌人も散見されたのはうれしいことでした。

トークショーのダイジェストはまた別稿でアップする予定ですのでお待ちください。
 

1部がすこし押したこともあって第2部句会の時間が多少窮屈になってしまいましたが、参加者全員に選評を述べていただくいつもどおりのやり方で、感心したり笑ったりと楽しい時間を過ごすことができたと思います。

 
 

特にやはり高校生たちの選評はフレッシュで実に面白く、今回も「爆笑トーク」は若い彼らにさらわれてしまいました。

 

俳句の世界を牽引してきた世代、いま牽引している世代、そしてこれからの世代。

俳歴もさまざま、所属もさまざま、そして今回も「フラリと参加してくれた未知の人たち」もいて、【itak】の座は3回目のジンクスも無事乗り越えると同時に、第4回イベントへと向かっていくのでした。

 

参加者のみなさん、事務局、幹事会のみなさん、お疲れさまでした。
また、参加できないながら遠くから見守ってくれている人たち、「ローカルを拠点に何かをやろう!」を合言葉とする【itak】イベントは今回も成功しました。

次回以降にもぜひご期待ください。
ブログも今後順次更新してまいります。

【itak】ブログはネット世界に開かれたメディアです。
外部からの寄稿等も受付けますので、事務局にご相談ください。
 
 
 

2012年9月9日日曜日

俳句集団【itak】第三回 トークショー・句会は無事終了しました

昨日は俳句集団【itak】の第三回 トークショー・句会にお越しくださいまして
誠にありがとうございました。
道立文学館を新たな会場としてのイベントはいかがでしたでしょうか。
今後はこちらを拠点として続けることができるよう邁進していきたいと思います。

トークショー・句会の概略については改めてこのブログと
フェイスブックページにてご報告させていただきたいと思います。
また、これまでのように「選評」「人気五句」「○○が読む」企画も準備しております。
発表したものについてコメントやツイッター等での評、コメントを頂けますと
大変に励みになります。どうぞよろしくお願いします。


今後も奇数月第二土曜日を定例として会を重ねてまいりたいと思います。
句歴にかかわらない俳句の喜びを一堂に会して分かちあいましょう。
俳句集団【itak】にご賛同・ご参加をいただければ幸甚であります。


次回は11月10日(土)13:00からの予定となっております。
皆様お誘い合わせのうえ、イベント・句会にご参加くださいませ。
お問い合わせは事務局あてメールにて随時承っております。

itakhaiku@gmail.com

ただいまのところは取り急ぎの御礼まで。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2012年9月5日水曜日

俳句集団【itak】第三回 句会の進行についてお知らせ

俳句集団【itak】第三回イベント・句会は9/8(土)、今週末となりました。
トークショー・句会の当日参加も受け付けております。
本日は句会の進行についてお知らせします。

投句受付・・・・・・・入場受付後アンケートと投句用紙をお渡しします。

お席で各項目を記入の上、受付横、投句係のスタッフにお渡しください。
記名と【itak】ネット掲載の可・不可欄のチェックをお忘れなく。
俳号をお持ちの方は俳号をご記名ください。

難しい文字・当て字には振り仮名をお願いします。
書き損じの場合はなるべく余白に書き直してください。
新しい用紙をご所望の際は書き損じの用紙と交換してください。
修正テープもいくつかご用意しております。

アンケート用紙はお帰りの際までに適宜投函ください。
前回までにお出での方は連絡先情報は不要です。
お名前のほか、ご希望などがありましたら所定の欄に
ご自由にお書き入れください。

選句表配布・・・・・句会の初めに選句表を配布いたします。
 
選句時間は投句総数によって変わりますので
司会の進行にしたがってくださいませ。
選句は天・地・人の三句とします。

          
選句披露・・・・・・・時間になりましたら着席順にお名前と天地三句
            大きな声で述べてください。

④集計・披講・・・・・点を集計したあと、有点句を選句表順に披講して行きます。
 
           選者の句評は時間の都合上天地のみとなります。
           披講された方は大きな声で名乗りを上げてください。

            点の入ったものはできる限り披講いたしますが
            時間切れの節はご容赦ください。
            披講し切れなかったもの、無点句等については
            次回句会までの時間を利用して、当ブログ上にて
            読みあい、評する企画を持ちたいと思います。

※ネットに掲載されることで発表済みの句となりますので
  ご都合の悪い方は投句用紙に不可とチェックしてくださいませ。
  これまでの公開状況については当ブログの「選句・投句一覧」の
  ラベル記事をご覧ください。

⑤集計方式・・・・・・大人数の句会になりますので点数の集計は
天が3点、地が2点、人が1点として、合計点数によって順位付けいたします。
場合によっては地、人の集中した句が天をとった句を逆転する場合がございます。
あしからずご了承くださいませ。


トークショーについてはなにしろ生き物です。
場の雰囲気で二重三重に化ける、楽しい企画になると信じております。
ご来場の皆さんの反応も味付けのひとつです。
一部・二部を通して、面白い俳句の一日となりますように。

それでは当日を楽しみにお待ちしております。