2014年7月31日木曜日

『りっきーが読む』 ~第14回の句会から~ (最終回)


『 りっきーが読む 』 (最終回)

 ~第14回の句会から~

三品 吏紀
 

 夏風邪の傷跡残す細き腕       田中  枢


私もまだ学生の頃に、酷い夏風邪を引いたことがある。
当時は一人暮らしで生活費の一部をバイトで賄っていたから、バイトは絶対に休めない。そんな思いで文字通り這うようにして近所の医者の所に行った覚えがある。
半袖から覗く注射や点滴の痕(実際には消毒綿で覆っているが)、思わず同情してしまう。夏の貴重な日々を風邪で潰すほど悔しい事はない。
句について気になったのは、上五からずっと一本調子の流れで説明的なのが勿体無いかなと思った。 その辺りをうまく工夫すれば、もっと目の立ち止まる句になるのではないかと思う。



 青葉闇二つの影を馴染ませて    増田 植歌


真昼の突き刺すような太陽を遮る、鬱蒼とした青葉の影の連なり。
そこには外界の灼熱地獄から逃れるように様々なコロニーが形成されている。散歩途中の幼子と母親、若いカップル、飼い主にピッタリと付き添う秀犬・・・。
大小様々な影が対をなして青葉の影の下でひととき息をつく。青葉闇の下、影と影が寄り重なり馴染む程に、お互いの結びつきは強くある。
夏の炎天を元気よく駆け回るのも良いが、こうやって青葉の陰で涼を取り、風を感じながら静かに時を過ごすのもまた、夏を味わうこの上ないシチュエーションだろう。



 水着など持たぬ熟女の脱毛よ    青山 酔鳴


水着、熟女、脱毛・・・・・・。
なぜだろう、この心揺さぶられる単語たちは。ホンッとバカね、男って(笑)。
幾つになっても女性は女性。別に水着になる事などもう無くても、常に美しくありたいという願望と努力。 世の女性みんなそうだろう。
でも男達はそんな姿を一歩引いた所から眺めている。男はある程度年を経ると「もう今更いいんじゃない?」なんてあまり身なりに細かい気を使わなくなる(基本自分のw)。だから醒めた視線で熟女たちを眺めるのだ。若い娘にはセクハラギリギリの視線を送るが(笑)。
そんな女性の必死さと男性の醒めた視線が相混じるような句だと思う。
・・・案外この句の作者は男性だったりして(笑)。
 
 
 成功のルールブックに蝿遊ぶ     高畠 葉子


「成功」とは。何をもって成功と呼ぶのかは人それぞれだ。ビジネス・学業・恋愛etc・・・。
私は自営業という立場であるが、毎日が思考・実践・反省の繰り返しだ。そして毎日条件・状況の変りやすい仕事でもある。「成功のルールブック」なんて物があったとしても、それにすがっていては何事もいつまで経っても上手くいかない。 そこには己の思考と責任が無いからだ。
己自身でリスクを背負い、考え乗り越えてこそ、初めて成功への道筋が見えてくる。
成功へのルールブック、そんなものが在ったとしても、蝿に遊ばせておけばいいのだ。
 

  (了)



 『りっきーが読む』をご高覧頂きありがとうございました。
コメントなどご遠慮なくお寄せください。




 


2014年7月29日火曜日

『りっきーが読む』 ~第14回の句会から~ (その3)



『 りっきーが読む 』 (その3)

 ~第14回の句会から~

三品 吏紀
 

 古地図にもありし街の名心太       河野美奈子

こういう句があると本当に「えっ?そんな町があったの?」と一瞬信じてしまいそうになる。思わず本当に調べたほどだ(笑)*1 「心太」と漢字にしたことで、目から入るイメージが先行し、上五中七のくだりが生きてくるのだろう。
「ところてん」と平がなにすると、この句の面白味が半減してしまうような気がする。今句会で取り合わせの味が上手く出ている代表作の一つだと思う。



 夏の歩道橋母似の人のうしろ行く    福本東希子

歩道橋から臨む景色は、いつもと違うもの。空を見上げればいつもより空が手に届きそうで、街を見下ろせば人や車、家々を見下ろす形になってちょっとした優越感に浸れる。
だがこの句は空でも街でもなく前を行く女性を景の中心にしている。

小さい頃、母と一緒に買い物していて、母の後ろをついていたつもりがいつの間にか別人の後ろにくっ付いていたという事がよくあった。作者もそんな思い出を一瞬よぎらせてこの句を作ったのだろうか。歩道橋は大抵通路が狭いから、前の人の歩みが遅くても中々追い抜くということはしづらい。ほんの何十メートルを母似の人の背を追う中で蘇る、幼い日の記憶。
それは本当に、場所も時も関係なく唐突に起こるものだ。



 半袖の恋人に待たるる心地        山田   航

自分はやっぱり男なんだなぁ。つくづくこういう句に惹かれてしまう(笑)
ノースリーブやタンクトップでは露骨過ぎてこの情緒は出ない。半袖なんですよ半袖。ここポイント(笑) 前にも書いた「静かな色気」がこの句にも感じられる。

夏なのだから半袖なんて普通の事なんだけど、しなやかに晒している腕を眺めると、これから過ごす一日を思い、心が色んな意味で揺らぐ様子が感じられる。
恋愛が一番楽しい時期のそんな瑞々しい印象を受けた句だ。
 


 旅先や蜜の変るる心太           村元 幸明

唐突だが「フレンチドッグ」という食べ物をご存知だろうか?
魚肉ソーセージをパンケーキの生地でコーティングして油で揚げた、スティック状の食べ物だ。

このフレンチドッグ、私が住む北海道内でも実は地方地方で食べ方が違うという事を最近知った。
私はフレンチドッグにはケチャップが当たり前だと思っていたのだが、ある地域では砂糖をかけるのが普通だという。この事には本当に驚いた。
心太も酢醤油で食べたり、黒蜜をかけたりと地域でぐっと食べ方が変る。食というのは本当に奥が深い。同じ国内でガラッと様変わりしてしまう。
そしてそれを味わうのが旅の醍醐味。心太をきっかけとした「未知との遭遇」をさらりと詠んだ句なのではないかと思う。



心太恐らく性別は女              後藤あるま

今句会で投句された作品の中で、一番読むのに悩んだ句だ。
目に飛び込んでくる文字から来るイメージ、読んで耳から来る音のイメージ、その両方を合わせてもはっきりとした景が浮かんでこない。バラバラなのだ。
「心太」。漢字でこう書くと男の人の名前でありそうだ。しかし中七からのくだり「恐らく性別は女」ここでいきなり否定されてしまう。むぅう。
続いて「ところてん」と音でイメージしてみる。
確かにあのツルツルっと箸から逃げる、しなやかに軽やかに捉えられないのは女性の心と一緒。
だから恐らく性別は女ということか。いや、しかし・・・。 うーむ。
でもこうやって好き勝手に考え悩むのも楽しいのが俳句の醍醐味の一つ。 人それぞれ浮かぶ景は千差万別。 作者の意図せぬ解釈で笑いが起きたり、逆に自句自解で句のミステリーが解けたりと、本当に奥深い楽しみがある。
この句は今句会でその一つになったのではないだろうか。
 

(最終回に続く)


*1 道産子には納得の句評でありますが、読者のお住まいの地域によっては不明な方もお出でかと思い老猫心よりご説明。
北海道にはアイヌ語を語源とする「put」を持つ地名が多くあり、「空知太」「当別太」「漁太」といったものを国道の看板などで目にされることが多いと思います。筆者の住まう帯広では「十勝太」がございます。以上雑学にて。


2014年7月27日日曜日

『りっきーが読む』 ~第14回の句会から~ (その2)


『 りっきーが読む 』 (その2)

 ~第14回の句会から~

三品 吏紀
 

 アイスコーヒー水滴いっぱい長話し   江崎 幸枝


喫茶店に入りアイスコーヒーを二つ注文する。
でもそれはアイスコーヒーが飲みたいというよりも、ただただ気の置けない友人とお喋りがしたいが為のツールであるだけなのだ。
話に興じているうちにアイスコーヒーのグラスには水滴がいっぱい、氷も融けてコーヒーは薄くなっている。 それでも気付かずに延々と長話をしている二人の様子が目に浮かんでくる。
男性は酒の席でもない限り、そうクドクド長話を好むものではない。おそらく女性の視点から詠んだ句なのだろう。女性の特徴というか習性というか、そんなものが現れている。
アイスコーヒーに女性の長話というのも、夏の風景の一つと言えるのではないだろうか。


 夏花摘む言葉は死者のためにある   橋本 喜夫


宗教的な論議は抜きにして、葬儀とは死者を安らかに送るものではなく、実際は我々生者のための儀式だと私個人は思う。 故人の死を受け入れ、遺されたもの達だけで生きていくという周知のセレモニーだ。
死者に対してどんなに美しい花を添えても、大好物だったものを捧げても、死者はもう愛でることも食べることもできない。ただただそこにあって、朽ちていくだけだ。 我々生者の勝手なエゴなのだ。
だったらせめて、言葉を捧げよう。
言葉は言霊、想いを載せた言葉はきっと故人へと届くはずだから。

                                かわの
 真昼間のシャンパンワイン夏料理   河野美奈子


んまぁ。昼間っから豪勢ねぇ~~!!なんて思ったりしたけど、考えてみれば自分もオフの時は朝酒昼酒お構いなしだったわん(笑)中七のシャンパンワインの単語の並びが、上手く音のリズムが取れてるように思う。
これがワインシャンパンだとちょっと座りが悪いかな?
昼間に飲むお酒っていうのは、ちょっとした優越感を感じられるのが楽しい。
周りは限られた時間で昼飯をかっ込みながらの忙しい昼休みだけど、そんな人たちを差し置いて自分はワインシャンパンをゆるゆる傾けながら、ゆっくりした時間を過ごす。
これって堪らない至福の時間なんである。
この一瞬の至福を味わう為なら、日々の激務なんてなんてこと無いのさっ。


 無人駅ちよこんと置かる夏野菜    深澤 春代


地方の無人駅やバス停なんかではよく見る光景。近所の農家さんがわざわざ自分の畑で採れた野菜を、机の上に無造作に積んでいる。その横には一応つり銭箱らしきものは有るわけだけど、大抵がお菓子の箱をひっくり返したような呑気な作りのつり銭箱だ。防犯もヘチマも無いけど、不思議とみんな律儀にお金を払って、野菜を持っていく。むき出しのつり銭とかも盗ろうとしない。
失われつつある日本人の美しい原風景が、そこにまだ残っている。今の殺伐とした世の中で生きている分、温かみを感じるものだ。
 

(その3に続く)


2014年7月25日金曜日

『りっきーが読む』 ~第14回の句会から~ (その1)


『 りっきーが読む 』 (その1)

 ~第14回の句会から~

三品 吏紀


月のitakにはお仕事が忙しくて参加できなかった私りっきー。
今回は読むシリーズの方で登場となりました。
句会に参加された皆さんの句、自由気まま勝手に読ませていただきます。
・・・すっとんきょうな感想でも怒らないでね(笑)
 


 解く荷の隅まで洗う青嵐          久才 秀樹


この時期の荷造り・荷解きは本当に辛い。
黙っているだけで汗が噴出してくるのに、その中で細々とした作業や力仕事は苦行に近いものがある。
この句は引越しの一コマを詠んだのだろうか。
新居先に積まれた荷物の山。滝のように流れる汗と格闘しながら一つずつ荷解きをしていく。
その中で不意に窓から吹き込む一陣の青嵐。
夏の緑と新しい街の匂いが部屋中を満たし、ひと時疲れた体と心を労わってくれる。
この句の青嵐は、新しい地に住む者への労わりと洗礼なのだろう。


 買ってすぐこわれるおもちゃ夕焼雲  瀬戸優理子


小さい頃欲しくて欲しくて散々ねだって、やっとこさ買ってもらったおもちゃ。
それがあっという間に壊れて使えなくなった時のあの悔しさとガッカリ感、そして親に怒られてしまうという恐怖、私にも覚えがある。
それと同時に夕焼雲には、瞬く間に過ぎようとする夏の一日をどこか惜しむような寂寥感を憶えさせる。
そんな過去と今の二つの感情が混ざり合って、遠い日の壊れたおもちゃの記憶が呼び起こされたのではないだろうか。
郷愁と感傷の相混じるような句に思う。


 風鈴のジャズダンスより激しかる    山田  航


一風吹くごとに、優しく涼を奏でる風鈴。それがジャズダンスよりも激しいというのだから、何とも忙しないものだ。
夏の午後ににわか雨の振る前兆として、突然冷たく強い風が吹き込んで、風鈴を激しく鳴らすというのはよく有る。この句はそんな一瞬の景をイメージして詠んだのだろうか。
風鈴の「静」とジャズダンスの「動」を合わせ、うまくまとめた句だと思う。


 沐浴や衣擦れの音夏座敷       村元 幸明


「沐浴」と「衣擦れ」だけで、なぜか女性をイメージしてしまう。バカね、男って(笑)
家事で汗ばんだ身体を洗い流すべく、服を一枚一枚脱いでいく。誰に見せるでもなく、誰に聞かせるでもない衣擦れの静かな音が、夏の座敷に吸い込まれていく。
夏座敷という季語が、より静謐と清涼を醸し出していて良い。
どこか「静かな色気」というものを感じさせる句だ。



(その2に続く)


2014年7月24日木曜日

『りっきーが読む』がはじまります!


俳句集団【itak】事務局です。


ご好評の『読む』シリーズです。
今回は『葉子が読む』に続きまして
『りっきーが読む』をスタートしたいと思います。

第14回俳句集団【itak】の句会には今回81句が投句されました。
その中から当会幹事・三品吏紀が毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。

前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は明日7月25日(金)18時からです。ご高覧下さい。

☆三品吏紀(みしな・りき 俳句集団【tak】幹事 北舟句会

2014年7月22日火曜日

第17回松山俳句甲子園全国大会の準決勝・決勝用兼題発表と          北海道新聞記事『俳句甲子園予選を見て』(今井心さん)


俳句集団【itak】です。

第17回松山俳句甲子園全国大会準決勝・決勝用兼題が7月16日に発表されました。
【全国大会 準決勝用】は『写』、そして【全国大会 決勝用】は『生』です。
『夜店』『炎天』『飛魚』『汗』『柿』で、8月23日の予選を勝ち上がらなくてはトライできない兼題ですが、参加各校全力を尽くして、熱く戦ってください!
24日の敗者復活、準決勝、決勝に残るのは果たしてどこの学校なのか、どんな俳句が飛び出すのか。今から楽しみにしています。そうそう、旭川東高校は熱中症に気をつけて!

また、7月17日付北海道新聞夕刊文化面には【itak】参加者の今井心(いまい・しん)さんによる『俳句甲子園予選を見て』という記事が掲載されました。俳句甲子園参加OBであり、札幌会場の地元スタッフとして参加していた今井さんの文章をぜひご一読ください。























道内各校の文芸部の顧問の方々、部員の生徒さん達。来年は皆さんもエントリーしてみませんか?俳句集団【itak】は全力で応援します!【itak】イベントは高校生以下参加無料です。生の句会の空気に触れて、力をつけていきましょう!




2014年7月20日日曜日

俳句集団【itak】第14回句会評 (橋本 喜夫)


俳句集団【itak】第14回句会評

  
2014年7月12日


橋本 喜夫(雪華・銀化)
 


 1回休むととても久しぶりな気がして可笑しい。さて今回は琴似工業が学祭ということで、若者が欠席。アダルトな句会になった。それでも40人を超えるとは大したもの。毎回のこの欄の担当は辛いので時々休ませてもらうことを条件に今回も喜んで担当する。山口青邨が「モテイーフが季語を選ぶ」と言っているが、その通りと思う。最近この言葉に私は凝っており、俳句は詠みたいモテイーフがあって、その後季語が決まる作り方と、モテイーフの中に季語が内包されていれば、すこしずらしたり、すかしたりして、工夫して季語の説明にならないように作る。有季定型で俳句を作る場合極論すればこの2方法しかないように思う。さて今回も気になった句を沢山紹介したい。
 
 君といふ未踏の大地雲の峰       松王かをり
 
 君になりたいと恥ずかしながら思うのは私だけか。この句のモテイーフは作者の詠みたい「君」がいて、そのひとは未踏の大地であるというのだ。まだ足を踏みいれていない未踏の可能性を秘めた魅力的な人間を未踏の大地でメタファーし、そこに季語が選択される。「雲の峰」が決まる。作者の実力からすれば75点の季語のような気がする。それは「未踏の大地」という措辞から順当につながりすぎる気がするから。しかし「未踏の大地」に対抗できる天文、地理の広大で、人智が及ばないような季語があるだろうか?難しい。
 
 買ってすぐ壊れるおもちゃ夕焼雲    瀬戸優理子
 
 中七までの措辞で、日常に潜むはかなさ、こわれやすさ、おもちゃで遊ぶ子供たちの敏感さ、脆弱さ、はたまた倖せな日常のほんの少しの毀れやすさ そんなところがこの句のモテイーフであろう。そこで来るのが夕焼雲。晴れていれば毎日見れて、平凡に起こる現象である。雲であるからいろいろに形が変わり、その可塑性が「壊れやすいおもちゃ」に通底する。悪くない選択だと思う。
 
 風鈴のジャズダンスより激しかる    山田  航
 
 この句は詠みたいモテイーフが激しく風に揺れてなる風鈴がジャズダンスより激しいという発見であろうか。すでに季語が内包せれているので作者は、俳句にめったに使われない「ジャズダンス」を比喩あるいは比較として持ち出して、その激しさを表現している。ところで短歌人が詠む俳句の一般的特徴を自分なりに羅列すると「切れ字をあまり使用しないこと」「かならず読後に余白感覚、物欲しげな感覚、付け句を付けたくなる感覚を起こすことが多い」「そして掲句のようにモテイーフに季語が内包されやすいこと」などがあるか。その他モテイーフに「相聞」が多いなどもあるかもしれない。三番目に述べたことが起こりやすいのは短歌人はまず「そういえば季語を入れなくちゃ」という意識が働くからかもしれない。
 
 無花果や吾れ屈葬を遺言す       青山 酔鳴
 
 何か落ち込むこと、体調の変化があったのか、作者は遺言として「屈葬」を望んでいる。これがこの句のモテイーフ。無花果の選択は異論があるところだが、世界最古の栽培果樹、花が咲かないうちに実がなる、無花果を使用した生死にかかわる句が過去に多い、鳥に食い荒らされることが多く鳥葬のイメージも湧く、などなどこのモテイーフに選択されて当然といった気もする。
 
 ハンモックなんであおいのうみとそら  酒井 英行
 
 最高点句である。とった俳人は会場に参加していた可愛い子供が作ったのではと思ったのだと推察する。かくいう私も採ろうと思った、ただし「ハンモック」という季語の選択があまりにうまいので、ぎりぎりで思いとどまった。中七以後は三尺の子供の気持ちで作ったのが成功した大人の句である。
 
 若きらが佇んで小蟻を通す        井上 康秋
 
 モテイーフは「ちゃらちゃらした何の知性もない若者たちがうんこ坐りや、屈みながらたとえばコンビニの回りを屯している。そいつらをよく見ると小さな蟻の進む道を邪魔せずに、踏まずに通してやっている。こんな奴らでもいいところあるのだな。少しほほえましい作者の発見がモテイーフである。「若きら」という措辞がはじめはあまり好ましく思ってなかった感覚が伝わってくる。この句はモテイーフに季語が内包されているが、モテイーフそのものが発見であること。そして中七から座五にかけての句またがりが、工夫されていて何とも言えぬ味が出ている。
 
 ぎいとなくせみがたくさんがっこうに   ともやっくす
 
 まずひらがなにしたのが成功している。上五の「ぎいとなく」で、この句のできがきまった。倒置法になっているので、韻文性もある。なにより子供らしさにいやらしさがない。この年齢ならばこの素直な詠みができれば十二分である。
 
 柳絮飛ぶ時間のおもり放ちけり     増田 植歌
 
 晩春の季語。柳絮。綿毛のついた種子である。この句のモテイーフは柳絮の飛ぶさまをみて、作者は時間もおもりを放っていると感じたあるいはメタファーしたのである。「時間」を俳句のモテイーフにするのは難しいといわれるが、この句は「時間のおもり」という措辞がいやみがなく、柳絮の隠喩として効いていると思う。綿毛によって浮力がつき、風に載って遠くまでゆき、種子がおもりになって落下傘のように、咲きたいところに落下して子孫を増やしてゆく。また飛び立つさまを「放ちけり」と言い切ったのもこの句の見どころである。
 
 額の花喜怒哀楽に距離を置く       西村 榮一
 
 モテイーフは中七以後であろう。作者は「喜怒哀楽」という人生の極端な感情に距離を置いて、淡々と日常を生きたいと願っている。まずこのフレーズが格好良い。こういう生き方は難しいが憧れるときもある。そこで選んだ「額の花」がとても良い。紫陽花の母種ではあるが、梅雨空の下ひっそりと、清楚に咲く姿はまさにさもありなんである。この作者、季語や俳句に対して膨大な知識があるので、「数々のものに離れて額の花  赤尾兜子」という句も下敷きにしているし、「額縁」のように隔絶されて見えるのがこの花の特徴なので、すべてを知った上での選択である。周密な季語選択である。
 
 金魚に影鋭角に居る和紙の上      高畠 葉子
 
 和紙に映る金魚の影が丸みを帯びないで、逆に鋭角に映っている。それをそのまま句にした。金魚の句でその姿を詠まずに、映った影ばかり詠んだのはとても珍しい。モテイーフ選択も成功している。ただ私ははじめ読んだとき、「金魚掬い」で和紙に載ったときの金魚がもがいている影を描いていると誤読した。誤読をなくすためにもう一工夫必要かもしれない。誤読も面白いのだが・・・。
 
 本降りの雨掃き出して夏芝居       籬  朱子
 
 さりげないのであるが、よくできた句である。十七文字すべてがモテイーフになっている。「雨の日の夏芝居」の本意ではなかろうか。「本降りの雨掃き出して」までの中七がリアルで、夏芝居を観る前のこころの小さな高まりを示している。
 
 炎天をきて水音のグラスかな       松田 ナツ
 
 見過ごされがちな句だが目が効いた佳句である。この句も十七文字すべてがモテイーフになっている。作者は炎天のなか自宅あるいは友人の家に急いでいる。土産によく冷えた飲み物あるいは氷菓などを持参したかもしれない。そこで出されたグラスには水音がしたというのだ。いかにも冷たそうで飲みたいという気がするではないか。炎天下を歩いてきた作者の渇きも水音のグラスで爽やかに表現できている。
 
 無人駅ちょこんと置かる夏野菜      深澤 春代
 
 無人駅の待合室の椅子のうえにでもそっと置かれた夏野菜。無人駅であるから静かさもあり、いかにも気持ちのよい景である。リアルでもある。この句は「置かる」が問題であろう。連体形にするなら「置かるる」にすべき。ここは連用形にして「置かれ」で句が締まると思う。
 
 少年の肩うすくしてアロハシャツ      小張 久美
 
 少女でなくて少年であるところがリアルであり、現代的である。たしかに今の少年は華奢な外形が多くて、びっくりする。アロハシャツというすこし大づくりなゆるい、涼しい着衣であるからなおさら、その肩の薄さが目立つのであろう。中七「肩うすくして」の措辞がよい。
 
 タンポポの花壇に入るタイヤかな     深澤 春代
 
 点は入らなかったが、とてもモテイーフが面白い。花壇に埋まっているタイヤに焦点を合わせて詠んだ句は今までなかったのではと推察する。視点はいいのでタイヤに焦点を合わせて詠めばよいと思う。またタンポポのカタカナがタイヤのカタカナと喧嘩しているので、ここは漢字が佳いと思う。たとえば「蒲公英や花壇に埋まるタイヤあり」あるいは「蒲公英や花壇に埋もれたるタイヤ」などとしたら、もっと点が入ったのではと愚考する。
 
 階段を人型香水降りてゆく        福井たんぽぽ
 
 高点句である。この句のモテイーフは体中が香水の塊じゃないかと思うくらいのけばい匂いをさせている女性を人型ロボットならぬ「人型香水」と揶揄したことである。発想が少し川柳的なので、採らない人もでてきたのであろう。中八であるがあまりに面白く採ってしまった。「人型香水階段降りてゆく」と8+9の17文字で納める方法もあるだろう。
          
 野良猫の啾く十薬の生え放題       田口三千代
 
 「十薬の生え放題」という止めがとても十薬のさまを生き生きと示している。十薬とはこんなものである。「どくだみ」としなかったのは、つきすぎの感じが出てしまうからで、私も十薬としたのは賛成だ。「啾く」という漢字を使ったのも「すすり鳴く、小声でなく」という感覚を出したい作者のこだわりであろう。
 
 夏季講習あの大楡の見ゆる席       松王かをり
 
 作者は夏期講習の講義をする立場であるが、夏期講習を受けるころの青春時代の回想句または作者からみた生徒たちの句なのであろう。モテイーフはわかりやすい。夏期講習という季語が内包されている。ここでの工夫は「あの」という措辞である。坪内稔典の「帰るのはそこ晩秋の大きな木」の「そこ」と同じように「あの」が効いている。
                                       わかこ
 荷台にはどかあつと西瓜西瓜売り     齋藤 嫩子
 
 この句は西瓜西瓜のリフレインの佳さと、「どかあつと」のオノマトペの面白さ。
後者のオノマトペに関しては異論があるかもしれぬが、西瓜 西瓜売りと畳みかけることによって荷台いっぱいの西瓜が見えてくるようである。
 
 心太恐らく性別は女              後藤あるま
 
 わたしのまわりに座っていた俳人は心太の性別は男だろうと言っていた。たしかに今までの「心太俳句」では男が主役であることが多く、冷や酒+心太というパターンで男なのであろうか。しかしあえて作者は女と言った。つるつるしたところ、冷え症なところ、冷たい感じ、ぷるぷるしたところ、そう言われてみればそうである。俳句にはドグマが必要である。
 
 伐採の楡と引きあふ夏の月         平  倫子
 
 老木化してこのままだと危険であると判断された、楡大樹であろうか。もうすぐ伐採されることが決まっている楡の木を夜見上げると背景に夏の月が上がっている。それはあたかも倒れそうな楡の木を引っ張っているかのようである。逆に楡の木は夏の月を引いているかのようである。楡の木を惜しむ作者の感覚が伝わってくる。
 
 七夕の星に傾く俳諧師            五十嵐秀彦
 
 最後まで魅かれた句であった。俳諧師の置き方が唐突で、脈絡がなく可笑しい。かといって俳諧師らしくなく、「星に傾く俳諧師」というフレーズが俳諧師に似合わないくらいに格好よいので笑ってしまう。ただこのフレーズ耳ざわりは佳いのだが、実際は何のことだかよくわからないのが、瑕瑾でもあり長所でもある。
 
 半夏生銃の影踏む朝の夢          長谷川忠臣
 
 まさに危ない現在の世相を活写した句。夢だけでおわればいいのだが。この場合の半夏生の季語は不穏、縁起の悪い措辞には適合している。だから私も喪の句だとか、生死の句だとか、病気の句だとかに多用している季語である。半夏生は7月2日ころで七十二候の一つで、この日雨が降ると大雨になりやすいとか、さまざまな禁忌があり、物忌みをする日なのでこのようなモテイーフに選択されやすい季語である。
 
 
 
以上です。またお会いしましょう。
 

 

※喜夫さんありがとうございました。次回もよろしくお願いしますね♪
 そしてみなさまのコメントもお待ちしております(^^by事務局(J)