2018年6月22日金曜日

「AI の MIRAI、俳句の未来 - 俳句対局 in 北海道大学 – 」開催のお知らせ


俳句集団【itak】です。
第38回イベントまであとわずか。
これと連動しての俳句イベントをご案内します。

2月に放映されたNHK「凄ワザ!」のスピンアウト企画です。
金曜の午後、どうぞお出かけください。
 「AI の MIRAI、俳句の未来
  - 俳句対局 in 北海道大学 – 」

1.日時  
平成30年7月13日(金)13:30~17:30

2.会場  
北海道大学 学術交流会館 講堂(306席)
北海道札幌市北区北8条西5丁目
アクセス: JR「札幌駅」下車、徒歩7分
https://www.hokudai.ac.jp/bureau/property/s01/access\

3.参加方法
下記の聴講申し込みフォームから事前登録をお願いいたします。今回のイベントはどなたでも聴講可能で、参加費は無料です。
 聴講申し込みフォームへのリンク(クリックしてください)
申し込みフォームのタブが立ち上がりますので、メールアドレス、お名前、ご所属等を記載の上、登録をお願いいたします。
※登録が難しい道産子の方は【itak】にメールかFAXでお知らせください。なんとかします(^^
 
詳細はこちら http://harmo-lab.jp/?page_id=1959 をご確認ください。
審査員・とAI一茶チームに俳句集団【itak】の有志一同が参加しています。
参加費は無料となっております!

2018年6月14日木曜日

第38回俳句集団【itak】イベント初日は6/14現在再びキャンセル待ちとなっております。

俳句集団【itak】事務局です。
 
たいへん申し訳ありませんが、初日(1句出句)は6/14現在
再びキャンセル待ちとなっております。
以降キャンセルが発生次第順番にお受けしますので
メールまたはFAXにてお申込み・お問い合わせくださいませ。
二日目句会(エミシア札幌・3句出句)についてはまだ空きがございますので
是非お申込みください。


 お申込み・キャンセル待ち問い合わせは itakhaiku@gmail.com  または 
FAX 011☆351☆1879 までお願いします!
 
またお申込済みの方でご都合が悪くなった方は
そのお席を希望される方がいらっしゃいますので
速やかにキャンセルのご連絡をお願いします。
 




6年目の【itak】の夏は俳句結社・藍生とのコラボレーションにて開催します。道外・市外からも多数の俳人が一堂に会する「俳諧自由」を堪能する一日です。第1部はお馴染み、岡 大介さんのかんから三線投げ銭ライブと、ペナンペパナンペさんのお笑いをお楽しみください。第2部句会は1句出し、藍生主宰・黒田杏子さんをはじめとする選者5名によるトークショーとライブ形式の句会を行います。

*と き 平成30年7月14日(土)午後1時~5時00分
*ところ かでる2・7 大会議室 (札幌市中央区北2西7)
会場は文学館ではありませんのでご注意ください。

受付開始12時・1句投句。投句締切午後1時(以降観覧のみ)。
欠席投句はお受けしておりません。

*参加料 一般 500円・ 高校生以下無料

◆第1部 『投げ銭ライブ かんから三線演説歌』と『アイヌ語漫才』
ライブ 岡大介(演歌師)・ペナンペパナンペ(お笑いコンビ)

◆第2部 トークショー・句会(当季雑詠1句出句)
選 者 黒田 杏子(藍生主宰)・夏井いつき(いつき組)
吉田  類(酒場詩人)・橋本 喜夫(雪華主宰)
五十嵐秀彦(【itak】代表・中北海道現代俳句協会会長)




◆懇親会以降は新札幌・ホテルエミシアに移動いたします。

<懇親会>  ホテルエミシア 7,000円(キャンセルは後日実費を申し受けます)
<二次会>  ホテルエミシア 3,000円(袋回し句会)
<翌日句会> ホテルエミシア 2,000円(お茶・お茶菓子付)

この回は藍生との合同イベントのため、かでるのイベント・エミシアの懇親会・句会すべて事前予約のみです。
イベントは第1部・第2部通しのお申込みのみ。懇親会、翌日の句会のお申込みもお受けします。
お申込み受付はイベント・懇親会・句会のいずれも5月1日から開始しておりますが、ただいまキャンセル待ちとなっております。
お問合せ、キャンセル待ちお申込みは itakhaiku@gmail.com  または FAX 011☆351☆1879まで!

2018年6月1日金曜日

俳句集団【itak】「抄録まつり(5)」第36回イベント抄録


「点綴〈小説家の俳句〉」

(2018年 3月10日)

平原一良



 俳句集団【itak】の第36回のイベントが2018年3月10日、道立文学館(札幌市中央区中島公園)で開かれ、同館の運営にあたっている(公財)北海道文学館副理事長の平原一良さんが「点綴〈小説家の俳句〉」と題して講演しました。その詳報を掲載します。
 
●俳句との関わり
私は、作家の吉村昭さん、奥さまの津村節子さんと長年、交流を持ってきました。吉村さんとは亡くなる直前までお付き合いをさせてもらいました。文学館での四半世紀近くの間、世の中が見えなくなりそうな気分に陥りそうなときは吉村さんの存在が支えでした。今日は、吉村昭はじめ近代日本の小説家と俳句との縁についてお話しさせてもらいます。

私は俳句の専門家ではないのですが、俳句結社から講演依頼の声がよくかかります。旭川の「雪華」や源鬼彦さん主宰の「道(どう)」、「葦牙(あしかび)」…。「葦牙」の主宰者で北海道俳句協会の2代目会長だった山岸巨狼氏は、実は私の遠縁でした。文学館に入ってすぐの1995年秋、巨狼さんが「お前は親戚だ」と告げてきた。母方とつながっている人でした。以来、私は文学館で俳句のみなさんとの接触も増えました。そんな事情も手伝ってか、昨年の「ふみくら」展では、図録で、俳句と詩についての解説を担当しました。
また、私の父は小学校の教員でしたが、水野波陣洞(はじんどう)さんから号をもらって俳句を続けていました。敗戦直後、江別市の野幌に俳句結社「熊笹吟社」があって、野幌小や北広島東部小の教員時代にそこに所属していた。新聞に投稿して「天・地・人」に入選したなどと喜んでいた記憶があります。遺品を整理していたら、波陣洞さん直筆の父親の号を書いた和紙が出てきたりして、俳句に縁がなくもないのだと確認できました。
また、私は学生時代に北大で国文学専攻でしたが、先生の中に「壺」の元主宰、近藤潤一さんがいらした。最初は近藤研究室に出入りしていましたが、女子学生ばかりだったので、隣の五十嵐三郎先生の研究室に鞍替えしました。それでも近藤さんは始終声をかけてくれました。卒業後、東京に行き、Uターンして戻ってきた私を「壺」に勧誘したかったようですが、私は短詩型よりも評論、小説を読むほうが好きだったので、やんわりとお断りしたことがあります。近藤先生の逝去後に奥さまから遺品整理を頼まれ、一部は文学館で頂戴できました。
そんな巡り合わせで今回、五十嵐秀彦さんから【itak】講演のご指名を受けたのかもしれません。少しくらいは俳句について話ができるのかなと思ってやってきました。

 ●室蘭の作家八木義徳
室蘭生まれの芥川賞作家、八木義徳は、私が尊敬する作家の一人でした。吉村・津村夫妻も早くから八木さんを尊敬していました。八木さんは有島武郎の影響を受けています。さらに、私は原田康子さんにも弟分として接していただきましたが、吉村さんの奥さま、津村節子さんは原田さんと仲良しでした。私の父は、原田さんの連れ合い佐々木喜男さんと旧制中学で同期でもありました。いろいろと繋がっていて、不思議な縁を感じています。
実は、その八木さんが俳句好きだったことは意外に知られていない。「雪華」で講演した際にも少し触れたのですが、八木さんのエッセイに、句会の様子を書いた文章があります。
「30畳ほどの庫裏の片隅に逃げていって、慌てて歳時記を開く者がある」
「酒やウイスキーを飲みながら、『何々や』と大声で怒鳴り出す者がいる」
「そそくさといなくなり、広い境内をのそのそ動き回る者がいる」
「恐ろしくきまじめな顔つきで、高い天井の一点をにらみつけたまま、達磨のように身動きせぬ者がいる」
「『青芝』同人の女性を捕まえては、しきりに駄洒落を連発する者がいる」
「出るのか出ないのか、とにかく無闇矢鱈にトイレに入ったり出たりする者がいる」
「ノートに書きためてきた句の中から、何とか5句を選びだそうと神妙な顔つきで鉛筆をなめなめしている者がいる」
「裏手の墓地で姿を消したきり、締めきりギリギリまで顔を見せない者がいる」
お寺の句会で、集まった人が40分間で句を作るというときに、どういう行動をとったかを作家の目で捉えています。約40年前、昭和53年に出版された『男の居場所』(北海道新聞社)の中のエッセイ一部です。

野びる野にわれ大陸に飢え居たり
藤房のぼてりと重き恋終る
八木さんの俳句です。八木さんは大陸に召集され、本当にたいへんな思いで引き揚げてきた。家族全員が空襲で亡くなり、心身ともに荒れているところに現れたのが、2番目の奥さまです。正子夫人に救われました。最初の句は、時間を経て詠んだ句です。2句目、「恋」をストレートに詠むと、無粋になることがありますが、八木義徳さんの場合だと「いいな」と感じます。八木さんにも、そんな思いを持った時があったのだなと思いました。

●俳句にまつわる書籍
たった1回の句会でも百人百様です。参加者の数に応じて、いろいろな姿、形がある。さまざまな姿態を無意識にさらしながら、俳句を作って、差し出して、選句、合評をすることになる。これは僕らの時代、のどかな時代の俳句の景色でしょうか。机に向かって作るスタイルもあれば、吟行よろしく作る人もいるかもしれない。即吟ではなくて、2、3日前から作って、書きためている人もいるかもしれません。
俳句を作るスタイル、句のスタイルも本来は自由なはずです。坪内稔典さんの『俳句とユーモア』という面白い本があります。あるいは、永井荷風の俳句は有名ですが、加藤郁乎さんの『俳人荷風』という本もある。こんなに難しく論じなくてもいいだろうにと思いますが…。小説家でいえば、藤沢周平さんの句集もある。坪内さんには『俳人漱石』という本もある。書店の俳句コーナーは、以前に比べると小さくなりました。昔は3倍くらいはあったのではないか。短歌、詩も同じ。文学系の棚がどんどん小さくなっているという背景があります。
 句作百態。あなたはどんなスタイルかと言われたら、どう答えますか? 言葉と向き合って手を動かす人、若い人ならワープロ、パソコンでいきなり打つ人もいると思う。私は手書き派だけれど、仕事ではパソコンも使っています。一方、スマホなどで画面をスクロールしながら作る人もいるかもしれない。例えば、尾崎放哉の俳句は、ネットで調べればたくさん出てくる。ところが、(ネットでは)俳句が横書きになっている。これでいいのでしょうか? 本来日本語は、縦書きで鍛えられてきたという伝統がある。放哉の初期の作品「よき人の机によりて昼ねかな」などを横書きで見ると、私には違和感があります。
最近、子規の「獺祭書屋俳話・芭蕉雑談」という岩波文庫を読んで、感心しました。26歳で子規はこういう本を書いている。すごいですよ。江戸期の俳諧から近代の俳句に移っていく中で、革新者だった。短歌においてもです。すごい人物、天才だと思います。

高橋康雄さんは札大の先生で、名編集者としても有名でした。「俳句朝日」の編集長でもありました。残念ながら50代後半で亡くなりました。『風雅のひとびと』(朝日新聞社)という名著があります。古書店で見つけたら、ぜひ買うといいですよ。一読すれば、内田百閒、瀧井孝作、岡本綺堂ら、日本の近代、現代の散文作家、ジャーナリストなどが、いかに俳句を愛していたかが、よく分かる本です。高橋さんは宮沢賢治にも詳しい人でした。山口昌男さんに呼ばれて札幌に来て、10年も経たないうちに亡くなってしまいました。
坂口昌弘さんの『文人たちの俳句』(本阿弥書店)。原田さんの『挽歌』の映画監督、五所平之助は俳句好きでした。映画『挽歌』の主人公は最初が久我美子さんで、その後は秋吉久美子さん。五所監督の絵コンテが原田さんの残した資料にあって、監督の俳句がそこに残っている。この本は、みなさんの日ごろの興味を喚起する面白い一冊だと思います。

 室生犀星は、小説家で詩人だという固定観念がありますが、俳句も作っている。文学者は好奇心旺盛。小説家で通っている人が意外や意外、俳句や短歌など他のジャンルに熱中している場合もあります。原田康子さんも「私も若いころは詩を書いていたのよ」と、自作の詩をこっそり見せてくれたこともあります。
俳句を難しく考えることはないし、多様なスタイルがあっていい。俳句を詠むスタイルもいろいろあっていい。「面白がる」というところで言うと、久保田万太郎も、俳句が大好きで、俳句についての蘊蓄を傾けています。近藤浩一路の『漫画 吾輩は猫である』(岩波文庫)の巻末で、万太郎が「柿腸(かきのちょう)」という俳人について書いている。なぜ自分が俳句好きなのか、柿腸の俳句はどこが面白いか、などを紹介している。こうした本は、俳句コーナーでは、なかなか見つかりません。一般の文庫コーナーで、「何だこの本は?」と手に取ったら、俳句の本で、面白かったりする。「漫画はバカにできない」と山口昌男さんも盛んに言っていました。この本では、「柿腸は近藤浩一路という絵描きであり、漫画家だ」という種明かしもしています。
専門的な俳句の本、俳句コーナーだけに目を向けるのは、ダメとは言いませんが、違った分野の本からも意外な発見が得られます。例えば、吉村昭さんの『海も暮れきる』です。尾崎放哉が主人公のこの小説には、放哉の佳い句の大半が収まっている。また、『漱石・子規 往復書簡集』(和田茂樹編、岩波文庫)には、漱石、子規の句がびっしりです。

●小説家の俳句
【有島武郎】
雨十日十日の後の青葉かな
谷川に見入る一むらのつゝち咲き
時雨るや比叡さへ見えて京の町
山も水もぬれけり宇治の春の雨
有島は俳句は好きではなかったようです。ここに挙げた句のほかにもあると思いますが、全集第16巻を調べたところ、この4句しかなかった。平凡で、字余りだったりします。「山も水も~~」は、気むずかしそうで真面目な顔を持つ一方、こういう平凡さもあって、親しさを感じさせなくもない人だなと思えます。一方、短歌にはそこそこ関心があったのか、文学館には直筆の短冊もあります。心中相手・波多野秋子の夫宛の遺書、有島の書簡類もあります。80年ぶりくらいに本物が見つかって話題になりました。全集にもありますが、「明日知らぬ命の際に思ふこと色に出つらむあちさゐの花」など、辞世の歌を10首ほど残しています。叙情歌としても読めますが、末期の歌だと知ると、意味がくっきり分かります。

 【幸田露伴】
春風や巣に居る鷺のむく毛にも
冷酒に櫻をほむる獨りかな
おれもあの玉屋になろか春の風
 北海道にも縁の深い幸田露伴の春の3句です。
 3句目の「玉屋」。「あの句の玉屋って何だろう」と調べてみました。「シャボン玉」のことでした。当時は、シャボン玉が売り物になった。露伴は、江戸末期に生まれ、明治を生きた人。明治風俗を描いた柳田國男の本にもありますが、今と売り物が全然違った。
文学館の仕事の中で、道内の文学碑を全部チェックしたことがあります。余市に幸田露伴の句碑があることを知りました。
「塩鮭のあ幾と風吹く寒さかな」(からざけのあぎとかぜふくさむさかな)
良い句碑ですよ。露伴は若い頃、2年間、電信技手として、余市の分局にいた。帰りは、小樽から青森まで船で、青森から東京までは歩いて帰った。歩いて帰る道すがら、露を伴(伴侶)として、夜空を見上げながら、野宿のようにして眠ったことがある。そこで、「露伴」と号するようになったのだそうです。
札幌周辺にも句碑はたくさんあります。自分の結社にゆかりがある俳人・俳句作家の句碑なら知っているという人は多いと思います。一昨年3月に亡くなった木村敏男さんの句碑も、ビアガーデンのあった南区の紅桜庭園にあります。今トンネルができて便利になった盤渓にも、山岸巨狼さんの金属製の句碑がある。でも、意外と知られていません。

【森鷗外】
行春を只べたべたと印を押す
 【夏目漱石】
山高し動(やや)ともすれば春曇る
【芥川龍之介】
春の夜や小暗き風呂に沈みゐる
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
  鷗外、漱石、芥川らも俳句を作っています。それぞれの全集にも入っている。漱石の場合は岩波新書でもまとめられている。
実は彼らも、北海道に多少なりともゆかりのある作家です。
鷗外は、北海道と縁があることをあまり知られていません。彼は陸軍の軍医だった。明治期から旭川には大師団があり、そこを視察に訪れている。そうした足跡を旭川の人も意外なほど知らない。
漱石は、日露戦争に徴兵されるのをよしとせずに、自分の籍を岩内に移したことが有名です。岩内には漱石転籍の碑があります。
芥川の「あの植物園全体へどろりとマヨネーズをかけてしまへ」という短句は有名です。これは道庁の裏の植物園のことです。改造社の円本、文学全集が出た折の記念講演で、函館を皮切りに北海道を数人で回った。その際、札幌の植物園近くの宿に泊まったらしい。うっそうとした緑の森が街中にあって、美味しそうに見えたのでしょうね。「マヨネーズをかけてしまえ」と。我々の年代はあれやこれや読んで、知っているけれど、今では風化してしまっている話かもしれません。芥川の「春の夜や~~」は、あの細い体で、たぶん木桶のお風呂でしょう、体が沈み込もうとしている。その様子を想像するだけでも面白い。

そのほか、近代文学史の全体を見渡すと、俳句歴のある作家は、軽く数十人、挙げることができます。子規や土屋文明は専門家ですが、それ以外にも詩人、ジャーナリスト、美術家なども俳句を作っています。北海道でも、山の俳句で知られた版画家の一原有徳さん。いろいろな分野で俳句が好きな人がいた。そのあたりを知りたい方は、高橋康雄さんの本(『風雅のひとびと』(朝日新聞社))を読むと良いと思います。

【吉村 昭】
春雷やまたも作家の死亡記事
貫きしことに悔いなし鰯雲
湯豆腐を頼むと成田から電話
さて、ようやく吉村昭です。吉村さんの俳句は、『炎天』という句集に全部入っています。「春雷や~~」の句は、少し散文的かなと思います。でも、吉村さんは筋金入りの俳句の人だったように思います。この一冊を読むととてもよく分かる。
学習院大時代に芭蕉が専門の岩田九郎先生という方がいた。吉村さんは、岩田先生の講義に、毎度のように遅刻する。遅刻ばかりする吉村さんを見て、(同じ講義を受けていた)津村さんは「いやね。あの人」と思っていたそうです。遅刻した吉村さんは、岩田先生の教卓の上に紙を置いて着席しました。「今日もまた桜の中の遅刻かな」とあった。岩田先生はうれしかったようで、叱りもせず、出席を認めたということです。
昔は食えない人の代名詞だった小説家。最近はスタープレーヤーまがいの人が増え、つまらない小説でも売れることがあって、真面目な小説はなかなか売れない。次から次へと絶版になっていく。原田康子さんや加藤幸子さんの本もそう。加藤さんは「千部しか出してくれない」と嘆いておられました。吉村さんは生前、作家らの暮らし向きをとても気にしていて、大型書店に並ぶ好きな作家の文庫本の点数を見て「この程度では食っていけないだろう」「何とかしてあげたいがなあ」と言っておられました。

【津村節子】
雨宿りした人と見る夕の虹
津村さんの俳句です。一緒に雨宿りしたのは吉村さんだったことは知られています。吉村さんは、普段、講演依頼を受けない方でしたが、ある日、さる省庁からギャラ50万円の講演のリクエストが来ました。同じ日に府中の刑務所から、囚人たちのために講演してほしいとの依頼もあった。後者の礼金は5千円。結局、吉村さんは5千円のほうを選んで話をしました。お金で動く人ではなかった。妻の津村さんも今は90歳で、たまの便りのやりとりが続いていますが、しっかりしておられます。とても魅力のある、立派な方です。吉村さんの逝去後に完成した津村さん主役、私が準主役の短編映画があって、賞(2015年度映文連アワード)をもらっています。いずれ上映する機会を作りたいと思っています。

【中村真一郎】
木枯らしや星明り踏むふたり旅
福永武彦の新婚に際して、中村真一郎が作った句です。中村真一郎さんが俳句好きだったと言うとビックリする人が多いですね。福永武彦と原條あき子、息子は池澤夏樹さんですが、二人の新婚のときにできた句です。めでたいときの作品。いいですね、夫妻の後ろ姿が見えてくる。ただ、これは私に言わせると短歌の世界に近いと思う。津村さんの「雨宿り~~」の句も、短歌的な抒情に近いと思う。この2句のムードは共通している。夫婦、男女の間柄を俳句にするとこういうふうになっちゃうものかと思いました。

 【金子兜太】
人体冷えて東北白い花盛り
2月に98歳で亡くなった金子兜太の句です。兜太さんは「アベ政治を許さない」と揮毫しました。ネットでもそれが見られます。一緒に並んでいるのは、澤地久枝さん。説得力ありますよね。

●むすび
明日来ればななとせめぐる3・11
これはぼくが昨日、作った句です。テレビなどでは、3・11前後は特集などを組むけれど、段々忘れられていく。活字にして作品に残すことは、その人の思いを残す意味もあります。とにかく残る。ネット情報は拡散しますが、いずれは消えてしまう。最近の大学生は、月に本を1冊も読まない人が半数以上いると聞きます。とても残念なことです。
最後に一句。「雨霽れて別れは侘びし鮎の歌」。中村真一郎が、立原道造を偲んで作った句です。立原が生きているときに物語集を出そうとして付けたタイトルが「鮎の歌」。中村さんは、その編集にかかわっていた。こういう句を詠むと、俳句の力を感じます。
ところで、「鮎の歌」っていったい何だろうと調べようとします。今は、ネットで何でもパッと出てくる時代ですが、こういうものまでは調べきれない。紙の形、本であれば、その情報はずっと残ります。文学館はそのためにある。資料の保存、書物の保存をするのが文学館の大切な仕事の一つです。みなさんの中で、私同様、身辺をそろそろきれいにしたいと思っておられる方は、ぜひ文学館にもご連絡ください。資料の収集責任者は私です。担当の学芸員もいますので、よろしくお願いします。

2018年5月31日木曜日

俳句集団【itak】「抄録まつり(4)」第35回イベント抄録


HAIKU-DRUNKERAS~俳句のイマを飲み干す~

(2018年1月20日 北海道立文学館にて)


五十嵐秀彦 今回は座談会。瀬戸優理子さん、栗山麻衣さん、橋本喜夫さん、司会の私ということで、座談会をさせてもらいます。タイトルは「HAIKU-DRUNKERAS~俳句のイマを飲み干す~」という大変適当なタイトルをつけました(笑)。あまりタイトル自体には意味はないかと思います。俳句というものは、作家それぞれが自分の個性を発揮する文芸ですから、そういうものではあるんですけど、俳句に限らずあらゆる表現手段は、いつも何かしら時代を映しているところがあろうかと思います。俳諧が始まった室町時代から、江戸、明治、大正、昭和、平成と、それぞれ個性的な作家が登場している中でも、背景には時代というものが常にあったのではないか。そういう意味で、今、現在の俳句というのは、どういうところにいるんだろうか。そういうテーマで、ここに集まっている4人にそれぞれ5人の5句を選んでもらいました。それを肴にして、話を進めていく。おちのある座談会じゃありませんので、結論は出ないと思いますが、何かしら、今の俳句の姿が見えてくるのではないかということで、やらさせてもらおうと思います。じゃあ栗山さんからお願いします。

栗山麻衣 いまご紹介いただきました栗山です。レジメの左下に書いてありますが、銀化で俳句をやっています。いろんなタイプの人がいた方がいいのかなと思って、軽く引き受けちゃいました。自分なりに今を感じる俳句を選んでみました。最初、どうやって選ぼうかなぁと思ったんですけど、気になった俳人とか、自分がいいなと思った俳句について、あんな人いるな、こんな人いるなと考えているうちに、でも、じゃあこの人はこの系統かなって自分の中で分割してみて、それぞれに特徴的な人を挙げたつもりです。順番に説明したいと思います。

 一番最初が、「子燕の母呼ぶ頸の抜けさうな」。津川絵理子さんという俳人です。季語のバトンの継承者、いわゆる角川俳句賞的な王道の俳句を詠んでいる人だと思います。だけど、王道だからといって、すごく格式高くて、わかりにくいかというと、結構笑っちゃうような句も、かわいい感じ句もいっぱいある感じです。私、この人の句を読んでみて、びっくりしたのは、これまで結構いろんなものが詠まれているので、もうそんなに新しい視点ってないだろうと思ったんだけども、意外にまだまだ見落としてることってあるんだなということ。こういう句があることで、次世代の人もさらに季語の深みを知っていくんじゃないかなと思って、選びました。
 次は「南から骨のひらいた傘が来る」。これは鴇田智哉さん。今年49歳になるんですが、前衛にして王道と書いたんですけども、今年の俳句年鑑で櫂未知子さんは「(私には)わからないが、若いかたがたの一部はじゅうぶんわかっているようだ」とはっきり言っています。ただ、マネができないことはわかるとも言っていて。どんな人かなと思って読み始めたら、私は結構はまりました。前衛にして王道、伝統を踏まえた上で、俳句の安定感を疑い、季語文法の解体、そこに残る詩を試みている。俳句の辺境を発掘、広げていると思います。この人はもともと有季定型の俳句に学んでるんですけど、それをやっていくうちに、どんどん飽き足らなくなって、どんどん自分なりの俳句ならではの言葉だからこそ、できる芸術を追求している人だと思います。「南から骨のひらいた傘が来る」は、無季なんですけど、基本は有季定型です。この句を選んだ理由は後で話したいと思います。
 3番目は、大御所、正木ゆう子さんの「尋常の死も命がけ春疾風」。正木さんは、昨年の蛇笏賞受賞者で、大ベテランです。読売新聞の俳壇選者もやっています。昔はすごく柔らかな女性らしい感性の句を創っている印象でしたが、だんだん社会的になっているように私は感じています。巫女のような感じから人間になっている感じがしています。この句については震災があって、尋常ならざる詩が誰の頭にもある時代の中で、とはいえ、普通に病んで死ぬこともすごく大変なことだということを、改めてさっくり詠んでいます。今の時代っぽいし、真摯な俳人だと思って選びました。
 4番目は巫女感をさらに深めた、今90歳になる柿本多映さんです。この人は割と観念的な句が多くて、賞もいっぱいとっています。好き嫌いは結構わかれると思いますが、私は好きです。一番最近の句集から「起きよ影かの広島の石段の」を選びました。これも今の時代だからこそ、社会派っぽいんですけど、広島の原爆について、改めて詠もうというところに彼女のまじめさというか、戦争を知っている世代ならではの重み、かといって、スローガンにならないすごさを感じます。読めば読むほど、この人は死んでからも句が創れるんじゃないかと。妖怪っていうとちょっと悪いんだけど(笑)、すごくおもしろいというか、魔女というか、すごいおばあさんだなぁと思っています。
 最後は、自分が学ぶというと年上の人に目がいきがちなんですけど、がんばっている若い人をと思います。震災つながりで、「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」を発表した福田若之君。若之君って、私知らないのに気楽な感じで呼んでますが(笑)、素敵な人だろうと思います。彼が去年句集を出していて、句集のあり方もおもしろいんですけど、「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」は20114月にインターネットで発表された句です。当時、私も仕事で東京に住んでいたんですけど、このままどうなるんだろうかとか、原発事故もこのまま収束しないんじゃないかとか、そういう不安がありました。そうした中で、こういうふうに詠めたのは彼の切実さと、俳句をちゃんとやっていながらも写生句だとか、津川さんのように王道にとどまらないで違う表現がないか普段から考えてたからだと思います。若いんだけど、すごくあり方も今っぽいなと思ったので選びました。以上です。
 
瀬戸優理子 句を選ぶときに「俳句のイマを飲み干す」というタイトルだったんですけど、平成的な俳句というオーダーがありました。私自身が俳句を始めたのが平成7年で、今平成30年ですから、平成俳句をほぼ一応は見てきていると思うんですが、その中でも今っていうのは多様性がいろいろあって、自分なりにカテゴライズしながら選んだつもりですけど、橋本さんからは「好きな句ばっかり選んでるよね」って言われて。
ということで1句目は、金原まさ子さんの「ああ暗い煮詰まっているぎゅうとねぎ」。こちらは『カルナヴァル』という著者の第4句集なんですけど、100歳になってから出された句集で、「徹子の部屋」にも出られたことがあるので、俳句をやっていない方でもご存じの方がいるかと思います。俳句の外の世界に対しても訴えかける力を持つような句を作ってるところで注目をしたいと思って、入れました。やっぱり100歳と高齢なので、基本的には外出されないで創られた。いわゆる活字やニュースから、短い単語をキャッチして、俳句にするのが好きです。その言葉遣いが私のリズムだと、『徹子の部屋』に出られたときにおっしゃってたんですけど、そういう机上派ではあるんですけども、やはり十七音になるときには、ご自身の体験とか、そういうものと言葉がリンクして創られているので、ものすごく映像化もしやすいような、俳句を創られていると思います。これは実は震災の年の320日ぐらいの「週刊俳句」というインターネット上に発表された句でもあるんですけど、詠んでいるのはお鍋のことだけど、ちょっと混沌とした時代背景も写しながら詠まれているのかなと思いました。
2句目も震災絡みにはなってしまうんですけど、照井翠さんの「龍宮」から、「泥の底繭のごとくに嬰と母」。いわゆる昭和の日本人が共通に背負った不安気な感じで、戦争を詠むということが一つの昭和の俳人の大きなテーマではあったかと思うんですけど、それを平成という時代に写したときに、東日本大震災も、神戸の震災もありましたし、日本人の中でいつ戦争以外に何が起こるか、戦争以外でもあしたの命がどうなるのかわからない、ましてや映像でものすごい津波を見て、自分の今の平穏な暮らしがどうなるのかわからないというようなものを、根底に持ちながら、どこか表現に対しても不安感や不透明さが無意識のうちに反映されているのかなと思って挙げました。ただ、照井さんは東北の方ですから、実際に被災を見て句を詠んでいるわけです。高野ムツオさんの、震災詠が有名ですけど、女性の視点からより共感性の高い句を書かれている。私も女性なので非常に詠み方としては視点の置き方が好きだなと思って挙げさせていただいた句です。
3番目が、北大路翼さんの『天使の涎』から、「マフラーを地面につけて猫に餌」。金原さんもそうなんですけど、割と俳壇の中心というよりもちょっと外側にいるような人の句が、私が割と注目しているのが多いので、北大路さんは結社には所属はされていますが、新宿歌舞伎町で俳句バー〈砂の城〉をやりながら、ここに集ってくる若者と句会をやったりしながら、きれいなものとか美しいものだけを詠むんじゃなくて、人間の持ってる影の部分や闇の部分を俳句にしていてもいいんじゃないかという考え方で仲間をつくってやっています。挙げさせていただいた句は、歌舞伎町色はそんなには強くないふうなんですけど、やっぱり結社でやられているので、きちんとした句も書けるんですよね。私はどちらかというと歌舞伎町色が強いものよりは、こういう視線が弱い者とか、下の方に向けられてるような、照井さんもそうだと思うんですけど、そういう視線の置き方が割と平成っぽい句じゃないかなと思って選びました。
4番目が田島健一さんの『ただならぬぽ』で、「白鳥定食いつまでも聲かがやくよ」。ただならぬ句集なんですよね。季語のない句もたくさんあるんですけど、やっぱり今まで見てきた俳句と違う。「白鳥定食」の句は、『新撰21』っていう若手のアンソロジーが何年か前に出たんですけど、その中にある句で、白鳥なのか定食なのか、何の声が輝くのか、わからないなりにも、やっぱり一句から受ける実態感っていうのがとっても薄いんだけれども、白鳥定食、声がきらきらしている、そういうまぶしい感じの、切ないような景色が浮かんでくれば、言葉の魔術感っていうのがすごいなと。なかなかまねするのも難しいし、まねすると火傷をする創り方だと思うんですけど、一つの平成らしい句ということで挙げてみました。
最後に、割とやんちゃな感じの句が続いたので、俳人協会系の句から一つ。藤井あかりさんの「落葉道二度聞きとれずもう聞かず」。若者らしい人間関係の距離感っていうのが、聞きとれなかったら、普通聞くでしょって思うんだけど、もう聞かない自分の中で完結しちゃうっいうところが、今どきのコミュニケーションの断絶というか、象徴的な感じがしましたので。やっぱり読後感として明るく創る句っていうのが好まれる傾向にある。実際ある時代もあって、そういうものが多いと思うんです。だけど、藤井さんの場合はどちらかというと暗めというか、陽と陰でいえば陰の方の俳句を詠んでいらっしゃるところでも個性的かなと思って、注目しているので挙げさせていただきました。

 橋本喜夫 今回のテーマは、平成の俳句を語ろうよっていうことなんですよね。だから平成の今、これから未来を通してわかるような形で、もしみなさんが読むのであれば、2008年に出た小川軽舟の『現代俳句の海図』というのがある。そこに昭和30年代生まれの作家10人の評論が書いてある。中原道夫、正木ゆう子、櫂未知子、片山由美子、三村純也、岸本尚毅、長谷川櫂、小澤實、石田郷子、田中裕明。全部、今、俳壇をリードしている人たちばかりです。それに本人。
それと2冊目が『新撰21』。これは筑紫磐井、対馬康子、高山れおな編で、2009年に出ています。40代以下の世代のアンソロジーで21人全員きょう出ています。やはり今を、未来を押さえている俳人だと思います。
3冊目が2010年に出た『超新撰21』。これは3人のもうちょっと5歳から10歳ぐらい年取った、今現在俳壇の中枢にいる人たちですね。大谷弘至、田島健一、榮猿丸、小川軽舟、上田信治とか入ってる。
4冊目が昨年出た『天の川銀河発電所』。これはおそらく佐藤文香個人の好みによる『新撰21』バージョンです。この4冊を把握していれば、平成の俳句は大体見えてくる。
私が5人を選んだ理由はそこ(レジュメ)に書いていますので、それを読んでいただければ、私としてのコメントはすべてです。また、例によって、それぞれの俳句の橋本喜夫の独善口語訳をつくってきましたので、それを読んで、私の部分は終わりたいと思います。
「一瞬にしてみな遺品雲の峰」。櫂未知子。お母さんと私は決して仲の良い親子とは言えなかったかもしれないけど、最後の頃はずっと東京から看病に来れて、私も娘として少し気が済みました。死んでしまうということは一瞬のことで、母さんの残した細々としたもの、古くなった家、そして私たち娘たちの立ち振る舞いも含めて、一瞬で遺品になってしまうのね。今私は海の向こうに立つ雲の峰を仰ぎながら、魂が抜けたように呆然としているだけですよ。
「船のやうに年逝く人をこぼしつつ」。矢島渚男。川の流れを、時の流れを、川に例えれば、人間は船に乗って時間という大河を旅する旅人のようなものだ。今年も大河をゆく船は、年末という時間の堰を切って、新しい年へと渡っていくのだなぁ。今年はまた随分多くの死者たちをこぼしてきたものだなぁ、この時間という大きな箱船は。
石田郷子。「来ることの嬉しき燕きたりけり」。これ一番内容がないので、口語訳も一番内容がないのですが。燕が来ると考えるだけで嬉しくなるのに、その燕がたった今来たんだわ。なんて嬉しいことでしょう。これで終わりです(笑)。
小川軽舟。「死ぬときは箸置くやうに草の花」。俺は静かに目立たずに、でも一生懸命生きてきた。人に指を指されるようなことは何一つしてこなかったつもりだ。死ぬときは食後に箸を置くように、ごちそうさん、ありがとう、おいしかったよ、という感じで静かに死んでゆきたい。そう、あの草の花のように。
最後、「人類に空爆のある雑煮かな」。関悦史。いやぁ、三日前の雑煮を温め直して食べてるとき、テレビをつけたら、まだやってるよ、空爆だよ。こんなに三日目の雑煮が美味しいと感じたことはなかったなぁ、俺。以上です(笑)。

五十嵐秀彦 橋本喜夫さんは独自の口語訳シリーズをいつまで続けるつもりなんでしょう(笑)。みんな楽しみにしてるから毎回やらなきゃだめですねえ。最後に司会の私。僕が挙げたのは必ずしも好きな句ではない。ただ、福田若之、中村安伸、田島健一、小津夜景、北大路翼ですね。この人たちに、ある種の共通点、それと違う部分、そして句集を創るというものの考え方の新しい姿、その辺りがこの5冊の句集に表れている。そういうものを選んだ。みんなここ12年の作品ばかりです。なので平成の俳句を読もうということではあったんですけど、同時に平成のといっても来年で終わってしまう。そういう中では次の時代を読むものという前兆は、すでに今ここにあるはずなので、この先のあり方をのぞき見るような5人の作家の5つの句を挙げた。

一つ目の「こおろぎのあたまのなかが濡れている」。栗山さんも選ばれた福田若之くん。26歳。どうしても同世代としては語れない。『自生地』っていう句集なんですけど、これまでの句集のイメージをまったく裏切るつくりになっていて、やたら散文が、散文というか断章がちりばめられています。それを26歳でこういう句集を出した。そこのところに新しい世界を、ものの考え方、作り方、進め方が感じられた。ただ、作品は、形はとても前衛的なものもあるんですが、非常に裏にあるものが優しくて繊細なんですね。ひょっとすると現代的なのかもしれないなと思いました。
次に、中村安伸さんの「サイレンや鎖骨に百合の咲くやまひ」。これも『虎の夜食』といったちょっと話題になった句集ですが、この人は橋本喜夫風にいうと、言葉派の人なんじゃないかなぁと。言葉から俳句を作るような気がします。この人も面白いことに、句集の中に俳句以外の文章がやたら入ってるんですね。俳人は俳句一本で勝負しろっていう人は、腹が立って破り捨てたくなるような。そういう意味で句集のあり方を問いかけている。ただ、福田作品と違って、なかなか不敵な雰囲気を持っている句を多く創られる方。全体を通して物語性の可能性にも挑戦しているということでとり上げました。
次に田島健一さんの「光るうどんの途中を生きていて涼し」。これは瀬戸さんも取り上げました。『ただならぬぽ』という、ただならぬタイトルの句集を出して、注目されました。かなり売れた句集だと思います。句集全体を通してですが、結構抽象的、観念的。あんまり具体的なことは書いていないにもかかわらず、注目を浴びた不思議な句集です。ここに挙げなかった人もどちらかというと似た傾向を示している。それは十七音の詩を書こうという意識を持っている人が強くなってきているように思います。良いか悪いかは別として。その辺りの象徴として田島健一がいるのかなぁと。
次に小津夜景の「オルガンを漕げば朧のあふれたり」。『フラワーズ・カンフー』っていう変わったタイトルの句集です。この人はフランスにいて、「」という攝津幸彦系の文芸誌に関わってますが突然現れて摂津幸彦賞をとっちゃった。なかなかすごい人ですが。なかなかややこしいです。句集なんですが、短歌もかなり入っているし、漢詩を俳句にリライトしたようなものも入っている。これも純然たる句集の体裁をとっていないという意味では特徴的なものであります。
最後に、「寝苦しき夜ニンゲンを売る話」。北大路翼。北大路翼はさっき瀬戸さんのおっしゃった通り、僕が挙げた5人の中ではちょっと毛色が違うんです。さきほど福田若之のところで、褒めているのか、けなしているのかと言いましたけど、そういう意味では北大路翼は非常にとんがっているというか攻撃的な感じで、今の若い人にこういう人もいるんだなぁということを思わせるものです。おもしろいことに北大路翼の『天使の涎』という句集も結構散文が入ってるんですね。その辺りもちょっとおもしろいなぁと思って。そういう意味でこの5人を選んだということです。
さてここから4人のパネリストの話を聞いていきたいと思います。麻衣さんは前も「震災と俳句」というテーマで講演をしてもらいました。今回もそういう意味で、震災後も気にしている。あるいは瀬戸さんも照井翠さんの句を挙げたり、震災というのは今現在の俳句の世界でそこに何かあるんじゃないのかなと思いますが、麻衣さんはどうですか。

栗山 瀬戸さんのレジュメに書いてあったと思うんですが、平成の日本人のトラウマは震災ではないか、と思うというのが、ああそうだなぁとしみじみ思うところです。あれだけの災害を映像で見たというのもあるし、身近に感じたというのもあるし、自分も揺れたというのもある。何も影響を受けなかった人は一人もいないと思う。それが大きく出るか小さく出るかわからないけれども、俳句でも小説でも何かしらの形でこれからも出てくるんじゃないかと思います。この中では、津川さんはあまり影響を受けていないような作風です。ただ、彼女も311で変化を受けたかと問われたという『俳句アルファ』って雑誌のインタビューで、意識には変化があったと言っています。彼女は、阪神・淡路大震災に直接遭ったみたいで、それも大きな衝撃だったようです。でも「自分とどう絡めて創るかはとても難しい」と明かしています。戦後70年についても、「戦争については主に本やテレビの内容でしか知り得ないと思っていましたが、近年になって亡くなった母のことを考えていて、戦争に行った母方の祖父の戦後の人生が母へ、母から私へと影響を与えていることに思い至ったことがあります。個人的な経験からしか言えませんが、戦争は過去の出来事ではなく、人はまだその影響を受け続けているのではないか、そう思っています。そういうことから私なりに向き合っていきたい」というふうに語っています。これは戦争だけじゃなくて、震災と置き換えても多分同じで、影響から逃れられる人は多分一人もいない。それをわかりやすく、今回挙げた中では、正木さんや照井さんとかのように出ていくか、わからないけれども、心の中に大きな宿題が残ったということだと思います。小説家の池澤夏樹さんもそう言っています。やっぱりあれだけの人が一瞬にして命を奪われるということはどういうことかを考えていくのが、文学の大きなテーマだと言っていました。俳句も同じだと思います。

五十嵐 瀬戸さんは照井翠さんの句を選んでいます。

瀬戸 正直、俳句の質としては『龍宮』ってすごく話題になった句集なんですけど、例えば「双子なら同じ死顔桃の花」とか、俳句の質としてはそんなに高いとは思っていないんです。ただ高ぶった詩情みたいなものが、あのときすごく受け入れられたし、一般の俳句を詠まない方も新聞で取り上げられたこともあって、そういうところで避難所などでも書ける短い俳句十七音が自分の癒やしになったりとか、あるいは今後生きていくための心のよりどころ、祈りみたいになった現象というのを注目したいなと思って。系統は違うんですけど、北大路翼さんもおそらくそんな感じの象徴的な存在だと思うんです。そういうような俳人のあり方、俳句の中の世界だけではなくて、外の世界の人にも訴えかけていくような力を持った人として、私の中で共通項があって選んだんです。

五十嵐 橋本さんは関悦史さんを取り上げてますけど。関さんも震災の地にあってツイッターで揺れている様子をさかんにライブ中継のようにツイートした人物です。

橋本 関悦史自体が被災者なんですよね。すごく揺れて、家がぶっ壊れちゃって。平成の時代って、二つの大きな震災があったんだけど、平成俳句ってテーマ性という意味ではテーマがなかった。社会性俳句や戦争俳句と違って。不幸にも二つの大きな震災があって、これからも当然大きなテーマになっていくんだろうと思うんですね。それって長谷川櫂みたいに、すぐに出しちゃうと、自分の心の中で十分熟成していないと批判されるだけだから。これからむしろ平成が次の時代になって、震災の句は俳人が詠んでいくテーマだと思います。少なくとも俳句の表現史には何ら影響はないと思いますね。ただ単にテーマ性という意味では、非常に大事だと思いますね。

五十嵐 実際に震災が与えた影響でどんな成果があったのかといえる段階ではないんだと思うんですね。だけど、大きな問題をいくつか提供した。いま橋本さんが言ったように、長谷川櫂さんが歌集と句集を出したんですよね。物議を醸しましたよね。あのとき物議を醸したっていうのは、それぞれの作品のレベルとか内容のどうこうもあるのかもしれないけど、震災を直接経験していない人が創れるのかという問いかけもありました。そのときに微妙だと思ったのは、経験しなくては詠めないのか。俳句って経験をしたものを詠むんだというものすごい大前提があって、経験しなかったものを詠むというのを嫌うきらいもあります。震災という中でそれが非常に極端な形で議論になったのかなと思います。その辺りで何か意見がある方いますか。

栗山 経験しなかったことを詠んではいけないという議論もあったんだけども、長谷川櫂の詠み方は、「水漬く屍」とか言っていたり、どこから目線なのっていう、あんた神様かみたいな、そういう批判がありました。もし東京で震災を経験していても詠んでもいいと思うんだけれども、リアリティーがなくて響かないということであれば、作品としてダメなわけです。自分の考え方としては、極端に言えば想像で詠んでも良いと思います。ただ、震災については、まったく経験していない人はほぼいないと思うので、何らかの形では出てくるのだと思いました。鴇田智哉さんは震災の句は改めて創ってはいないけれども、見たものと見たような気がするものは区別がつかないというようなことを言っています。また、逆に、実は自分は全部写生で創っているというふうにも言っていて、「うすぐらいバスは鯨を食べにゆく」という句もあるんですけど、これは自分が歩く道に夕方バスが通っている。そのバスに乗って鯨を食べに行こうというときに、バスの中は暗かった。それをこう言葉にしてみたっていうだけで、自分にとっては実際の経験だと言って創っています。ただこれを読むときに、そういうふうに読むかというと、謎のバスが鯨を呑み込みにいくような、ちょっと絵本みたいなイメージで読む人が多いんじゃないかと思います。そこがおもしろさであって、それは手を離れたおもしろさ。現実と俳句のリアルとはまた別なのかなっていう気もします。

五十嵐 極論では経験をしていない人が書いたって、という意見があの頃あったんだけど、実際に作品を読む人は作者が経験したのかしていないのか知りようがない話なんです。結局は作品主体で見ていくしかない。その中で、震災のことの句が今後どれだけ評価されるのかはこれからの話なんじゃないかなっていう感じがします。そういう意味では北大路翼の『天使の涎』の中にも震災を直接的にうたったものはないんだけど、「放射能床に音なく蜂が飛び」っていうのがあります。それはやはりどこか震災を引きずっている。震災のかなり不安感が文芸の底に生まれてきてしまったのかなと感じます。そういう中で、橋本さんが選んだ人たちは、平成のもう少し奥の時代で、一つの平成俳句の大きいな成果をつくった方たちを挙げていますが。ちょっと視点を変えて。

橋本 5人ともおそらく平成をリードしている人もいるし、矢島さんも当然蛇笏賞をとってる。関悦史はきっと怪物的なところがあるから、代表的な作家になるんじゃないかなと思うんですね。石田郷子さんは、口語訳でも冷たかったんですけど、好きなわけではないんですけど、いまの角川俳句賞の期待の句でしょうと思って選びました。つまり「石田郷子ライン」という言葉がありますが、石田郷子が賞をとってから、石田郷子に似たような人たちが、感じの良い俳句を創ってる。何の文句もない。季語の使い方もうまいし、何の文句もない。美しい。すがすがしい。みずみずしい。何の文句もない(笑)。いま、そういう方がおそらく角川俳句賞をとる。

瀬戸 さっぱりとして、軽い癒し系とか、BGMみたいな集団とか、中原道夫さんがおっしゃっていた。生活臭があまりしない。木がささやいて日差しの中でどうのこうのといった句。というような、ちょっとネガティブに言ってますけど、でもこれって本来の俳句の王道の世界ではあるのかなと思いますけど。

五十嵐 いま、俳句の王道という話が出たんだけど、近頃の動きを見ていると、王道がそこから離れようとしている動きが非常に多いのかな。ここに挙げられた20句を見ても、従来の客観写生などの意味合いで考えられるような俳句があまりない。そういうのばかり選んだのかっていうと、決してそうではなくて、割とここ数年出てくる俳句の一般的な形になってるかもしれない。そうすると、俳句のこれまでの骨格というものが随分変わってきているのではないのかなぁという感じがしますが。その中で、まず一つは田島健一。瀬戸さん、田島健一についてもうちょっと。『ただならぬぽ』について話しませんか。

瀬戸 「ただならぬぽ海月ぽ光追い抜くぽ」。「ぽ」がなんだっちゅう話、音として楽しむとしか言いようがない。今年の角川俳句年鑑で、櫂未知子さんが40代の欄を書かれていて、鴇田智哉さんに対してもわからないと書かれていて、田島さんに対してもさんざん調べた、読んだ、でもわからない、私には作品を論じる資格がないようだ、とまで書かれていた。結局、意味をわかろうとするのか、それとも感じるのか、という読み方の問題だと思うんですよね。鴇田さんとか、福田さんも「オルガン」という同人誌をされています。「オルガン」の中で、鴇田さんが田島さんに対して、その時代の複数の人に共有されたある感覚、何らかの共同性に向けて投げかけられ、読まれるのを待っている俳句を書いている、というような書き方をされている。自発的に何かを訴えかけるような俳句自体を創っていないから、わからないという人も出てくるのかなぁと思います。アプローチの仕方がまったく違うので。ただ普通の句も書けるんですけど。

五十嵐 ちゃんとやるときもある。そういう意味では僕も田島さんの句を挙げましたけど、田島さんにしても、若之さんにしても、小津夜景さんにしても、ときどき無季の俳句が出てくるし、自由律が出てくる。以前だと、無季の俳句を創るには相当覚悟がいるだとか、あるいは無季の何が悪いんだっていう相当気合を入れて創る。自由律は自由律で、五七五定型に縛られていては自由な作品ができないんだという主義主張がある時代がずっとあったわけですが、この人たちは全然気にしていない。五七五と普通に創るし、その隣に自由律が来る。その隣に無季が来るみたいなことを平気でやってる。これって割と最近の現象なんだよ。

瀬戸 比較的、五七五は守られているような印象です。季語は抜けることはあるけど、割と定型感やリズム感は福田さんは口語的な発想で創るので若干違いますが、他の人は割と五七五は守ってるのかな。

五十嵐 そうですね、「ただならぬぽ海月ぽ光追い抜くぽ」っていうのも。ちょっと内面化してる感じはしませんか。内に向いている。

瀬戸 わかる、わからない問題がありました。

五十嵐 わかる、わからない問題は、この人たちは軽く飛び越していくので、わかる、わからないで俳句を読まれてたまるかっていう感じは共通してあるよね。

栗山 「石田郷子ライン」的な句について話したいのですが、そうした句は前からあると思っています。川崎展宏さんの「かたくりは耳のうしろを見せる花」とか。後藤比奈夫さんの「首長ききりんの上の春の空」とか。なんか津川絵理子さんって言われてもそうかなって思っちゃいそうな。ただそれがラインでくくられなかったのは、多分そればっかじゃなかったからだと思うんですよね。川崎さんにしても、後藤さんにしても。そこがちょっと塊で見えると言われてしまうのは、社会性がないというのが多分大きな原因かなと思います。定型、季語の話で言えば、鴇田さんも基本は有季定型に学ぶのがやっぱり筋だと言っています。彼はずっと有季定型をやってきたんですけど、それだとこれまでできているものをどんどんなぞっていくことになって、自分ならではのものを創りたいって思ったときに変わっていくのかなぁって思います。

五十嵐 それは強く感じますね。

栗山 福田さんは「週刊俳句」のインタビューで、ちゃんと演奏ができるからこそ、ウッドストックのコンサートで、ジミヘンが「星条旗よ永遠なれ」から「パープル・ヘイズ」になる演奏ができたって話していた。それはちゃんと音楽を分かってるから、そういうふうに崩しても訴えかけられる。だけど、基礎が無いまま、みんな自由律みたいに創ろうというのはなかなか難しいんじゃないかなというのが個人的な意見です。内面に目が向いているものが多くなっているというのは、絵画とかも具象ばっかりやってるうちに、また違った表現が出てくるような。そこにあきたらない、やるからには自分ならではのものをできれば残したいという気持ちが働くからかなぁと思います。

瀬戸 作者名が入れ替えられないような作品を発表したいというような欲求をすごく感じます。「石田郷子ライン」みたいなくくりに入らない。でもそういうのが出てくると、また逆に「田島ライン」になるのかもしれないし、その辺は難しいところかなって思いますけど。

五十嵐 一時、俳句が割と従来の構成というか、伝統的な俳句と、モダニズム系の俳句みたいな構図がずっと来ていて、それが形骸化してから10年、20年ぐらいあったかなぁ。それがとても流動的になった気がしています。流動的になったんだけど、革命的に変えようと思っている人はあまり今の若手にはいない感じがします。福田若之くんは26歳で、非常に大胆な句集を出していますが、その句を読むと、「夕焼けを泣いて都会の子に戻る」とか、小学生みたいな感じの句を詠んだりする。上五が抜けてる句をそのまま出したりとかもやる。さらに散文を添える。「幼稚園から逃げるように卒園し、小学校からも中学校からもやはり逃げるように卒業した僕は、結局のところその頃と何も変わらないまま今度は自分の記憶から望んでいる」。だからどうしたっていう。そりゃこのくらいの年のとき、みんなが思うようなことを書いている。でもそういうところの中から句を創ろうとしている。なので、確かに観念的な句が多かったりするけれど、割と自分の実感というか、自分の存在に重きを置いて、書いているのかなと。ただそこには、とりあえずの現状肯定と小さな不安みたいなものが共通してあるような気がする。若手の俳人の中に、20代から40代の中に、そういう傾向があるような。同時に彼らは俳句の作り方ということでは、従来言われていたような創り方よりは、いかにして、詩にするのかに力を入れている印象を受けています。その中で全然違うのが北大路翼なのかなって思う。

橋本 北大路翼は詠んでるものが、詩じゃなくて俳なんですよ。ただ、テーマが小汚いものとか、エッチなものだとか、歌舞伎町のこととか、テーマが変わってるだけで、僕は王道だと思うんですよね。昔からの。俳句の歴史は、詩と俳の行ったり来たりしながらどっちかで来ていると。森澄雄と飯田龍太で俳に1回伝統帰りして、それがメインになってきたところを、まだいま金子兜太が生きているし、詩の方が最近がんばってきたというふうな見方でいいと思うんだけど、必ずしも最近の若い人たちが、詩とも言えないような、言葉で言葉をフェイクしているような、言葉で言葉を詠んでいるみたいな、言葉で言葉を俳句にしているというような感じになってきて、詩なのか俳なのかはっきりわからない感じになってきたから、それはそれで非常に新しい形なのかなって思っています。

五十嵐 その中で、北大路翼は非常に物議を醸しましたよね。北大路翼自身が物議を醸そうと思ってやったんだなって、たくらみはひしひしと伝わってくるし、『天使の涎』は最初の数ページを読んで、こんな句集は二度と読みたくないと思った人は相当いたのではないか。そういうのを覚悟の上で句集を創っているのが、最後まで読むとよくわかる。そういう、えーっと思う句は最初に固めて置かれている。これで、えーって思う人は読まないでくれて結構です、という創りになっている。読んでいくとだんだん良くなる。ものすごく、まともなんです。今回挙げられた作家の中で、多分、北大路翼がもっとも俳句の創り方がまともです。

瀬戸 うまい。

五十嵐 うん、うまい。非常に生活感というか、まさにものを詠んでるし、自分が見ている新宿のものを、裏通り、風俗店の女性たち、そういう店の裏に明け方になると捨てられているゴミ、水たまり、といったものを非常によく見ながら、句を創っていて、僕が詩的な方向に向かってるんじゃないかといったような人たちとは相当違うやり方をしている。なおかつ、東京のど真ん中に「屍派」というグループを作って、アウトローばかり集めて活動してます。最近その屍派のアンソロジー。『アウトロー俳句』があります。「駐車場雪に土下座の跡残る」とか、これありそうだよね、よく見てるなぁと思います。北大路翼はまちに出て俳句を創ってる。似たような仲間たち集めて一つの運動を起こそうとしている。北大路翼のやり方というのは、評価はわかれると思いますが、十分注目しなくてはいけないし、これから彼らがどう動くのか見て行きたいと思っています。

栗山 北大路さんは「キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事」とか、誰かが言ってたかもしれないんですけど、屍派の俺っちみたいなコスプレをしているような、本当のリアルじゃないような気もします。

橋本 うん、悪ぶってるというか、まじめなの。

栗山 まじめな人なんじゃないかと。

五十嵐 僕も若干知ってるんだけど、まじめな人なんだよ。

橋本 少なくとも長谷川櫂みたいに遠くから見ている訳じゃないんだな。本当にあそこに住んでて、一緒に部屋で寝てた奴が自殺してたというのがあるんだ。だからそういう生活ではあるんだけど、屍派の中で、彼だけが仕事持ってるんだ。そこがいけないんだね。本当の意味では。

五十嵐 『雪華』に「天使の涎、饒舌な現代」っていう時評を書いたんだけど、そういう意味では北大路翼は現代的な何かを求めようとはしているんだけど、技法は意外と古くさいんです。昭和っぽい。彼のテーマは反抗だと思うんだけど、「新宿」「無頼」「性」「反抗」って、寺山修司の時代じゃんという。

栗山 悪いっていうわけじゃなくてそういう印象を受ける。

五十嵐 優等生で既定路線に従順な風潮に支配された現在にノンを突きつけ、飄々としながらも、過去に使い古された武器を持ってしか、●の手段が見えてこないというところにこそ、現代の姿が現れている、と書きました。それが何かある種のフラストレーションになってるわけですよ。結局、表現者は新しいものを創らなきゃいけない。今まで誰かが創ったものをまた焼き直したってしょうがない。それは文芸である限りは新しいものを創らなきゃいけない。じゃあ新しいものを創るとはどういうことなのか、とても難しくなっている。その中で時代背景的には、震災から生まれた不安感、それと社会のコミュニティーの希薄さの中から来る孤独感、そういったものを若い人たちが一生懸命俳句にしようと努力をしている。でもなかなか新しい句はできているかもしれないけれど、一種の強さに欠けるという状況も見えている。その中で、北大路翼がやっぱり強く出なきゃいけないんだ、というふうにして出てきたけれど、その方法論は昔のものを使ってる。今はそんな状況なのかなぁと。

瀬戸 意味をずらす。「白鳥定食」とか、田島さんとか、鴇田さんみたいな創り方になって、そうすると、ふにょふにょしてるとか言われる。

橋本 言葉で言葉をコスプレしている。



栗山 いまの文学界でも、札幌出身の円城塔さんとか、言葉の実験をして、言葉でものを構築したいというところがある。そうかと思えば、長崎でずっと原爆について書き続けている青来有一さんという作家もいて。俳句も言葉で言葉を開拓するような人に加えて、もっと生の生活を軸にするような人も出てきたら、さらにおもしろいのかなと思います。
(了)