2012年12月31日月曜日

【本年の御礼と『新年詠』公開のお知らせ】

俳句集団【itak】事務局です。

五月の旗揚げイベントからもうすぐ八か月となります。
たくさんの方々にお越しいただき、また応援いただきましたことに
深く感謝いたします。
誠にありがとうございました。

来年も奇数月第二土曜日を定例として
休まず会を重ねてまいりたいと思います。
みなさまは常に【itak】という何者かの目撃者・証人であります。
俳句を通じて喜びをともにできますよう
今後とも新しい挑戦をしていきたいと思います。

明日は元旦。
幹事一同、新たな気持ちで頑張ります。
『新年詠』を新しい記事として公開予定です。
ご高覧、ご笑覧くださいませ。


新年のイベントは1/12(土)13時からとなっております。
お申込み受付中です。

講演会は『俳人のための俳句入門書再入門』と題して
【itak】幹事・橋本喜夫が熱く語ります。
多くの方に聞いていただきたいと思います。

それではみなさま良いお年をお迎えくださいませ。


俳句集団【itak】幹事一同



2012年12月20日木曜日

俳句集団【itak】第5回イベント・講師紹介


俳句集団【itak】第5回イベント


俳人のための

俳句入門書再入門


       ある入門書コレクターのつぶやき

 

*と  き 1月12日(土)午後1時~4時30分

*ところ 北海道立文学館講堂(札幌市中央区中島公園1-4)

*参加料 一般500円、高校生300円、中学生以下は無料

第1部 俳人・橋本喜夫による講演

俳句入門書を170冊所有する「やぶくすしハッシー」こと橋本喜夫が、独善的に選んだベストテンを発表。加えて、俳句入門書の構造と効用について概説し、その重要性を語る。


はしもと・よしお


1957年、厚岸郡霧多布生まれ。
40歳で俳句を始め、雪華同人、銀化同人。
現代俳句協会、俳人協会に所属。
北北海道現代俳句協会賞、第12回加美俳句大賞スエーデン賞
第26回鮫島賞、第5回俳句界賞大賞など受賞。
著書に句集「白面」。



第2部  句会(当季雑詠2句出句)


お問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。





第五回俳句集団【i t a k】イベントのご案内


第五回俳句集団【i t a k】イベントのご案内です。

俳句集団【itak】事務局です。
早いもので旗上げイベントから七か月がたちました。
ご参加の皆さんのおかげさまで、【itak】も少しずつ成長させていただき
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

下記内容にて【itak】の第五回 講演会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
新年早々ではございますが多くの方々の集う座となりますよう、
是非とものご参加をお待ちしております。


日時:平成25年1月12日(土)13時00分~16時30分

場所:「北海道立文学館」 講堂

      札幌市中央区中島公園1番4号

TEL:011-511-7655

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」

駅3番出口をご利用の際には

①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両

②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に

お乗りいただくと便利です。


■プログラム■

第一部 講演会

 「俳人のための俳句入門書再入門 ―ある入門書コレクターのつぶやき
  
  講師 橋本喜夫
    (雪華同人 銀化同人 現代俳句協会 俳人協会 医師)





第二部 句会(当季雑詠(新年・冬)2句出句)

<参加料>


一  般    500円
高校生    300円
中学生以下 無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)

※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
 
※今回は参加者とご一緒する懇親会はございません。


■参加方法のお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
締切は1月9とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方は
どうぞ遠慮なくこちらのメールでご相談下さい。

なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますので
どなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。

参加希望の方は下記メールに

「第五回イベント参加希望」

のタイトルでお申込み下さい。







①講演会・句会ともに参加
②第一部講演会のみ参加
③第二部句会のみ参加
いずれかを明記してくださいませ。
特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。


itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。


※3/9(土)の第六回俳句集団【itak】イベントも会場を変えずに開催予定です。
 北海道立文学館講堂にお越しくださいませ。



 
 

2012年12月18日火曜日

第4回俳句集団【itak】講演会抄録『猟夫が語る北海道野生の今』








第4回 俳句集団【itak】 講演会

「猟夫(さつお)が語る北海道野生の今」

高橋 千羅志



 2012年11月10日・道立文学館

 

 4回目となる【itak】は11月10日、札幌の道立文学館(中央区中島公園)で行われました。句会の前に行われる恒例のイベントでは、ハンター歴40年になる札幌の高橋千羅思(ちらし)さんが「猟夫(さつお)が語る北海道野生の今」と題して講演しました。高橋さんは、札幌の俳句グループ「北舟」のメンバーとして活動する一方で、狩猟や山登りなどを通じて北海道の自然、動物を見続けてきました。増え続けるエゾシカ、札幌など都市近郊にも姿を現すようになったヒグマなど北海道の野生動物について語った高橋さんの講演内容を詳報します。
 


 ★★★

 

 「千羅思(ちらし)」というのは俳号ですが、北舟を主宰している吉田類さんから付けてもらいました。どうしてこんな名前かと言いますと、みんなで集まったときに、スーパーのチラシを見ながら句を作ったんです。それが面白いということで「ちらし」という俳号をもらいました。

 

 ■■■
 

 ぼくは20歳になったときに狩猟免許を取り、40年にわたりハンターをしています。ハンターというと「野蛮」と偏見の目で見る人もいますが、社会的な貢献もしています。自然の生態系が崩れていることもあり、今年は札幌市でもヒグマの目撃情報が156件にも上っています。目撃数から考えると、札幌近郊には約20頭前後が生息していると言われます。
 

では、どうして札幌でヒグマの目撃情報が増えているのか? 昔は春グマ、つまり穴から出てくるクマを撃って、駆除していました。それを辞めてから増え始めているんです。昔のクマは、親から子、子から孫と「人間のそばに出たら恐ろしい目に遭うからダメだよ」と伝承されてきました。しかし、駆除を辞めてから頭数も増え、親も子も人の怖さを知らずに〝好奇心〟で人間のところに出てくるんです。
 

人のところに出てくるクマは、ほとんどが、この好奇心です。人を襲うクマではありません。追い払うと出てこない。知床と同じ問題ですが、札幌近郊でもクマの頭数が増え、密度が濃くなっています。行くところがなくなる。そうして、はじき出されたクマが都市部に出てきています。好奇心だけなので、こうしたクマは防除隊が追い払っています。本当は無線機を付けて放せば、行動を把握できるのですが・・・。


今年の春、藻岩山に現れた熊が射殺されましたが、札幌市や僕が所属している猟友会にも批判が来ました。ぼくらは日頃、市民の命を守るため訓練しています。円山動物園ともタイアップして「動物が逃げたときにはどうするか」などの訓練もしています。ヒグマに対しては追い払うのが基本です。しかも駆除は勝手にできません。許可捕獲です。警察から発砲して良いという許可がないとできない。市街地の定義は、家や畑があるところで半径200㍍以内に10軒あるところ。勝手に発砲することはできません。今回は危ないから発砲してほしいということで駆除という方法を取りました。
 


ぼくも山に入ってクマに襲われそうになったり、命拾いした危ない経験があります。ただ、基本的にクマは人間の存在を気付かせれば、向こうから去ってくれます。たまたま居所が悪かったり、子連れでいる場合は襲ってきます。行動範囲はメスで数十㌔、オスは100キロ以上。札幌から積丹まで行って戻ってきたりします。

 

■■■

 

エゾシカも爆発的に増えています、僕は昭和50年くらいに鉄砲持って、40年くらい経ちます。昔はシカも少なかったので、カモ猟が中心でした。エゾシカ猟は日高、道東まで行っていました。毎週行けないから、正月とか休みが重なったときだけで、しかも野球ではないですが、(捕獲)確率は3割も満たない状態。当時はメスは撃ってはいけませんでした。
 

ぼくらの師匠にあたる岩内の猟師は一人で何十匹も捕っていました。昔は食うために山に入った。猟師ですから。山に入って、毛皮、肉を売って、商売していた。生きるためにやった。


エゾシカは今、道内に65万頭いると言われていますが、これははっきりしない数字です。もっと多いかもしれません。生息調査は「ライトセンサス」という夜中にライトを使ってシカの目を見て調べています。昨年度は13万5000頭を捕獲しましたが、農業被害は60億円と報告されています。昔は狩猟が主な目的でしたが、今は駆除が6割以上を超えています。許可をもらっての駆除です。


しかし、駆除は後手後手にまわっていると思います。もともとハンターは自分の食べる分しか捕らない。食べきれないものを捕ってきてもしょうがないから。だからシカの数も増えてきたと言えます。
 

駆除といっても、(仕留めたシカを回収する)残滓ステーションをたくさん作ってくれればよいのですが、あまり多くない。減らせ減らせといっても、ハードとソフトがアンバランスなので駆除が進まないんです。捕獲するとお金も出ますが、市町村で制度がバラバラです。やはり道が一括して管理しないと絶対に減らないと思います。
 

ハンターはそれぞれ信念を持っていますが、ぼくは親子連れのシカは撃たないようにしています。春先の駆除では、乳飲みのシカは親が殺されたら生きていかれないからです。ぼくは一人で山に入って、どっちが先に見つけるかという狩猟をしています。クマもそうですが、野生動物に先に見つけられると逃げられます。知恵比べのようです。仲間で狩りをする人もいますがぼくは一人で、しのび狩りするのが好きですね。

 

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夜間は見ることできませんが、ここ中島公園にも野生のキツネ、狸、ミンクなどがいます。夜、暗視スコープさえもあれば、けっこう小動物が居ることが分かりますよ。去年、札幌のある場所でキツネが繁殖して困るという相談を受け、捕獲したこともあります。鉄砲で撃ってくれと言うが、そうもいかないので、箱穴で捕獲しました。箱穴も免許持っていないと捕獲できません。野菜を作っているけど、食べられて困るとのことでした。

 

結局、6頭のキツネを捕獲し、感謝されました。食物連鎖の中で人間は頂点にいます。生きるため、食べるために駆除するのは仕方ないと思います。しかし、ただ殺せばいいというだけやっているわけではありません。ハンターも市民の安全を守るために努力しているわけです。(了)



☆抄録:久才秀樹(きゅうさい・ひでき) 北舟句会

第4回 俳句集団【itak】講演会抄録公開のお知らせ・講師プロフィール

俳句集団【itak】事務局です。

第4回 俳句集団【itak】 講演会の抄録が整いましたので
その公開のお知らせと、遅ればせながら講師プロフィールを
ここに掲示させていただきます。

自然に囲まれた北海道では近年、熊や鹿などが頻繁に市街地にあらわれ、
ひとたびニュースとなれば銃を持った猟友会のみなさんの映像が見られます。
知っているようでいて実は知らない野生動物と自然、その猟のおはなしなど
大変に興味深く伺うことができました。

『狩り』といえば冬の季語。
直接俳句にかかわるおはなしがあったわけではありませんが
季語の本意の一端を覗くことができ、有意義な時間を過ごしました。
高橋さん、ありがとうございました。
このあと引き続き抄録を公開させていただきます。



 
 
 
 


2012年12月12日水曜日

「無題」    武田 慎一


 
 
☆武田 慎一
  道央在住
  俳人・瀬戸優理子を母に持つ小学生
  掲句は俳句集団【itak】第四回句会にて寄稿
 
 
 

2012年12月11日火曜日

『やぶくすしハッシーが読む』  (その4) ~第4回の俳句から~




『やぶくすしハッシーが読む』(その4)

 

~第4回の俳句から~

橋 本 喜 夫
 
 

 
はちみつの瓶の白濁冬に入る
 
これはうまくできている句だ。中七までもH音をたたみかけて、秀逸であるし、最後もH音の冬に入るという季語を選択している。音調も季感もぴったりである。うまくできすぎて、類句が過去にないか心配になるくらいに。
 
 
木枯や黒鍵で弾くプレリュード 
 
うまい句がならんでいる。黒鍵を素材にした句はときどきみるが、その中でも秀逸な一句と思う。木枯し、プレリュードの組み合わせはあるかもしれないが、黒鍵で弾くが素晴らしい。間違いなく今回の秀句のひとつであろう。
 
 
歩き過ぎたるポケットの木の実かな 
 
この句はひたすら「歩き過ぎたる」が良い。なぜ歩きすぎたか、考え事をしていたせいか、何も語っていないが、余白があるし、歩きすぎたと人間が思うときの少しの後悔と、追憶と、満足感みたいな そんなものがすべてポケットに潜んだ木の実に集約している。
 
 

月天心原発炉心眠りをり
 
 
こういう句もあっていいと思う。場合によって見飽きたというひともあるかもしれないが、いつも心のどこかにおいて作句するという俳人の態度が大事だと思う。炉心という措辞と天心という措辞を使いたかったと思われるが。大成功はしていないようだ。
 
 
汚れなき冬天シースルーエレベーター
 
シースルーエレベーターに居るときの身体感覚がうまくでていると思う。汚れなきが少し過剰に感じるが、ここがこの句のコアでもある。シースルーエレベーターの措辞を使ったことで、言いたいことは限られるから。
 
 
てのひらを開けば重い冬がある 
 
掌をひらくという行為から何が言えるだろうか。ふつうは外界にひらくわけであるから、重くれではなく、明るい解放感がうまれるだろう。それを逆手にとった句である。人間心を開けば開くほど、逆に重くて暗いものに突き当たることはあるであろう。重い冬というふつうなら成功しないあいまいな表現が、物に即していない表現がこの場合見事に成功している。掌をひらくという復元可能な映像があっての、たまものであろう。
 
 
消毒のにおいも消える蜜柑かな 
 
意外にこのような蜜柑の句はないのではあるまいか。類句がないかもしれない。内容はただごと俳句だが、出来上がった句はただごとではない。そんな偶然を生むのも俳句の恩寵かもしれない。
  
鮟鱇の苦もなく溶けてゐるひとひ 
 
ひとつひとつは意味が通っているが、全体をとおすと?マークがならぶ句。橋間石風のつくりである。人間毎日のつらい生活、苦もなく溶けている一日がある。たとえばそんな一日を鮟鱇の一日にメタファーしたとすれば意味が通るであろう。、もちろん鮟鱇食べたことあればわかるように、とろとろに溶けている感覚あります、とくに鮟肝は。そして人間も溶けてしまいたいときあります。
 
 
 
(おわり)
 


<俳句集団【itak】より、明日の『俳句ギャラリー』の掲載のお知らせ>



先月から始めました【itak】句会参加者のみなさんの投句による『俳句ギャラリー』では
明後日12月13日(木)、第四回の可愛い見学者からいただきました俳句を公開いたします。
是非ともご高覧くださいませ。

 

2012年12月10日月曜日

『やぶくすしハッシーが読む』  (その3) ~第4回の俳句から~


『やぶくすしハッシーが読む』(その3)
 
 

~第4回の俳句から~
 

橋 本 喜 夫
 

 

木を離れ林檎の一歩トラックへ



私はまっかなりんごです。という童謡を思い出す。まず林檎の旅はトラックへ積まれることからはじまるという句意であろう。なつかしくて、わかりやすくて、実景も見える句である。つまり語りの句でありながら、写生句のように映像の復元化が可能な句である





留守と言ふ神とカミさん紙一重



座五何とかしたらとってもいい句になったのだろう。紙一重という座五を用いたかったのだろうと作者の気持ちはわかるが、はたして俳句であろうか。面白すぎて謎がない。余白がない。神渡しとか、風の季語で逃げてもよかったのでは。神がダブルのがいやであれば、

留守といふカミさん居留守神渡し とかであいまいにすればいいはずだ。カミさんが留守と言い張る場面はとても面白くて、なんとか俳句にしてほしい。というかとても人気が集まった句なのかもしれないが。。。。このままでは・・・・





しぐるるやポストに喪中ハガキ落つ



喪中はがきを材料にする句は新しくないが、情緒、心情に堕さずに、ポストに落ちた冷たい音のみに集約したのがよい。背景にふる時雨が効いてくる。喪中はがきを出す時期と、しぐれの時期がもちろんのこと、実感がある。かなり細部まで目が効いている作品だ。





しわくちゃのプリント出す子いわし雲



あるあるネタではないが、こういう子いるよね。悪い子ではないのだが、無頓着というか、勉強できないというか。
しわくちゃのプリントが百点満点のテスト用紙ならいいのだが。
学校帰りも空ばかり見たりしてね。いわし雲が意外に生きていると思う。





片隅に生きる赤帯文化の日



意味がわからないのだが、面白く感じた。そもそも文化の日はすこしからかってしまいたくなる祝日である。新憲法公布の日、明治節の影響もあるのか。この季語に関係ない措辞をつけると結構それらしい俳句ができてしまう。片隅に生きる赤帯とは何か、高齢者という意味か。柔道の高段者であえばみな老人である。しかも実際には高齢なのでもう強くない。なんか揶揄的で面白い。




その4に続く)

 

2012年12月9日日曜日

『やぶくすしハッシーが読む』  (その2)~第4回の俳句から~


『やぶくすしハッシーが読む』(その2) 

 

~第4回の俳句から~
 

橋 本 喜 夫

 

 

立冬や駆け抜けてゆくグレートデン

 

駆け抜けてゆくものが、何かによって句のできが変わってくる。日本的な動物、秋を感じさせる動物など立冬との関係で考えられるが、グレートデンという狩猟犬を持ってきたことが、はずされた感があって面白い。まさに俳句でいうすこし外すテクニックである。直球に見えてツーシムのような変化球である。ちなみにグレートデンというのは「偉大なるデンマーク」という意味だとか。



さみしくて十一月の耳尖る

 
  

草田男の句に「あたたかき十一月もすみにけり」という句があるように、本州では意外とあたたかく、おだやかな日和がつづくのが十一月であろう。それにくらべて北海道はどうであろうか?寒い、中途半端に雪が降り、道路状況は悪い。寒さが中途半端なので車は滑って事故が多い、完全な雪世界にならない場合はテストの前の日のようにとても暗い気持ちになる。これから日が長くなる、暖かくなるならあきらめもつくが、これからどんどん気候は悪く,棲みずらくなるわけであるから、さみしさは募る。心理的な表現を体の一部を使って行うことは多いが、特に耳は寒さ、静かさを感じ取るアイテムである。耳尖る、十一月の連結は秀逸である。さみしくての措辞に意見が分かれる句であろう。


 

切れ切れに息絶え絶えに囲炉裏かな
 

中七までの措辞はすべて囲炉裏の火の勢いを表現したものと考えた方がいいであろう。心理的なもの、作者あるいは発話者の状態が息絶え絶えとは思いたくない。そうすると火の映像が復元されてゆく。勿論、炉を囲んだ炉話が切れ切れ、息絶え絶えとも考えられるが、それだと景や囲炉裏の火の映像が結べないと思う。囲炉裏だけを言いたい一物仕立ての句である。

 

虫の音やラヴェルの和音散りしかな

 

ラヴェルはモーリス・ラヴェル、フランスの作曲家、その名前を知らなくても「ボレロ」という曲は絶対聞いたことがあるはずだ。彼の和音は知る人ぞ知る精緻なものだったそうな。さて秋の虫の音。一種類であれば、べつだが色んな虫の音が混じれば和音であろう。たとえそれが不協和音であっても。外国人には雑音にしか聞こえないそうであるが、日本人は虫の音を決して雑音、騒音とは思わない。作者は虫の声を聴いて、ラヴェルを思い出したのであろうか。や、かな やはり一句に同時使用は避けるべきであろう。

 
 

枯るる葉にバージンオイル二、三滴

 

なんだかわからないが魅かれる句である。間違っているかもしれぬが、いまはやりのアロマ療法に使われるオイルではなかろうか。そのままの意味で取れば、枯れた葉っぱに再生を願うが如くバージンオイルというものを二三滴垂らした。という句。知ってる人ならわかりすぎるくらいわかりやすい句なのであろう。二、三滴も音調がよくて句としてできていると思う。ここでPCで少し調べたところどうやらギリシャなどで使われる食材らしい。女性から「そんなの知ってるわよ」と怒号が聞こえるようだ。このように作者は当然のように使用しているが、私のようにまったく知らない人もいる。負け惜しみではなく、おそらく生句会に参加したとして、私はこの意味がわかってなくても印をつけたであろう。その程度の言語感覚はあるつもりだ。

 

(その3に続く)

 

2012年12月8日土曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 (その1)~第4回の俳句から~

『やぶくすしハッシーが読む』(その1)
 
 
~第4回の俳句から~
 
橋 本 喜 夫
 
 
句会では詠む、読むが同一人物のなかで行われて、自分も参加しているので同時性、ゲーム性もあってそれなりに発揚して他人の句を選ぶ。しかし今回のように句会に参加せず、俳句だけを「読む」場合はだいぶテンションが違う。要するにすこし俯瞰的、冷静に読むことができる。
イタックの句会は鮮度のある句とおもいきりがよい句が多い点、若さを感じる句が多いことが良い点。反面、完成度の低さ、重みのなさ、諧謔と面白みとの混同は弱点かと思う。私などは確かに「新は深」を重視する俳人で、金太郎飴のような句会だと、いくら完成度が高く、老練な句が揃っていてもあくびが出てしまう。
それでは順番どおりに読み進める。一度だけ目を通して印をつけた句のみコメントしたい。例のごとく紹介したい佳句もあるが、事情がありできないことを御寛恕を。また勝手に意見を述べたり、文句言ってるようですが、すべて愛情からくるものと理解していただければ幸いです。
 
 
酪農のゆきづまる地にそばの花
 
この句会にふさわしくないような社会性の句。TPP問題もゆきづまり、日本農業がゆきづまっているのは農協関連の病院に勤めている私にも理解できる。そこに咲くそばの花、荒地にも咲き、時期がくると白い花が咲き、それなりに美しい。ゆきづまったゆえにそばの花を咲かさねばならない地元のひとたちの心情も理解できる。中七の「に」はやはり説明的に感じる。ここは「や」で切ってほしいと思うのは私だけではないだろう。ちなみに「そばの花もひと盛り」はちょっと女性にしつれいな言葉だが、女性がいないところでは私は使っている。
 
 
地下街に青空が欲し菊花展
 
 
無理とは承知の措辞。ある意味アンビバレントな表現。地下街で催されている菊花展なのであろう。それぞれ美しく飾られている菊の花がそれぞれの青空を要求しているかのように作者は感じたのであろう。菊花展がなければ、むなしい措辞、空虚な措辞で終わるところを座五で盛り返した。座五で答えを出してしまったともいえるが。。。
 
 
歯ブラシの一つ残りし暮れの秋
 
秋は別れの季節なのだろうか。落ち葉、紅葉などからも別れがキーワードになるのかもしれぬ。それまで共同生活もしくは寝食を共にしたひとが、立ち去ったのであろうか、その人の使っていた歯ブラシがひとつ残されたという景。暮れの秋という季語の斡旋も、蕭々とした秋風、木々が落ち葉を急ぎ、それなりに別れの季節を思わせる。

 
ポアンカレ予想の謎や毛糸編む
 
長く数学幾何学の謎であったポアンカレ予想をわざわざ句にするとは・・毛糸編むという季語が微妙に合っている。ポアンカレ予想の3次元が最後まで謎として残ったわけだが。わかったようなわからないような話だが、ロケットに無限のロープをつけて発射して、宇宙を一周して戻ってきたとする。そのときロープの両端をひっぱって最終的に回収できたとするとかのロケットの回ってきた軌道は少なくても同一の球体上にあったことになるというのがポアンカレ予想である。毛糸編む針ををロケットと見立て、毛糸をロープと見立てると、その出来上がった完成品は同一球体上にあるような気がしませんか?いずれにしても恐ろしく、まどろっこしく、理に走った句である。ホトトギスなら叱られるような。
 
 
 
(その2に続く)