2013年12月31日火曜日

【本年の御礼と『新年詠』公開のお知らせ】


俳句集団【itak】です。

本年のイベントにもたくさんの方々にお越しいただき、また応援いただきましたことに深く感謝いたします。誠にありがとうございました。

来年も奇数月第二土曜日を定例として
休まず会を重ねてまいりたいと思います。
みなさまは常に【itak】という何者かの目撃者・証人であります。
俳句を通じて喜びをともにできますよう
今後とも新しい挑戦をしていきたいと思います。

明日は元旦。
幹事一同、新たな気持ちで頑張ります。
幹事による『新年詠』を公開予定です。
ご高覧、ご笑覧くださいませ。


新年のイベントは1/11(土)13時からとなっております。
お申込み受付中です。
会場が札幌市資料館に変更になっておりますのでご注意ください。

第一部は作曲家・音楽研究者の久保田翠さんによる
『音と言葉 ~うた作りの現場から~です。
多くの方に聞いていただきたいと思います。

懇親会のお申し込みも引き続きお受けしております。
お申込みお問い合わせは itakhaiku@gmail.com まで。

それではみなさま良いお年をお迎えくださいませ。


俳句集団【itak】幹事一同


2013年12月29日日曜日

俳句集団【itak】第11回イベント 講演者紹介



久保田 翠(くぼた・みどり) 


札幌市生まれ。5歳よりピアノ・ソルフェージュを始める。
東京藝術大学音楽学部作曲科を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論分野修士課程入学。同大学大学院博士課程単位取得満期退学。
これまでに作曲を南聡、安良岡章夫、尾高惇忠、近藤譲の各氏に師事。東京国際室内楽作曲コンクール、奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門のそれぞれに入選。作曲・編曲のほか、ピアノ・オルガン演奏や伴奏も手がけている。
また近年ではパフォーマンス活動にも力を入れており、2011年には自身初となるソロ・パフォーマンス「SCORES」を開催した。
「実験音楽とシアターのためのアンサンブル」メンバー。
和洋女子大学、青山学院大学大学院非常勤講師。
 <URL> http://www.midorikubota.com
 








『「わらひ」の世界』

   金子みすヾの世界
  CD発売記念特設サイト








<第11回俳句集団【itak】イベントご案内>

*と き  平成26年1月11日(土)午後1時~4時50分
*ところ  札幌市資料館2階研修室(札幌市中央区大通13丁目)
*参加料 一般500円、高校生以下は無料(当日参加歓迎)

●第1部  作曲家・久保田 翠氏による講演会
       『音と言葉 ~うた作りの現場から~
●第2部  句会(当季(冬・新年)雑詠2句出句)
●懇親会 (各賞受賞祝賀会・新年会)のお申し込みもお受けしております。
 締め切りは1/8(水)となっております。
 詳細お問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。


※休憩時間を利用して関係書籍・CDの頒布会を行います。
 お気に召されましたらお求めください。
 
・久保田翠 CD『わらひ』(2,000円)
・五十嵐秀彦 句集『無量』(2,000円)
・山田 航 歌集『辺境』(600円)

 

2013年12月27日金曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~今田 かをり~


句集『無量』の一句鑑賞

今田 かをり

 
 
 うららかに行方知れずとなりにけり        五十嵐秀彦


 秀彦さんに初めて会った時、それは第一回itakの会場でだったが、どこか無頼の風が吹いていた。さらに言えば、集中に〈沫雪やわれらと呼ぶに遅すぎて〉とあるが、秀彦さんより一世代前の団塊の世代に繫がっていくような匂いがした。権威におもねらない、既成のものの見方をまずは疑ってみる、というような生き方は、〈独活膾隆明定本詩集哉〉〈自転車に青空積んで修司の忌〉といった嗜好にも現れている。ただし、こういう人にとって、この世は生き難い。〈なあ友よこの世だつて存外寒い〉、たしかに、このうつし世は存外寒いのである。
 ところで、掲句であるが、この句を読んだ時、はっとした。「行方知れず」になったのは、他の誰でもない詠者だと読んだのである。芥川龍之介は、死のかなり前に作った〈水涕や鼻の先だけ暮れのこる〉を、辞世の句として選んだが、掲句は、詠者の願望ではあるまいか。西行〈願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ〉の、俳句バージョンの気がしてならないのである。なぜなら、この世からの消え方として、「うららかに行方知れず」以上の消え方があるだろうか。
 五十嵐秀彦はすでに辞世の句を用意している。その辞世の句を懐に、軽くて薄い、そして「存外寒い」この世を颯爽と渡っていくなんて、本当に素敵である。


☆今田 かをり(いまだ・かをり 俳句集団【itak】幹事 銀化)

2013年12月25日水曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~籬 朱子~


句集『無量』の一句鑑賞

籬 朱子

 
 
 一睡の花の気配とともにあり        五十嵐秀彦


 曰く言い難く素敵な句である。
一睡の主体が作者なのだとすると、花の色やかをりとともにある、この幸福感は夢と現の間を言い留めている。一睡の主が花という可能性もあるだろうか。
 眠りから覚めたばかりの、早朝の花とともにあるというなら、その気配を堪能する作者が見える。只今源氏物語に耽溺している私としては、この句が源氏物語全体の気配にも相応しく思えるのだ。
 源氏物語と言えば、紛れもなく和歌の世界である。俳句はその和歌優美から先の自由を求めて発展してきた。
 しかし此の句を読むと、俳句の源が日本の古典文学と繋がっていること。そして処に何の破綻も無い事に深く感じ入ってしまうのだ。


☆籬 朱子(まがき・しゅこ 俳句集団【itak】幹事 銀化)

2013年12月23日月曜日

第11回俳句集団【i t a k】イベントのご案内(再)



第11回俳句集団【i t a k】イベントのご案内(再)です。

俳句集団【itak】事務局です。

メリークリスマス!。季語にクリスマスが採られたのはいつ頃からなのでしょうね。
冬至も過ぎ長い夜をお過ごしのことと思います。
改めまして第11回イベント 講演会・句会のご案内です。

下記内容にて【itak】の第11回イベント 講演会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
今回は作曲家・久保田翠さんによる音楽の企画を準備いたしました。新年早々ではございますが多くの方々のご参加をお待ちしております。
各賞受賞祝いと新年会を兼ねた懇親会のご用意もございます(実費)。文芸・芸術談義に花を咲かせましょう。

なお1月のイベント会場は札幌市資料館に変更となっております。お間違いになりませんよう、お気を付けてお運びください。

日時:平成26年1月11日(土)13時00分~16時50分
場所:「札幌市資料館」2階 研修室
      札幌市中央区大通西13丁目

         http://www.s-shiryokan.jp/  TEL:011-251-0731

■プログラム■

第一部 講演会

『音と言葉 ~うた作りの現場から~
 
 講演 作曲家・音楽研究者 久保田 翠 
     http://www.midorikubota.com/index.html

言葉に音がつき、うたになる。リズムが反復し、時間が生まれる。
金子みすゞの詩に作曲する中で考えたこと、感じたこと。

 
第二部 句会(当季(冬・新年)雑詠2句出句)
 
<参加料>
一    般  500円
高校以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)
※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
※イベント後、懇親会を行います(実費別途)。
  会場手配の都合上、こちらは事前のお申し込みが必要になります。
  会場および会費など、詳細は下記詳細をご覧ください。

■イベント参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
イベントお申込みの締切は1月8とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方はどうぞ遠慮なくこちらのメールにお申込み下さい。
なお札幌市資料館も会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますのでどなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。

参加希望の方は下記メールに「第11回イベント参加希望」のタイトルでお申込み下さい。お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。

①講演会・句会ともに参加
②第一部講演会のみ参加
③第二部句会のみ参加(前日までにメール・FAXなどで投句して頂きます。)

特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。

■懇親会詳細と参加についてのお願い■

会場:ホテルさっぽろ芸文館
    札幌市中央区 北1西12 (旧厚生年金会館) 011-231-9551
   http://www.sapporo-geibun.jp/index.html
   
時刻:17:30~19:30
会費:5000円(飲み放題つき)
   ※当日キャンセルはキャンセル料を申し受けます
定員:60名(先着順・可能な限りキャンセル待ち対応をいたします)
 
新年早々でもありますのでこの懇親会は新年会と、各種受賞祝いを兼ねて行います。ご都合が合わずイベントにご参加いただけない方々のお申し込みもお受けいたします
ご遠慮なくお申込み・お問い合わせくださいませ。

ホテルの準備の都合上、こちらは必ず事前のお申し込みをお願いします。
懇親会申し込みの第二次締切は1月8日(水)とさせて頂きます。以降はキャンセル待ちとなりますがお問い合わせください。
参加希望の方はイベントお申し込みのメールに④懇親会参加とお書き添えください。itakhaiku@gmail.com

札幌市資料館へのアクセス
※札幌市営地下鉄東西線
※JR北海道バス・北海道中央バス
※駐車場はございません


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2013年12月21日土曜日

俳句集団【itak】第10回イベント抄録 『アメリカの詩と私の詩』②


 
6.矢口以文の詩
(1村の井戸 石巻市大川で
 
 私は宮城県の出身で石巻生まれです。昔はズーズー弁をしゃべっていました。この作品は石巻市大川について書いたものです。存知の様に、大川小学校の子供たちが大勢津波に流されて亡くなりました。この小学校のぐ後ろに山があって、そのふもとにある寺で、祖父が昔住職をやっていました。母はこの小学校で学びました。小学校も町も寺もすべて呑まれました。


  
 寺の境内に石造りの井戸がありました。村の人たちが水を汲みに来ました。美味しい水でした。の井戸も消えてしまいました。
 
 
迫撃砲
 
 僕が生まれたのは石巻ですが、長い間育ったのはその隣にある矢本(現在の東松島市)なんです。その矢本に海軍の飛行場があって、戦争に負けた時に海軍の飛行場はアメリカの軍隊に捕られたんです。僕らは子供の時にアルバイトをしようと思ったんですが、少し年を誤魔化さないとならないんです。だから僕18歳になったって誤魔化して、夏休みにそこでアルバイトしたんです。一日いくらだと思いますか一日働いて360円。当時の1ドルです。そんなアルバイトをしていある時に、40~50くらい迫撃砲が並べられたんです。アメリカの兵隊が僕らのところに「この迫撃砲を綺麗に掃除しなさい」と命じたんです。僕らはバケツに水を汲んでそれらを掃除しました。その迫撃砲アメリカ軍と一緒に朝鮮戦争きました。そしてその迫撃砲が朝鮮戦争で活躍したということを後で知ったのです。それについての詩です。
 
 
 
 (3)プロポーズ
 
石巻のひとたち、東松島のひとたちはだいたいズーズー弁なんです。ズーズー弁いうのは、「ひ」の発音が「し」に「ち」の発音は「す」になるんです。例えば『はし』と言うと、渡る『橋』なのか食べるときに使う『箸』なのか区別がつきません(発音的には『はす』という方が音のイメージが近いそんなわけで、東京に行ってズーズー弁使うと皆笑うか、変な顔するんです。私は東京行く前に標準語の勉強一生懸命していったのですが、時々(ズーズー弁が)出るんです。そうなると相手から、「やっぱり東北の方ですかて言われるんですけどね。

 仙台に住んでいた母が夏になると、僕の所に来るんです。そうすると、僕の子供達にズーズー弁で喋るんです。そうすると子供たちは『ハイ!ハイ!』て言うことは聞くんですけども、(ズーズー弁で)「何々しなさい」ていうのが通じないものですから、ハイ!って返事しても通じてない。言われた事をしないものですから、母は『ハイって返事はしてくれるけども、言うこと聞かない』って怒るんです。けど、そもそも通じてないんですよ。
 ある時、子供たちが僕に『お父さんたち、恋愛するときや結婚するとき、どうやって申し込むの』て聞くもんだから、こういう風に申し込むんだよって教えて、それを詩にしたのが『プロポーズ』という詩です。

 


子供らはこれを見て『本当かい、お父さん』てゲラゲラ笑ったけど、だけどこういう風にして昔はプロポーズしたんですよ農家だから。『あんだば好ぢだぞ』って、言ったと思うんですよね。『嫁こさなってけねべが』って。「私はあなたが好きです。愛してます。結婚して下さい」って標準語の世界ですけど、向こうのズーズー弁の世界ではそうじゃないんです。そう思って、この詩を書きました。
 
 
() 詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと
 
 なぜデニス・レバトフが『詩ではないかもしれないけど、どうしても言っておきたいこと』を書いたのでしょうか。あるユダヤ人は特に愛国的で、隣に住んでいるパレスチナ人平気で迫害します。都合が悪くなると簡単に殺してしまいます。しかしユダヤ人とパレスチナ人は同じような人種です。どちらもセム族です。ヘブライ語とパレスチナ人たちの使う言葉は、全く違った言語ではないようです。例えば、「こんにちは」ヘブライ語では「シャローム」ですが、パレスチナ人たちは「サレム」と言って挨拶します。ユダヤ系のレバトフは、「パレスチナ人は我々と同じ種族だ」と言っています。ユダヤ人が同じ人種を殺すなんてとんでもない、と怒ります。彼女は勿論どんな殺し合いにも賛成しません。
 

彼女の父はユダヤ人です。かなり著名な哲学者でした。お母さんはウールズの人で、クリスチャンでした。それで「もし両親が生きていてこの有様を目にしたら、ひどく悲しむだろう」と書いています。この詩を受けて、私もこの「詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと」という詩を書いたのです。彼女の詩集には戦争と平和についての作品もかなり入っています同名の私の詩集にも戦争と平和の作品がかなり入っています。
 


 

☆抄録:三品吏紀(みしな・りき) 北舟句会


2013年12月19日木曜日

俳句集団【itak】第10回イベント抄録 『アメリカの詩と私の詩』①

 
 
      ~解説と朗読~


 『アメリカの詩と私の詩』


      詩人 矢口以文



     2013年11月9日・道立文学館





私は長いこと北星(北星学園大学)で教えてきました。しかしアメリカの詩といっても沢山あります。ひとくちにアメリカと言ってもいくつかあります。南アメリカとか、アメリカ合衆国、それにカナダとか。それから合衆国ではありますが、極北にはエスキモーが住んでいます。またインデアンと言われる人達も住んでいます。彼らの多くは自分の種族をnationと呼んでいます。

ここオーロラ』という雑誌があります。インデアンのナワトル族にずっと昔から伝わる詩の形の伝説を、私が訳して載せています。その人たちは私たちと似ているところがありますが、同時にすごく違います。農業主体の人たちです。彼らの一年は12ヶ月ではなく、もう少し長いのです。そして一年の終わりに一番姿のいい若い男性、どこにも傷の無い男性を神に供えるという習慣があります。非常に興味深い。しかし私達の国こういう習慣や信仰があると困ります。また、エスキモーに伝わる詩的な伝説を訳したことがあります。現代の詩と似通ったところがあります。

が主に教えてきたのはカナダの詩と特にアメリカの詩です。アメリカの詩は三十数年教えました。アメリカの詩はイギリスの詩と比べて伝統が短くて、大したものではないと思われています。18世紀までは大したものではなかったようです。しかし19世紀になると面白い詩人が二人出てきます。ひとりは皆さんご存知のホイットマンです。北海道の詩人はホイットマンが大好きですね。有島武郎が北海道大学でホイットマンの詩を教えたり、訳したりしました。もうひとりはエミリィ・ディッキンスンです。短い詩を書きました。俳句とすごく近いような感じだと言うひともいるんです。

アメリカにこのホイットマンとディッキンスンの二つの大きな伝統があります。ホイットマンは口語体を使う詩人でした。話し言葉の詩人でした。ディッキンスンは凝縮された、言葉の節約で有名な詩人です。的確なイメージを作り上げました。その二人の伝統が、以後の詩人達に受け継がれています。

今日はまず20世紀の中ごろにかけて活躍した三人の詩人とそれ以降に活躍した二人の詩人を少しの時間ですが取り上げてみたいと思います。


1.カール・サンドバーグ 
 (Carl Sandburg, 1878-1967)
 
シカゴで活躍した詩人です。シカゴは色々な人種が集まって、活気に溢れた都市でした。1912年にそこで『ポエトリー』という雑誌が生まれました。「詩」または「詩学」という意味です。今でも続いてる雑誌です。 当時、野心的な詩人たちがこれに参加して、『シカゴルネッサンス』とも呼ばれ、一時代を画しました。その中のひとりカール・サンドバーグです。ロバート・フロストもそれに関わっていました。それではカール・サンドバーグの詩を読んでみます。
 


 
この詩の背景はシカゴです。シカゴには大きな湖があって、霧が立ち込めていることが少なくありません。その霧が子猫の足取りでやってきて、少しの間腰をろして周りを見回し、それから去っていく、という詩です。短い、きれいなイメージです。俳句に近い感じです。この詩人はこのような短い詩を書きましたが、長い詩も書きました。労働者や貧しい人たちの姿を、彼らの言葉を使って描きました。フォークソングも作った詩人としても知られています。
 

2.ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
William Carlos Williams,  1883-1963)
 
アメリカの現代詩は理屈っぽく、表現も非常に難解なところがあるということで、あまり評判が良くなかったんです。その中でウィリアムズは普通の言葉で書きました。小児科の医者だったです。彼の後、息子さんも小児科の医者をやっていました。この作品は、奥さんに対する詩です。難解な詩が書かれている中で、このような作品を書いたことは驚きです。

 
「これ現代詩ですか?」と問う人達がいますが、やっぱり現代詩です。現代の人達の心に新鮮な喜びと驚きを与えます。彼は長い詩も書きました。『パタソン』という作品です。自分の住んでいる地方の詩を、新聞記事や誰かの手紙なんかも入れて書き上げています。頭で書いた詩ではなく、土地に根ざした作品です。
 

3.ロバート・フロスト
  (Robert Frost 1874-1963)
 
 この人も有名な詩人です。ケネディ大統領が大統領就任式にフロストに詩を朗読するよう依頼しました。それに応えて彼は朗読しました。沢山の詩を書きました。ひところアメリカでは彼についての博士論文が量産されました長い詩を書きましたが、短い詩も書きました。イギリスの詩は定型詩が多いのですが、アメリカでは定型にこだわらない詩、すなわち自由詩が多いようです。定型とは例えば強弱とか弱強とかのリズムに合うように書かれます。形が整っています。米国ではホイットマンがそこから脱出して、口語体の作品を多く作りました。サンドバーグとかウィリアムズは、自由な口語体で多くの詩を書きました。フロストについて言えば口語体で書きましたが、時としては定型の余韻も残っている作品もあります。


 

 存知の様に、アメリカやイギリスの詩人たちの多くはキリスト教の影響を受けています。クリスチャンであるかどうかは別にして、です。フロストもキリスト教の影響を受けています。キリスト教徒の多くは、「世の中が終わり来るんだ、世の中に終りがあるんだ」と信じています。このような「世の終わり」の枠組みを使って、フロストは自分の言いたい事を書いています。事実、世界は炎で終わるという教えが、キリスト教の中にあります。燃え上がって絶滅すると信じている人たちがかなりいます。「氷で終る」というのは、聖書の中にはありませんが、寒い地方に住んでいる人たちの中にはあります。だから「ある人たちは氷で終ると言う。私が欲望について味わってきたところからいうと、炎で終ると言う人たちに同意する。だけどもし二度滅びるならば、憎悪についても十分に知っているので、破滅には氷もまた偉大で十分だと言うだろう」と書きました。

 何を言ってるのでしょうかこの世の人たちは憎悪に捕われている。欲望にも捕われている。だからこの世の中は危険な状態になり、終るかもしれない、と言ってるのでしょうか。現代文明に対する批判がさりげなく表現されています。読んだ人の胸にズシッと来るものがあると思います。

フロストの作品の中には伝統的なリズムも入ってることがあると述べました。英詩のリズムには強弱、弱強というものもあります。この詩の一行目ですがSomeが弱くて、sayが強い。次の語が弱くて、その次の語が強い。というように弱強のリズムです。弱強格と呼ばれます。しかし次の行は短すぎる。このように伝統的な行とルーズな行が組み合わさっています。伝統的な詩形を全く無視しているわけもないのです。
 

4.デニス・レバトフ
Denis Levertov,  1923-1997)
 
私の敬愛する女性詩人です。強烈な感情を持った女性でした。この詩Misnomer」というのは、「誤称」という意味です。間違った名前をつけたということです。戦争とか、戦争にくみする科学を、厳しい口調で批判しています。「私たち詩人は、そういうものから逃げては駄目です。批判しなければいけません。声を出さなければいけません。」と常に言っていました。非常に強い詩人ではありますが、同時に優しい所もかなりありました。

 
 

翻訳の問題があります。一行目のThey speak of the art of war.のところです。Artは技術と訳しましたが、芸術でもあるのです。 日本語で何と訳せば良いのでしょうかね。

「戦争の芸術」とは訳せないから「戦争の技術」と訳しました。「芸術は魂の井戸から光をみあげる」が「戦争は魂を枯渇させ、その力を暗く燃える荒れ野からみあげる」とあります。全くのコントラストです。

レオナルドというのはレオナルド・ダ・ヴィンチのことです。彼は天才で、色々な機械作り上げたが、「破滅をもたらす機械を考案するのに才能を集中した時」、即ち戦争のための爆弾や飛行機を作るために才能を集中した時、芸術に奉仕していたのではなくて、芸術の命を深遠の上に吊るしていたのだ、というのです。丁度30,000フィートのうえから子供を吊るしているようなものだ、と書いています。戦争の道具を作るような技術科学を彼女は否定しています。彼女の作品は広く読まれました。イギリス生まれですがアメリカ人と結婚して、アメリカに渡りました。
 

ウィリアム・スタフォード
William Stafford,  1914-1993)
 
1993年に亡くなったんですが、生きている間は私の最も親しいアメリカの詩人でした。兄のような存在でした。大変に尊敬されて、良く読まれた詩人です。この詩「A History Of Hokkaido」というのは、札幌に来た時に書いた作品です。私のところに滞在していた時、一緒に散歩したり、百年記念塔に行ったり、支笏湖に行ったりして楽しい時間を過ごしました。この詩は、残念な事に出版されませんでした。彼は多くの作品を残しました。私のところに滞在していた時も、数篇書い筈です。ある時私に「今日は詩を何篇書いたの?」と聞いてきました。「二篇らい」と答えると、「たったそれだけ?」とほほ笑みながら返してきました。

 

亡くなったのは1993年の9月でした。生まれたのが1月で、ここ毎年1月に、米国の数ヶ所で彼を偲んでの朗読会と講演会が開かれています。札幌でも月に北星学園大学で偲ぶ会を行っています。2014年の月に生誕百年祭が札幌の姉妹都市であるポートランドで行われます。彼は良心的兵役拒否者でした。僕も戦争絶対反対論者です。
 
 
(つづく)