2013年4月30日火曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の5 渡辺とうふ



 第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の5 渡辺とうふ


最後に三品吏紀さんの10句「その時」の句評です。

「その時」に迫る情景、感覚を、前半5句は描き出していますが、
後半5句はだんだん「その時」とつながらない句にばらけてしまっているように
おもいますがどうでしょうか


そうして、最後の句はかなり異質に感じられます
「その時」という10句の作品なので結末をどうするか、重要なのですが
薔薇、配管工、ある疑惑(ある疑惑が転移癌に通じるのかもしれませんが)

画数の多い漢字ばかりが使われていてこれだけが重いということもあります

3句目は 啼きて が硬いとおもいます

6句目は 月と月
8句目は 水と水
巧みと思われる方もいらっしゃるかとおもいますが、
10句に二回この手を使わずどちらか一句は避けたほうがいいように思います
アメンボの泳ぐ水面を水鏡と表すのは、安易におもいます


てにをは をもうすこし吟味してみてもいいかもと思う句もいくつか感じまし


ぜひ「その時」ということをテーマに据えて、これからも感覚と言葉を研ぎ澄ませて、
読み手に伝える仕事をされてほしいと願います

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2013年4月29日月曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の4 渡辺とうふ



 第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の4 渡辺とうふ



久才さんの句は北海道の人ならではの言葉がたくさんでてきます
モヨロ人、凍裂、冬ばん馬、知床岬
それらのイメージと意外なイメージとの取り合わせにチャレンジしていらっしゃいます
その取り合わせの感覚がシリアスなのかユーモアなのか
なんともいえないところがあって
久才ワールドにとても惹かれます

さて、ちょっと久才さんは気をわるくされるかもしれませんが
こまかいところ僕だったらこうするかなあというのを
書いてみましょう

 軒氷柱うな垂れ歩く去勢犬 → うな垂れ歩くや
 流氷の底に隠れしモヨロ人 → 隠れて
 凍裂の音と遠くの交通死 → 凍裂の音して遠く交通死
 へそ曲がり箒で正すカーリング → へそ曲がり箒で躾けるカーリング
 公魚の光の穴は地獄行き → 公魚を光の穴より釣りにけり
 冬ばん馬野次も怒声も念仏に → 冬ばん馬野次に混じるや念仏も
 地吹雪や演歌の二人どさ回り → 地吹雪を
 雪しまく庭真っさらにカレーそば → 雪しまく今は無心のカレーそば 
 氷海を追って知床岬かな → 氷海を追って貴女の知床岬へ

最後の句はさすがに手が出せません

ただこうして僕なりにしてみると久才ワールドが損なわれる気もします
参考までにということでお許しください

2013年4月28日日曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の3 渡辺とうふ



第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の3 渡辺とうふ



鈴木牛後さんの10句にはすべて雪という言葉が入っています
そのことが成功しているかどうかですが、
1句に2回使われている句もあって
これだけの数、雪という言葉が使われていると
雪という文字がどうしても記号化して見えてきてしまいます
効果としては逆に雪の印象が読者から離れてしまうのではないでしょうか
圧倒的な雪の世界、厳しい真っ白い冬のあとの「親しき水」
それを、雪、雪、雪、雪 としないで、その物語をつむいでほしいなあという気がします


いちばんいいなあと思った句は5句目の


 あいさつも雪の色なり雪を来て


です


ですが、もうひとこと辛口でいわせてください
この10句では雪は白いという全体のトーンですね
ぜひ、北海道に暮らしているひとだからこそ、
雪の黒、雪の赤、僕たちが見たこともないような雪の色を表現してもらいたいと
希望します

2013年4月27日土曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の2 渡辺とうふ


 
第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の2 渡辺とうふ

高畠葉子さんの10句
題が失職日となっています いい題ですね

僕が心惹かれた句をあげてみます


 八歳の私がみえて雪眼鏡
 淡雪を舌にのせてる失職日
 あうあうと終いの冬を食べている


この3句と他の句と比べてみると
この3句には高畠さんご本人のお人柄・想い・体温がよくのっている
という印象があります
他の句は高畠さんの外側にある情景を的確に描写しようとしている句となっています


そしてそのことから来るのでしょう
この3句はやわらかな無理のない作りになっています
・「八歳の私」という個人的な想いの素直さ
・淡雪を舌に「のせてる」という普段着の言い方
・「あうあう」というユニークな表現(のせてるという言い方をよしとしているので、食べているを食べてます、でもいいかもです)


他の句では、「寒夜かな」「生き辛き」「音姦しや春立ちぬ」「日となり久女の忌」
のようにいわゆる俳句的な堅苦しい言い方が目立って気にかかりま
これらの言い方を使わない、普段着の文体で、高畠さんの私的な事柄・想いに密着した句を
もっと読んでみたいと僕は思います


もしかしたら失職という出来事だけで100句つくることもできるのではないでしょうか
ぜひ読んでみたいなあとおもいます

2013年4月26日金曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の1 渡辺とうふ



第3回週俳十句競作・落選展 句評(4)の1 渡辺とうふ


純ちゃん
作家同士きたんのない感想を書いてみますね

10句を通して純子節があるのは間違いなしです

僕が感じるのは一句を読んでみてどの句も関節が固い
という気がします
季語・性にまつわる言葉・それをつなぐ言葉・切れ字
で句が出来ていますね

そのなかで、それをつなぐ言葉の部分
はじめの3句みてみますと
泣き暮れて 並べて なかで
これらがいまいちしっくりきていないようです

それと一句に強い要素がとても多いとおもいます
冬麗 ami 泣き暮れて 鶏姦
4つとも同じくらい劇的でぶつかりあってしまっています

要素を半分くらいにして
それとないけれど注意深い状況にしておいて
鶏姦なら鶏姦をグサッと刺すというよな
あるいはギラリと光らせるような
そういうこともかんがえてみてはとおもいました

2句目の鞭の冬はぐっときました
もうこれだけで勝負していいので、
祝祭の歌は省いてしまっていいのではとおもったのです





※4/15にコメント欄に頂いた句評を原文のままに転載させていただいております。
このあと他の作品についての句評を事務局あてのメールでいただきましたので順次公開させていただきます。お忙しいところご寄稿いただきたいへんありがとうございました。



2013年4月24日水曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(3) 鈴木牛後


第3回週俳十句競作・落選展 句評(3) 鈴木牛後


薹 早川純子
十句はほとんど性的なものの暗喩となっているが、このような句群について評を書くのは難しい。チャレンジ精神は評価したいが、選者に選ばれるというより選者を選ぶ句群だろうと思う。少なくとも私はちょっと。
 
ひとにまた茎のありけり蕗の薹 「茎」は作者の意図では陰茎を暗示しているのだろうが、この連作から独立して読めば人間そのものと解することも可能だ。「茎」は幹ほどしっかりしたものではなく、かといって草や芽ほど頼りないものでもない。小さいながら大地に根を張る植物体を支え、養分を末端まで供給し、なにより茎は植物体そのものである。人間も土の上に生きて、風に煽られて大きく揺れたり、日照に枯れ上がりそうになったりしながらようやく立っていて、そして、その五感の先にあるもろもろの関係性(社会ともいう)に影響を与えつつ、また与えられつつ生きている。季語「蕗の薹」が、そのささやかな矜持を象徴している。
 
失職日 高畠葉子
 
作者が最近失職したということを知っている身としては切ない。
テーラーの鋏よく鳴く寒夜かな 私の住む町では見かけないが、今でもテーラーというものはあるのだろう。高級な背広などを作っているのだと思うが、私にはまったく縁のないところなので想像してみるしかないが、そんなテーラーでは腕の良い職人が名のある鋏などを使って生地を裁断したりしている。名士にもその腕を認められる生業のすばらしさがそこにはある。「鋏よく鳴く」という措辞に尊敬、憧憬の感情などを見てとることができるだろう。この句の作中主体が失職者だということはどこにも書いていないが、タイトルからそう演繹することをお許し願えば、寒い夜をひとり歩いてきた彼女には、それがどんな音に聞こえたのだろうと思わずにはいられないのだ。 泡雪を舌にのせてる失職日 タイトルのもとになっている句だが、「のせてる」という俗な言い方が惜しかった。淡雪と失職との取り合わせが良かっただけに。
 
モヨロ人 久才秀樹
 
モヨロ貝塚 は網走市にある先住民族の遺跡。この作品は網走に近い北見市在住である作者のものとすぐにわかった。一般の人はモヨロ人などというものはほとんど知らないだろうから。 この句群はまだ詩になっていない言葉たち、という印象だ。口をついて出た言葉が俳句となる途中で道に迷っている、と言ったらいいだろうか。
 
流氷の底に隠れしモヨロ人 「流氷」と「モヨロ人」というオホーツクの風物ふたつを詠んだ句。モヨロ人の暮らしていた頃(wikipedia によれば5世紀から9世紀)も、今と同じように流氷が浜に押し寄せていただろう。流氷の恵みを得ながらの、ある意味豊かな暮らし。そんなモヨロ人も、いつしか北海道から消えていった。もしかしたら母なる海の象徴である流氷の底に隠れているのかもしれない。 その時 三品吏紀 少し言葉が空回りしているかもしれないが、「転移癌」というショッキングな言葉、また「死ぬる」「念仏」などから、全体として死者を悼む感情が感じられる。それが最後に「薔薇愛でる…」の句で落とされてしまうのは構成としてどうなのかと思う。また、句が季節の順になっていないのはあまり良い印象を与えないだろう。 俎板に秒針重ね打つ根深 秒針の音と、作者が俎板で葱を刻む音がシンクロしているのだろう。料理人が葱を刻むにしては遅すぎないか、という気がしないでもないが、包丁3回に秒針1回くらいということなのかもしれない。料理人だからそれくらいだよね、たぶん。それはともかく、掲句は「重ね打つ」という複合動詞がよく効いていて臨場感がある佳句だと思う。
 

(了)

 

2013年4月22日月曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(2) 三品吏紀


第3回週俳十句競作・落選展 句評(2) 三品吏紀


先日の【週刊俳句10句競作】に見事落選してきた三品です。
んまぁ、このままお蔵入りしちゃうのも勿体無いですからねぇ。皆さんからの評を頂いて、新たな糧にしたいと思います。
そしてせっかくだから、他の方々の作品も読んでみようっと。
選んだ句はランダムチョイスです。


薹  早川純子


雪しまく乳房は堅くなりにけり
  
 雪しまき。強い風と共に吹き付けてくる雪は想像以上に激しく身体を凍えさせる。
その寒さに耐えるのに全身が力んでいく姿に意図せず、乳房まで堅くなっていくのだろう。
ただこの句を読んで感じたのは、単純に「乳房が堅くなるほど寒い」と云う景だけでそれ以上の意図、含みを読み取ることができなかった。 何かしら句に深みを持たす事ができれば、より面白い句になったように思う。

 
たちんぼのピアスの凍ててゐる数多
  
 生きる為に自らを資本とする「たちんぼ」。客を掴むまで街角に立ち続け、そして彷徨う。ピアスの冷たさが身体も心も芯まで凍らせていく。
 だが立ちんぼには生きていく為にこの冷たさが必要なのではないだろうか。
 
☆この作品は全体的に性的要素を多分に含んだ構成になっている。 一句一句のインパクトは強いが、季語が持つ情緒を喰ってしまっているようにも思う。故に選を取るにはなかなか難しい作品だと感じたり。



失職日  高畠葉子


テーラーの鋏よく鳴く寒夜かな

 全体的に小気味良く読める句だと思う。 鋏が布を「ヂョキン!」と心地よい音を立てて布を裁断していく景が、はっきりと目に浮かぶ。
テーラーに仕立ててもらったスーツは、本当に一生物の一着である。太って着れなくなってしまったら、そりゃもうガックリ、目も当てられないでしょう。
(と、我が愚兄に捧ぐw)

 
八歳の私が見えて雪眼鏡

 子供にとって雪眼鏡やサングラスを通してみる世界は、なにか非日常を味わえると云うか、大人になった気分になるような、そんなワクワクした感じがある。
作者にとって雪眼鏡は、そんな子供の頃の特別な感情を思い起こすのだろう。
 
☆タイトルの『失職日』とあるように、全体的にどこか切なさの漂う作品が多いように思う。 自分の身に起きた不条理や何かを正面から受け止めたり、あるいは巧くかわしたり、時には逃避したりという心情が、随所に感じられる。



モヨロ人  久才秀樹


軒氷柱うな垂れ歩く去勢犬

  ...同じ健康なオスとして、かなり同情してしまうなぁ(笑)
もし自分も去勢してしまったら、きっとこの犬と同じようにうな垂れて歩くんだろうなぁ。
世のオス達の悲哀の句だ(笑)
 

公魚や光の穴は地獄行き

 氷結した湖に穴を開け、公魚を釣ると云うのはヒトにとっての楽しみだが、公魚にとっては地獄の穴が開いたと云うことか。 そしてその穴の先には死しかない。
ただこの句を読んで気になった事が一点。
 地獄と云うのは「地」つまり下にあるということ。「地獄に堕ちる」という言葉があるくらいだから。 しかしこの句では公魚の上にその地獄の穴が開いていることになる
その点でどうも句の中で、公魚と光の穴の位置関係があやふやになって、イマイチ句がぼやけてる様にも思えるのだが、どうだろう?
これについて他の方々の意見もぜひ伺ってみたいところ。
 
☆久才さんは現在オホーツク方面に在住で、僕と同じ時期に俳句を始めた方。寒冷地ならではの様子をうまく詠む方だ。
ただ自分にも言えることだが、それぞれの句の出来栄えにハッキリとした差があるように思う。 お互い切磋琢磨しましょう(笑)



親しき水  鈴木牛後

  

それぞれの手に融け雪は親しき水

 実は拙句に「双の手に降りては死ぬる春の雪」という句を読んだのだが、それとは近いようで遠い句の内容だと思う。
拙句では、人肌に触れると忽ち跡形も無く消えてしまう春の雪の切なさを詠んだのだが、この牛後さんの句は更にそこから一歩踏み出し、「自然は常に姿形を変え、私達と密に繋がっている」という言葉が伝わってくるように思える。
自然と生き物相手に仕事をしている人ならではの句かもしれない。
 

真白とは息子でありしころの雪

 そうだよなぁ。人は歳を重ねる毎に、酸いも甘いも・綺麗も汚いも経験して、その中で様々な色に染まっていく。ヒトはそうやって育ち、老いて、朽ちていく。
子供の頃のあの新雪の様な真白の心を持ち続けるという事は,とても難しいことかもしれない。
 
☆牛後さんは一句一句の完成度が高く、作品構成も綺麗に纏められている。 逆に言えば、綺麗にまとまりすぎて作品全体としての魅力がやや物足りないようにも思う。 あっさりしすぎかな? 

 
...やや駆け足で句評を書いてみたが、それぞれの作品(自句も含め)を改めてじっくり読んでみると、「・・・おっ!」と思う句もあれば「・・・はてな?」と首を傾げたりする事も多く、おそらく首を傾げる数が多いほど入賞への道が遠のいていったのだろう。
改めて自分の力量を知ったわけだが、淡々と結果を受け入れている。
幸い自分の周りには手本となるような俳人の方々が沢山いるので、これからもその人達の後にくっついて俳句を学んでいきたいと思う
 
さ、次はどこに応募しようかなぁ(笑)

(了)

2013年4月21日日曜日

俳句集団【itak】第7回講演者紹介


itak】第7回イベント 
 



久保田哲子
私と俳句
 ~門前の小僧的な~

俳句によって、色々な出会
いがあり、その出会いが私
成長させてくれた。どん
なときも私の傍らにいてく
れる俳句は、誠実な相棒の
ようだ。 (久保田哲子)

 

*と き 2013年5月11日(土)午後1時

*ところ 道立文学館(札幌市中央区中島公園1)

*参加料 一 般500円
     高校生300円
     中学生以下無料(引率の大人500円)

 

第1部 久保田哲子講演
 

くぼた・てつこ 10歳で初めて俳句を作る。18歳の時、職場句会に参加。昭和45年「白魚火」入会、「白魚火」新鋭賞。同59年には「梓」入会、「梓」新人賞「梓」賞。平成5年に第一句集『白鳥来』。同8年「百鳥(ももとり)」入会。同19年、第二句集『青韻』。同20年『青韻』にて第28回鮫島賞、第23回北海道新聞俳句賞。同24年「百鳥」にて鳳声賞。

 

第2部 句会(当季雑詠2句出句)

 

イベント終了後、実費にて懇親会を予定しています。

問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。

 



2013年4月20日土曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(1)  久才透子


第3回週俳十句競作・落選展 句評(1)  久才透子

先日の「週間俳句十句競作」に、俳句集団【itak】の幹事5名が作品を応募しました。
同じ会から5名もの参加は他になく、意欲的でとても感心しました(と、他人事の様
に……ゴメンなさい)
私も出してみようかな~と思いましたが、10句揃えられず断念しました。
自由に誰もが参加できるのは素晴らしいですね。楽しく拝読しました。
気になった句、好きな句について、少しお話させていただきたいと思います。




冬麗や ami 泣き暮れて鶏姦す
祝祭の歌を並べて鞭の冬
銀竹のなかで飼われてゐるをんな
雪しまく乳房は堅くなりにけり
三つ年はつづかぬ恋慕冬の闌く
仏手柑エロ本のフィストの容
荒浪にわたくしの一部は勇魚
剥ぎとれば縄を秘めたる皮裘
たちんぼのピアスの凍ててゐる数多
ひとにまた茎のありけり蕗の薹

早川純子 (はやかわ・じゅんこ)



意欲作だと思う。
読んでいるうちに、一枚ずつ写真を見るような感覚になった。
モノクロの写真に、季語の部分だけがカラーになっている、そんな美しい写真。
それぞれの句に、湿度や温度を感じる。
そして、全句に通じる「痛み」のような感覚。

「たちんぼのピアスの凍てている数多」


寒い夜に外に立っていると、ピアスがキンキンに冷えてきて、耳朶から凍りつきそうになる。
あの、耳朶の疼痛感覚とたちんぼの痛々しさ。
性的な言葉も多くつかわれている。
知らない言葉も多く、検索したり調べて、その度に知識が増えた
(ウブなふりをしているわけではありません)。


 


失職日


テーラーの鋏よく鳴く寒夜かな
生き辛き人攫い行く雪女
雪まつり母国語探す龍の像
八歳の私が見えて雪眼鏡
鬼やらい犬の瞳に星落ちる
シュレッターの音姦しや春立ちぬ
泡雪を舌にのせてる失職日
極太の雪の日となり久女の忌
父母が嫌いで親王雛に傷
あうあうと終いの冬を食べている

高畠葉子 (たかばたけ・ようこ)



先日、田辺聖子の「花衣ぬぐやまつわる…」という評伝小説を読んだ。
俳人、杉田久女のことが描かれている。ひたむきに俳句と向きあいながら、
無理解な夫にも、当時の社会にも認められることなく、冬の日に逝った久女。

 
「極太の雪の日になり久女の忌」
 
久女について書かれた本を読んでからこの句を読むと、
胸にグッとくるものがある。
(ちなみに、私はこの本を読んで高浜虚子がだいぶ嫌いになりました)


「雪まつり母国語探す龍の像」

 
 
母国語、という言葉も何だか切ない。
いくつになっても、人は皆、自分の根っこを探しているような気がする。
10句の中には、作者の幼少期から失職したつい最近までの歴史が見え隠れする。
現代は、久女の時代より生きやすいのだろうか。
女性に対する理解は深まっているのだろうか。


 

モヨロ人


軒氷柱うな垂れ歩く去勢犬
流氷の底に隠れしモヨロ人
凍裂の音と遠くの交通死
へそ曲がり箒で正すカーリング
公魚や光の穴は地獄行き
冬ばん馬野次も怒声も念仏に
地吹雪や演歌二人のどさ回り
雪しまく庭真っさらにカレーそば
氷海を追って知床岬かな
氷瀑やだーるまさんがこーろんだ

久才秀樹 (きゅうさい・ひでき)




作者は私の夫なので、なんだか書きずらい。
いや、そんなことは脇においといて、書きすすめます。

今、司馬遼太郎の「オホーツク街道」という本を読んでいる。
アイヌ民族以前に、北海道のオホーツク地方に暮らしていた人々。
網走にある遺跡「モヨロ貝塚」を遺したモヨロ人。
現代のオホーツクに暮らしてみて、青みがかった氷に包まれた冬の海を目にすると、
この地で生きてきた人々の歴史や過酷さに、どうしても思いを馳せてしまう。
氷の世界を句に詠みたくなる気持ちはわからないでもないけれど。


「凍裂の音と遠くの交通死」

凍裂の音を実際に聞いたことはない。
でも、静かな冬の夜、不穏なタイヤ音が遠くにかすかに聞こえた時。
その不安感は、人知れず氷に裂かれる木の悲鳴を彷彿とさせる。


その時

 
双の手に降りては死ぬる春の雪
俎板に秒針重ね打つ根深
念仏よりジャニスの啼きて夜半の夏
その時は青葉のころと転移癌
ちちははと口閉ざしをり蜆汁
月に往き月に還りしをとこをり
青ぬたの味に小僧の成人す
水鏡の天を駆けをり水馬
古傷は化石となりてラムネ玉
薔薇愛でる配管工にある疑惑

三品吏紀 (みしな・りき)



作者は、若き俳人、そして料理人である。酒や音楽にも詳しい。
学生時代は俳句に無縁で20代後半で俳句に目覚める人というのは
柔軟な心を持っていると思う。

「俎板に秒針重ね打つ根深」


男性料理人ならではと思う。
家族のためだけに料理を作っている人には詠めない様な気がするのだ。
料理や食べ物の句を男っぽく詠むってかっこいい。


「ちちははと口閉ざしをり蜆汁」
 
 
蜆はすっかり口を開けて、美味しい出汁をだして
くれてるのに。三人で囲む蜆汁はどんな「その時」の中なのだろう。
ご両親を見つめる作者の眼差しが切ない。


 


親しき水
 
真白とは息子でありしころの雪
雪の灯を過ればうつし世の匂ひ
かつて家ありし雪野のふくらみに
雪に足突つ込んだまま手を振れり
あいさつも雪の色なり雪を来て
ぬばたまの雪夜語りてながき人
雪の嶺に雪の層なす眠りかな
こな雪のすきますきまに青の粒
こな雪のこはれやすさをてのひらに
それぞれの手に融け雪は親しき水

鈴木牛後 (すずき・ぎゅうご)



10句とも雪の句である。
作者の住んでいる町は、北海道でも豪雪地帯と言える。
今冬の北海道は豪雪地帯以外も雪が多く、除雪作業で悲鳴を上げる人がたくさんいた。
白銀の世界はもう、うんざり…という声が多いこの年に、雪に対する優しい眼差し。
雪国での生きていくことへの、穏やかな覚悟。
そして、雪国で生きてきた、ということ。

「それぞれの手に融け雪は親しき水」


この句がとても好きだ。
どんなに降り積もっても、春がくると雪はとける。
雪は親しき水となって、隣にいる人、遠くにいる家族、あらゆる人の、
次の季節へとつながってゆくのだ。



(了)

2013年4月16日火曜日

第七回俳句集団【i t a k】イベントのご案内


第七回俳句集団【i t a k】イベントのご案内です。


俳句集団【itak】事務局です。
3月の大雪もあっという間に消え去りました。
今年3回目・旗揚げから一周年のイベントのご案内です。

第六回講演会・句会には50人のご参加をいただき、ありがとうございます。
下記内容にて【itak】の第七回 講演会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
多くの方々のご参加をお待ちしております。


日時:平成25年5月11日(土)13時00分~16時30分

場所:「北海道立文学館」 講堂

      札幌市中央区中島公園1番4号
      TEL:011-511-7655

■プログラム■

第一部 講演会

『わたしと俳句 ~門前の小僧的な~』
  

  講演 久保田 哲子



第二部 句会(当季雑詠2句出句)



<参加料>

一  般    500円
高校生    300円
中学生以下 無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)


※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
※イベント後、一周年記念行事として懇親会を行います(実費別途)。
  会場手配の都合上、こちらは事前のお申し込みが必要になります。
  会場および会費など、詳細は後日別途お知らせいたします。

■イベント参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
締切は5月7とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方は
どうぞ遠慮なくこちらのメールにお申込み下さい。

なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますので
どなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。

参加希望の方は下記メールに

「第七回イベント参加希望」

のタイトルでお申込み下さい。


お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。





①講演会・句会ともに参加

②第一部講演会のみ参加


③第二部句会のみ参加

特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。


■懇親会参加についてのお願い■

会場手配の都合上、こちらは必ず事前のお申し込みをお願いします。

懇親会申し込みの締切は5月4とさせて頂きます。

参加希望の方はイベントお申し込みのメールに

④懇親会参加

とお書き添えください。


itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。





北海道立文学館へのアクセス

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」駅3番出口をご利用の際には
①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両
②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に
お乗りいただくと便利です。













2013年4月14日日曜日

2013年4月11日木曜日

『週俳十句競作 【itak】落選展』公開の告知です。



俳句集団【itak】事務局です。


 先月にWebマガジン「週刊俳句」で行われた企画『第3回週俳十句競作』に、【itak】から幹事5名が参加しました。

 総応募65作という作品数の中、残念ながら【itak】からの入賞者は出ませんでしたが、折角応募した作品をこのまま捨て置くのはもったいないという事で、改めて『落選展』という形で当ブログ上でも5名の作品を公開したいと思います。
 
それに合わせて、5名の作品に有志数名からの句評もブログで公開したいと思います。

 また、当ブログをご愛読の皆さんからの句評もお受けしたいと思います。ご遠方にて俳句集団【itak】へのご参加がいただけない方々も、この機会にぜひ一文なりとお寄せくださいませ。

 作品公開は明日、4月14日の予定となっております。どうぞご高覧ください!