2013年6月20日木曜日

【itakスタッフ】野良猫リポート#6 先生はお留守の巻



5月11日、外は雨。【itak】のお天気ってどうしていつもこんなだろう?
おひげが濡れて鼠を捕りに行けないにゃん(--
毎度おなじみ「りっきーリポート」ですが担当のりっきーがまたしても参加できなかったので
野良猫さんが鯵の干物で代打を務めさせていただきます。にゃーご。


野良猫リポート#6 先生はお留守の巻


前から先生には言われていたのだけれど、5月は引率ができませんですって。アタシ猫だからわかんないけど、今時の若い人間って恥ずかしがりだったりするじゃない?先生いなかったら来られないんじゃないかしらとか老猫心満開で待ってたわけなのよ。
でも複数回にわたり参加申し込み有り。今回も高校生が来てくれて人間のスタッフのみなさん良かったにゃ。感謝してゴロゴロ言っちゃいます。新顔もいてうれしい限りです。


さて、前回ポリリズムのおかげさまですっかり覚えられた田中君。今回に至っては【itak】代表からポリリズムとか呼ばれてる始末。と思ったら選句メモに自分でポリリズムって書いてるんじゃん。
Cute! 彼を主体に今回の高校生は少しアグレッシブに句評をしてくれました。
俳句甲子園の出場を控えているからかな。いつもよりはちょっと激しいかんじ。良き哉。


 3枚目「胸開け初夏の晴れ野や碧の海」について田中君は「胸を張る様、海の碧さ、潮騒の音などが目に浮かび、情景がわかりやすくフレッシュな句だと思う」と句評。気後れすることなく堂々とした態度でなかなか。

 3枚目「若人や初夏の石狩へペダル踏む」について、初参加ふうま君は「自転車で石狩に行く爽やかさが感じられていいと思いました」。まだちょっとばかり恥ずかしがっているかしら?ファイト!

 4枚目「蕗の薹大地は痒くないのかしら」について、えんどーなっつ君は「ないのかしら、がきいている。疑問を素直に出せる、その疑問がまた疑問のような。純粋無垢な少女のような感じがとてもしました」。いやいや、純粋無垢な少年よ。枯れるにはまだ早いwちなみにこれ、おっさんの書いた句だったね~(いや、結構悪くない♪)。

 4枚目「赤ちゃんのエコーの画像春の月」について、川中君は「これから生まれる自分の赤ちゃんのエコー画像を眺める気持ちが読み取れる。僕はまだ子供だけれどパパの気持ちになって読みました」と笑いもつかむし(^^そして田中君は「これはすごいな、赤ちゃんの生命力を想像させて。春の月というのがまた儀式っぽい緊張感を出していると思います」等々。


ごもっともということもあれば、うんうん、初々しいのぅってのもあり。度胸のある子とちょっとシャイな子。時間の関係で多くは選評を聞けなかったのが残念だけれど、次回は句会運営を少し見直してみるよ。いろいろあるけど俳句甲子園の本番がんばれ!勿論他校の生徒もみんながんばれ!


さて、今回も彼らの句をアップしてみましょう。


 円山の葉桜ゆらり徒然(とぜん)かな

 若人や初夏の石狩へペダル踏む   ( ポリリズム田中悠貴 )


 姦しく花屋のレジや母の日か

 北の夏丸まり鳴かぬホトトギス    ( えんどーなっつ )


 短夜や猫の淑女とすれ違い

 胸開け初夏の晴れ野や碧の海    ( 新川託未 )


※参加5名中2名は掲載不可でしたので割愛いたします。



以上今回も代打野良猫がお送りしました。

この次の代打は人間に頼むにゃん △  △
マウスは捕ってくるものにゃん! (=ΦωΦ=)



※高校生の句に対する句評や、高校生の選評に対するご意見などは、【itak】事務局で随時お受けしております。明日の我々の生きがいになるかもしれませんよ、ご遠慮なくお知らせください。


※俳句集団【itak】事務局よりお知らせ

 第16回俳句甲子園北海道大会は6/23(日)、午前10時半から午後2時まで
 かでる271060会議室にて開催されます。
 出場校は旭川東高校と札幌琴似工業高校の3チーム、審査委員長は当会代表
 五十嵐秀彦が務めさせていただきます。
 お時間の許す方は是非観覧においでください。観覧無料です。
 多くの方の生のご声援を心よりお待ちしております。



2013年6月18日火曜日

俳句集団【itak】第8回講演者紹介



 『日本人はなぜ、

   日本酒を育んだのか』

  
    ~知られざる日本酒の世界~(仮題)



講演 北の錦小林酒造株式会社
             専務取締役 小林精志


◎蓋を開けるまでなにが出るのかわからない
            スペクタクル漫談(?)面白さは保証付き◎


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【小林精志氏 プロフィール】

空知管内栗山町で日本酒の日(10月1日)に生まれる。東海大卒。国税庁醸造試験所を経て1995年実家の造り酒屋【創業明治11年 小林酒造】に入社。日本酒を飲み、研究し、語ることが至上の喜び。現在 小林酒造専務取締役

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俳句会と云えばいずれにおきましても酒宴がつきものといっても過言ではありません。今回の俳句集団【itak】第8回イベントではこれも重要なポイントと考え、日本酒に関する講演会をご準備致しました。

北海道の日本酒シーンを牽引してきた陰の立役者である小林氏は十余年に亘り百回を超える酒蔵見学会【造り酒屋をもっと知る会・蔵元の日本酒体験ツアー】を実施、酒蔵の四季をはじめとする酒造の環境から明日の晩酌の肴まで常に新しい切り口で、日本酒と日本人の心についてを問いかけてきました。今回の講演会ではこれまでの活動をもとに、台本なしの本気のお話を繰り広げていただく予定です。

また、懇親会については小林酒造直営店である『七番蔵』にお席をご用意させていただきました。北の錦直送の日本酒と料理長渾身のお料理で、今講演会の内容をまた振り返っていただければ幸甚でございます。

講演会・句会締切は7/9(以降も受付しております)、懇親会締切は7/5(以降はキャンセル待ち対応)となっております。いずれにも多くの方のご参加をお待ち申し上げます。

お問合せ先
itakhaiku@gmail.com
小林酒造ホームページ
http://www.kitanonishiki.com/index.html


俳句集団【itak】幹事会一同


2013年6月15日土曜日

第八回俳句集団【i t a k】イベントのご案内



第八回俳句集団【i t a k】イベントのご案内です。


俳句集団【itak】事務局です。
ヨサコイも終わり、ここしばらくは好天に恵まれている北海道です。


第七回講演会・句会には51名のご参加をいただきました。
ありがとうございます。
下記内容にて【itak】の第八回 講演会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
多くの方々のご参加をお待ちしております。
懇親会のご用意もございます。



日時:平成25年7月13日(土)13時00分~16時40分

場所:「北海道立文学館」 講堂

      札幌市中央区中島公園1番4号
      TEL:011-511-7655

■プログラム■

第一部 講演会

日本人はなぜ、日本酒を育んだのか
     ~知られざる日本酒の世界~(仮題)

 講演 北の錦・小林酒造株式会社専務取締役 小林精志


 
◎蓋を開けるまでなにが出るのかわからないスペクタクル漫談(?)面白さは保証付◎

第二部 句会(当季雑詠2句出句)


<参加料>
一  般  500円
高校生   300円
中学生以下 無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)
※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
※イベント後、懇親会を行います(実費別途)。
  会場手配の都合上、こちらは事前のお申し込みが必要になります。
  会場および会費など、詳細は下記詳細をご覧ください。


■イベント参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
イベントお申込みの締切は7月9とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方はどうぞ遠慮なくこちらのメールにお申込み下さい。

なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますのでどなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。


参加希望の方は下記メールに
「第八回イベント参加希望」
のタイトルでお申込み下さい。
お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。

①講演会・句会ともに参加
②第一部講演会のみ参加
③第二部句会のみ参加(前日までにメール・FAXなどで投句して頂きます。)

特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。





■懇親会詳細と参加についてのお願い■

会場:七番蔵(小林酒造直営店)
時刻:18:00~20:00
会費:4000円(飲み放題つき)※当日キャンセルはキャンセル料を申し受けます
定員:40名(先着順・キャンセル待ち対応いたします)
 

店舗の準備の都合上、こちらは必ず事前のお申し込みをお願いします。
懇親会申し込みの第一次締切は7月5日とさせて頂きます。
以降はキャンセル待ちとなりますがお問い合わせください。
参加希望の方はイベントお申し込みのメールに

④懇親会参加

とお書き添えください。


itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。





北海道立文学館へのアクセス

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」駅3番出口をご利用の際には
①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両
②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に
お乗りいただくと便利です。




2013年6月5日水曜日

俳句集団【itak】第7回イベント抄録 「久保田哲子 私と俳句~門前の小僧的な~」


俳句集団【itak】第7回イベント 抄録

 久保田哲子

 私と俳句
   

  ~門前の小僧的な~


    2013年5月11日・道立文学館

 結成1周年となった【itak】は5月11日、7回目のイベントを札幌の道立文学館(中央区中島公園)で開きました。今回は、鮫島賞、北海道新聞俳句賞の受賞者で札幌の俳人、久保田哲子さんが「俳句と私~門前の小僧的な」と題して講演しました。久保田さんは、俳句の恩師である永田耕一郎さん(1918~2006年)や藤川碧魚(へきぎょ)さん(1920~95年)から学んだことや両氏への思い出、自身の俳句に対する姿勢などを紹介しました。講演の内容を詳報します。



10、11歳の作品
 風鈴のなる音一つ涼しけり    (「小学四年生」掲載)
 てつ夜する父の片手にタブレット (同上)
 蕗のすじ取って母の手黒くなり  (「小学五年生)掲載)

始めは賞品目当て
 私が長く俳句を続けられたのは、良い先生に巡り会えたおかげだと思っています。
私が俳句を始めたのは10歳、小学校4年生のときでした。担任の先生に、よく作文を書かされました。その先生は、小説を書き、芥川賞の候補にもなられた方で、作文に添削で赤字を入れてくださいました。そしていつも「感じる心を大切に」と書いてあり、そのことが(俳句に興味を持った)大きな要因になったと思います。
当時、講談社の「小学四年生」という雑誌に文芸欄があり、俳句もありました。そのうち、私もできるかなと思いつきまして、「風鈴のなる音一つ涼しけり」という句を出したところ掲載され、予期せぬ賞品が届きました。ピンクのセルロイドの筆箱でした。うれしくて、また投稿しましたら、また載ったのです。それからは欲が出まして。賞品ほしさに俳句を作り続けました。ですから私の俳句のスタートは「賞品目当て」だったのです。
中学、高校では短歌も作っていました。18歳で会社に入り、本当は短歌をしたかったのですが(会社のサークルには)なかったので、俳句の会に入りました。上司が「白魚火(しらおび)」の同人で俳句の指導をされていました。入会すると、まず「歳時記」を買うように言われ、そのとき初めて「歳時記」というものを知りました。土曜日が半ドンでしたので、仕事のあと吟行をして、夜は句会へ。7句持参なのですが「何でもいいから作りなさい」と言われ、とにかく死にものぐるいで作りましたね。句会では優しそうなおっとりしたおばあさんの隣に座ったのですが、清記用紙の回ってくるのが早いのです。選句も早い。知らない漢字や言葉も沢山ある。調べるそばから用紙がたまってゆく。何回も人に聞くこともできませんし、私には大変なことでした。


自分を解放するため
 句会は熟練者ばかりで、私は初心者。毎回、座布団を敷いたり、机を出したり、お茶を出したり。遅れたら、コートを脱いで、膝をつき、あいさつして入っていくという有様でした。礼儀正しい方々でしたので、緊張して句会に行っていました。頑張って句会に出ても、一つも採られないということも続きました。
30歳になって子育て俳句を作りました。このころ、お母さんたちは子供の勉強や習い事や運動などにとても熱心でした。私のまわりだけだったのかもしれませんが、私はそういう輪に入るのは苦手であり、どうしたら子どもに客観的でいられるのか、どうしたら子供を追い込まないですむのか―を考えた時期でもありました。それで俳句に没頭したいと考えたのです。このころから本当にいろんな方の句集を読みました。主婦はどうしても「誰々ちゃんのお母さん」「誰々さんの奥さん」という位置づけで見られますので、どこかで自分だけの世界を作りたかったのだと思います。自分を解放させたいと思ったからか、このころは「鳥」の句が多かったですね。
「白魚火」はホトトギス系ですが、勉強するに従い、どうしてもなじめなくなっていました。みなさんに良くして頂いていたので、脱会はつらいことでした。白魚火には19年いました。
その後、当時、北海道新聞の俳句欄の選者であった永田耕一郎先生の「梓」に入りました。道新の俳句欄の(永田先生の)選評がすばらしく、この先生の下で学びたいと思いました。ところが、梓に入ると本当にみんな実力者ぞろい。俳句も文章も上手な方ばかりでした。最初は居場所がなかなか見つからず、苦労しました。梓の中でも若手でしたので、先生の家で句会をするときも先輩たちについて最後に入ると、先生の横しか空いてないという状態でして、私は毎回緊張してそこに座っておりました。


20代の作品  ( 句集『白鳥来』より )

 草の色花の色ある雛あられ

 春愁のわれを離るる蒸気船

 風車いつせいに回り色失ふ

 初蝶に出会ひコーヒー匂ふ街

 信じやう信じやうと蝉鳴ける


和式トイレは白鳥?
 いっぱい失敗もありました。句会で消しゴムを忘れたときに、ちょうど目の前に小さな消しゴムが転がっていまして、「お借りします。ありがとうございました」と言って使ったのですが、後から先輩から呼ばれ「あの消しゴムは先生のものなのよ。先生はプライベートのことにだらしない人はお嫌いなの。気を付けなさい」と注意されたことも。また、句会中にコーヒーがでた際、先生は左手がご不自由だったので、砂糖の袋を切ってあげようとしましたら、うまくいかず袋ごとコーヒーに落としてしまいました。先生も「あっ」という顔をされており、良い方法が思いつかないので、仕方なくスプーンで袋をすくい上げて取り出し、「どうぞ」とコーヒーをお渡したところ、先生は「うん」と言って飲んでくださいました。ドジな弟子にも優しい、良い先生だなと思いましたね。
当時、藤田湘子さんが1日10句という荒行をしておられました。私も真似て、10句は無理なので1日2句という小荒行をやりました。1カ月で60句。それを持って永田先生の元へ通っていました。ある日、「先生、聞きたいことあるのですが。笑わないで聞いてくださいね」と切り出して「小さいときから思っていたのですが、和式のトイレを見るとなぜか白鳥が来て座っているように見えたのです。これをいつか俳句にしたいと思っていたのですが、なかなかきれいな言葉が見つからないのです。先生、何か良い言葉ありませんか?」。多分笑われるだろうと思っていましたのに、先生は真面目な顔で「そうだね・・・」と考え始めまして、長い時間かんがえてくださいました。ドジな弟子なのに有難いことでした。その後、永田先生は2度目の脳溢血で倒れられて、「梓」は廃刊になってしまいました。その後、大串章さんの「百鳥」に入会して現在にいたっています。


「碧魚を驚かせるぞ!!」

 最初に俳句を教えてくださったのは、(上司で白魚火の)藤川碧魚さんです。ホトトギス系の方で、俳句とお酒が大好きでした。出張すると仕事はすぐに終わらせて吟行に行くと漏れ聞いていました。
私が21歳くらいで、俳句を少し面白いと思い始めたころに、碧魚先生に質問をしました。「季語は5文字のものが多いですが、残りの12文字でどう自分の個性を出せばいいのでしょうか?同じ季語を使えば、類想類句はまぬがれないのではないでしょうか?」。そうしましたら、飲んでいた先生が急に怖い顔になり「とにかくたくさん作れ。理屈を言うのはそれからだ」と怒鳴りました。びっくりして、私も周囲も凍りつきましたね。そのあと、「分かりました。これからたくさん作ります」と答えるので精いっぱいでした。最初は恥ずかしかったけれど、帰りのバスの中では悲しくなりました。俳句ごときにそんなに怒らなくてもいいのに、もう少し優しく言ってくれてもよいのに、と正直思いましたね。でも、日記には、「いつか良い句をつくって碧魚を驚かせるぞ!!」と書きました。碧魚先生が教えてくださったことは、「とにかく舌頭千転」「必ず声調を整えなさい」「よくモノをみて作りなさい」「頭だけで作ってはいけない」「たくさん作って、たくさん捨てなさい」ということでした。感謝していますのは、添削指導の際に先生が「ここは哲っちゃんの良いところだから、残しておいたほうがよい」と言ってくださったこと。もし私の俳句に個性があるとしたら、碧魚先生の指導のおかげだと思っています。


「見せる」より「見える」句

 もう一人は、先ほども話しました永田耕一郎先生です。先生は16歳で俳句を始められました。「初かまど燃えるにつれて母の影」。先生は最初はホトトギス系の先生に学んでいましたが、29歳のときに本屋で偶然、加藤楸邨の「寒雷」に出会ったそうです。楸邨の創刊の言葉に「美しいと感じるよりもぐっと胸を打たれたいのだ。巧いと感ずるよりもぐっと胸を締めつけるようなものが欲しいのだ」とありまして、この言葉に感動し、すぐに「寒雷」に入会されました。当時は金子兜太、川崎展宏、森澄雄、田川飛旅子らそうそうたる俳人がおられました。飯田龍太とも懇意されており、「壺」の近藤潤一先生とは良き理解者同士であったそうです。43歳のときに血液の固まる病気で右足の足首を切断しました。死別されたお母さんと同じ病気でした。「一本の棒ぞ旱(ひでり)に佇ちつくす」という先生の句がありますが、この句の自句自解に「一本の棒という感覚はおそらく生涯、私の感覚から消えることはないだろう。心の渇きを覚えて、炎天下に佇むことがしばしばある」と書かれています。私はこの1句で永田先生について行こうと強く思いました。
先生はとても厳しい人でもありました。句会で、ある人が斬新な句を出しました。言っていることも斬新、季語も斬新、目立つ句でした。かなり点数が入りましたが、先生は採らなかった。そして「作者はどういう気持ちでこの句を作ったか知らないが、僕はこんなことでは驚かない。この句は狙いが見えすぎている底の浅い句だ。見せる句と見える句は違う。見せる句は作者の虚栄心が先走る。いわゆる自己満足に過ぎない。見える句は素直さが自分自身を好ましく表してくれる」と言われました。

 30代の作品 ( 句集『白鳥来』より )

 あたたかき子の手をひけり秋祭

 すこし泣きすこし手袋濡らしけり

 霜の夜好きといくども子に言はれ

 セーターの胸を汚して反抗期

 子に乳房触れられてゐし冬銀河


第一句集の思い出

 永田先生に第一句集の序文をいただきたいと思いまして、先生の元から『白鳥来』を出版しました。プライベートなことですが、『白鳥来』を出版したときは、長男はちょうど高校生でしたが、全然俳句に興味がなくて、「お母さん、ついに第一句集を出します!」と告げても「よかったでしょ」の一言で終わり。なんて薄情な息子と思いました。でも、句集を見たときは、「おかあさん、この俳句は俺のこと?」と聞くので「そうよ」と言うと「これも?これも?」と聞いてくるのです。そして妹には、「お前の一句あったぞ。「セーターの胸を汚して反抗期』は絶対お前だな」と言って、兄妹げんかをしていました。その時、「よい思い出を句集にまとめて良かったな」と思いました。子育てされている方、これから子育てする方も、こどもの俳句を作っておくと良い思い出になると思います。

 永田先生は無季の句も作られました。「頬によみがへる軍帽の紐雨したたる―これは無季の句です。先生は「無季の句をつくって、季語の大切さを知った」と言っておられました。「季語は俳句における約束事ではない。季語を通して自分の内奥のこえ、内面のありようを表すものだ。だから季語を通して季感を感じ取り、季語の奥深さを真に知らなくてはならない」と。「季という器の中に自分があることを忘れてはならない」ということです。
先日の道新の「朝の食卓」に「雪が解けたら」というコラムが掲載されていました。理科の先生が低学年の子供たちに「雪が解けたら何になるか」と尋ねました。ほとんどの子が「水になる」と言う中、一人の子が「春になる」と答えました。その子は農家の子で、おじいちゃんが「雪が解けたら春が来るぞ。忙しくなるぞ」と言うのを聞き、それでそう思ったそうです。このコラムを見て、私は「この子は季感や季節の移りを素朴に全身で感じ取っているな」と感心しました。季感はとても大事なことではないでしょうか。


40代の作品 ( 句集『白鳥来』より )

 雪止みぬ鶴の形となり歩む

 近づいて来し白鳥に帽子脱ぐ

 水鳥に水尾といふ過去きらきらす

 春の朝翼のやうにレタス盛る

 払ひても払ひても雪馬を売る

俳句は「あれかこれか」

 
 もう一つ、永田先生の言われたことは「既成の概念、自分の固定観念で句を作らない」ということです。「俳句に観念は必要だが、観念をいかに具象化させることが大切だ。そして、物を見るときはつねに新しい目で見ないといけない」と。先生は、ほかにもこんなことを言われています。「思いは深く、しかし言葉は分かりやすく」「俳句はことがらを述べるのではなく、ことがらが見えるように表現しなさい」「解からせようとすることが散文的表現につながる。俳句は意味を詠うのではない。自分という人間の内面のある一瞬を把握するもの。それをいかに普遍化するかが大事だ」
私は、最初はホトトギス系で客観写生を教えられました。その後、人間探求派の寒雷系の先生に学び、叙情派と言われている先生に学んでいます。しかし、俳句が求めていくものはそれほど大きく異なることないと思っています。
俳句は断定する詩型です。言い切るという意識を捨てるとただの詩の断片になってしまう。俳句に詩は必要だが、詩の断片ではありません。17音の詩として完結しないといけない。完結するためには、俳句の中で切ること。古いと思われるかもしれないが、決して古くはありません。切ることによって空間が生まれ、そこに読者は想像の翼を広げられます。俳句は「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」ということです。短い表現のおかげで、散文にはない力強さを発揮します。それが俳句の醍醐味ではないでしょうか。
皆さんも休み休みでもよいですから、ぜひ長く俳句とつきあっていってください。

 
 くぼた・てつこ  北海道上川管内愛別町生まれ、札幌市在住。
10歳で初めて俳句を作る。18歳の時、職場句会に参加。昭和45年「白魚火」入会、「白魚火」新鋭賞。同59年には「梓」入会、「梓」新人賞「梓」賞。平成5年に第一句集『白鳥来』。同8年「百鳥(ももとり)」入会。同19年、第二句集『青韻』。同20年『青韻』にて第28回鮫島賞、第 23回北海道新聞俳句賞。同24年「百鳥」にて鳳声賞。


☆抄録:久才秀樹(きゅうさい・ひでき) 北舟句会


 ※次回のitakは7月13日(土)午後1時から、道立文学館で開催。栗山町の小林酒造の専務、小林精志さんによる講演と、引き続き句会を予定しております。詳しくは追ってこのブログとFBページなどで告知いたします。




2013年6月4日火曜日

『かをりんが読む』 ~第7回の句会から~ 掲句一覧

『かをりんが読む』をご高覧頂きありがとうございました。
文中掲句について一覧をまとめましたのでご覧くださいませ。


(その1)

母の日や妣の齢にあと五年      橋本 喜夫

インディアンペーパー匂ふ緑雨かな 五十嵐秀彦
さらさらと水音たてて種袋       籬   朱子
巣作りの鳥見え妻の白髪見え    辻脇 系一

 

(その2)
 

鳥の屍の吹かれてありぬ春汀    久保田哲子
方円に随う水を鱏のひれ       菅原 鶴代
春耕や人に手のひら足のひら    田口美千代
春寒やフラスコの燗酒旨し      深澤 春代
 


(その3)
 
一徹の「売り切れご免」桜餅     田口美千代
さくら待つ札幌市電試運転      柏田 末子
風光る工事現場のコーヒー缶     久才 透子
初夏や小瓶に移す化粧水       内平あとり

(最終回)


高足蟹もてあます足日永かな    室谷安早子



夫眠る午後しづかなり椿餅      三國 真澄
蕗の薹大地は痒くないのかしら   久才 秀樹
小人閑居春椎茸の軸を炊く      早川 純子



 

2013年6月2日日曜日

『かをりんが読む』 ~第7回の俳句から~ (最終回)


『 かをりんが読む 』 (最終回)


~第7回の句会から~

今田 かをり


高足蟹もてあます足日永かな


水族館で初めて「高足蟹」を見たときには、本当にびっくりした。足が異常に細長くて、ロボットのようにぎくしゃく水槽の底を歩いていた。足は、長いばかりがいいのではないと、短足の私は少し嬉しくなった。たしかに高足蟹は足をもてあまし、途方に暮れていた。その「もてあまし」感と、季語の「日永」がいい感じで響いていると思う。ただ、「もてあます足」を「足もてあます」ではどうなのだろうか。もしかしたら、作者は、収まりのよさより、「足」で軽く切るという「ぎくしゃく」感を選んだのかもしれない。

夫眠る午後しづかなり椿餅


この「椿餅」も早春の和菓子のひとつである。その早春の午後に夫は眠っている。もしかすると、病気かもしれない。単なる昼寝ではない感じが、「しづかなり」に込められているような気がする。そこに季語の「椿餅」である。この季語によって、明るさ、そして日々を丁寧に生きている夫婦の日常まで浮かび上がってくる。「神は細部に宿る」という言葉があるが、幸せは日々の生活の細部に宿っている。

蕗の薹大地は痒くないのかしら


あっと驚いた句。なるほど、「蕗の薹」は大地の吹き出物だったんだ。関西から北海道に来て初めて見たものはいろいろあるが、春の初めの蕗の薹にはびっくりした。至る所に、ぼこぼこと出ているのである。春の息吹が地面を押し上げて、蕗の薹となったようでもある。その光景は春が来るたびに目にしていたのに、私は一度も大地の気持ちになったことがなかった。しかも大地が痒がっているなんて。これから私は、春が来るたび、そして蕗の薹を見るたびに、この句を思い出すことだろう。
 

小人閑居春椎茸の軸を炊く


「小人」が「閑居」して何をなすか?その解として、「春椎茸の軸を炊く」というのは、もっとも素敵な解ではないだろうか。しかも、「椎茸」ではなく「椎茸の軸」なのである。「小人」たる所以である。けれど、幸せの匂いがする。醤油の香に、煮詰まった椎茸の軸の鼈甲色、どれもこれも懐かしい、そして温かい色と匂いである。この句のよさは、やはり「小人閑居」と「春椎茸の軸を炊く」の取り合わせの妙であろう。


(了)