2013年6月2日日曜日

『かをりんが読む』 ~第7回の俳句から~ (最終回)


『 かをりんが読む 』 (最終回)


~第7回の句会から~

今田 かをり


高足蟹もてあます足日永かな


水族館で初めて「高足蟹」を見たときには、本当にびっくりした。足が異常に細長くて、ロボットのようにぎくしゃく水槽の底を歩いていた。足は、長いばかりがいいのではないと、短足の私は少し嬉しくなった。たしかに高足蟹は足をもてあまし、途方に暮れていた。その「もてあまし」感と、季語の「日永」がいい感じで響いていると思う。ただ、「もてあます足」を「足もてあます」ではどうなのだろうか。もしかしたら、作者は、収まりのよさより、「足」で軽く切るという「ぎくしゃく」感を選んだのかもしれない。

夫眠る午後しづかなり椿餅


この「椿餅」も早春の和菓子のひとつである。その早春の午後に夫は眠っている。もしかすると、病気かもしれない。単なる昼寝ではない感じが、「しづかなり」に込められているような気がする。そこに季語の「椿餅」である。この季語によって、明るさ、そして日々を丁寧に生きている夫婦の日常まで浮かび上がってくる。「神は細部に宿る」という言葉があるが、幸せは日々の生活の細部に宿っている。

蕗の薹大地は痒くないのかしら


あっと驚いた句。なるほど、「蕗の薹」は大地の吹き出物だったんだ。関西から北海道に来て初めて見たものはいろいろあるが、春の初めの蕗の薹にはびっくりした。至る所に、ぼこぼこと出ているのである。春の息吹が地面を押し上げて、蕗の薹となったようでもある。その光景は春が来るたびに目にしていたのに、私は一度も大地の気持ちになったことがなかった。しかも大地が痒がっているなんて。これから私は、春が来るたび、そして蕗の薹を見るたびに、この句を思い出すことだろう。
 

小人閑居春椎茸の軸を炊く


「小人」が「閑居」して何をなすか?その解として、「春椎茸の軸を炊く」というのは、もっとも素敵な解ではないだろうか。しかも、「椎茸」ではなく「椎茸の軸」なのである。「小人」たる所以である。けれど、幸せの匂いがする。醤油の香に、煮詰まった椎茸の軸の鼈甲色、どれもこれも懐かしい、そして温かい色と匂いである。この句のよさは、やはり「小人閑居」と「春椎茸の軸を炊く」の取り合わせの妙であろう。


(了)




 

0 件のコメント:

コメントを投稿