2013年2月28日木曜日

「無題」    なを

 
 
 
 
 
☆なお
  ひな(小学6年)・なお(小学4年)姉妹。
  祖母である俳人松田ナツを喜ばせようと作句。

「無題」    ひな

 
 
☆ひな
  ひな(小学6年)・なを(小学4年)姉妹。
  祖母である俳人松田ナツを喜ばせようと作句。
 

2013年2月26日火曜日

【屈斜路弟子屈アート・フェスティバル】

俳句集団【itak】事務局です。


本日は道東弟子屈町で行われるアートイベント
【屈斜路弟子屈アート・フェスティバル】についてのご案内です。

来る3/9(土)~3/19(火)の11日間、弟子屈町において
ひとと自然の織り成す芸術のライブが満を持して開かれます。



 




















地元や道外の作家たち、弟子屈高校の生徒たちによる
屋内外のアート作品展示やインスタレーション、コンサートなどが行われます。 


また3月14日(木曜日)には
露天風呂の中心で愛を叫んだ詩人』プロジェクト☆=
と銘打って、若手俳人・渡辺とうふさん
即興・速攻で俳句と詩を叫ぶ!踊る!奏でる!というライブも!

この日以外はアート製作者として様々な活動をされるそうです。


通常の俳句会、また我々【itak】とはまた違う切り口での俳句に
皆さんも触れてみませんか?

道東弟子屈町は札幌からは遠く離れておりますが
お近くにお住まいの方、お仕事などで期間中に訪れる方
また、近隣各地の結社・同人などをご存知の方の
お目に留まればと思いご案内する次第です。

また、【itak】のブログでも折々で触れていきたいと思っています。
ご高覧くださいませ。

★渡辺とうふさんのブログ:かえってきた渡辺とうふ店はこちら
http://yudofu819.exblog.jp/

★渡辺とうふさんの滞在期間と参加状況の詳細は
このフェスティバルのなかの以下のイベントです。


【MASHu7ROOm7DAYsMUSEUm】
「泊まれるアート」3/11(月)~3/17(日)
(ホテル摩周2F特設会場/湯の島)

客室(和室8畳)を素材に【泊まれるアート】をインスタレーション制作
作家は11日から作品部屋に宿泊しながら滞在制作
または作品を即日設置(11日から13日の間)
制作期間中も15時から20時まで美術館は開館し制作光景を公開します。
作品の最終形展示は3/16(土)と17(日)。10:00~20:00
滞在期間は3月12日~17日、 14日には
上記露天風呂のパフォーマンスとなっております。


★2013/北海道屈斜路・弟子屈アート・フェスティバルのブログはこちら
http://blog.goo.ne.jp/kussyaro





2013年2月24日日曜日

「無題」     江崎幹夫

 



 
  ☆江崎幹夫 (えざき・みきお)
  
  
  札幌市在住。
  2010年より俳句を始める。
  北舟句会 会員。

2013年2月22日金曜日

「無題」     福井たんぽぽ


 
 
 
 
☆福井 たんぽぽ (ふくい・たんぽぽ)

  千歳市在住。
  2010年より俳句を始める。
  北舟句会 会員。



2013年2月20日水曜日

俳句集団【itak】第六回対談者・佐々木美智子写真展「ブラジル」    ただ今新宿ベルクで開催中!!


俳句集団【itak】です。
第六回イベントがだんだん迫ってまいりました。
第一部・第二部ともにたくさんの方に来ていただければと願っております。


第一部の対談者のひとりである佐々木美智子さんの写真展「ブラジル」が
2月1日から28日まで、新宿ベルクで開催されています。
お近くの方はぜひ一度お運びください。
朝は7時から夜の11時まで開いています。
もちろん朝から軽く一杯頂けますよ♪

こちらはベルク通信No.226 、
そしてこちらが「ブラジル展」のPVです。
是非見てくださいね!




※このあとはしばらく俳句ギャラリーを続けます。

2013年2月18日月曜日

「花」     高橋希衣

 
 
☆高橋 希衣 (たかはし・きえ)

  札幌市在住。
  2010年より俳句を始める。
  北舟句会 会員。


2013年2月13日水曜日

俳句集団【itak】第6回イベントおよび対談者紹介

 
  



酒場と写真と
全共闘一代記

 



 
 
 
 「新宿、わたしの解放区」
        
  共著者対談 佐々木美智子×岩本茂之
 
 

 
 
俳句は<座>の文学と言われるが、酒場もまた<座>。集った人々が文化を創出した。人も文化も<生身>の時代、新宿ゴールデン街、歌舞伎町に渦巻いた<生>をまるごと引き受けた佐々木美智子(根室出身)は、伝説のママにして、ゲバ棒代わりのカメラを手に全共闘や映画スチールを撮った写真家。その一代記を語り合い、自主映画「アリバイ前編」を上映する。

 
ささき・みちこ
 
1934年生まれ。22歳で上京、新宿でおでん屋台を引いた後、日活撮影所に勤務。日大全共闘などを撮る傍らバー経営。1979年にブラジルへ渡り、飲食店などを経営後、私設図書館創設。93年帰国、伊豆大島在住。

 

いわもと・しげゆき
 
北海道新聞文化部記者。1967年、京都府生まれ。2008年、酒場詩人・吉田類さん主宰の俳句会「舟」に参加。俳句集団【itak】幹事。
 
 

*と き 3月9日(土)午後1時~4時30分
*ところ 北海道立文学館講堂(札幌市中央区中島公園1-4)
*参加料 一般500円、高校生300円、中学生以下無料

 
第1部 対談と映画上映
第2部 句会(当季雑詠2句出句) 

 
※第1部だけのご参加もお受けしております。
 お問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。



 

2013年2月11日月曜日

第六回俳句集団【i t a k】イベントのご案内


第六回俳句集団【i t a k】イベントのご案内です。
 

俳句集団【itak】事務局です。
さっぽろ雪まつりも終わり、街も春めいてまいりました。
今年2回目のイベントのご案内です。

第五回講演会・句会では56人ものご参加をいただきました。
ありがとうございました。
下記内容にて【itak】の第六回 講演会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
慌ただしい年度末ではございますが多くの方々のご参加をお待ちしております。


なお、今回からは句会の運営方法を若干見直して
選評に、より多くの時間を割けるように配慮いたします。
どうぞよろしく願い申し上げます。



日時:平成25年3月9日(土)13時00分~16時30分

場所:「北海道立文学館」 講堂

      札幌市中央区中島公園1番4号

TEL:011-511-7655

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」

駅3番出口をご利用の際には

①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両

②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に

お乗りいただくと便利です。


■プログラム■
 

第一部 対談と映画上映
 

『酒場と写真と全共闘一代記』
  
 
  
  「新宿、わたしの解放区」共著者対談
 
      佐々木美智子×岩本茂之

  <佐々木美智子自主制作短編映画「アリバイ」を上映します>
  
 
 

第二部 句会(当季雑詠2句出句)
 

<参加料>


一  般    500円
高校生    300円
中学生以下 無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)


※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
※今回は参加者とご一緒する懇親会はございません。
 

■参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
締切は3月6とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方は
どうぞ遠慮なくこちらのメールにお申込み下さい。

なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますので
どなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。

参加希望の方は下記メールに

「第六回イベント参加希望」

のタイトルでお申込み下さい。


お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。



①講演会・句会ともに参加
②第一部講演会のみ参加
③第二部句会のみ参加
 
特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。


itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。




 

2013年2月10日日曜日

『りっきーが読む』~第5回の句会から~ 掲句一覧

『りっきーが読む』をご高覧頂きありがとうございました。
文中掲句について一覧をまとめましたのでご覧くださいませ。


(その1)

露西亜語とすれ違ひけり雪の路     室谷安早子
正月の終りを告げるカレー香       後藤あるま
寒夕焼のやさしさの無比無類        平  倫子
去年今年かすかにすすみゐる録画   橋本 喜夫


(その2)

太陽は静穏なりし冬の闌け         kai
エンディングノート眺めし四日かな     高畠 葉子
着ぶくれし君へ恋唄うたはんか      山口亜希子
ちんぽじの御一大事なる出初       早川 純子       
人恋ひて見下す川に雪が降る       井上 康秋
同僚と同じセーター着てをりぬ       岩本 碇


(その3)

くり返す破壊建設氷橋            室谷安早子
子持ち鱈だらりだらりとさばかれり     久才 透子
朝湯して年の始めの旅ごころ        及川  澄
手ぶくろの中でグーの手つくってる     丸田ひとみ
荒星や父の怒声に力なし          瀬戸優理子


(最終回)

雪積むや音無き音を響かせて       栗山 麻衣
初春や人集ひ来る詩が生まる       山口亜希子
願ひなきわが身を憂ふ初詣         恵本 俊文
吹雪の夜おとぎ話の続きをり        後藤 友子



2013年2月8日金曜日

『りっきーが読む』 ~第5回の句会から~(最終回) 


『りっきーが読む』(最終回)

~第5回の句会から~ 

三 品 吏 紀



 
雪積むや音無き音を響かせて


・雪には積もる雪と積もらない雪がある。 
積もらない雪というのは、いわゆるパウダースノーというか、風が吹くと簡単に飛ばされてしまうような、小さく軽い雪。 逆に積もる雪は、雪の一粒一粒が大きく湿っていて、且つ地面に落ちても直ぐ溶けない。 これが非常に厄介で、積もるスピードが速い上に湿っているため、雪かきの際は非常に重く、大変苦労をする。 雪かきでギックリ腰なんていうのも、よくある話だ。
 …さて、話を句に戻して、この句の「音無き音」とは何なのか、改めて考えてみた。
当然の事ながら、雪が積もる際に音はしない。
音はしないが、よく耳を澄ましていると、かすかに「ちりちりちり…」なんて聞こえてくる。 これは降る雪が自分の帽子やコートをかすめていく音だ。
雪国の、特に北海道の多くの人は雪の日でも傘を差さずに歩く。 なので、雪が自分の身体をかすめていく音を聞くことができるのだ。 大雪の真っ最中に雪かきをしていたら、嫌でも聞くことになる。
これが「音無き音」。
聞こえるようで聞こえない。聞こえないようで聞こえる音が、雪の日には静かに響いているのだ。



初春や人集ひ来る詩が生まる


・…んん?これはひょっとして、itakそのものを詠んでいてくれてる様な?
以前からたびたび触れているように、itakは常に色々な人が出入りしている超結社の集団。 毎回と言っていい程に、新しい顔が句会に出ている。
知人からの誘いや広告、様々な伝で集まったこの俳句集団は、今まさに『詩』を紡いでる真っ最中だ。
集まってくる一人ひとりが自分の『言葉』を持ち、その『言葉』がどんどんより合わさって、『詩』が生まれる。
そしてその詩が【itak】そのものなのだ。
【itak】はまさに参加者一人ひとりの『言葉』で生かされている。
感謝。



願ひなきわが身を憂ふ初詣


・んん~~、憂う必要はないんではないの?なんて無責任に思ってみたり(苦笑)
神様に願掛けするというのは、何か絶対に手に入れたいもの、叶えたい事があるからするもの。
しかしそれが無いというのは、精神的に充足しているということだから、ある意味理想的な心理状態とも言えるのではないか。
この句から浮かぶイメージというのは、初詣に来たはいいけど、願うことが特に浮かばない。 なんとか心の中でお願い事を探すも簡単には出てこない。 その間に自分の後ろには次の参拝客が続々と。 焦る自分。 そして結局は何も思うこともないまま、とぼとぼ帰っていく。そんな切ない光景を思い浮かべてしまう。



吹雪の夜おとぎ話の続きをり



・吹雪の夜というのは、どうにも不安を煽るものだ。 時折聞こえる虎落笛、窓を激しく打つ雪、そして夜の闇。 子供達がこれらの恐怖から逃れるには、布団の中に潜り込んで、おとぎ話を聞くのが一番だろう。
子供の頃に枕元で聞かされたおとぎ話。細かい内容はともかくとして、所々で憶えている方も多いと思う。 自分の頭の中にも、家族の誰の声かは忘れたけど「むかしむかしな~~、あるところにな~~、じーさんとばーさんがな~~」というフレーズが頭の片隅にこびりついている(笑)
吹雪の夜の度に思い出すおとぎ話。 その続きを話すのは今度は自分の番。
そうやって、家族の愛と記憶は脈々と受け継がれていくのだろう。




……以上で、「りっきーが読む」を終了したいと思う。
今回この企画を受け持って改めて感じた事とは、句を自由に読むことの楽しさと、それを文にして人に伝えることの難しさ。 この二つに尽きる。
「読む」というのは句からの情報を頭の中で映像化して、その句の背景などをイメージして読み取っていくものだと思う。 いわゆる妄想(笑)
しかしそれを今度はもう一度自分の言葉に直し、文章として人に伝えるというのは、とても力の要るものだと知った。 どうすれば自分のイメージしたものが、他の人にも伝えることができるか? どんな言葉を使えば、読む人が理解しやすいだろうか? そんなことをアァーとかムぅーとか唸りながら毎晩原稿をカキカキしてたわけで。


ともあれ、最後まで読んで下さった方々、本当に有難うございます。稚拙な文章で申し訳ない。
とりあえずもう、妄想しまくってお腹いっぱい(笑)




三品吏紀


(了)




2013年2月6日水曜日

『りっきーが読む』~第5回の句会から~(その3)







『 りっきーが読む 』 (その3)

~第5回の句会から~



三 品 吏 紀


くり返す破壊建設氷橋


・何かスケールの大きいような、最近続いた人災がらみの事故を詠んだのかとも一瞬思ったが、実はとても身近な事を詠んだ句なのだと、さっき仕事場の前の氷割をして気付いた(笑)
屋根の雪解けなどで伝ってできた水溜り。これが夜までにうっすら凍って、氷が張るのだ。 しかし水溜りは底まで完全に凍りついておらず、表面の氷がいわゆる『氷橋』になるわけだ。
これが雑踏の中であっという間に破壊される。 そして翌日また太陽によって氷が溶かされ、水溜りが出来る。 これがまた凍って氷橋ができ、それがまた踏まれて割られて……のくり返し。
ただそれだけの事なのだ。
本当に些細な事、身近な事を言葉の使い方・並べ方一つでこうもスケールを大きく思わせる句。自分にとってこういう句は非常に勉強になる。



子持ち鱈だらりだらりとさばかれり



・この時期、鍋の具材などでとても重宝する鱈。頭から何から何一つ捨てる所無い、家庭に強い味方のお魚だ。
この句の中七『だらりだらり』という表現からするに、まな板の上に載ってるのはスケトウダラよりも、より大きい真ダラの方が、この句には合っているだろう。真ダラは大きいものだと一メートル以上にもなる。
大ぶりの鱈が二枚・三枚とおろされる様は、まさに「だらりだらり」といった様子に見えるのか。 実際サンマやサバなどでは、こういう表現はマッチしないだろう。 鱈だからこそハマッタ句だと思う。
句会では点には入れなかったが、これも好きな句の一つだ。



朝湯して年の始めの旅ごころ



・年の始めは一年の目標を立てたり計画を練ったりなど、色々新しい事に取り組みたいなぁ、なんて思うもの。 実行できるかどうかはともかく、あれもこれもと計画するのは、どこか旅行計画を練るときのワクワク感に似ている。
この句の『旅ごころ』というのは、旅に出ることそのものを指しているのではなく、人生のこの先の目標とおぼろげな期待というものを、うたっているのではないか。 朝湯の湯気にまみれて、ぼんやりこの先一年のことを考える。
365日という日々を駆け抜けるにあたって、ひと時リラックスしながら「ゆっくり、ぼんやり考える」時間というのは、人が生きる上でとても大切なことじゃないかと思う。



手ぶくろの中でグーの手つくってる



・これ、いまいちピンと来ない方がおるやもしれんので、一応解説しておく。
当然のことながら真冬で氷点下の外を歩くには、手袋は必須。 しかし、-10℃、-20℃ともなると、いくら手袋をしていても指先が冷えてジンジン痛くなる。
なのでついつい、手袋の中で指だけ抜いて、手をぎゅっと握り締め、グーの状態にして指先を温めているのだ。
ポケットの中に手を入れたまま歩いたら当然危ないし、かといって外に手を出してるとやっぱり寒い。 ということで、こういう具合になってしまうわけだ。
まさに寒冷地ならではのワンシーンを切り取った句だと思う。



荒星や父の怒声に力なし



・この句の父親はきっと厳しかったのだろう。 何かにつけてすぐ叱責が飛ぶ。 しかしそんな父の怒声にも力が無くなっていく。 それはただ単に老いなのか、病なのか。
いずれにしても父親に対して愛情があったから、こうやって句にも詠めるのだろう。
ふと、自分はどうだったのだろうか?
自分は二年前に父を亡くし、そして父の死後に父の句をいくつか詠んだ事があったが、果たしてそこに愛情があったのだろうか。
正直、父とは生前からあまり仲は良くなかった。同じ屋根の下に居ながら、話すどころか週に一度顔を合わせるかどうかだった。 もちろんそれには理由があったのだが、まぁそれは置いておくとしよう。
改めてこの句を読んで、父の亡くなる前数週間の事がオーバーラップして、何とも云えない気持ちになる。 父の病気の苦しみと余命いくばくかの心配と、今まで積もり積もった父への恨みにも似た感情。 それらがないまぜになって、なんとも苦しい気持ちになる。 どこか腹の底でチクリチクリとされてる気分。
この気持ちはたぶん、もうしばらくは続きそうだ。




(その4)に続く





2013年2月4日月曜日

『りっきーが読む』~第5回の句会から~(その2)




『 りっきーが読む 』 (その2)

~第5回の句会から~



三 品 吏 紀


太陽は静穏なりし冬の闌け


・冬至を過ぎれば一日一日と少しずつ陽の時間が長くなる。
とはいえ、北国にとって一月・二月は最も寒い季節。-20℃以下も地域によっては珍しくない(しかし-30℃以下まで下がった時はさすがに厳しかったと思うが)
真夏にはジリジリと音を立てて、厳しい日差しを浴びせた太陽も、今や遠い彼方から微笑むように自分達を優しく包んでくれる。 まるで慈母の様である。
ちなみに北国の冬の静けさというのは二種類ある。
一つはしんしんと雪が降り続け、音という音すべてが雪に吸い込まれてしまう静寂。
そしてもう一つは、晴天でも気温が極端に低く、生き物すべてが鳴りを潜めて音一つ立たない静寂。 この句はこちらに当てはまるだろうか。
同じ静寂でも似て非なるものである。



エンディングノート眺めし四日かな



・エンディングノートとは、自分に万が一の事態が起きた時に治療の方針やその後の事、家族友人達への伝言などまとめた物である。
この句は近い過去に近しい方を亡くしたのだろうか。その影響もあって自らエンディングノートを書いたのだろう。元日に思い立って書いた物を、少し時間を置いて読み直しているといったところか。
身近で「死」が訪れると、嫌でも自分自身についても考えねばならなくなる。
今後の生活や自分が死んだ時の事、これをきちんとしておかないと、後に残された家族に大きな負担がかかってしまう。 下手をしたらその負担を巡って、実の親兄弟でも深い亀裂を生む事だってあるのだ。
「死」とは決して遠い物でも他人事でもない。老いも若いも関係なく、常に私達の背に付きまとっている。
そういう意味で、この句はとても現実的な問題を提起している句ではないだろうか。


着ぶくれし君へ恋唄うたはんか



・普通、気のある男女が会うときはお互いを良く見せる格好をしているものだが、この「着ぶくれ」という語はどうみてもお洒落とは縁遠い感がある。
コタツの中で股引半纏、毛糸の靴下でフル装備、といったところか。
あまり、というか絶対に彼氏彼女に見られたくはない姿の一つであろう。(たぶんネ)
しかしながら、キザな姿で言うクサいセリフより、ダサくても素のまんまで語る真摯な言葉の方が、よほど相手の心にグッと響くのではないか。



ちんぽじの御一大事なる出初


・あぁ、これは……(笑)
男は普通、股間の「位置」がちゃんと収まっていないと非常に動きづらいのである。
走る・自転車こぐ・胡坐かく、そんな些細な動作でも収まりが悪いと100%の動きが出来ないどころか、場合によっては痛みさえ伴うのだ(圧迫されてこう…ネ)
出初の動きは激しい上に高所で行うため、”ポジション”が悪いと集中力が乱れ、落下するという危険も出てくる。 そう、御一大事なのである!(笑)
おふざけ句にも取れるが、男性特有の悩みが垣間見える句でもある。
ともあれ、「ちんぽじ」という言葉を使った勇気に感服(笑)



人恋ひて見下す川に雪が降る



・僕は旅行をする時、大抵は一人旅だ。
好きな時に好きな所へ自由に行ける。誰にも気を使うことなく、好きな事が出来る。 一人旅の醍醐味だ。
旅の始めは色々な目的や期待で気持ちが昂揚しているが、旅の終りになると不意に「あ。自分は今、知らない街で一人なんだ」と急に自覚してしまうことがある。
自分が異邦人だと改めて意識したとき、猛烈に孤独感が募り、人恋しくなるのだ。
しかしそれも束の間、川に降る雪のように跡形もなく流れていき、そして何事もなく日常に戻ってゆく。



同僚と同じセーター着てをりぬ



・この句を読んだとき、「同族意識」と「近親憎悪」の両極端な言葉二つが頭をよぎってしまった。
昨今は安価でデザインも機能性も良いセーターや防寒着が多く出回っている。 自分と同じ服を着ている人とすれ違うのも全然珍しくない。
自分と同じセーターを着ている同僚。
「おっ?お前もあの店で買ったのか?」なんて仲間意識を持つのか、それとも「何だよ、オレの真似しやがって。けっ」なんて偏狭なところをだしてメラメラとなってしまうのか。
いずれにせよ、これは日常のワンシーンを切り取った、個人的に好きな句である。



(その3)に続く