2012年5月30日水曜日

俳句集団【itak】第1回句会評 (橋本喜夫)



俳句集団【itak】第1回句会評

 


2012年5月12日

 

橋本喜夫(雪華、銀化)
 




 
  5月12日、初夏というか、花曇りというか微妙な日よりのもと、第1回句会が開催された。
句会は2句提出で、2句選句30数人の参加で、人数の割りに、はじめての割りには概ねスムーズに終了した。進行係がもっと独善的に、句評を語るひとを選択して進めた方がよいと思ったことと、高点句には入れなかった人の意見も必要と思った。
  それから私の意見として提出句の1.5倍の数の選句が理想なので、3句選が良いかなと思った。
超結社句会なので、やはなり期待するのは思い切りのいい句、花鳥諷詠にとらわれぬ句、詩のある句だろうか。入った点数に関わりなく、独善的に句評を進めてゆきたい。

最初に述べておくが、いつの時代も言われることだが、「高点句には名句なし」ということと、「読み」には色色あり、正解などはないこと。誤解があっても、ご勘弁をお願いする。また掲句以外に秀句がたくさんあったが、個人の希望で取り上げることができないことを付記する。



湯上がりの黒髪に花舞いおりる    深澤春代

  
◆雅のある句である。黒髪に花散る。私のような湯屋の長男として育った男には懐かしくも実景でもある。ふつうの感性で言えば、黒髪、花、湯上がりと情景設定がいささか、揃えすぎであることと、中年過ぎの男俳人には「甘い」と言われかねない。「舞いおりる」がこの句のコアでもあるが、欠点でもある。

嘘だったのだと睡ること辛夷咲くこと  五十嵐秀彦

  ◆まず対句表現で、定型感が生まれ、リズムがあること。そしてあえて、破調にしている。この無内容を見れば、十分定型に納めることができるのだが、あえて字余りにしている。意味を考えること、違和感を覚えること、そして読んだあとに心の中で反芻してしまうこと。すべて作者の術中にはまっている。この手の句を拒否するには「嘘だったのだと無視すること」しかないのだ。

 



マンモスの玻璃の瞳に夏来る      久才透子
 
 
  ◆マンモスの剥製もしくは完全なる展示物か。そのマンモスの目が硝子玉で出来ている。その質感、冷たさに夏を実感している。私などはロシアのイルクーツクで見た「マンモス記念館」を思い出す。マンモスの実物は今でも絶対氷河の中に埋まっている。マンモスという動物の選択が実景かもしれないが、読者には「浮いている」または「リアリテイーの稀薄さ」として感じられるかもしれない。




葎ゆくやがて角もつわが身かな     信藤詔子

   ◆荒れ地、野原に繁る雑草のなかを行く作者。実景でもあり、心象風景でもあるだろう。やがて自分は生まれ変わって、草食獣になり、角を持つ身になるのだ。という断定と、変身願望。もしくは「かな」に見られる隠れたナルシシズム。とても不思議で魅力のある句だ。




かみあはぬ弾道春は行った儘   安藤由起
  
   ◆「かみあはぬ弾道」という措辞で、読者は立ち止まり、かの失敗ミサイルを思い出し、採らされたのではないか。確かに喚起力のある言葉だ。「春は行った儘」という口語的表現も成功していように思う。行く春を思うとき「かみあはぬ」という季感は確かに肯える感覚だ。




葉桜となりて切り出す話かな  籬 朱子

   ◆最高点句かもしれない。確かに私も採らなかったが、印をつけた。巧い句であるが、季節の移り変わりで、話を切りだしたというパターンは俳句の常套かもしれない。この句の非凡さはあまたの季語から「葉桜」を選択してきた「季語選択力」であろう。「葉桜」がこの句のTPOをわきまえている。佳句(高点句)の条件として、読者に自由に想像させるという特性も持っている。いわゆる共感性のある作品だ。



母の日の母のひとりは速足で  高畠葉子
  
   ◆多数の句会や、大会で入選するには「母」が入ると良いと、どこかで聞いたことがある。私は俳句をはじめて十年位は「母の句」に弱く、必ず句会では「母の句」を採っていた。ここ数年やっと「母の句」にも免疫力が着いたようだ。この句もキーワード「母」が2回使われ、「言いさし」の句である。読者の想像に委ねている作りだ。母の日の今日、母と思わしき人たちが多数歩いている。そのうちの一人だけやけに「速足」で歩いている。すでに地平線の向こうまで行っている。この母は「このまま進んで崖から落ちて夭折する」のであろうと私は想像する。このように何でも想像できるということは、無内容の佳句である。



蒲公英の絮や母には母の夢  内平あとり
  
  ◆同じ母でもこちらは少しウエットな抒情がある。内容の限定化も存在する。「蒲公英の絮」と「母の夢」をうまくぶつけて、無理のない佳句に仕上げている。ただし、「母には母の夢」というフレーズがいささか、ステレオタイプのようでもあるし、「夢」という言葉には甘さが横たわる。甘いことが悪いとは言わない、好みの問題であろう。

 




花の闇四番出口が便利です  信藤詔子
 
  ◆採っておきながら、最後まで評価が難しい句がある。つまり四番が動くか、動かないかである。考えてみれば、俳句評によく使われる表現だが、変な言葉である。言葉が自ら動くはずもなく、「一番適切かどうか?」ということなのだが、これに対する答えは「一番でなければいけないですか?」であろう。作者が佳いと思えばそう詠めばいいわけで、読者は自分が「受容」できれば、好きになるのである。それにしてもこの句実は、リアリテイーがある。地下鉄の出口で、便利か便利でないかを言う時に、何も一番や二番出口を使わないだろう。目的地に最短距離で行き、そんなに遠くない、いわゆる「その道の通」が使う出口としては四番辺りではなかろうか。十一番だと便利だが遠いのである。花の闇も地下鉄出口に通じている。




風薫る新書に浮かぶ紐の跡  高木 晃
  
   ◆平積みされている新書、インクの匂いもすがすがしい。風薫るが適切な季語であることがわかる。その新書に縛った紐のあとがついている。これも俳句的発見で、すばらしい。でも私は採らなかった。選句数に限りがあったのもあるが、「浮かぶ」という措辞が気になったから。紐の跡がのこっているのを、動きのある動詞「浮かぶ」でいいのか。せっかくの発見なので、作者に問うてみたい。




鳥編みしユカラの糸や風光る  岩本茂之
 
  ◆ユーカラもともとはアイヌに口承されてきた叙事詩である。むしろユーカラ織りの方が有名であろう。掲句は勿論、後者を詠んだものだろう。もともとユーカラの糸は鳥が編んだものと口伝があるのか?もしくは絵柄に鳥を織り込んだユーカラ織りなのか、一本一本織り込まれてゆく糸に作者は着目した。春の陽光と織りなす風を示す「風光る」の季語がきちんと坐っている。





 
春雷や宇宙に踊るスプライト  久才秀樹

  ◆春雷が近づいてくる。その音と光を見て、作者は先日テレビで見たオーロラの宇宙からの映像などを思い出したのであろう。地球上で見えるかずかずの天体ショーも宇宙から見ればどうみえるのだろうか?想像すると楽しい。「スプライト」という今しか使えない措辞も悪くない。ひとつ気になったのは「踊る」であろう。この措辞でいいかどうかは一考に値する。



ひたすらの帰雁の胸の硬からむ   久保田哲子

  ◆ひたすら北へ帰る雁のはばたく姿を自らの心象風景と合わせて詠んだ句。素材としては新しくないのだが、「胸の硬からむ」の後半部分が心に残る表現だ。帰る鳥の胸の硬さを主題に詠んだこの手の句は少ないかもしれない。



わが夜具に花冷えという同居人  高橋希衣

 ◆花冷えの夜であろうか、寝るときに使用するふとん、あるいは夜着などにひたすら花冷えを感じた。私にとって花冷えは同居人のようなものだ。とも読める。これも言いさしの句ではあるが、座五の同居人が面白い止めである。名詞で止めているが、あくまでも比喩として使用している。または同居人が実際に居て、その人の存在は花冷えのようなものと言っている。



山笑ひすぎて止まらぬ奇環砲(ガトリング) 早川純子

  ◆ガトリング砲は円筒に束ねた多数の銃身を回転させながら、次々弾丸を発射する機関砲である。春になって山は辛夷が咲き、梅が咲き、桜が咲き、ツツジが咲き、次から次と草木は萌え出て、まるでガトリング砲のようである。メタファーの面白さで勝負する句であるが、「止まらぬ」が言い過ぎであり、いわゆるそこから先は川柳の域だと私は思う。



 

何度目の五月病なりパラフィン紙  室谷安早子

  ◆人生、齢を重ねると五月病も何回もかかかってしまう。自嘲的に詠んだ句である。おそらく粉薬を包んだパラフィン紙の質感が作者あるいは主人公の少し、乾いた、冷や冷やした心情を伝えている。ちなみに齢は「弱い」とも言う。




握手する指環が邪魔よ聖五月   瀬戸優理子

  ◆中七までの措辞、男の自分にはあまりないが、指輪を沢山している女性、あるいは女性同士の握手であれば、実景として思い当たる。面白い視点だ。この句を採る、採らないは「聖五月」との響きあいがあるか否かにかかっている。「マリア月」、カトリックとの関わり、女性、宝石、五月の光、といろいろ想像しているうちにこの季語の選択が悪くないと感じた。
 


以上で今回の句会評を終える。あくまでも独善的な意見なので、俳人各氏どうか御寛恕を。

2012年5月26日土曜日

俳句集団【itak】 五句競詠(五) 冬のかほ    鈴木牛後

俳句集団【itak】 五句競詠(四) 二十歳の猫    小笠原かほる

俳句集団【itak】 五句競詠(三) 生存説    高畠葉子

俳句集団【itak】 五句競詠(二) 校庭    久才透子

俳句集団【itak】 五句競詠(一) 水の貌    五十嵐秀彦

俳句集団【itak】 五句競詠 がはじまります!

旗上げイベントより半月が過ぎました。
次回イベントまでの間になにをするかはなかなかな悩みどころです。
隔月のリアルな句会を待つ間にもいろいろなことにトライしていきたい。
わたしたちの【itak】は回遊魚のように、眠りながらも泳がなくてはいけません。

紙ではない開かれた俳誌を作るその一歩として
わたしたちは「五句競詠」を始めることにしました。
ひとまずは中のひとたちが口火を切りましょう。
そしてこれが、発表の機会を持たない埋もれた俳人たちに
開かれた場となるように願っています。

以降、五名の五句競詠をご覧ください。
コメント、ブログ、ツイッターなどで評などいただければ
なによりの励みになります。
それが例えば酷評であったとしたら、【itak】にとって
格好の上質の燃料となることでしょう。
ご高覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。


五句競詠(一) 五十嵐 秀彦
五句競詠(二) 久才 透子
五句競詠(三) 高畠 葉子
五句競詠(四) 小笠原 かほる
五句競詠(五) 鈴木 牛後

itakhaiku@gmail.com

2012年5月23日水曜日

俳句集団【itak】第一回シンポジウム評論③

<英文学から見た「花鳥風月」> 

           
                       平 倫子



なにしろ巌のような課題だったので、図像を用いて進めるのがいいと考え【itak】旗上イベントではパワー・ポイントを使用したが、ここでは図像は省く。

はじめに、シェイクスピア(1564-1616)の『冬物語』(1610)の4幕4場から、水仙、菫、桜草、九輪草、早百合、いちはつ、などを読み込んだ春の野花の詩を上田 敏訳の「花くらべ」でみた。

つぎに、ウィリアム・ブレイク(1757-1827)とロバート・バーンズ(1759-96)による「薔薇」の詩を二つ。ブレイクの「病める薔薇」(1974年『経験の歌』より)は、美しい大輪の薔薇が蝕まれる場面のブレイク自身の挿絵がある。荒れ狂う嵐のなかで、虫が深紅の歓喜の寝床を見つけ「おまえの命を滅ぼす」と歌う寓意詩である。一方、バーンズの「我が恋人は紅き薔薇」(1796)は、恋人を薔薇の美しさ、生気に托して歌った讃歌である。

そして、ロマン派の詩人P. B. シェリー(1792-1822)の「ひばりに寄せて」(1820)と「西風に寄せる歌」(1819)について。思想活動家でもあったシェリーは、前者で「陽気な精よ、おまえは鳥なのか、精なのか・・・」(1連)と問いかけ、揚げひばりに霊性を見て、美しい歌声の背後に真実の深いものがあることに思いを致し、「もっとも楽しい歌は、悲しい思いをうたうもの」(18連)とうたう。また、1819年秋イタリア滞在中遭遇した嵐に着想を得たという「西風に寄せる歌」では、「いずこにも吹きゆく力強い<精>よ / 破壊者にして保護者なる西風よ」といって、木々を枯らしたり芽吹きを促したりする西風の両義性に季節の循環を重ね、「・・・わたしの言葉を /(新生をうながすために) 人間の間にまき散らしておくれ!・・・冬来たりなば、春も遠からずや」で終わる(『シェリー詩集』、75-80)。

つぎに、ラファエル前派の運動について。当時の詩壇や画壇に反旗をひるがえした芸術家たちが19世紀中頃からラファエル以前のイタリア絵画を理想とする運動を起こす。中心的存在だったD.G.ロセッティ(1828-82)の「受胎告知」(1849-50)と「浄福の乙女」(1875-9)の百合の絵をみる。ロセッティは1850年、同名の詩も書いていた。「天上の紫磨黄金の手欄より / 浄福の乙女は外へ身を凭せ。眼は深く、夕まぐれ、しづやかに / 凪ぎわたる海の深みにまさりけり。その手には三つの百合の花をもち、髪の中、星は七つを数へたり」で始まる(竹友藻風訳)。漱石はこの詩から『夢十夜』(1908)の「第一夜」を構想した。

つぎに、英国伝統童謡(マザー・グース)の「月に棲む男」の月の寓意について。ほんらい月を表すlunaは、月の満ち欠けに影響されると考えられたlunacy あるいはmad の意味を持ったことばである。日本では月に「杵を振り上げた兎」を見るが、西洋では「野茨の束をもった農夫」である。よく知られている童謡は「月から逃げてきた男がノリッジへゆく道をたずね、南へ行って冷たいプラムのおかゆでやけどした」というノンセンス歌である。より古いものに、野茨の束で破れた垣根を直そうとするが、盗んだ束だったため仕事が進められず「突っ立って大股にすすむ」静止状態に陥る。しょせんは夜の間の妄想である。


1908F.R. フリント(1885-1960)が、『刀と花の歌』の書評を書き、荒木田守武(1473-1549)の発句「落花枝にかへると見れば胡蝶かな」の英訳 ” A fallen petal / Flies back to its branch: / Ah! A butterfly” を紹介した(『エズラ・パウンド詩集』、385-6)。パウンド(1885-1972) は、1908年ヨーロッパに渡り、フリント、オールディントン夫妻、T.E. ヒュームらとイマジズム運動に加わり、次のようなイマジズムの原則を発表した。1)日常語の的確な使用。2)新しいリズムの創造。3)題材選択の完全な自由。4)明確な映像の写出。5)輪郭の鮮明さ。6)集中法の重要性(斉藤 勇『アメリカ文学史』、p.177)。

パウンドの「地下鉄の駅で」(1912)は、イマジズムを代表する詩と言われている。

「地下鉄の駅で」

人混みのなかのさまざまな顔のまぼろし

濡れた黒い枝の花びら(新倉俊一訳)

1911年、W.B.イエーツ(1865-1939)とパリ観光をしていたパウンドが、地下鉄の駅を出たところで、美しい女性と子どもの顔に出会った、その一瞬の光景である。そのときの強烈な印象を表現しようとパウンドは30行の詩を書くが破棄、半年後15行の詩を書くが破棄、一年後荒木田の発句を念頭におきながら2行の詩にした。パウンド自身「hokku(発句)のような詩」と言っていた。

小西甚一は、芭蕉の「海暮れて鴨の声ほのかに白し」の「声・・・白し」のような描写に蕉風の新しさを見て、これは欧米の批評用語で共感覚(synaesthesia)と呼ばれるもので、芭蕉発句の特筆すべき点であると言う(『日本文芸の詩学』、109)。ここでは作者の心情は直接には言い表されない。ドナルド・キーンは、主題を表示しない日本の詩の特性を、「総体的には曖昧ながらイメージにおいては、まざまざと具象的である」と言い、芭蕉の「雲の峯幾つ崩れて月の山」についても「西欧の詩人はここに自分の意見を必ず付け加える」と言っている(小西、86)。

このように見てくると、俳句は西欧の詩人のように自分の意見を添えない代わりに「花鳥風月」を借りて表現する、と言えるかもしれない。



引用&参考文献

上田敏、『上田敏全訳詩集』、「花くらべ」、岩波文庫、1975, p.80.
ブレイク、W.,『ブレイク詩集』、「イギリス詩人選」(4)、松島正一編、岩波文庫、pp.107-8.
バーンズ、R.,『バーンズ詩集』、中村為治訳、岩波文庫、復刻版、2007, p.159.
シェリー、P. B.,『シェリー詩集』、p.75, 96.
ロセッティ、D.G.,『竹友藻風選集』第2巻、訳詩「浄福の乙女」、南雲堂、1982, pp.504-8.
夏目漱石、『夢十夜』、「第一夜」、岩波文庫、1986p.7-11.
パウンド、E.,『エズラ・パウンド詩集』、新倉俊一訳、角川書店、1976p.385-6.
富士川義之、『風景の詩学』、白水社1983, pp.139-42.
2012/5/20, ©Kumiko Taira


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2012年5月22日火曜日

俳句集団【itak】 第一回シンポジウム評論②


                

私的花鳥風月観

                                    山田航


1. 「花鳥風月」と「自然詠」はどう違うか

 短歌をやっている人間の視点から、今回は「花鳥風月」について語ってみようと思う。はじめに言わなくてはいけないことは、短歌では「花鳥風月」ないし「花鳥諷詠」という言葉はほとんど用いられないということである。「自然詠」という言葉ならば、よく使われる。自然をモチーフとした短歌だ。「花鳥風月」と「自然詠」はどう違うのかを、まず説明する。



最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
                                                    斎藤茂吉




夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る

                           佐藤佐太郎


 近代の自然詠の代表をあげてみた。斎藤茂吉は言わずと知れた「アララギ」の巨人。佐藤佐太郎は茂吉の弟子にあたる歌人。やや脂っこい傾向のある茂吉の歌風をより洗練させて、清潔感を与えたような作風が特徴である。これらの歌はいずれも自然物しか詠まれていないという特徴がある。しかしこれらはあくまで心象風景だ。本当に描き出そうとしているのは「逆白波」が立つほどに吹雪が厳しく見えている自分自身の心。「しだれ桜」が輝かしく見えている自分自身の心なのである。近代において自然詠とは、人間の想いを自然物に象徴化させて託す、という「レトリック」なのだ。「自然」は「人間」を逆照射するものにすぎない。短歌の主役はあくまで「人間」なのである。

 「花鳥風月」とはそうではない。それは純粋な美学である。人間の心を自然物に託すなどというエゴイスティックなものではなく、世界にあまねく存在している「美」のあり方を表現したものだ。「花鳥風月」はもとをたどれば世阿弥の「風姿花伝」に由来する。つまりは能の教えである。それがいつのまにか文学の批評用語に活用されるようになったのである。



2. データベース化された「自然」

 岡井隆『詩歌の近代』(岩波書店、1999年)に収められている論文「風景はどう歌われたか」では、斎藤茂吉の短歌や木下夕爾、森澄雄らの俳句、金子光晴の詩などを引きながら、近代から現代にかけての自然詠の変質について論じられている。

 この論ではまず、1960年ごろを境にして純粋な自然詠が消えてきたことについて触れている。原因の一つは、自然環境の変化。国土の開発が進み、都市化してきた影響である。もう一つは、歌人たち自身の意志。前代の「自然詠」を否定し、新しい「自然詠」を作り上げようとする歌人たちの意識や戦略によるものである。このような戦略は現代にはじまったことではなく、明治大正昭和とずっと続いてきたことだ。近代の詩歌が、西欧由来の近代的自我の確立をめざす傾向に支えられてきたためであろう。

 斎藤茂吉の風景描写は詩歌に学んだものではなく、森鴎外や幸田露伴の散文から摂取したものが多いという。万葉集から学んだものは描写よりもむしろ句法の韻律、リズム面であった。「けるかも」などの語調にそれがあらわれている。茂吉の近代短歌における影響力の大きさを考えてみると、近代の自然詠とは詩歌から発生したものではなかったのかもしれない、ともいえる。

 そして、俳句も含めた近代詩歌の「花鳥諷詠」や「写生」が果たした大きな役割は、「自然」のデータベース化だったと、岡井隆は分析している。


 雪といえば、あの句あの歌、鯉といえばあの歌人あの俳人といった具合に思い出すことができるようになった。歳時記のように、自然界のさまざまな現象や、大景小景をまじえた風景に関する、一大作品辞典のようなデータを持つに至った。(72P


 岡井隆はこのことを、たとえば北原白秋のような四季派の詩人も含めた、近代の詩歌全体の傾向とみている。そして「花鳥風月」という美学と「自然詠」という方法が交差するのは、この「データベース化」という部分にあるように思える。

 本来具体化しづらいものであった「日本的な美」というものを、具体化して整理する必要が近代において生じていた。それは何が日本的で何が日本的ではないかと取捨選択する機能ももたされていたのである。「花鳥風月」という、具体物をその中にあらかじめ含ませた言葉は、非常に都合のいいマニフェストだったのだと思う。



3. ナショナリズムとしての「花鳥風月」

 品田悦一『万葉集の発明 国民国家と文化装置としての古典』(新曜社、2001年)では、明治時代に国民国家を作り上げるにあたって、国民が揃って座右の書とできるような「国民文学」が必要だったために、「万葉集」にその役割が与えられていったという過程が分析されている。そのような動きが起こったのは、「国民文学」がなければ、西洋から文化的に劣った国家とみなされてしまいかねないからだった。「万葉集」は天皇から庶民に至るまであらゆる階層の人々の歌が収められた、という神話を打ち立てて、日本人が身分の上下を問わず優れた文化性を保持してきた民族なのだと誇示するための道具。そのために「万葉集」は使われていた。それが神話にすぎないことを論じてきた国文学者として西郷信綱がいる。彼は「前線に送られた一般の兵士が詠んだ」とされてきた防人歌が、中央の貴族歌人が自らを他者に仮構して詠んだフィクションであったことを主張した。国文学上ではかなり受け入れられている説だが、国語教育のうえで教えられることはほとんどない。「身分の上下を問わず誰でも文化的活動ができる」というストーリーのほうが、事実としてはともかく倫理的・教育的には正しいからだろう。

『万葉集』は、広く読まれたために“日本人の心のふるさと”となったのではない。逆に、あらかじめ国民歌集としての地位を授かったからこそ、その結果として、比較的多くの読者を獲得することになった。(15P

 「花鳥風月」という美学の成立にあたっても、これと同様の現象があったのではないかと見ている。西洋文化へのカウンターとして、「日本固有の伝統的な美的感覚」というものを確立する必要があった。本来文芸用語ではない「花鳥風月」にスポットがあてられたのも、「日本的美学」の典型として作為的に白羽の矢が立てられたのではないかと思う。

 ただ、『万葉集』の国民文学化には為政者の意志が入っていたのに対し、「花鳥風月」という概念はそうではなかったのだろう。「日本の伝統美」をはっきりと定義付けることは、むしろ西洋化というかたちでの近代化へのアンチテーゼという意味合いがあったのだと思う。保田與重郎らの「日本浪曼派」もそういう要素があったし、日本画における「花鳥風月」の運動も、同様だろう。しかし、データベース化にも等しいかたちで「美」の内容の具体化を迫る動きそれ自体が近代の圧力であり、近代に抗するつもりで実際は近代に呑み込まれていたのだ。

近代化のなかで「日本とはいったい何なのか?」という問いかけが、日本人たちの目の前に突き付けられた。それに対する返答の一端が「花鳥風月」だったのだと思う。それはある意味では、ナショナリズムだったといえるのだろう。

「花鳥風月」とは、日本の固有美とは具体的に何かという命題に答えなければならない事態に追い込まれて、初めて提出されたものなのではないか。そして短歌において「花鳥風月」が比較的意識されないのは、近代の短歌が「花鳥風月」よりもどちらかというと「生活即芸術」の方を美学のテーゼとして選択したからではないか。人間が作り出す生活そのものが芸術なのだという思想である。「花鳥風月」という美学が確立されたことは、「日本の美とは何か」という命題に対する答えが分裂し、それぞれが独自の発達を続けて今に至ってしまっているという現状を生んでいるのである。


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2012年5月21日月曜日

俳句集団【itak】第一回シンポジウム評論①


花鳥風月の発生現場 ~一等低い音として~
                   五十嵐 秀彦

1.イメージの発生現場へ

俳句の世界では、何か意味あり気に使われていながら、
その本来の意味について深く論じられていない言葉というものがた
くさんある。たとえば「定型」「客観」「写生」「伝統」「季語」など。そして「花鳥風月」あるいは「花鳥諷詠」などもその典型だ。普段使っていながらその意味を深く考えることなど滅多にない。
本来、言葉にはその言葉を生みだした「イメージの発生現場」
というものがあるはずだ。特に俳句のような長い歴史を持つ詩の場合、
その文芸を支えるイメージの発生現場について知りたいし考えたいと思う傾向が私には強くある。しかし、そういう考えはどうやら少数派のようで、「客観」とか「伝統」とか「花鳥風月」という言葉は本質的な何ものかを説明するようでいながら、実はその意味を問い返すことはせずに、悪い表現をすれば「惰性」で使われている。
「花鳥風月」という言葉の意味とは何だろう。
「自然の美しい景色。また、
自然の風物を題材とした詩歌や絵画などをたしなむ風流にもいう」
。三省堂の『新明解四字熟語辞典』ではそうなっている。どうもこの説明は違う感じがするのだ。小林一茶は自分のことを「風景の罪びと」と呼んでいた。この「花鳥風月」の辞書的な意味は、まさに一茶の言った「風景」ではないか。「花鳥風月」とはその程度のことなのか。私はこの説明では全く納得できないのである。
では私の考える花鳥風月とは何かについて、以下に述べてみたい。


  2.   鎮魂のカーニバル

私たちが古代からのものと思っている日本人の文化の根は、
思ったほど古くはない。その原型はおそらく鎌倉・
室町にあるらしい。もちろんそれ以前にさかのぼることもできるのだが、形はずいぶん変わってしまう。比べて中世に出来上がったものの多くは今もあまり変わることなく続いている。
ことあるたびに私はこのことを述べてきたが、
私たちの俳句の原型は、おそらく中世にあると考えている。
それはよく言われる室町時代15世紀16世紀の山﨑宗鑑や荒木田守武のことを言っているのではなく、それ以前に俳句を作りだした土壌のようなものが鎌倉期あたり、あるいは室町前期あたりにあったのではないか、と思うのだ。
そして、それはどんなところから生まれてきたのだろうか。
そのヒントを、松岡心平という人が20年ぐらい前に書いた『
宴の身体 バサラから世阿弥へ』(岩波現代文庫)という本の中に見つけた。
一見俳句と無関係のようなこの鎌倉時代の遊行僧がなぜかとても気
になって調べているうちに、今の私たちの文芸のあり方に大きな影響を与えた人だと思うようになったが、松岡心平さんもそのことをこの論考で指摘している。一遍上人とは13世紀鎌倉時代の人で、もともとは浄土宗の僧だったが、宗派から離れて全国を行脚したいわゆる遊行聖である。弟子を連れての旅で、訪れる先々で踊り念仏の興行をしたことから、民間芸能文化との深い関係も論じられている存在だ。しかし、この人物が実は今の私たちのイメージとしての日本文化というものに大きな影響を与えたということはあまり知られていない。
なぜひとりの乞食坊主でしかなかった彼が日本文化に影響を与えた
のか。それは、彼の創った集団の性格にある。
時衆と呼ばれたその集団は旅のための組織を作った。定住することのない教団であった彼らは、職能民を多く仲間に迎え、さまざまな技能を持ったグループを作っていた。
松岡心平は『宴の身体』でこう書いている。

「連歌・早歌・軍記・能・説経・茶・
花等々の真に中世的文芸と呼ぶに値する諸文化現象に、程度の差こそあれ時衆がおおいに関与していることは否めない事実である」

さらに松岡は一遍の踊り念仏について、こんなふうに書いている。

「一遍の踊り念仏は、
生身の阿弥陀仏となるために修せられる一方、死者の鎮魂祭儀として修せられるという面も非常に強く持っていたため、常に市・地蔵堂といった冥界との接点にあたるような場所で興行された」

ここで「冥界との接点」と言われているところに注目したい。
歴史学者の網野善彦風に言えば「公界」
と呼ばれていた場所であろうか。誰の所有の土地というのではない空間。そこに何があったのか。また、そういう場所で何が行なわれていたか。
そこにあったもの、それは枝垂れ桜だったというのだ。
ここに連歌が登場する現場があった。
宮中で公家たちが行なっていたものではなく、町の辻、冥界の接点で行われた連歌、いわゆる地下(じげ)連歌で、その源流こそ花の下(もと)連歌であり、花の下連歌とは枝垂れ桜の咲く時期に花の下で興行された連歌会のことである。その興行を執り行っていたのが時衆の僧侶であったわけで、とくに有名なところでは善阿(ぜんな)上人が挙げられる。
松岡はその花の下連歌をこう表現している。

「花の下連歌は、
冥府への入口で挙行される言語による鎮魂の祭儀であること、座という集団において他者と身体的に共感し合いながら一つの昂揚した言語的世界を築いていくこと、大勢の観客を前にした興行であること等において、まさに静かなる踊り念仏だったのだ。そして花の下連歌と踊り念仏とが通底し合う場所が、鎮花祭に典型化されるような日本の民族的カーニバル伝統に他ならないのである。ここに時衆が鎮魂儀礼の司祭者としてまた言語的演技者として連歌の分野に進出する契機が存在する」

そしてこの鎮魂のカーニバルがこののち分岐していって能などを作
っていくことになるわけだが、
そちらにいくと横道にそれすぎるので、鎮魂のカーニバルというものを文芸としてだけとらえてみよう。
連歌はご存知のとおりこののちに俳諧の連歌に変化していく。
それが俳句の端緒となるわけで、その後江戸俳諧を経て、
明治に正岡子規の俳句革新を経て、現在にいたる。花の下連歌から現代の俳句まで700年~800年。私はこの流れは一気であると思っている。一気にここまで、私たちの時代まで流れてきたのだ。であれば私たちは今のんきに句会をするわけだが、ここにはきっと鎮魂のカーニバルが隠れているのだろうと思う。
現代において花鳥風月と呼んでいるもの、それは季語・
季題の存在を必須とする俳句文芸ゆえに常に言われ続けていること
だが、私はこれこそ本来は鎮魂のカーニバルに密接な関係を持ったものだと考えるのである。
枝垂れ桜が散るときに鎌倉時代の人たちは何を感じたのだろう。
民俗学的にそれを解釈すると、
桜を散らせるのは怨みを呑んで死んだ人々の怨霊がそうさせるのだ
とその時代には信じられていた。だから、乱れ散る桜の花の下で鎮魂祭をとりおこなわねばならなかったのである。花は人の心の分身であり、魂の実在を人に知らせるメディアであったともいえるのかもしれない。


   3.   中上健次の花鳥風月

花鳥風月について、
現代の作家である中上健次がその評論作品の中でいくつか重要な発
言をしている。中上健次は70年代80年代に活躍した芥川賞作家で、1992年に46歳で亡くなっている。ちかごろあまり話題になることもないが、学生運動敗北後の青年文化に大きな影響を与えた作家である。そして、実は俳句にも強い関心を持っていた人だった。
彼に『夢の力』(講談社文芸文庫)という評論集があり、
その中にある「鳥獣に類ス」という短い論考が私はとても好きだ。
そこで彼は自分自身と芭蕉とを比較するのである。

「花を花、月を月と詠ずるに文人で充分であるが、
花とは何なのか月とは何なのか問う者は文人ではない。/その者に風雅はなく、あるのは、壊れた造化(ぞうか)としての自然、壊れ破砕された私である。」

そして中上は芭蕉の言葉を紹介する。

《像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。
心花にあらざる時は鳥獣に類(たぐい)ス》

で、彼は自分を夷狄だととらえ、こう言い切るのだ。

「夷狄、鳥獣であり、同時に小説家である私は、「花」を「花」
とみる事と、「花」の因(よ)ってきたる根元を同時に視ているのである。そして芭蕉の言うとおりこの身すべてが、夷狄であり、鳥獣におちるのを知る。」

そして芭蕉の「笈の小文」の吉野の話に対して、
中上独自の吉野観を述べている。

「私が眼にしたのは花の吉野ではなく、
セイタカアワダチソウが群生した秋の吉野である。その根に毒を持ち他の植物を枯らして群生する草は、夜にあわあわと、昼に粘る黄色のハナをつけ、気味が悪い。/<造化にしたがい、造化にかへれ>と言う芭蕉は、この吉野のセイタカアワダチソウを何と言うだろうか、風雅に反し、花鳥風月に入らぬものと、見て見ぬふりをするだろうか? と今思う」

芭蕉に対する驚くほどの対抗心のようなものを感じ、
ぞっとする評論となっている。
中上は一見ここで花鳥風月を否定しているかのように思えるのだが
、けしてそうではない。
文人的な風雅という概念への強い反発が彼にはあるのだ。ここでは「花鳥風月」をそのような意味として否定的に使っているが、別なところでは違うことを書いてもいる。
これも評論集で『鳥のように獣のように』(角川文庫)の中の「
小説の新しさとは何か」という文章。

「直感だが、今、鮮明に、
短編小説が他の小説と違う貌を持って現出しはじめたと思う。能、謡曲が、室町期に、土俗芸能から一つの芸能、文学として自立したように、である。俳句が、俳句として自立したように、である。何故だか、わからない。現代の作家の一人一人の、短篇をテキストに述べてもよい。能、俳句、短篇、という血脈が、ぼくには見えるのである」

ここで中上が言っている短篇というのは私小説のことを言っていて
、さらに次のように続けられる。

「私小説=短篇は、死、死穢を一等低い音として、
鳴らしているのに気づくのである。いや死穢の音が、中篇や長篇よりも強く鳴る。そして短篇とは、花鳥風月の側のものである」

「短篇が、死穢を踏まえてあると言うなら、俳句もそうである。
季語、それが花鳥風月であるなら、それも、死穢の形を代えたあらわれではないか? 季語=死語によって、死の音が鳴る。そして俳句を読むたびに、五七五の音が定形なのではなく、季語=死語が、型を決定していると思えるのである。それは短篇もそうだ。死穢の姿によって型がきまる」

このふたつの論考を読めば中上健次の花鳥風月観が見えてくる。
そしてそれがさきほど述べた花の下連歌の深意にとても共通してい
るものであることに気づき、驚くのだ。
どうして中上のようなことを俳人が言わないのか。
私は不思議でならない。
花鳥風月の持つ鎮魂というものに最も敏感であるべき俳人が、そういう発言をほとんどしないのは不満だ。
花鳥風月とは、生きているもの、死んでいるもの、
その両界をつなぐチャネルなのである。
そして俳句という詩はあの世とこの世とを往還するものであろう。花の下連歌から中上健次まで、人々の歴史の中で「一等低い音として」鳴り響いているものが、花鳥風月なのに違いない。





「参考文献」
松岡心平 『宴の身体 バサラから世阿弥まで』(岩波現代文庫)
中上健次 『夢の力』(講談社文芸文庫)
中上健次 『鳥のように獣のように』(角川文庫)


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 これを固く禁じます

2012年5月18日金曜日

俳句集団【itak】第一回イベントの記事が本日付北海道新聞夕刊に掲載されました。
ありがとうございます。

2012年5月17日木曜日

【itak】第1回イベントを終えて

【itak】第1回イベントを終えて         

五十嵐秀彦


5月12日(土)に、俳句集団【itak】第1回旗揚げイベントが開催され、盛況のうちに終了いたしました。
まだその余韻の醒めないうちに、本企画の言いだしっぺである私から皆さんにご挨拶を兼ねた記事を書かせていただこうと思います。


1、北海道の俳句事情

北海道の俳句の状況をどうとらえるか。
そんなことはどうでもいいし、見えもしないのだから考えたこともない、という人がこのところとても多くなってきているように思います。
しかし、私のように道内結社同人で、現代俳句協会員でもある立場から見れば、俳句の状況というのはとりもなおさず自分たちそのものであり、結社なり協会なりが北海道の俳句を作ってきたという自負もあるわけです。
そうは言いながら、結社も俳句団体も同じことを繰り返し、また内輪での活動に終始していて、変化を生みだすこともなければ、対外的に発信するということもほとんど行われていないというのは、誰もが認めるところだと思います。
そういう現状が、既存の組織の中で閉鎖的に活動しているグループと、既存の組織とは全く関係のないところで俳句を遊んでいるグループとを生みだしているのではないでしょうか。

このまま何も変わらずに月日が流れるとどうなるでしょう。
結社も俳句団体もおそらく10年もすれば全部消滅してしまうと思います。
そして既存の組織と無関係な俳句愛好者たちも、結局は仲間内での遊びのレベルにとどまり、自分の作品を広く読んでもらうことなどもなく、ひ弱な表現活動に終始してしまいそうです。
消え去るものは消えればよい、立ち去るものは去ればよいとは思いますが、北海道の俳句が途絶えることは、いま俳句文芸の表現者であろうとしている人々にとって耐えがたいことであるし、そういう状況にしてはいけないと誰もが思っているのではないでしょうか。

そして、俳句に興味を持ち、俳句を作っていきたいと思っている人たちにとって、既成の結社や俳句の団体はどう映っているでしょう。
結社の価値はけっして軽くはないと言ってみても、俳句初心者にとってどれだけ魅力的な信号を発信できているでしょうか。
厳しい言い方になりますが、ほとんど全くと言っていいほど、できていないと思うのです。

こうして考えていると、北海道の俳句の滅亡は避けられないことのように見えてしまいます。


2、【itak】とは何か

さて、ここまで悲観的なことばかり書きました。
しかし私はこの悲観的な情況を変えたいと思っているのです。
そのためには、いま述べた悲観的な考えのすべてを楽観的なものに置き換えるばよい、そう思ったのです。
既存の組織が硬直化し、なかなか新しい一歩を踏み出せず、また若い俳句愛好者が自分たちだけの世界の中で遊んでいる状況から抜け出すためには、「どちらでもなく、どちらでもある」新しい運動を起こしてしまうのが一番の近道だと考えました。

超結社の句会を立ち上げよう。
いま時分超結社句会など珍しくもない、と言われそうです。
でも【itak】はこれまでの超結社句会とは違うのです。
どこが?
結社に所属している俳人が結社の壁を越えて集まり、句会をする。
それはどこかしら勉強会のような雰囲気を漂わせています。
そして、句会が終わればそれでお開き、じゃまた来月ね、と言って別れるわけです。
【itak】はそうした超結社句会と何が違うのでしょうか。
まず、決まった会員の集まりではないということです。
運営するための幹事は数人おります。しかし幹事だけで句会をするのではありません。
幹事は【itak】の縁の下の力持ちなのです。
もちろん句会はします。
俳句集団ですから。

それは誰が参加してもいい集まりなのです。
会員であるとかないとかいう集まりではありません。
いろいろな結社の人たちが来ます。俳人協会の人も来ます。現代俳句協会の人も来ます。
無所属の人だってきます。
「結社って何ですか」っていうような初心者の方も来ます。
若い人もいます。道内俳壇の重鎮ともいうべき大ベテランもいます。
すべて平等です。
代表はいますが、文字通りの代表であって主宰とか先生とかいう存在ではありません。
代表は別名「あいさつ要員」です。
句会だけで終わりなの?
それもつまらない。せっかく集まるのだから、句会以外にも刺激となることをやりたい。
イベントをやろう。
いろんな人が担当し、俳句にまつわる多様な視点の存在を知る知的冒険をしてみよう。

句会とイベントをやって終りなの?
俳誌の出版はしないの?
さて、そこで考えました。
そもそもなぜ【itak】を旗揚げするのか。
そこにふたたびもどる必要があります。
これまでなかった新しい運動を起こし、自分たちの足元の俳句情況を活性化させること。
それが目標です。そのためには絶対していけないことがあります。
クローズさせてはならないということです。
オープンであるということ。
それは誰にでも開放されているというだけではなく、そこで行われていることを誰もが知ることのできる存在にすることでもあります。

俳誌のような出版物を発行することが今の時代、オープンなことと言えるでしょうか。
そのことがひょっとすると新しい閉鎖的な集団を作ることにつながってしまうかもしれません。
出版物よりはるかに簡便にそして広範囲に情報を発信できるメディアがあります。

インターネットです。
インターネットはこれまでそのボーダレスな性格から、地理的垣根を超えるツールでありメディアであると期待されてきました。インターネットと俳句というと、その特性を生かし、どこにいても参加できる句会というような活用のされ方が一般的であると思います。
確かにそのとおりですが、【itak】は逆転の発想をすることにしました。
つまり、継続的に開催されるイベントはあくまで顔を合わせてその場での交流を重視するものであり徹底的にローカルな存在として行う。そして、インターネットはそのローカルな活動を広範囲に発信するメディアとして活用する。
ひとことで言ってしまえば、北海道で何かが起きている、それを全国に印象づけることをしていきたい。
道内外に反響を呼ぶことで、停滞している道内俳句情況に刺激を与え、文芸運動の車を回し始めることができないか、そうした実験的試みを【itak】で実行しようと考えました。


3、【itak】が始まった!

私のその思いに賛同してくれる仲間が集まってくれて幹事会がすぐにできました。
3月から具体的に準備を続け、ツイッター、フェースブック、ブログだけではなく、ユーチューブさえもを利用し宣伝を展開。
イベントの内容は、第1部をシンポジウム、第2部を句会とし、第1回についてはできるだけ参加の垣根を低くしたいという思いから、事前申し込み方式を取らず、ワンコイン、つまり500円と、投句2句を握って当日会場に来れば誰でも参加できるというやりかたにしました。
さて、結論を言ってしまえば、5月12日のイベントはいろいろな意味で成功したと思います。

・参加者50人というのは、多すぎず少なすぎずの絶妙な人数でした。
・参加者の中に、道内では著名な俳人も相当参加してくれました。
・経験の浅いスタッフによる運営であったにもかかわらず入念な準備と頭の下がる頑張りで破綻なく運営ができました。
・終了後、懇親会等で多くの好意的な評価をいただきました。

もちろん、「よかった、よかった」で済ますわけにはいきません。
まだまだ工夫しなければならないことも多々あったと思います。
特に初回だから参加したという方も少なくないはずです。今回の人数がそのまま次回以降につながると思うのは甘いと思います。
しかし、これまで北海道で行われなかったなにかがこの日実施されたと、多くの参加者が感じたのではないでしょうか。

この「何かが始まる」という思いが実に長い間、北海道の俳句の世界になかったのです。
さて、では何が始まったのでしょう。
それはまだはっきりとは言えません。
なぜって、始まったばかりだからです。ここから何が生まれてくるのか。
それは私たちがこれから作るのです。
私たちは【itak】という「事件」の当事者であり、目撃者ともなるのです。
これからブログで、第1回イベントの内容が順次報告されていきます。
それは過去のイベントの報告であると同時に次回への抱負ともなるでしょう。

「何が始まった」のでしょうか。
もしあなたが第1回イベントに参加されなかったのだとしたら、ぜひ第2回イベントに参加し、あなたが直接その当事者となり、目撃者となってください。

錆びついた車輪をみんなで「よいしょ」と明るいかけ声とともに回し始める。
それが【itak】なのです。

イベントアルバム

五十嵐秀彦代表 あいさつ


シンポジウム「あえて今、花鳥風月を考える」パネリスト 
左から 五十嵐秀彦氏  山田航氏  平倫子氏

句 会
当季雑詠二句持ち寄り

選句中





◆ご参加下さいましたみなさま。ありがとうございました。句の披講・講評につきましてはただ今準備中でございますので少々お待ち下さいませ。

◆次回イベントは随時お知らせいたします。

◆ご意見・ご感想は下記まで。お待ちしております。



2012年5月13日日曜日

昨日は俳句集団【itak】の第一回シンポジウム・句会にお越しくださいまして
誠にありがとうございました。
至らぬことは多々有ったことと思いますが、おかげ様でなんとか無事にまとめることができました。

シンポジウム・句会の概略については改めてこのブログと
フェイスブックページにてご報告させていただきたいと思います。

今後は奇数月第二土曜日を定例として会を重ねてまいりたいと思います。
一堂に会して行う句会と云うものに益々の力を持たせたく、多くの方々の
ご賛同・ご参加をいただければ幸甚であります。


今朝のところは取り急ぎの御礼まで。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2012年5月12日土曜日

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)、いよいよ本日となりました。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けております。
シンポジウムのみの参加も可能です。
ただし参加費は500円頂戴いたしますのでご了承ください。

会場周辺の天候は終日雲り、気温は10℃以下の予報です。
みなさまお気をつけてお運びくださいませ。


◆日時
5月12日(土)13:00~17:00(12:50開場)
◆場所
札幌市中央区民センター 視聴覚室 (札幌市中央区南2条西10丁目)
http://www.chuou-kusen.jp/

地下鉄西11丁目駅3番出口・市電中央区役所前停留所をご利用ください。

◆会費
参加費 500円
◆シンポジウム

「あえて今、花鳥風月を考える」

◆句会
シンポジウム終了後に句会を行います。
当季雑詠2句を受付の際に投句していただきます。


初めてのことで至らないことも多いと思いますが
スタッフ一同精一杯努めたいと思います。
多数のご来場をお待ち申し上げます。

2012年5月11日金曜日

俳句集団 【itak】 第一回イベント告知

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)、いよいよ明日となりました。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けております。

ゆうべから札幌上空にも寒気が入り気温が下がっております。
明日の天気予報は雲り。
終日ひんやりしておりますが 満場のみなさまの熱気で
素晴らしい句会になると確信しております。


今日は先日公開した俳句集団【itak】第一回イベントの告知ビデオを
再度アップさせていただきます。
百花繚乱の句会となることを心から楽しみにしております





トナカイ語研究日誌
無門日記
俳句集団【itak】のフェイスブックページ

2012年5月10日木曜日

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)、いよいよ明後日となりました。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けております。

本日は句会の進行についてお知らせします。

投句受付・・・・・・・入場受付後アンケート付き投句用紙をお渡しします。
会場内指定場所で各項目を記入の上、係のスタッフにお渡しください。
記名と【itak】ネット掲載の可・不可欄のチェックをお忘れなく。

俳号をお持ちの方は俳号をご記名ください。
難しい文字・当て字には振り仮名をお願いします。



②句会設営・・・・・・・シンポジウム終了後、句会用に席の配置換えを行います。
恐縮ですが参加のみなさまにもお手伝いいただきたく存じます。

選句表配布・・・・・句会の初めに選句表を配布いたします。
選句時間は投句総数によって変わりますので
司会の進行にしたがってくださいませ。

          
選句披露・・・・・・・時間になりましたら着席順にお名前と天地二句
            大きな声で述べてください。


集計・披講・・・・・点を集計して高点句から順に披講して行きます。
           披講された方は大きな声で名乗りを上げてください。

            点の入ったものはできる限り披講いたしますが
            時間切れの節はご容赦ください。
            披講し切れなかったもの、無点句等については
            次回句会までの時間を利用して、当ブログ上にて
            読みあい、評する企画を持ちたいと思います。

ネットに掲載されることで発表済みの句となりますので
ご都合の悪い方は投句用紙に不可とチェックしてくださいませ。

⑥集計方式・・・・・・大人数の句会になりますので点数の集計は
天が2点、地が1点として、合計点数によって順位付けいたします。
場合によっては地の集中した句が天をとった句を
逆転する場合がございます。
あしからずご了承くださいませ。

⑦お願い・・・・・・・・メール環境をお持ちの方は、投句頂いた句について
改めて翌週水曜日(5/16)までに事務局あてにメールいただけると
ネット掲載等の編集作業が捗りたいへん助かります。
できる限りで構いませんのでご協力をお願いします。

2012年5月9日水曜日

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)です。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けております。

本日は当日のおおまかなスケジュールについてお知らせいたします。

  会場・・・・・・・札幌市中央区民センター 視聴覚室
 
           札幌市中央区南2条西10丁目

  開場・受付・・・12:50より行う予定です。
           会費をお支払いの上プログラムと投句用紙をお受け取りください。
          シンポジウム開始前に投句用紙を回収させていただきます。
          お持ちになった二句を用紙に記名の上お書き入れください。
          【itak】ネット掲載の可・不可欄に丸をお付けください。
          投句用紙には簡単な記名アンケートがついております。
          差支えなければそちらにもご回答くださいませ。
          シンポジウムのみご参加の方もよろしくお願いします。

  シンポジウム・・・13:30~15:00
          パネラー1名に付き各20分、最後に質疑応答をお受けします。
  休憩・・・・・・・15:00~15:10
  句会・・・・・・・15:10~17:10
          天地二句をお選びください。選句集計後、高点句より披講します。

2012年5月8日火曜日

俳句集団【itak】シンポジウム・パネラー(3)

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)です。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けておりますが
事前にご連絡いただけるとスムーズにご入場いただけます。
立ち見が出る場合がございます。どうぞご了承くださいませ。

懇親会は5/3で締め切らせていただきました。
キャンセルが出ましたら追加募集いたします。
お問い合わせください。



今日はシンポジウムのパネラー(3)のご紹介をいたします。


※五十嵐秀彦が週刊俳句第263号に
俳句集団【itak】前夜という一文を寄せております。
ご高覧下さい。

※五十嵐秀彦のブログはこちら 
無門日記

※山田 航のブログはこちら
トナカイ語研究日誌


明日からは当日の進行などについて
簡単なアナウンスをさせて頂こうと思います。

2012年5月7日月曜日

俳句集団【itak】シンポジウム・パネラー(2)

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)です。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けておりますが
事前にご連絡いただけるとスムーズにご入場いただけます。
懇親会は5/3で締め切らせていただきました。
どうぞご了承くださいませ(キャンセルが出ましたら追加募集いたします)。



今日はシンポジウムのパネラー(2)のご紹介をいたします 。




<他集団紹介>

自由律俳句集団『鉄塊』

【itak】とほぼ同時期に運命的に誕生した
自由律俳句集団『鉄塊』
その熱い魂に触れるとわたしたちの言霊もまた
否応もなく揺れて震えて溢れだすのです。
こちらも超結社そして超都市超地域のムーヴメント。
我々はおそらく互いの光と影なのです。

2012年5月6日日曜日

俳句集団【itak】シンポジウム・パネラー(1)

俳句集団【itak】旗上げイベントは5/12(土)です。
シンポジウム・句会の当日参加も受け付けておりますが
事前にご連絡いただけるとスムーズにご入場いただけます。
懇親会は5/3で締め切らせていただきました。
どうぞご了承くださいませ。


今日はシンポジウムのパネラー(1)のご紹介をいたします。

2012年5月5日土曜日

俳句集団【itak】シンポジウム・パネラーのご紹介

いよいよ俳句集団【itak】の旗上げイベントの日が近づいてまいりました。
シンポジウムのパネラーのご紹介をいたします。





おかげ様で反響を多数いただいております。

イベント後の懇親会については5/3を持ちまして
締切とさせていただきました。

シンポジウム・句会については当日参加をお受けしておりますが
事前にご連絡いただけますとなお有難く思います。