2016年1月30日土曜日

俳句集団【itak】第23回句会評⑦ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評⑦

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 鱗片(りんぺん)に晦日(みそか)の孤独映しけり 佐藤天啓

「晦日の孤独映しけり」の措辞がなかなか佳いので惜しい感じがした。「鱗片」の意味がわからない。映した とあるから、魚の鱗なのか、己の肉片から零れた鱗なのか??それとも雪の欠片なのか?? 「晦日」という意味が12月30日でなく単なる月末という意味もあるので、べたに 映すものを 上五に置いたらどうであろうか?一案は「冬鏡晦日の孤独映しけり」などはいかがか。 いずれにしても映すものが佳いと思う。「氷面鏡」とか「みずかがみ」とか「手鏡」とか。


 喪の明けて女ばかりの大旦         青山酔鳴

中七までの措辞よくわかるしいいと思う。私は喪の句はごちゃまんと作ってきたからわかるのだが、ここで「大旦」はやはり目出度すぎて、大きすぎて、中七までの措辞が霞んでしまう。こういうときは「生活の季語」を選択すべきと思う。たとえば「喪の明けて女ばかりの初座敷」とか「初稽古」とか「初句会」とかならいいと思うが、作者は納得しないと思いますが・・・ムムムム。


 致死量の恋ぽとり入れ河豚(ふぐ)の鍋  酒井おかわり

致死量→毒→河豚 というふうに繋がりとしてはよくあるパターンに思えるが、そこは「致死量の恋」としてずらしてあるところがうまい。さらに中七の「ぽとり入れ」のオノマトペが意外に効果を出している。「致死量の恋」という具象性のないものを、中七の措辞で具象性を生み出して、あたかも「惚れ薬」を入れたかのように読める。河豚鍋を食べ尽くしたあとは、その恋は致死量に至っているという内容。この作者、名乗りをしたら会場からいつもブーイングがでるのは何故なのだろう。きっとこの句も可愛い女の子が作者だったらいいと思ったのかな?とりあえず返句でも出しておこう

 透けてゆくこの恋愛も河豚刺も       よしを





以上です。意に沿わぬ読みや、添削はひとつの選択肢として示しました。御寛恕下さい。次回3月は私は仕事が入ってますので参加できません。違う形でイタックに関わりたいと思います。それではまた。


(了)


※いつもより多めに読んでいただきました。ありがとうございます。次回は別の企画にてご執筆願う予定です。(事務局 J)
 

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