2016年1月24日日曜日

俳句集団【itak】第23回句会評④ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評④

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 子猿抱く干支の土鈴はどや顔し   平田麗子
 
申年でもあるし、正月気分満載の句であるが、残念ながら無季である。また干支である猿の土鈴の顔が「どや顔」だっというオチも結構面白い。二つ手直ししてみたい。ひとつは子猿抱くを「猿回し」という季語に替えること。もうひとつは「どや顔し」を「どや顔す」と終止形にしたい。連用形止めはどうしても「川柳的」になるので。とにかくわたしは「どや顔」というとても俳句的でない言葉を使った挑戦的試行を買う。
 
 
 猿面に近づいてゆく福笑        西村榮一
 
申年でもあるし、福笑いがだんだんと猿顔にちかづいてくる可笑しさもある。すこし残念だったのは「猿面(さるづら)」。やはりここは素直に「猿顔」でもよいのではと思った。面(つら)は正月の用語としてはすこし乱暴な感じがする。顔とすると福笑いそのもののみならず、遊んでいる人間の顔まで猿に似てくる感じがして面白さが増す感じ。
 
 
 悴むといふこと知らず核家族     風間 弥
 
現代の象徴でもある「核家族」、少人数でも集まれば「悴むこともなし」という内容でよくわかる。ただわかりすぎるのである。もし核家族という現代性を出すのであれば、逆に少人数が温めあってもやっぱり悴んでいる といったニヒルな詠みも必要かもしれない。たとえば「屯してやがて悴む核家族」などとした方がいいかも知れない。私の句や五十嵐の句はいつも暗いとと言われているが、俳句はポジテイブな詩ではなく、ネガテイブな詩だと私は思っている。「ネガテイブに詠んでポジテイブに生きる」のがよいと思う。
 
 
 しずり雪大和ことばで言う科白    齋藤嫩子
 
「しずり雪」の白と、「科白」の中の白が遠く響き合っている。和歌の言葉や雅語の台詞なのであろうが、実際の実例が立ち上がって来ないのが少し欠点なのかもしれない。ただし「しずり雪」の季語の斡旋はみごとだと思う。

 
 
(つづく)

 

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