2016年1月22日金曜日

俳句集団【itak】第23回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評③

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 実家てふフォアグラ工場(こうば)去年今年 青山酔鳴

お正月の食べ過ぎ俳句が二句続いた。実家は何もせずに次から次と食べものが出てくるので当然、肝臓もフォアグラ状態と化す。ただ田口さんの句に比べて点が入らなかったのはやはり「去年今年」という季語。ここはお正月とかお元日といった季語が句の内容からも成功したのであろう。去年今年はやはり「旬が短い季語」なので難しい。フォアグラは一瞬ではなるまい、ある程度期間が必要である。実家=フォアグラ工場として去年今年と口調を整えたかったのであろうが、一案であるが 「実家にてフォアグラとなる去年今年」 であれば去年今年も生きたような気もするが。



 好きなものから放下せむ初風に    渉 千佐子

「初風」の季語に「放下」という禅的言葉が生きている。正月の気持ちの良い初風にすべてを捨て去りたい、とくに好きなもの、執着のあるものから先に捨て去るという作者の心持。これも正月だからこそ許される心象だと思う。これが秋風や凩だととても悲しい句になる。


 高齢のサイにサプリと腁薬(ひびぐすり) 福井たんぽぽ

動物園の高齢の鈍重なサイに若返りサプリを呑ませ、足の亀裂には罅薬をぬれ  という面白い内容。サイにサプリが 音調がよくて面白いが、私は「高齢の」が説明的すぎて、あとに繋がる言葉と辻褄が合いすぎる感じがした。どうせなら「最果てのサイにサプリと胼薬」のように「寒がりの」でもよいが、いずれにしても「サ」で言葉遊びをして欲しかった。いずれにしても面白い発想というかまさに奇想なのだから、それを生かすには説明しないほうが良い。


 引き算の果の望郷初御空       五十嵐秀彦

この句のコアは「引き算」なのだが、それがこの句のフックでもあり、瑕瑾でもある。句会の時に誰かがとても良い句評をしてその時は私もわかったつもりになっていたが、今になるとやはり引き算がよくわからない。説明すると面白くなくなるが、おそらく作者の言いたいのは「引き算の答えの果の望郷」なのかもしれない。引き算で考えると確かに人生は長くない。


(つづく)

 

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