2017年2月8日水曜日

俳句集団【itak】第29回句会評② (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第29回句会評②

  2017年1月14日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 
 雪野めく屋根百坪を下ろす下ろす   鈴木牛後

「雪下ろし」という季語を使用しなくても十七音でなにをしている景かが読み取れる。しかも「屋根が雪野めく」 といういささかオーバーな表現が、屋根百坪という措辞で、いやいやオーバーではなく適切な比喩であることを裏打ちしているのだ。北海道ならではの俳句として詠み込まれている。ふたつのうまさがある。「下ろす下ろす」のリフレインと「雪野めく」という直喩の佳さ。



 雪掻きの理容師大事にされている   平野絹葉

一読面白いと思った。「雪掻きの」 で軽く切れて、中七以後の「理容師大事にされている」の唐突さが、この句の胆である。「手が震えるから、雪掻きを免除」してもらっているとはとうてい読めない。だからむしろ面白いのである。たとえば腕が悪くて、客も少なくて家のなかで立場の弱い理容師がいたとする。ただし男手はその理容師だけなので大雪の時だけはおだてられて、「お父さん雪掻き頑張ってね」とこき使われていると 採れなくもない。私の近所にそんな理容師がいるので、そんな風に取った。いずれにしろ謎があって、面白い句だ。


 暖房や朝の母やはらかにゐて     山崎佳音

五+十二音 の破調感が私は好きだ。だからこのつくりでいいと思う。朝の母がやわらかな存在で あることは とても共感が得られることではあるが、同時に驚きはない。そうするとこの句の求めるものは ワンダーよりもシンパシーということになる。中七以下の措辞はシンパシーが得られると 思うが  暖房や という季語との関係性はどうであろうか? 母→やわらかな存在→やさしい→あたたかい→暖房 という感じで いささか順接すぎる気もするのだ。


 動脈のしづかに流る淑気かな     安藤由紀

「正月の静粛な清新な気持ち」を表す「淑気」という季語。そういう意味では新しい試みがなされていると思う。それと動脈という普通は動的、勢いのつよいものを わざと「しづかに」と表現した。ここにもう一工夫が観られる。ただし動脈は血液の流れなので、やはり私は「流る」が気になった。拍動だとか動くとか振動だとか、「流れ」から離れた方がよいのではとも思う。


 古暦紙飛行機にして自由        鍛冶美波

中七以下の措辞は秀逸と思う。一年間の時を経て古くなり用なしになった紙切れを紙飛行機にして新たな旅に出してやった感じが伝わる。鬱屈したものからの解放感みたいなものも感じられる。「初暦知らぬ月日は美しく  吉屋信子」の古暦のニューバージョンとして良くできている。

 

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