『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その3)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
健忘を都忘れと差し替える 村元 幸明
健忘という病的な状態 と季語の「都忘れ」(植物)を言葉あそびとして捉えた秀品。季語の本意を無視した使い方はアンチ俳〇協会と見ました。健忘という状態の名詞と植物を差し替えることに違和感のある人は採れないだろうな。
占いが12位の朝猫の恋 韮澤 土竜
朝のテレビ番組でこぞって今日のラッキーパーソンということで、星座占いを紹介している。バッドな12番目の運のひとにはかならず対策や対応策が挙げられていて、それが「たとえば赤いものを食べる」とか、とっても適当なのがとっても面白い。ともあれ、カニ座がバッドな日に「めまい」が発症したので、あながち信用している自分がいる。この句、恋猫のうるさい声に朝の眠りを妨げられたのかもしれない。しかもバッドな一日とくれば詠みたかったのであろう。
妥協する但しそのあと花見する 高畠 霊人
なんだかとてもおかしい。たとえば労使交渉があるとする、労働者側が折れて労使交渉を妥協して終結させたあと、社長と従業員で花見へ行ったのである。このノウテンキな行為。社長を酔わせて髪の毛を毟ったりしたのかもしれない。「但し」がたいへん味を出している。
受験生桃の節句どころじゃない 天野 紗更
公立高校の試験日は私の頃40年以上まえから桃の節句とぶつかることが多い。まさにこの通りだ。季重なりではなく、これは受験生が主季語で とても真実をついた作品だ。「どころじゃない」が微妙にうまい。
(その4に続く)
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