『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その2)
~第24回の句会から~
橋 本 喜 夫
凍ゆるみ畦も呼吸をしたりけり 角田 萌
中七以下の措辞を生かすために、たとえば「雪解け」「斑雪」とかだと平凡。寒明けだとあまりに漠然としているし。凍てがゆるみ ゆるみ という言葉が、すべての生物や植物が呼吸を始める感覚が表現されていると思う。
冴え返る朝バス停に同じ顔 高橋なつみ
毎朝ばす通勤あるいはバス通学している人の自然な感覚かもしれない。韻文調を出すためと説明的な散文調を回避するために「冴え返る朝のバス停」と切るべきであろう。そのあと「同じ貌」とすればさらにクローズアップされて強調される。
誰も彼も通り過ぎてく弥生かな 大原 智也
弥生は陰暦三月なので本当は陽暦4月なのであるが、そういうどこかの主宰みたいにうるさいことは言わない。弥生は三月として年度末感覚でよいのである。こころある歳時記にも年度始めの感覚はないと はっきりと書いてある。したがって 中七までの お別れのフレーズが生きてくる。「通り過ぎたる」でなくて「通り過ぎてく」が若者感覚の言葉に近くてこの場合は成功していると思う。だって年寄りはすでに退職して年金をもらっているので、この感覚は起きないであろう。
恋猫の両者に名誉ある撤退 青山 酔鳴
これはいいですね「名誉ある撤退」のフレーズを最高に生かした状況設定と季語選択。かなりの手練れと見ました。あきらめてすごすごと帰宅する雄猫が浮かんでくる。両者が雌雄なのか、モテナイ雄二匹なのか、ぼかしてあるのが逆にこの句を面白くしている。
(その3に続く)
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