2016年3月26日土曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (その1)


『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その1)
 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫
  
抜けられぬ仕事があり、出れなかったがまたしても大量参加人数。御同慶の至りである。と他人行儀なあいさつをしました。目が回る忙しさと言うが、1週間前から良性発作性頭位眼振という「めまい」が生じて、けっこう困っている。根詰めてPCの前にもいられないので、いつもにも増して適当さが増強すること許して下さい。さっそく、気になった句に触れてみたい。めまい薬が効いているうちに・・・。


 ろう梅のひとつふたつはイミテーション   鍛冶 美波

季語そのままじゃん と言うなかれ。蝋梅の嘘くさい光沢、蝋細工のような質感、ひとつふたつは の中七がうまいですぞ。「イミテーション」なんか昭和の匂いがする言葉。蝋梅の句を一応チェックしてみたが、ここまでストライクにこの質感を言いとめた句はないようだ。

 三月の木さてと翼を開こうか         信藤 詔子 

「三月の木」というもってきかたが、坪内稔典チックではあるが。「さてと」が利いている。蕾の膨らみ、蕾の開花を翼として隠喩にしたのも良好と思う。


 春一番ガソリン臭き路地に着く       五十嵐秀彦

春の明るい気分、すこし華やいだ気分をガソリン臭さに転じたのは、好き嫌いがあると思うが私は捻れた感覚が大好きです。風の季語なので、「吹く」と安易にいかないで「着く」としたのも良好と思う。


 こぼれ餌に針先ほどの芽のひかり    草刈勢以子

中七までいっぱいに使って「木の芽のひかり」を比喩している。釣をしたひとならわかるが、餌がこぼれたあとの、すこしだけ覗く針先を比喩に用いたのはなかなか写生的でもある。
これによって「ひかり=針先」の予定調和感を薄める効果が出ている。


(その2に続く)

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