2015年9月28日月曜日

俳句集団【itak】第21回句会評④ (橋本喜夫)




俳句集団【itak】第21回句会評④


2015年9月12日
 
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 唐突に秋の七草言えますか       江崎 幸枝
 
中七以下が「毎年よ彼岸の入りに寒いのは 子規」的に「話し言葉」調なので上五を統一して欲しかった。「唐突に」が状況説明、状況設定になってしまっている。たとえば「ねえあなた秋の七草言えますか」などでもいいので、ここは統一感が欲しい。俳句はどうしても説明したり、状況を説明すると詩が逃げてしまうので。
 
 
 キャタピラの跡八月の濡れた砂     藤原 文珍 
              
現今の社会情勢から言っても「砂浜にキャタピラの跡が繋がっている景」は不穏である。そこに八月の波がかかり、砂が濡れる。八月の季語も「戦争」という「隠しキーワード」と響き合っている。問題は「八月の濡れた砂」という措辞が映画や主題歌を知っている人にはよいが、言葉しか知らない人にとっては逆に俗に響くのが難点だ。


 
 影のないおとこ四、五人風の秋     信藤 詔子
 
おとこが四五人、立っているあるいは屯している。海辺でもいいし、都会の雑踏でもいい。近づいてみるとこれらすべての人に影がない。それはすでに幻の男なのか、死者なのか。作者の思い出のなかの男なのか。ただ風が吹きさるばかりである。前回も「風ですかす」テクニックについて触れたが、「秋の風」 で納めずに「風の秋」として止めたのも一工夫が見られる。
 
 
 栗虫を見てより少女時代果つ      青山 酔鳴
 
「天」に頂いた句。まず栗虫の選択がよい。いろいろな虫がいるわけだが、栗の実のなかにいる「蛆虫」みたいなグロテスクな虫。まさに栗に寄生する虫だ。こどもの頃に栗を煮て食べる前に栗の中にいる虫をみたことないだろうか。栗が甘くて美味しいだけに、その憎しみと、気持ち悪さがつのる。掲句は栗虫をはじめて見たあの瞬間から「私の少女時代は終了したのよ」とうそぶいているわけである。そのドグマというか、断定が面白い。栗虫のような取るに足らぬものに、一つの人生の転機を迎えたかのような虚言が良いではないか。
 
 

(つづく)
 
 
 
 

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