2015年9月30日水曜日

俳句集団【itak】第21回句会評⑤ (橋本喜夫)

 
俳句集団【itak】第21回句会評⑤
 
2015年9月12日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 背に月の雲を背負つているマジェスタ  村上 海斗

謎めいた作りになっているので目に留まる。マジェスタはクラウンの高級車の名前だが、マジェスチックという英語からきたカタカナ造語であろう。「威厳」などと訳すべきか。一見「背」が二回出てきて重複しているように感じるが、恐らく「月の雲」も雲が月光を背負っているわけだし、マジェスタも背中に「月の雲」を背負っている。このマトリューシカのような関係性を「背」をあえてダブって使うことで強調したいのであろう。マジェスタは威厳のある人物なのかもしれないし、物なのかもしれない。わたしだったら「光背に月の雲を負ふマジェスタ」とするが・・・いずれにしてもマジェスタに違和感のある人は採れないだろう。


 秋涼し海の匂いの瓶洗う          瀬戸優理子


秋の海の波打ち際はいろんなものが流れ着く。空き瓶しかり、夏の間に置き去られたビーチパラソル、浮き輪、サンダルなどなど。作者はその瓶を拾い集めて、洗っているのであろうか。なんとなく夏のアンニュイな思い出を洗い流すかのように、海の匂いを洗っているのだ。「秋涼し」の季語は秋と涼しがだぶっていて、私はあまり使わない季語だが、「新涼」の季感が出ていてこの場合成功している。


 舞踏会果てて南瓜に戻りけり       籬   朱子


舞踏会という少女チックな措辞と、南瓜というおばさんチックな季語、これらをシンデレラというキーワードで繋げた。台所にある地味な野菜の代表南瓜が実は昨夜の舞踏会では馬車として活躍したのよ。なんて夢想するむかし少女だったおばさんが一人くらい現存してもいいのだ。わたしのようなへそ曲がりのおじさんは「南瓜あり舞踏会などどこにもなし」なんて作りそうだ。


 海へ来て色無き風を抱擁す        増田 植歌

色なき風は一級季語で使いたくなる季語だが、どうしても吹かせることに終始してしまう。作者は海辺に来て吹いてきた色なき風を抱きしめたわけである。「色なき」と「抱擁す」がいい塩梅に響き合っていて嫌味のない措辞になっている。抱擁しているわけだが、相手は色なき風なので作者は海辺でたった一人なのである。状況設定も秋としてふさわしい。





以上今回は毒が足りなかったかもしれないが、秋は薄口醤油でいいでしょう。こうなったら飽きられるまで、反対運動が起こるまでこの欄続けましょうか。いいんです、どうなっても。

(了)


※どうなってもってなんかアンニュイ(^^;毒があってもなくても人気の企画です。続けて参りましょう!(事務局 J)


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