2015年9月26日土曜日

俳句集団【itak】第21回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第21回句会評③

  
2015年9月12日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 

 踊子の指先闇に絡まりぬ      栗山 麻衣

踊りの句はいろいろあるが、闇に焦点を当てたり、踊りの輪が広がったり、一人が踊りの輪から抜けていくとか、中原道夫の句のように踊りそのものの動作を活写したりさまざまな読み方があるが、踊り子の指先と闇を併せた句はあまりないのでは と思う。この二つの素材を連結した「絡まりぬ」が絶妙の措辞である。
 

 晩熟な人の初恋秋の暮れ      只津 心丈

「晩熟」と書くとなにかたいそうな感じがするが、要するに早熟の反対なので、いわゆる「おくて」の人だろう。恥ずかしがり屋で、異性に対する目覚めが遅かったひとがやっと初恋をした。そんな事実というか事象だけを取り出して、俳句に持ってきた。おそらく中七だけでその目的は達しているような俳句。それにスーパー季語である「秋の暮」をつけた。最近、仁平勝の評論「秋の暮論」を再読したが、「秋の暮れ」 という季語は俳句の脆弱さと、深淵さを兼ね備えた不思議な季語である。なんにでもつけるとそれなりの俳句になってしまう。だから秋の暮は難しい。「秋の暮論」読んでみて下さい。ご希望あれば貸出ますよ。


 虫の闇回送列車溶けてゆく     大原 智也

虫の闇のなか、一日の疲れを癒すかのように回送列車が車庫に帰ってゆく。そんな景を「溶けてゆく」と詠んだ。回送列車を素材とした着眼点がまずよい。この句を採った人はそれだけで採ったかもしれない。採れなかった人はおそらく「溶けてゆく」だろう。ここは意見が分かれるかもしれない。この措辞にポエジーを感じれば採ればよいし、この措辞が残念だと思えば採らなければよい。私はもっと良い措辞があると思う。回送列車+虫の闇がとてもよいだけに・・・。


 新藁の力の匂ひ土俵際       斉藤 嫩子

素材が珍しい。いまどき相撲を句にすることも嬉しい限りだ。土俵俵に使用している新藁の匂いを、力士が土俵際で踏ん張ることを想像して、「力の匂ひ」としたことに手柄がある句である。「新藁」は秋の季語だし、「相撲」も秋の季語、季を合わせて詠んでいるところも気が利いている。


 右の目が痙攣していた菊人形  福井たんぽぽ

オカルト俳句かも。右の眼と限定したのもいい。菊人形を見ている人間の右目が痙攣しているのか、菊人形の目が痙攣しているのか、どちらにでも取れる。問題はわざわざ「中八」にする必要があるのか?だけ。「痙攣してた」でもいいのではと私は思う。
 
(つづく)


 

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