2014年2月7日金曜日

『牛後が読む』 ~第11回の句会から~ (その3)


『 牛後が読む 』 (その3)

 ~第11回の句会から~

鈴木 牛後


 縦書きの棒一行や去年今年


「縦書きの棒」とはもちろん俳句のことだろう。年の変わり目は、句材の宝庫。俳句の推敲でもしているうちに新年を迎えたのだ。

もちろん、この句は高浜虚子の「去年今年貫く棒のやうなもの」を踏まえているのだが、虚子の存在感と俳句に対する作者の思いが一体となっていて、まさに存在感のある句に仕上がっている。


 冬晴れや調査書一枚ずつたたむ


調査書とは俗に言う内申書のことらしい。生徒にとって調査書は、合否の鍵となるとても大事なものだ。これがあることによって、生徒は教師から無言のプレッシャーを受け続けなければならない。

一方、教師にとっても数十人の生徒の調査書を書くというのは、大変な作業だろう。それによって、ひとりの人間の人生を左右するかもしれないのだから。

冬晴れの職員室。一枚の調査書を開き、所見を書き込む。白い紙は、冬の日差しを浴びていくぶんあたたかい。その生徒のことをいろいろ考えながら丁寧に書きこみ、そして紙の温もりごとそれを閉じる。そしてまたつぎの一枚…。


 年玉にサランラップをかけゐたる


私が子どものころはまだ曽祖母が生きていて、正月に遊びに行くと必ずお年玉をくれた。親戚がくれるお年玉はみな小さい熨斗袋に千円札一枚とほぼ決まっていた。もちろん当時の千円は子どもだった私にとって十分に嬉しいものだった。

曽祖母はいつもちり紙に包んだ五百円札。みなの半分しかくれなかったのだが、それで曽祖母に何かよくない感情を抱いたことはなかったと思う。からだもすっかり弱って外出もできなかった曽祖母。その皺だらけの手で丁寧に包んでくれたお年玉ゆえに、おそらく子どもごころにありがたくもらっていたのだと思う。

さて掲句。ちり紙ではなくサランラップだ。もちろん保存のためではないだろう。曽祖母のちり紙と同じで、丁寧に包まれていたに違いない。握ったときのさりっとした手触りに、ほのかな温もりを感じる。


 大寒の鍵穴に星砕く音


寒、鍵、星の取り合わせはおそらくたくさんあることだろう。冴えたイメージに共通点があるからだ。この句の眼目は、おそらく「砕く」だ。冷たく冴える星の夜、何か決意を秘めて帰宅した作者。悠久の星空から現実へと足を踏み入れる儀式としての解錠に、「砕く」というイメージが降りかかってくる。

キーボードを叩く私の十指に、鍵の冷たさを不意に感じてしまった。


(つづく)


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