2014年2月9日日曜日

『牛後が読む』 ~第11回の句会から~ (最終回・掲句一覧)


『 牛後が読む 』 (最終回・掲句一覧)


 ~第11回の句会から~

鈴木 牛後
 


 いくたびも手を振りまたね風花す


こういう素直な句にも惹かれる。「またね」という口語の話し言葉と、「風花す」という文語のギャップ。これを嫌う人はおそらくいるだろうが、この句は「またね」がないと成り立たない。またね、と去っていく人を見送る間があって、そして風花。遠く山を越えてくる風花に、見知らぬ土地へと赴いてゆく友のきらめきを見ているのだ。


 太陽を拝む母の背御慶かな



初日の出を見たいという高齢の母親を連れ出したのだろうか。今年も初日を見られてよかった、という母親を見守る作者。「母の背」という視点があたたかい。

母親と過ごした数十年もの月日。作者はずっと母親のことを太陽だと思ってきたことだろう。太陽を拝む太陽。もしかしたら作者も母親かもしれない。連綿とつづく光の連鎖。まさしく新年を迎えるに相応しい景だ。


 葉牡丹や騙されていい嘘もある


葉牡丹というのは変わった植物だ。キャベツの仲間なのに食用ではなく鑑賞用なのだから。どう見ても花だが実は葉だという、言ってみれば人を騙しているような植物である葉牡丹。

それでもみなが愛でてきたから今の姿があるのだ。「騙されてもいい嘘もある」。もう言い尽くされたフレーズなのに、葉牡丹と取り合わせることで人を騙している句と言えるかもしれない。


 人体に似たる大根わし掴む


「わし掴む」という言葉はあるのだろうか。広辞苑には「鷲掴」(わしづかみ)は載っているが、「わし掴む」は載っていない。「鷲掴み」から派生した新しい言葉、あるいは作者の造語なのかもしれない。

認知されている言葉ではないが、いやそうではないからこそ、この言葉にはあるエネルギーを感じる。ふつふつと湧き上がってくる詩があるような気がするのだ。それは、人体に似た大根に潜むエネルギーや、「鷲掴む」その手のひらの大きな動きとも共鳴し、ひとつの世界を形成している。



  (了)

 
『牛後が読む』をご高覧頂きありがとうございました。
文中掲句について一覧をまとめましたのでご覧くださいませ。


(その1)

雪しんしん人に哲学木に年輪    平 倫子 
去年今年夜空の色のうすはなだ  橋本喜夫
知床をがつしり摑む鷲の爪     林 冬美

(その2)

燃え移るやうにみみづく発ちにけり  堀下 翔
ひとつづつ減りゆくものと雑煮箸    五十嵐秀彦
町は青家出少女に電波飛ぶ     鍛冶美波
重ね着の内に裸の私いて        小張久美

(その3)
縦書の棒一行や去年今年       藤原文珍
冬晴れや調査書一枚ずつたたむ  太田成司
年玉にサランラップをかけゐたる  橋本喜夫
大寒の鍵穴に星砕く音        籬 朱子


(最終回)
いくたびも手を振りまたね風花す  恵本俊文
太陽を拝む母の背御慶かな     林 冬美
葉牡丹や騙されていい嘘もある   小張久美
人体に似たる大根わし掴む     瀬戸優理子

 
今回は『第11回を終えて』『句会評』『読む』の各種企画について、固定メンバーにもどっております。ご高覧ありがとうございました。コメントなどご遠慮なくお寄せください。


 

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