2013年10月25日金曜日

俳句集団【itak】第10回 朗読者紹介


俳句集団【itak】第10回イベント 朗読者紹介
 
 

矢口以文(やぐち・よりふみ 札幌市在住)


1932年宮城県石巻市生まれ。東北学院大学、国際基督教大学などで学ぶ。1966年から北星学園大学勤務。現在同大学名誉教授。詩集『にぐろの大きな女』、『夜の木立』、『先祖たち』『イエス』、『呼ぶ声』、『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』などのほか、評論集や訳詩集など。

 
 
今回は初めて、誌の解説と朗読をお願いしました。
20世紀のアメリカの詩人の作品を解説していただきます。
そのあとで矢口さんの作品を数篇朗読していただきます。





『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』









*と き 11月9日(土)午後1時~4時50分
*ところ 北海道立文学館講堂(札幌市中央区中島公園1-4
*参加料 一般500円、高校生以下は無料


●第1部  詩人・矢口以文氏による20世紀アメリカの詩と自詩の解説・朗読会
       ~解説と朗読~『アメリカの詩と私の詩

●第2部  句会(当季雑詠2句出句

●懇親会のお申し込みもお受けしております

詳細お問い合わせはEメール(itakhaiku@gmail.com)へ。




2013年10月20日日曜日

第十回俳句集団【i t a k】イベントのご案内



第十回俳句集団【i t a k】イベントのご案内です。



俳句集団【itak】事務局です。
早くも初雪の報せが来るなど、めっきり冷え込んで参りました。


第九回講演会・句会には50名のご参加をいただきました。
三連休初日のご参加、ありがとうございます。

下記内容にて【itak】の第十回 朗読会・句会を開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。
今回は札幌在住の詩人・矢口以文さんをお迎えして
自作詩の朗読会を行います。
年内最後のイベントとなります。多くの方々のご参加をお待ちしております。
第一部のみ、句会の見学のみのご参加も歓迎です。
懇親会のご用意もございます(実費)。
少し早いのですが今年一年を振り返り、俳句談義と参りましょう。





日時:平成25年11月9日(土)13時00分~16時50分

場所:「北海道立文学館」 講堂

      札幌市中央区中島公園1番4号
      TEL:011-511-7655


 
  
■プログラム■



第一部 朗読会


~解説と朗読~

 
『アメリカの詩と私の詩

    
          詩人 矢口以文 


 
 


第二部 句会(当季雑詠2句出句)


<参加料>
一    般  500円
高校以下  無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)
※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。
※イベント後、懇親会を行います(実費別途)。
  会場手配の都合上、こちらは事前のお申し込みが必要になります。
  会場および会費など、詳細は下記詳細をご覧ください。



■イベント参加についてのお願い■

会場準備の都合上、なるべく事前の参加申込みをお願いします。
イベントお申込みの締切は11月6とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方もどうぞ遠慮なくこちらのメールにお申込み下さい。

なお文学館は会場に余裕がございますので当日の受付も行います
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますのでどなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。


参加希望の方は下記メールに
「第十回イベント参加希望」
のタイトルでお申込み下さい。
お申し込みには下記のいずれかを明記してくださいませ。

①朗読会・句会ともに参加
②第一部朗読会のみ参加
③第二部句会のみ参加(前日までにメール・FAXなどで投句して頂きます。)

特にお申し出のない場合には①イベント・句会の通し参加と判断させていただきます。
 


■懇親会詳細と参加についてのお願い■

会場:キリンビール園 本館 スペースクラフト(パークホテルの向かい)

時刻:17:30~19:30
会費:4500円(焼肉3種食べ放題・飲み放題つき)
※当日キャンセルはキャンセル料を申し受けます
 

準備の都合上、こちらは必ず事前のお申し込みをお願いします。
懇親会申し込みの第一次締切は11月3日とさせて頂きます。
以降はキャンセル待ちとなりますがお問い合わせください。
参加希望の方はイベントお申し込みのメールに

④懇親会参加

とお書き添えください。


itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会などに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。


 





北海道立文学館へのアクセス

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」駅3番出口をご利用の際には
①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両
②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に
お乗りいただくと便利です。



2013年10月18日金曜日

回文俳句 「秋果十品」  鈴木牛後


回文俳句 「秋果十品」  鈴木牛後


 

逢え裏で軒貸す垣のデラウエア
栗痛きおおアジア大き大陸
見る苦悩双方向放送の胡桃
子細地図揺るるアルル柚子ちいさし
薄き罪椅子の上(え)の水蜜奇数
撓うよな羽翼啼くような洋梨
愚問漏れ解いて愚弟とレモン捥ぐ
エマなのよ酢橘持ち出す余の名前
分厚く林檎剥き無言理屈浴ぶ
企画家麻生庭にうそ赤く柿


俳句集団【itak】事務局です。
久しぶりの俳句ギャラリーは鈴木牛後さんの回文俳句です。


2013年10月14日月曜日

『かをりんが読む』 ~第9回の句会から~ 掲句一覧


『かをりんが読む』をご高覧頂きありがとうございました。
文中掲句について改めて一覧をまとめましたのでご覧くださいませ。


(その1)

五体ほど玄関で待つ案山子かな      福井たんぽぽ

ひとひらの雲洗いたて秋気澄む      古川かず江
爪先に夏ころがして秋に入る     福本東希子
肩書きのとれて百態薯を食ふ     高野 次郎

 

(その2)
 
コスモスを倣えば君に成就する      高畠 葉子
赤とんぼ隣にすわつていいですか   小路 裕子
舞踊家の声の野太く唐辛子         久才 透子
倒木の茸わらわら狐雨            久保田哲子

 
(その3)

天高く身ぶりおほきく呼ばれけり     鈴木 牛後
虫の音の途切れて闇の重たかり      小笠原かほる
真夜中のはららご深くしづもりぬ   久才 透子
とろろ汁お茶目のままに老境に    平  倫子

 
(最終回)

虫籠あり使へぬ引き出物のごと       橋本 喜夫
稲屑火や農夫これより蔵びとに       青山 酔鳴
月光の栞挟みし文庫本            栗山 麻衣
秋風を牛の重量移りけり           久保田哲子



2013年10月13日日曜日

『かをりんが読む』 ~第9回の句会から~ (最終回)


『 かをりんが読む 』 (最終回)

~第9回の句会から~

今田 かをり
 
 
虫籠あり使へぬ引き出物のごと
 
 
この句を読んだ途端に、実家にあった納戸(なんど)を思い出した。使わなくなった食器や道具類、それに葦戸や扇風機、ストーブといった季節が来るのを待っている物が詰まっていた。そしてその納戸は、結婚式の引出物として頂いた食器類や、シーツやタオルといった布類が、「使わないもの」から「使えないもの」へと変化していく場所でもあった。その「使へぬ引き出物」を、使わなくなった「虫籠」、そしておそらくこれからも使われないであろう虫籠の直喩として使うなんて・・・ほんとにびっくりして、スパークした。 以前、アンティーク雑貨の店で、ヨーロッパの古い鳥籠が吊るしてあって、その中にホオズキが入れてあった。命が灯っているようで、とても素敵だった。この虫籠にも何かを入れてみたい。さて、何がいいだろう。
 
稲屑火や農夫これより蔵びとに
 
 
先日、砂川、奈井江あたりを車で走っていたら、あちこちで藁屑を燃やしている煙が上がっていて、どこか焦げ臭いような臭いも漂っていた。これが「稲屑火」であるが、それを季語として使っていることに、まずびっくりした。 さてこの農夫は、これで稲作の仕事を一旦終え、農作業の始まる春先まで、杜氏として出稼ぎにいくのであろう。農夫といい、杜氏といい、どちらも自然を相手の、米にまつわる仕事である。こうして繰り返し繰り返し、営々と暮らしを続けていく農夫の、おそらく実直であろう人柄までが浮かび上がってくる。さらに、稲屑火の煙や灰を思うと、いかにもはかない感じがするが、実はこれが肥料となって、大地を肥沃にするのである。自然の大きな循環の中の、人間の小さな循環、季語に「稲屑火」を斡旋したことによって、それがいっそう感じられる句になったのではないだろうか。
 
 
月光の栞挟みし文庫本
 
 
「月光の栞」とは、なんて美しい響きだろう。私の脳裏には、窓辺の机に開かれた文庫本が載っていて、そこに一条の月光が射している映像が浮かんだのである。その一条の光は、あたかも栞のようにページに差し込んでいる。何かのものの隙間から月光が差し込んでいるのかもしれない。 ところが、「挟みし」で躓いてしまった。月光を栞のように挟み込んで文庫本を閉じたということだろうか。とりわけ躓いたのは、「挟みし」の「し」なのである。文法のことをとやかく言うのは無粋だとは思うが、それを承知で言うことをお許しいただきたい。実は、私事で恐縮だが、津田清子先生のカルチャースクールに持っていった、初めての句に過去の「き」を使った。こんなところで披露するのもどうかと思うのだが、みなさんにも考えていただきたくて、あえて拙句を披露すると、「初蝶や息つめてもの思(も)ひし時」。その時の津田先生の言葉を今でもよく覚えている。「思(も)ひし時(思っていた時)、なんていう過去の回想は、俳句という短い詩型にはそぐわない。今を切り取って詠むのが大事です」と言って、「思ふ時」に添削された。 そんなこともあって、過去の助動詞「き」に少々神経質になり過ぎているのかもしれない。もちろん俳句や短歌では、この「き」を完了のように使って、「〜した」という意味で使用することがよくあることも知っている。おそらく作者は、月光の差し込んでいた文庫本を、月光とともに閉じたのであろう。それはそれで素敵である。が、回想で読んでしまう読者がいることも否定できない。「月光の栞」が余りに魅力的なだけに、本当にもったいなくて、もう少し別の表現がないのかと思うのである。
 
 
秋風を牛の重量移りけり
 
 
「牛の重量が移」ったとは、どういう情景なのだろうか。牛がトラックか何かに乗せられた、というような大きな動作ではない気がする。反芻している牛がほんの少し重心を移動させた、あるいは立っている牛がほんの少し脚を前に出した、といったわずかの体重の移動の方が、上五の「秋風を」にふさわしい気がする。そして、なんといっても「秋風を」の「を」の使い方が絶妙である。句の終わりに「けり」があるので、「秋風や」と「や」で切ることはないが、普通なら「秋風に」、あるいは「秋風の」とするところである。読者は、この「を」で一旦立ち止まって考える。曖昧な表現は俳句の場合マイナスになることも多いが、この句の場合は、「秋風を」としたことで、「秋風の中を」とも、「秋風を感じて」とも取る事ができ、かえって句に厚みを加えたのではないだろうか。さらに、「牛」が動いたのではなく、「牛の重量」が移ったとすることで、生身の牛そのものではなく、もう少し普遍的な、牛のもつ「命の重量」のようなものを感じ取ることができるのである。不思議な魅力をもった句である。
 

(了)