2016年12月5日月曜日

俳句集団【itak】第28回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第28回句会評①

  2016年11月12日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
今回も50人投句、53人選句の盛況な句会であった。さて早速多くの佳句に触れてゆきましょう。誤読、誤解はご寛恕をお願いします。さくさくとそしてあっさりといきたいな。
 
 
 目つむりて森歩むごと吸入器    室谷安早子

初冬のころ、季節替わりになると、気管支喘息やCOPDなど呼吸器疾患のあるひとにはつらい時期でもある。そんな時期は気管支を広げたり、喀痰を促したりする吸入器は必須のアイテムである。そんな冬の季語をすがすがしい森のマイナスイオンたっぷりの空気を吸ったときと同じようだ と作者は見立てている。吸入器の比喩としても新しい試みの句ではなかろうか。


 手袋の祈る形に置かれたる     幸村 千里

机、あるいは家具の上に脱いだばかりの手袋が置かれる。さっきまで履いていた人のぬくもりがまだ残っている。その手袋が合掌するかたちで、祈りの形である。何気ない日常で、詩情がある。惜しむらくは「祈る形」という措辞は既視感があるが・・・私も地にいただいた。


 毛糸編む餃子包む君の指       高畠 町子

中六の不思議なつくり。逆にこれが魅力なのかもしれない。餃子を包む と無理に中六の破調にしなくても内容からいいたいことはわかる。君だからだれか自分以外の対象がいて、その人が毛糸を編んで、その指で餃子も包んでいるという、ある種愛しさみたいなものを詠んでいるのであろう。二つの行為が違う人物によってなされていると誤解させる危険はある。
そのためにも一案だが、中七は「餃子も包む」にしたらどうだろうか。



 謝ってくれと言えないまま枯野    栗山 麻衣

日常生活、ひとこと謝ってもらえればそれでさっぱり、次の過程にすすめるのに。ということは多々ある。意外にひきずり、さらにそれをはっきり言えない自分にも少しいらついて、傷つく。私は他人に嫌われたくないB型なのでとても共感する。ここでの最後の三文字 ○○○ なんでも付いてくるが、これが微妙に味を出している。たとえば初冬、晩夏だとその季節の状況設定にしかならない。朧だと、なおさら曖昧模糊な気持ちしかでない。やはり荒んだ気持ち、こころのざらついた気持ちは枯野でしょう ということになる。


 のびやかな生命線に置く海鼠    高畠 葉子

海鼠をてのひらに載せているだけの景ではあるが、俳句ならではかもしれぬ。うつうつ状態、泥沼状態、ネガテイブな状態を託してよまれる海鼠で俳諧味のある季語だが、掲句のように生命力にあふれた描き方は珍しいと思う。そういう意味で「のびやかな」の措辞は活きていると思う。


 

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