2016年9月16日金曜日

俳句集団【itak】第27回イベントを終えて


俳句集団【itak】第27回イベントを終えて 

文法講座 『知って得する!俳句の文語文法』

 
まさに「知って得した」文法講座!

五十嵐秀彦



 
今回のイベントは客足が特に早く、予約の段階からかなりの数となり、当日はみるみる席が埋まってレジメが足りなくなるほどとなりました。
最終的には、第1部企画に79名、第2部句会に72名、懇親会32名ということで、大入りでした。


集客の様子をこれまで見ていると、必ずしも企画の内容ばかりで増減するわけではないことは分かっておりましたが、今回はやはり第1部の企画「知って得する! 俳句の文語文法」という惹句に引かれての動きだったのではないかと推測します。
みなさん「得したかった」んですね(笑)。


現役予備校講師・銀化同人の松王かをりさんによる講演で、司会は同じ銀化の仲間で籬朱子さんがつとめてくれました。
内容は2部構成となっており、前半を正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を例にあげ、文法説明の形を取りながらも内容は過去の有名な「鶏頭論争」に一石を投じるものとなり、大変興味深いものでした。
この句は、本来は独立した一句の世界として鑑賞すべきものにもかかわらず、多くの人たちが「傑作」「凡作」と主張しあい、その中で無数の「屁理屈」が並べられたわけですが(ここはぼくの私見による表現なので、松王さんの講演内容とは関係ありません)、松王さんは子規の過去の記録などから、なぜ子規が「ぬべし」を選択したのかというこの句の真実に迫る野心的な解釈を展開しました。

私は個人的な感想ではありますが、これは「鶏頭論争」に終止符を打つものではないか、と思いながら聴いておりました。会場を埋めた人たちの「なるほど~」の声が聞こえるような雰囲気でした。
後半はさすが予備校講師というところで、事前にみなさんから集めていた質問にもとづきテスト形式の文語文法の説明となり、高校生からベテランまで、わかっているようでいて曖昧な文法の問題に思案投げ首。そして明解でユーモラスな松王さんの説明に、高校生などは熱心にメモをとっていましたね。


松王さんの俳句における文語文法に関する考えは、けっして文法至上主義ではなく、文法を知った上でその句の世界や詩的効果を考えながら選択するべきであり、一句の中に文語と口語が混在することも効果を上げていればアリだということを実例を交えて分かりやすく説明してくれました。
ベテラン俳人もこの日ばかりは高校生に戻ったような、どこか若やいだ気分になったのではないでしょうか。


第2部の句会も70名オーバーとなり、句会の人数としては過去最多(夏井いつきさん企画を除く)。
私も含め幹事たちはややパニックになりながらの進行で、最後の時間帯は「天」で取った人たちの意見を一部聴けない状態にもなってしまいました。
せっかくの機会に発言できなかった方々にはお詫び申し上げます。


しかし70名の句会を限られた時間の中でなんとかやり終えた経験は今後に活かせると思います。
回を重ねることでマンネリ化し参加者の減少と固定化という流れになりはしないかと危惧しながらの私たちのイベントですが、幸いこれまでますます勢いを強めているかのような様子に、俳句集団【itak】を支えてくださる皆様に心から感謝するものです。


さて、次回は11月12日(土)13時からです。
第1部企画は山之内悦子さん(通訳者、講師)による講演「うちらには日本語がある」を予定しております。
山之内さんは現在カナダ在住。映画の翻訳や通訳、文筆業など活発に活動されており、著書に『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』(大月書店)があります。
外国で通訳等の仕事をして感じるものとして「人を形作る根幹にある母語のかけがえのなさ」そして「日本語の奥深さに出会える俳句の魅力」を語ってくださいます。
【itak】ならではの、大変ユニークな講演会となりますので、次回もまたぜひご参加ください。



いつも言っていることですが、このイベントはどなたでも参加できます。
ワンコイン500円を持って(できれば俳句2句持って)ふらりとやってきてくればそれであなたも【itk】
の仲間です。お待ちしております。

実際に顔を合わせて行う何ものにもとらわれない自由な句座を通して、硬直化していた北海道の俳句の状況をいい意味で流動化させようという目的で継続している俳句集団【itak】はご参加の皆様による運動体
これからも力を合わせて、北海道の俳句を盛り上げていきましょう。



※山之内悦子さんのご著書頒布及びサイン会を休憩中に行います。
 ご希望の方は是非ご利用ください。

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