2015年12月4日金曜日

俳句集団【itak】第22回句会評⑥ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評⑥

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 育メンの厚きマフラー伊達メガネ   山鹿 浩子

 育メンという新しい措辞。やはり俳句に仕立てずらいのだが、掲句は育メンというひとつの文化に表現型を与えた。こんなタイプが多いですよという ひとつの断定である。惜しむらくは句が三段切れになっている感じなので、「育メンのマフラー厚く伊達メガネ」とした方がよいかもしれない。あくまでも一案だが。


 ちくたくと枯葉の積もる性周期    ふじもりよしと

 この句も面白い。ふたつの面白みがあり、ひとつは「ちくたくと」というオノマトペの措辞と座五の「性周期」いままで性周期を俳句にしたものはあっただろうか。ちくたくとの措辞と性周期が遠く響き合うのであるが、離して置いたのが成功している。「性周期は枯葉が積もりゆくようなもの」というメタファーが斬新である。


 成仏に少し間のある十三夜      五十嵐秀彦

 「十三夜」という季語は秋の暮と同じようになかなか難しい。一見何でもついて俳句としてなりたつのだが、季語として強すぎて浮いてしまう俳人泣かせの季語なのだ。さて掲句であるは、成仏までに少し間のある初老期の作者がおそらくは、仏間にひとり座っている。そこに十三夜の月が照らしているという景だ。一見よさげだが、これがこの季語のブラックホール的な深淵さと難しさである。十三夜をつけたことで どんな措辞も空疎に嘘くさく響いてしまう。そして十三夜の使用が好きな作者である。


 散銀杏シャンソンひとつ残りけり    平  倫子

 イブモンタンの枯葉があるので、どうしてもそこに引っ張られる恨みはあるのだが、上五で銀杏散る とか 枯葉散る で納めないで「散銀杏」と少しひねりを加えたこと。もう風で吹き飛んだが、掃き清められていちまいしか残っていない銀杏の葉を「シャンソンがひとつ残る」とメタファーしたことに工夫が感じられる。

 



以上です。俳人はすこしばかりくさされても、取りあげられた方が黙認されるより嬉しいと個人的に最近つよく思うので、今日は多めに取り上げてみました。誤読、誤解、失礼はご寛恕ください。


(了)


※人気企画の橋本句会評の継続を直訴してくださった方に深く御礼申し上げます。よしをさん、また来年もよろしくお願いいたします!(事務局 J)

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