2015年3月30日月曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第18回の句会から~ (その2)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その2)


 ~第18回の句会から~

橋本 喜夫 


 
 心昏るものの欠片春の雪      高畠 葉子

春の雪は俳句にしやすい季語ではあるが、それだけにステレオタイプに陥りやすい。日暮れを取り合わすことも多いのだが、この句は「心が昏る」 のである。もちろん暮れる意もあるが、乱れるなんて意味もあるはず。6+6の構造も読むものに軽い違和感を生じて、試みとして面白いと思う。

 洗濯の終了ブザー木の根開く   遠藤ゆうゆう

寡夫になる前の洗濯機の操作ができない頃なら採らないだろう。だれもこのようなトリビアな事象を詠まないだろう。それだけに現代のトリビアリズムかもしれない。あとはなにを季語としてつけるか。である。いかにも北海道の「木の根開く」にしたのであるが、ここは正直最善とは思えない。しかし、中七までのトリビアな措辞だけで採らしていただいた。

 啓蟄のきんぴらにする野菜屑   青山 酔鳴

この句も中七以下がなかなか秀逸。まるで「雪積む上の夜の雨」と同じように先にできてゐたかもしれない。上五を探していたかもしれない。つまり上五の勝負の句である。中七以下に季語がないから季語を含んだ上五である。啓蟄が最善かどうかはわからない、だがかなりよい(ベストでないがベター)と私は感じた。「啓蟄や」と完全に切った方がよりいいのかもしれない。「上京や」のように・・・。

 をちこちの雪割りの音光りけり   増田 植歌

北海道的なつくりだし、切れ字を使ってすっきりとできている。聴覚を視覚に変換したのも悪くないだろう。もっと深い秀句にするには上五にもう一工夫必要かもしれないけれど。
  

(その3につづく)
 
 

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