2014年8月18日月曜日

涼野海音 『一番線』 を読む ~鈴木 牛後~



涼野海音さんの句集「一番線」を読んだ。
この句集は、昨年の、第4回北斗賞受賞作を一冊にまとめた句集ということだ。賞に応募した作品ということで、手堅くまとめているという印象を受けた。
実は私にとって、このような凹凸の少ない、手堅い句集について何か書くというのはなかなかに難しいことだ。句集について何か書くときには、いわば句集の句の表面からはみ出したものを捕まえて、それを手繰り寄せながら文章にしていったりするのだが、そういうものが見つけられないからだ(こんなこと書いている時点で、文章力のなさを表明しているようなものだけれど)。
というわけで、集中から好きな句を拾い出してみたいと思う。


 ボート漕ぐ後ろに森の暗さあり

ボートの句といえば、青春や恋を詠んだ明るいものが多いが、掲句は背後の森の暗さに注目したところが眼目だろう。恋人同士が楽しく二人だけの世界に浸っているボート。しかし、その後ろには暗い森が控えている。それは、恋に代表される人間のささやかな営みも、しょせんは自然の法則からは逃れられないという暗示のようにも感じられる。


 馬なでし手を洗ひゐる良夜かな

馬という生き物には不思議な魅力がある。私は牛飼いだが、牛と馬は見た目は似ていてもその内実はずいぶんと違うような気がする。馬には人間の機微に触れる何かがあるのだ(飼育頭数の違いなどもあるとは思うが)。そんな馬でも、触れたあとには手を洗う。人によってはかなり丁寧に洗うことだろう。それは、つながりかけた馬との紐帯を切り離す作業かもしれない。それでも、馬も人も同じ名月の下にいるのだ。


 東京を遠しと思ふ落葉かな

東京と聞いていつも思い出す歌がある。マイペースというグループが歌った「東京」。「東京へはもう何度も行きましたね、君の住む花の都」という歌詞だったと思う。学生時代の先輩が東京出身で(北海道の田舎大学までよく来たものだと思う)、カラオケでよくこの歌を歌っていた。今では東京を「花の都」と思う人はいないだろうが、それでも憧れはある。ネットで俳句のイベントなどの情報を読むたび、当地と東京の距離を思う。落葉の季節ならなおさら。
とここまで書いて思ったのだが、作者は東京より温暖な地域に住んでいるので、落葉は東京より遅いんだよね・・・。


 旅鞄枯野の匂ひありにけり

五十嵐秀彦さんの、「旅鞄向日葵の他なにもなし」という句を思い出した。ともに、日常を束の間離れてゆく旅の、唯一の同行者である鞄への思いを詠んだ句だ。冬には冬の、夏には夏の心象風景。私も旅鞄を抱えてどこかに行きたいという思いにかられる。



☆鈴木牛後(すずき・ぎゅうご 俳句集団【itak】幹事 藍生)


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