2014年6月30日月曜日

『葉子が読む』 ~第13回の句会から~ (その2)


『 葉子が読む 』 (その2

 ~第13回の句会から~

高畠 葉子
 

 

 ゆるゆるで善かれとおもふ北の春     北島 和奘


ここ数年の季節の変わり目の不安定さといったら・・・どうなっているんだ?と話題になりやすい。暦の上で春を告げられると、土の匂いや緑の匂いが待ち遠しくてたまらない。ついつい「いつ春がやってくるのやら」と愚痴の一つも出てしまう。

しかし、我々俳人はこうした愚痴さえも詩として表現する。ゆっくりと訪れる春もまた、北に暮らす我々の愉しみであるのだ。
その愉しみは、あえて「ゆるゆる」で善いという。
生活のあらゆる場面に、俳句として表現できる事の素晴らしさと誇りを感じた一句だった。

 


 ショルダーバッグにお花見の残骸    福井たんぽぽ

 

なんと律儀な作者!と思った。お花見の残骸と言えば、割り箸だのお手拭きだの・・・だろうか。お花見の場所へ捨ててくるのではなくショルダーバッグにあるのだ。
帰宅途中にふとバッグの中をみて作者は「あー残骸がー」と思ったのだろうか。この破調加減がまさに「残骸」のイメージが伝わってくる。そして「お花見」の残骸というのは、桜の終わりだけでなく、季節の終焉、夏へのスタートであると言うのは大袈裟だろうか?
でも・・・桜ってそういうものなんだって感じている。
それにしても、ショルダーバッグってやつは大口開けて季節を飲み込むものだなあ、とつくづく。
 
 
 花の駅発車のベルを聞きのがす     横畠 満子
 

「花の駅」このフレーズだけで優しい気持ちになれる。
この駅舎は読み手によって自由に建てられる事だろう。その立地は自由に定められ、読み手の数だけの「花の駅」が現れるのだ。
私は、以前住んでいた室蘭にある駅を思い出した。小さな木造の駅舎。そこには、小さな桜の木があった。そしてそこは「母恋駅」という印象深い駅名である。
そんな私の中の思い出の景色がこの句を読んで鮮やかに蘇ってきた
この句にはただ花に見惚れて発車のベルを聞きのがした・・・というだけでない物語を感じたのだった。
 

 桜見にまずはメインの卵焼く       村山 睦子
 
 
まずはメイン!そう卵焼きは欠かせないのだ。
そしてその味はそれぞれの好みだ。私はほんのり甘い卵焼きが好きだ。いつか友人達と「卵焼き」談義をしたことがある。ある友人は甘い卵焼きなど受け入れられない!と言う。お醤油で味付けしたのが最高!という友もいた。
長年好んできた味はそうそう譲れないものだ、とばかりに卵焼き談義は盛り上がったものだ。だからこそ、メインとなる訳だ。そして、まずは卵を焼いて「次は何をこしらえようかしら?」という算段となるのだろう。
そう。まずは卵なのだ!

 
 道連れは海苔そして数珠黙の星    三品 吏紀
 

少し解り難いのだけど。韻が好きな句だった。好きとなると、何とか読み解こうという気持ちになる。
そう思わせてくれたこの句はたいそう魅力的ということなのだ。
お数珠と海苔が道連れという。黙の星は亡くなられたご家族だろうか。
星となられた方は海苔がお好きだったのだろう。
海苔の季節が来る度、いっそうこの方を思い出すのだろうなあ。いいなあ。こういうの・・・とつぶやいている。
 
 
 春風や打楽器のごとオートバイ      籬 朱子
 

この春、台北へ旅をしてきた。台北はオートバイが多い街だった。
札幌ではとても見られない数のオートバイがぶわーっと湧いてくるようだった。台北の人々は年中オートバイに乗っている。老いも若きも、男も女もオートバイに乗って買い物、通勤、通学に使っているようだった。
さて、わが北海道。オートバイ愛好家は雪解けをどれだけ待っていたろう。春風を受けてのシーズン到来の喜びは台北のそれとはまた違った意味を持つだろう。
思えば、オートバイのあの音。これは春の音なんだな。と改めて思うのだった。
 

 
(最終回に続く)


 

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