2014年4月13日日曜日

俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その1~




『短詩型における「文語」と「口語」~信仰としての二分類~』


講演  
月岡 道晴

2014年3月8日@北海道立文学館



俳句集団【itak】は3月8日、12回目のイベント・句会を札幌の道立文学館(中央区中島公園)で開きました。今回は、歌人で、國學院大學北海道短期大学部(滝川市)准教授の月岡道晴さんが「短詩型における『文語』と『口語』~信仰としての二分類~」と題して講演。月岡さんは、万葉集や斎藤茂吉などの作品、近現代の評論を事例に挙げながら、俳句や短歌など短詩型文学における「文語」と「口語」、「新かな遣い」と「旧かな遣い」の現状や意味合いを解説しました。講演の詳報を3回に分けて紹介します。


俳句集団【itak】第12回イベント抄録 ~その1~


 ■事例① やっかいな制度


まず、制度がいかにやっかいかという例を挙げます。東大教授の品田悦一(よしかず)氏の著書、『万葉集の発明――国民国家と文化装置としての古典』の冒頭にこんな話があります。

ある地方の早熟な少年が「次はバンヨウシュウを読むんだ」と家族に自慢した。するとさほど学もない祖母に「それを言うならマンヨウシュウだよ!」と叱りつけられた。続けて祖母はマンヨウシュウの仁徳御製をすらすらと唱えてみせたという。

 
高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどは賑はひにけり
 

これは実は品田氏自身の話ですが、品田少年はすっかりその話を信じ込んでしまいました。さっそく図書館で借りて読みます。少年少女版『万葉集』を見つけて読みますが、その歌が載っていない。そのはずです。この歌の初出は平安時代の『和漢朗詠集』だからです。祖母は修身か道徳かの授業で教わった生半可な知識を、そのまま孫に刷り込んでしまった。品田少年は『万葉集』の原典を通読する大学2年まで、「仁徳御製」の存在を信じ続けていたそうです。
後に東大教授になる品田氏でさえ、こういうことが起こる。品田氏は、「古典」が成立する背景にこの話の祖母のような、圧倒的な数の「非読者」の存在があることを指摘します。むろん、この祖母もまた同様の「非読者」によってそう教育されたはずです。「制度」がやっかいなのは、だれが悪いというわけではないところにあります。制度の内で「非読者」は新たな「非読者」を生み、その「非読者」はまた新たな「非読者」を生産する。文語、口語も、実際に知らない人が育てて、われわれを縛り付けていることがあるらしいのです。
 

■事例② 茂吉の「万葉調」

 
次に、斎藤茂吉の「万葉調」を挙げます。茂吉は「万葉調の歌人」として取り上げられます。昭和28年に亡くなった際、新聞記事に「万葉調に現代の息吹きを与えた」(『読売新聞』昭28年2月27日朝刊「編集手帳」)、「万葉における叙情の実感やリズムの美しさを、彼の振幅の大きい西洋的教養によって近代のものとした」(『朝日新聞』同日「天声人語」)と書かれました。さらに日本芸術院長の弔辞では「万葉ぶりのしらべに近代的感覚を盛つて幾多清新の和歌を発表」(同年3月2日茂吉葬儀)とあります。だれが切っても同じ形の切り方は、だいたい「非読者」が作り上げているといって間違いない。この記事を書いている人が茂吉の歌を全部読んでいるとは到底思えません。このようなステレオタイプの評言がまかり通ること自体、「非読者」がおびただしくあると推定できる材料です。
歌人や研究者ですら、多くは茂吉を「万葉調」の歌人の代表と見なして疑うことがありません。しかし、茂吉自身はこう言っています。少なくとも芸術院賞を受賞した大著『柿本人麿』を著すまでは、彼は万葉歌について雑誌から意見を求められた場合でも、「気が引けてものが云へなかつた」(同著「自序」)と書いています。「そして同人のうちでは島木赤彦、土屋文明の二君が銘々独特の意力を以て万葉研究に進んだので、私はただ友のしてくれた為事にすがつて辛うじて万葉に親しむに過ぎなかつた」(同)と記しています。これは謙遜というだけではなく、人がいうほど茂吉は万葉に詳しくなかった。
その背景の詳しくは、品田悦一氏の『斎藤茂吉――あかあかと一本の道とほりたり――』(平成22年、ミネルヴァ書房)を見てください(品田氏は、近日新潮選書で『斎藤茂吉 異形の短歌』も著されました)。「あかあかと~」の本は、茂吉の歌の本質をわかりやすく示してくれています。


赤茄子の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり      (『赤光』)
めん(どり)ら砂浴び()たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり  (『赤光』)
 
品田さんは、茂吉の万葉調、文体がこんなふうにできていると分析しています。
まず「幾程」という言葉は、万葉の時代にはありません。文語は主に平安中期の文章をサンプルにして作られていますが、「幾程」は平安時代も終わり、西行の私家集『山家集』が初出です。「腐れて」はさらにだいぶ後になって中世ごろです。「赤茄子」はトマトのことで、近代の造語。品田さんは「剃刀研人」も茂吉の造語と言っていますが、これは泉鏡花「註文帳」の冒頭にもおなじ語が出てくるので、彼が作ったか、あるいは当時一般に通用していた言葉でしょう。「ゐたる」「居たれ」は絶対に平安時代には言わない言い方で、擬似的に古典語をディフォルメした語です。また「ひつそりと」は完全に現代語です。
こうして、一つの時代には同居したことのありえない言葉が、一つの歌の中にごちゃっと集まっている。この何ともいえない居心地の悪さが茂吉の独特の文体、迫力であると品田さんは説得力を持って説明しています。

「(これらの歌には)ことばの歴史上、いまだかつて一続きの文を構成したことのない複数の語詞が…(中略)…ぶつかり合い、互いの含蓄が齟齬をきたして、不協和音を奏でている」(「あかあかと~」)

そして、そのようにして構成された不協和音によって、「一見なんの変哲もない日常瑣末の経験が、こうして、同時にきわめて異常な出来事として読者に突きつけられる。…(中略)…それはまさしく「一種怪奇な天地」である。」(同)と言っています。
茂吉の文語は、万葉調として読むからそう読んで疑いもしないのですが、こうして実際に見てみると、「文語」「万葉調」と一括りにはできないものです。万葉調、文語と決めつけると、その魅力は消えてしまう。それを取っ払って茂吉を見ようと、品田先生は言っています。
品田先生は、それをシクロフスキーなどロシアフォルマリズムの提唱する文芸手法である、「異化(非日常化)」に擬えて説明しながら、『赤光』像をこのように説明しています。

「『赤光』とは、生きてこの世にあることを大いなる奇蹟と観じた男が、まのあたりに生起するあらゆる事象に目を見張り、(おのの)き、万物の生滅を時々刻々に愛惜しつづけた心の軌跡なのだと思う。そこには自明なことがらは何ひとつない。…(中略)…燦爛と光が降り注ぐただ中に変な裂け目がいくつもあって、途方もない暗黒が覗けている。茂吉の特異な言語感覚が、この根源的な生命感覚と共振するとき、『不可思議で奇異な感覚』で読者の魂を揺さぶる歌々が生まれる」(「あかあかと~」)

茂吉の詠作に接する際、われわれが共通して感じてきた何とも奇妙な感覚を説明するものとして、これは出色の見解だと言えます。われわれは茂吉を「万葉調」歌人、文語歌人の枠に押し込んで読み取ってきたのですが、そうした従来の枠組みからはこんな見解はあらわれるべくもありません。
茂吉自身が自分の歌を万葉調と考えていなかっただけではなく、『赤光』が出た当時に、その文体を万葉調ではないと言った人もいます。
『アララギ』赤光批評号に、金沢種美という人が「『赤光』を読みて後の心」という文章を寄せています。
「貴方は何故に従来の万葉調を捨てゝ現今の作風にお移りになつたのでせう」。
このように茂吉の歌は同時代の人から見ると万葉調に見えないような文体だったのが、その後、大正末から昭和戦前にかけて『万葉集』を「国民歌集」に押し上げたブームの中で、『万葉集』の旗振り役だったアララギの領袖たる茂吉が、国民歌人の役を「全力で演じ」始めてしまった。そしてついに最晩年には「万葉調の国民歌人」という役柄のほうが茂吉を演ずるに至ってしまう。
品田さんによるなら、むしろ茂吉は「万葉集に祟られた」と見ることもできます。社会に生きる者にとって、制度は時に便利なものですが、万葉調という制度の足かせをつけて短歌、俳句を見ると、その本質を見落とす部分もあるということを以上では述べました。
 

 ■事例③ 旧仮名ときどき文語混じり


さて、〈口語〉や〈文語〉と言われている文体についても、やはり「制度」という面を無視して考えるわけにはいきません。純粋な「口語」、純粋な「文語」の作など現代の詩歌において存在し得るのでしょうか? かつて歴史の中にそんなものが存在したのか、そもそも存在できるものだろうか――とわたしは問いかけたい。俳句、短歌を作る際「そんな言葉、古典文法で言わないよ」と文句をつけられることがありますが、あまり考えなくてよいのです。後で詳しく述べますが、「正しい」文語の作なんて最初から作ることができないからです。茂吉のように独特な迫力のある文体を作り上げるのが優先されるべきで、辞書を引きながら、文語らしい形に作ることは本末転倒だと思います。その理由はまた後ほど。

『歌壇』 (本阿弥書店) 平成23年1月号に「現代短歌の突破口はどこにあるか――新鋭の提言」という特集がありました。同特集には「なぜ今の時代に文語・旧仮名を使うのか」と自問自答する石川美南さんの文章がありまして、石川さんは自らの文体を「旧仮名(ときどき文語混じり)」と規定しています。これは少し実態に近いと思います。石川さんは同じ「文語/口語」の二元論の思考の枠内にあっても比較的柔軟ですが、しかし、文語/口語の二元論の枠組みがそもそも適当なのかを考えないとなりません。
事例②の茂吉作品などのように、短詩形文学の文体は、文語/口語の二元論の枠内で論じ切れません。「文語」や「口語」、あるいは「万葉調」といったものは絶対的な本質に関わる評価なのではなく、あくまでも他者との比較によって決まる相対的な位置付けです。
 万葉集に出てくる言葉を使っていて、それが他の人の作よりも目に付くようであれば、その歌は「万葉調」と言われる。万葉集の歌と同じように作品を作れる人はどこにもいない。文語で作れている人もこの世に1人もいません。(~その2~に続く)





 つきおか・みちはる

長野県出身。國學院大學北海道短期大学部准教授・歌人。
上代文学会、萬葉学会、美夫君志会、古代文学会、日本文学協会の各学会に所属。
また、歌人としてさまざまな雑誌・新聞等に寄稿(『歌壇』『短歌現代』『短歌新聞』など)。
著書(共著)に『古事記がわかる事典』、『万葉集神事語辞典』、『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』。
朝日カルチャーセンター札幌教室「人麻呂恋歌拾い読み」を開講中。





 
 



 

0 件のコメント:

コメントを投稿