2016年8月11日木曜日

俳句集団【itak】第26回句会評⑦ (橋本喜夫)

俳句集団【itak】第26回句会評⑦

  2016年7月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)

 
 
 はんざきに少しまぶしきこの世かな   伊藤  哲
 

長く俳句をやってるとこのような見過ごしてしまいがちな句だけは拾いたいという気持ちが働く。これは独特の嗅覚みたいなものかしら。だから本当につまらないもの(ありふれたもの)、だからどうしたの なんて句を拾ってしまうこともある。山椒魚は長く長く地球上にいすぎて、だんだん疲れているはずだ。光をみる目も退化しているので、たまに日の目をみたらそれはそれは「まぶしい」だろうと想像がつく。この句の美点はふたつあり、山椒魚を「はんざき」としたところ、中七の「少しまぶしき」この「少し」がとてもよい味を出している。普通初心者には「形容詞」は要注意と教えるのであるが、このような使い方ならオーケー。「少し」がはんざきのつつましやかの地球上での生き様を表しているし、作者のつつましい生き方も彷彿させられる。
 
 
 一列に身の半分の片陰を        中田真知子
 

不思議感まんさいの句。すべての言葉が片言で俳句の原型。切れもない。ただし片陰をの「を」が最後まで気になった句。一列に繋がるひとの列があるとする。その半分が片陰の中に入り、半分は片陰から外に出ている景を詠んでいるのか それとも何か人の列があって、自分も並びたいのだが、鬱屈した気持ちがあって、入れず、気持ちとして自分の体の中の半分だけ(これを片陰と隠喩して)を入れようとしているのか  謎だ。
 
 
 さくらんぼ空にまんだら放ちけり     平  倫子
 

句会でこの句を採ったひとが解説していたが、さくらんぼのなっている木の下から空を見上げればさくらんぼのなっている様がまんだらにみえるはずだと。たしかにそうだと私も思った。そうするとこの句はとてもかっこよい句だと思った。ただわかりずらいかもしれない。十分に作者の句意は添えないかもしれないが「見上げれば空にまんだらさくらんぼ」とすれば理解しやすいかもしれない。
以上です。
 
 
たしかにわたくし、俳句ドランカーになってしまい不調ですが、これで勘弁してください(了)。
 
 
※主宰としてのお仕事もお忙しいところたくさん読んでいただき、ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。早くに原稿を頂きましたのに公開が遅くなりましたことを喜夫さまと読者のみなさまにお詫び申し上げます。(^^(事務局 J)

 
 

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