2016年8月31日水曜日

俳句集団【itak】第26回イベント抄録

 
俳句集団【itak】第26回イベント抄録

『 男の恋句 ♥ 女の恋句 』
 
トーク  橋本 喜夫(俳人)
      瀬戸優理子(俳人)
 司 会  高畠 葉子(俳人)

 
 
2016年7月9日@札幌・道立文学館
 

 
 
高畠葉子(以下葉子)
 
みなさんよろしくおねがいいたします。

最初の段階の企画では「俳句で恋バナ」という企画でした。高校生は俳句で恋を表現するのかというところを取り上げたいと思いました。
すると五十嵐秀彦さんが「コイバナってなんだよ」と言われ「恋バナ」なが通じないということで衝撃をうけこの企画を思いついたわけですが、高校生の参加をあてにしていたものの折悪しく文化祭のスケジュールとぶつかってしまって参加がない様子でしたので、企画の内容を見直し、「恋句ってどうなんだろう」というテーマでやることになりました。
 
とは言いながら本日、高校生が来ていらっしゃいますので、あとで少しお話を聞きたいと思います。
では、今日の出演者にそれぞれ自己紹介をお願いします。
 













橋本喜夫(以下喜夫)
 
橋本喜夫です。
本当は今日は山田航さんもいる予定で、男と女2対2のはずだったのですが、2対1となってしまい旗色悪いです。
 
「橋本に恋が語れるのか」と五十嵐が言っておりましたが、確かに恋は語れませんけれど、恋の句は語れるかと思います。今日はよろしくお願いします。
 













瀬戸優理子(以下優理子)
 
いつもお世話になっております。瀬戸優理子です。
いつもは観客席から気楽に見ていたのですが、何の因果かこういうことになりました。
 
恋句ということのですけど、俳句の世界ではあまり私を詠まないとか恋を主題としないとか、しないということもないんでしょうが、恋の句を詠んでもあまりとられないよとか、チャレンジされない現状があるようです。でも20代の後半から俳句を始めた私は、恋句から入ったんですね。そして、それが句会でも喜ばれ、「場が若返る」と歓迎されました。俳句の中でも恋というテーマはわりと身近にあったという感じですね。今日はそういうスタンスでお話をしたいと思います。
 
3人が選んだ恋句を見るとそれぞれ個性があらわれた選句になっているので、面白いなぁと思っております。よろしくお願いします。
 

(葉子) 
 
お手元の資料にそれぞれ3人が選んだ句と自作の句が出ております。これは好きか嫌いかというより気になる句というか本日のトークショー用に選んでいただいたんですが、それなりに好みが反映しているようにも思います。

さきほども言いましたように最初は高校生を主体に考えていたもので、実は現役高校教師の私の友人がクラスでアンケートをとってくれました。15歳の生徒達です。

 
♥ アンケート内容
 
 1、クラスの中で恋バナってしますか
 2、ラブレター書きますか
 3、告白の手段はなんですか
 
結果は、
 
 ・男子生徒17名の3分の2は恋バナしない。
 ・女子21名、ほとんどする、大好き、好物。
 ・外出したときとかお泊りしたときとか、恋バナで盛り上がるということでした。
 
♥ ラブレターはほぼ書かない。
 
告白の方法は何ですか、メール、電話、手紙と聞いてもらったのですが、返ってきた答えはほとんどがLINEでした。
これにも私は時代から取り残されてるなと感じてます。
 
それでは本日高校生が来ていらっしゃいますので、一問一答でお話を聞くところから始めたいと思います。

S高校のAさんですね。よろしくお願いします。かわいらしい女子高生さんです。
では同じ質問をしたいと思います。
 
♥ 恋バナってしますか?
 
(Aさん)
 
♡ 一回始まると出すとけっこう話してしまいます。
 
(葉子)
 
♥ それはどういうシチュエーションで?
 
(Aさん)
 
♡ 日常の中で友達とおしゃべりしているとそういう話になります。
 
(葉子)
 
♥男子生徒はどうですか?
 
(Aさん)
 
♡ 男子はたまに教室で話しているようです。
 
(葉子)
 
♥ ラブレター書きますか?
 
(Aさん)
 
♡ むかし一回書いたことがあります。
 
(葉子)
 
♥ ご自身の作品で恋のテーマで作ったことはありますか?
 
(Aさん)
 
♡ 短歌で一回あります。 
 
(葉子)
 
♥ 俳句では?
 
(Aさん)
 
♡ 俳句ではありません。

 
(葉子)
 
♥ 告白するとしてメールですか、電話ですか。
 
(Aさん)
 
 メールです。
 
(葉子)
 
♥ それはLINEですか?
 
(Aさん)
 
♡ LINEです。

 
(葉子)
 
ああやっぱりそうなんですね!
ありがとうございました。


ではこれから私たちの話で進めていきます。
まず橋本喜夫さんからお願いします。

(喜夫)
 
最初の3句です。
 
 
 数ならぬ身とな思ひそ魂祭り     芭蕉
 
寿貞という奥さんが死んだときの句です。
橋本の独善口語訳というのを作ってきたのでそれを読んでみたい。
 
「自分が死んだってものの数のうちに入らない なんて思わないでくれ おれも含めてきみの初盆を悲しんでくれるひとはたくさんいるからね」
 
芭蕉51歳でなくなる6ヶ月前に詠んだもので、前書きに「尼寿貞身まかりけると聞きて」と書かれています。
禁止の「な・・・そ」動詞の連用形を挟んで使用する。
「な」が副詞として「そ」が禁止の終助詞として使われている。これは次回イベントのテーマ。
 
 
 老いが恋わすれんとすればしぐれかな     蕪村
 
中国の故事を下敷きに詠んだものらしいが、蕪村そのひとも六十代半ばにして、芸妓小糸との痴情に溺れる時期でもありました。
 
「老いらくの恋と世間は言ってるんだろうな そろそろ引き際かなーと 思っていたら折から しぐれが来て おれの禿げ頭をしとど濡らしているよ」
 
 
 ゆめに見る女はひとり星祭     石川桂郎
 
1975年に食道がんで死んでいます。「風土」の主宰でした。石田波郷の弟子です。第1回俳人協会賞。現代俳句協会分裂のきっかけとなった俳人。「裏がへる亀思ふべし鳴けるなり」が代表句ですね。この句は
 
「おれは確かにもてるけどさ でも夢に出てくる女は君ひとりなんだよ でも君はもういない だからひとりで七夕祭をすごそうと思うよ」

(優理子)
 
最初の4句いきたいと思います。
恋句と聞いて私の中で外せないのは、桂信子さんと鎌倉佐弓さんです。
桂信子さんはみなさんご存知の通り女性がまだ自由ではなかった時代に性愛を詠み注目されました。
「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」、「やはらかき身を月光の中に容れ」などがよく知られていますね。
でも私が注目したのはこの句です。
 
 
 いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす     桂 信子
 
先に引用した2句は少し主観的なものだったのに比べて、この句は自分自身を客観的に見ているように思えます。「四肢」という少し硬い言葉を使って詠んでいるところが恋を詠みつつ感情に流されない俳句的表現として注目しました。
 
 
 花菜畑ざぶんと人を好きになる   鎌倉佐弓
 
鎌倉さんは夏石番矢さんの奥さんですね。鮮烈なデビューをした方です。
明快な言葉遣いとオノマトペ。人を好きになるときのきっぱりと肝の据わった勇気があらわれている。だれしもが共感を抱くであろう人を好きになるときの思い切りを感じさせる詩的で明るい句と思います。
 
次に、佐藤文香さんと堀下翔さんの句を選びました。どちらも俳句甲子園のアイドル的存在ですが、この2句は期せずして呼応した句となっています。
 
 
 手紙即愛の時代の燕かな     佐藤文香

 こひいつもその日のことの燕かな     堀下翔
 
文香さんの句は最近の句集「君に目があり見開かれ」にも収載されていますが、その前に「新撰21」にも入っていた句です。
翔さんの句は、「大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳」(ゆまに書房)に載ってます。
 
文香さんの句は手堅い一句になってますね。さっきメールの話がありましたが、王朝時代には手紙で恋心を伝えたわけで、そんなじっくりと恋をはぐくむ旧きよき時代を思わせるノスタルジーも感じさせながら、燕が飛んでいくという恋する気持ちの自由さも思わせる。これは、時代を問わず共通のもの。歴史的重厚さを醸しながらも、さわやかに重くならずにしている手練れな句と思います。
対する翔さんの句は、平仮名を多用してやわらかく深刻ぶらずに書きながら、「燕かな」とおさめることで、きっちりと仕上げていますね。
 
恋というのはその日その日の積み重ねで、いつまで一緒にいられるかなんて考えない。いま好きだから一緒にいるんだよ、というのをカジュアルに若い感覚で内容は軽く詠んでいるんですけど、俳句という形をとるとそれなりに重厚な、というか軽く書きながらもしっかりとしたものになっているところが堀下翔俳句なのかな、という感じがいたしました。
 
(葉子)
 
葉子が選んだ句、最初の5句について触れます。
青春性という視点から選んでみました。
寺山の句はとにかく青々とした青春性を感じる句。
 
 
 林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき     寺山修司
 
それから次の二人。松本恭子さんと大高翔さんです。
 
 
 恋ふたつレモンはうまく切れません     松本恭子
 
 ぶらんこ漕いで漕いでる別れなければと     松本恭子
 
 逢ふことも過失のひとつ薄暑光     大高翔
 
 火恋しふれてはならぬものばかり     大高翔
 
どれもわかりやすい表現。俳句を普段作らない人でも受けとりやすく共感してもらえるのではないかと思い、選びました。
 
松本恭子さんの「ぶらんこ」の句は俳句的にはつきすぎていて発想もたやすい句と思われるかもしれないけれど、たとえば俳句を初めて読むような人にも共感してもらえるのではないか、そう思い選びました。二人とも私と同じ世代ということもあって共鳴するものがあります。
 
大高翔さんの「逢ふことも」こちらもわかりやすすぎるし、「火恋し」の方がどちらかといえば好きなのですが、こうして並べてみることで俳句の入口に立っているような人たちにわかりやすいのではないかとも思います。
 
ウエブ上で恋の俳句と検索すると俳句になっていない、ただ五七五になっているだけのものがいっぱい検索される。だけど恋を俳句で表したいという人はたくさんいるわけです。
たとえばこんな句がありました。
 
 「恋だけは許してあげる泥棒さん」
 
「恋泥棒」にかけているわけですが、たとえこんな句であったとしても胸キュンになる句を作りたいと思っている人は多くいるのだと思います。

(喜夫)
 
恋の俳句賞というのがウエブであって、長谷川櫂さんが選をしているんだけれど、第1回から順に見てみるとこんなのがある。
 
 「初恋の真っただ中や扇風機」
 「告白は直球勝負蝉時雨」
 「白玉や次の恋までひと休み」
 「君を知りきのふの恋を卒業す」
 
回を重ねるにつれてだんだん良くなってはいますが、この程度の句しかないわけですね。このあたりを見ても恋の句というのがいかにむずかしいか分かります。
けれどこういうところから間口を広げるというのも必要かもしれませんね。

(葉子)
 
喜夫さんの口語訳というのが面白いのでみなさんもっとお聞きしたいのじゃないかと。
 
(喜夫)
 
口語訳は、17音に思いをおさめることのむずかしさを知るためにやってみました。
じゃぁ、4番目の句をいきましょうか。
 
 
 妻がゐて夜長を言へりさう思ふ     森澄雄
 
口語訳をしてみます。
 
「お父さん夜が長くなりましたね」夕餉のあとしまつをしながら妻は厨ごしに私に声をかけてきた。私はちょうど道新の夕刊の秀彦のコーナーを読んでいたところだった。わたしも新聞を読む手を少し止めてあたりを見回して「ほんとにそうだな」と心の中でふかく思った。」
 
となるんですね。このぐらい長くなっちゃうんです。
ですから、この句をなぜあげたかというと、今ぼくのまえに広がる風景というとご老人が多い。老いの句で恋の句という詠みかたもあるということを指摘してみたかったのです。
 
若いエネルギッシュでさわやかでときにぎとぎとした恋愛もいいが、たとえば成熟した老夫婦の愛とか、ゆったりとした空気感を詠むことも新しい恋の句なんじゃないか。と思って出しました。

次に、五千石さんの句です。
 
 
 告げざる愛雪嶺はまた雪かさね     上田五千石
 
口語訳いきます。
 
「確かに俺はもともともてない。なんど君に向かって「好きだー」と連発したことか。なんどもなんども心の中では告白している。でも一度も告白しないで終わったな。おりから遠嶺の雪はまた雪をかさねて光り輝いているよ。告げざるままに幾たび雪嶺は雪を重ねるのだろうか。」
 
こういう具合になるんですね。これは上田五千石の第一句集「田園」に入っているんですが、この「雪嶺はまた雪かさね」、「雪嶺」「雪」の畳みかけ、雪重ねでさらにたたみかけ、「また」などとくどいんですよ。ふつうはこういう句ってよくないって言うんですが、このたたみがけがこの句のよくできているところだとぼくは思っています。

次、石原八束の句。
 
 
 死顔の妻のかしづく深雪かな     石原八束
 
「長く患っている妻が今日は珍しく体調がいいのか、朝から床から起きて来てあれこれと自分の世話を焼いてくれている。長患いのその顔は色白く、頬がこけて死に顔のようになっているが、おりしも今朝は昨夜からの大雪が降り積もり、白く光り輝いていてその妻の顔を美しく輝かせているようだ。」
 
長く患っていた妻はスモン病でした。
 
八束先生のこの句ずいぶん前から知っていて、記憶していたが、「死に顔の妻」という表現がとても客観的な、冷たい感じがして、そこが気にいってはいなかったのです。しかし自分も同じ経験をして、妻が短期間退院して、帰宅したとき洗面台で私が顔を洗っていたら、後ろから妻が私を覗きこんだことがあって。そのとき一瞬この句が頭に浮かびました。
八束には「妻あるも地獄妻亡し年の暮」という句もありましたね。
 

 汝が性の炭うつくしくならべつぐ     長谷川素逝
 
「お前の性分なんだなー。今年もこの冬使うであろう炭や、ここ数日間で使うであろう炭をきっちりとうつくしく並べておいて無駄なく使ってくれている。口には出さないがありがとうございます。」
素逝の句に関してこぐま座結社誌に一句鑑賞として掲載された拙文の一部を挙げてみます。
「日常の仕草はどんな些細なことでも、その人の性分を表すものだ。「なが性の」で切れているのが、この句の眼目である。「お前の性分なんだなあ。今年も炭を美しく並べて継いでいるのだな。」そんな素逝の妻ふみ子への感謝の念が表白されている。戦地で病(結核)を得て、帰国した素逝の生活は苦しかったはずで、それを切り盛りしている妻ふみ子の几帳面な一面も掲句から、読みとれる。平畑静塔の言うように「残世を思う心細さと悟り」も感じられる句だ。初期の素逝の愛の句「さよならと梅雨の車窓に指でかく」は甘さがあるが、この句にはそれもない。夫婦愛を詠んでいてもべたつかず、静謐な句でもある。」
ずいぶん貧乏だったようで、炭も数えながら使わねばならなかった日常を詠んだ句です。
 

(優理子)


 花冷えのちがふ乳房に逢ひにゆく     眞鍋呉夫
 
この方は小説家でもありまして、純粋な俳人とは少し違う世界観があります。
恋句というとき切り離せないものに性愛というのがあって、それをあまりナマに出すと引いてしまう人もいるかもしれません。
「ちがふ乳房に逢ひにゆく」というとすごく衝撃的と言えばそうなのですが、やっぱり「花冷え」という季語の力があって、そこが秀逸と思います。その季語によってある種の孤独感が表現されていて、単なる浮ついた恋句になっていない。美しさも感じさせます。
 

 情事に似たりこもりて鯨煮ることよ     草間時彦
 
サラリーマン俳句とグルメ俳句で有名な作者です。代表句に「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」があります。
食と情事が重ね合わされている。食べることも性愛も「口」を使うという面で共通性を指摘されることが多々あります。
情事からかけはなれた日常の中、ふとしたきっかけでエロティックな気分を思い起こす場面がある。そういう作り方もあるなぁと思いました。
 
次は女性の句


 ふつつかな男ですけど しめさば     羽村美和子
 
この方は私の知り合いで、「wa」と「豈」同人です。
口語、一字空け、字足らずと、果敢に不安定な攻めた詠み方をしている。間があって「しめさば」となっているところにためらいや含羞で一直線には向かわない相手に対する愛情を感じさせるものがあります。「しめさば」の甘酸っぱさもいいですね。面白い句と思って入れてみました。
 

(葉子)
 
ここであげるのは2句。


 人体の自在に曲がる蛍の夜     寺井谷子
 
 どこまでが帯どこからがおぼろの夜     津沢マサ子
 
作者の意図とは違うのかもしれないけれど、エロティシズムを感じる句と思いました。さて、どうでしょうか。
この句にエロティシズムを感じるかどうか分かれるかと思いますが、私は感じているんです。美しいんだけれど、その奥深いところにエロスを感じる。
 
先ほど優理子さんから性愛の表現というのが出てきたのでそのことに触れてみたい。
喜夫さんはそれをどう思うか。
 

(喜夫)
 
好きですよ。
でもぼくの選んだ句の中にはないですね。
 
復本一郎の「俳句におけるエロス」という本を読んで、そこで恋とエロスとは違うということが述べられているんです。
エロテイシズムとはひとをひきつける性的魅力であるから=色気という日本語が近い。
エロティシズムと恋とは違うので恋句を選んだわけです。
 
恋=色、エロティシズム=色気と定義。

恋は特定の相手、不特定の相手の場合はエロティシズムという。
そこを分けるという考え方がある。それは私にもわかると思いました。
恋は一対一というものだと思います。古臭いけども・・・。
 
 
(葉子)
 
それは古臭いというより、倫理でしょうね。
 
(優理子)
 
恋句は頭で作っている感じがします。エロティシズムは身体的感覚なので女性の方が得意かと。
 
(葉子)
 
優理子さんの選の中に具体的なものが挙げられているようなのでお願いします。
 
(優理子)


 夏木立カナリア色に肩抱けり     田中亜美
 
田中亜美さんは「海程」の人。これは性愛というわけではないと思いますが、恋の雰囲気はよく出ていますよね。カナリア色というのが、青春の輝きを思わせる、とてもキラキラした句です。鎌倉佐弓さんの「ざぶん」の句にも共通したものを感じます。
性愛とまではいかない、恋の始まりを予感させるスキンシップの「肩抱けり」ですが、そこに「夏木立」を合わせたところがよいなと思いました。
そして次がびっくり。


 姫始め額に巨木生えている     佐々木貴子
 
なんというか…インパクト抜群のすごい句ですね。
作者は「陸」に所属。この句は句集「ユリウス」に入っている句で、「ユリウス」は田中裕明賞にもエントリーされた作品です。
「姫始め」の季語には、さまざまな意味がありますが、これは男女の交わりを詠んだと解釈していいと思います。というか、作者もそれを狙って作っているかと。太古に通じるような性の讃歌、そして巨木が額から生えてくるという、自然と人間が一体化した感覚。
桂信子とはちがう生命力を感じさせる句と思いました。
 

(喜夫)
 
高柳重信の句です。
 

 きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり   高柳重信
 
無季句ですね。ここに男と女の恋の違いがある。
 
「ずっと好きだった昔の彼女が東京に嫁に行ったと風の噂で聞いた。それは自分にとっては一つのそしてとても大きな訃報に他ならない。自分の中で何かが死んだのだ。」
 
女は明日になったら忘れられる。

(優理子)
 
二ヶ月ぐらい(笑
 
(葉子)
 
ダスティン・ホフマンになれなかった男という感じの句ね。
 
(優理子)
 
文学作品にすると「すかす」というかどうしても作ってしまうところがあって、そんなナルシスティックなところがイヤ!
 
(喜夫)
 
へたしたらストーカーになっちゃう。
 
(優理子)
 
まじめな話をすれば「遠き一つの訃に似たり」なんて俳句的にはとてもすぐれた表現とは思いました。
 
(葉子)
 
私たちの世代には共鳴できても優理子さん世代ではちょっといやだなと思うところが面白い。
 
(喜夫)
 
男は長くひきずるが、女はすぐ忘れる。このへんでやめておこうか。
 
 
(葉子)


 脱ぎたての彼の上着を膝の上     池田澄子
 
 雪まみれにもなる笑つてくれるなら     櫂未知子

私は俳句を始めたころ池田澄子と櫂未知子に影響を受けました。未知子さんという同年代の句に触れたことが大きかったと思います。
各世代でそれぞれ共鳴できて俳句をやりたいと思える句があり、私の場合にはそれが櫂未知子さんでした。
池田澄子さんの句は甘いかもしれないけど、こういう世界にあこがれる気分があります。

 
(優理子)
 
池田澄子さん「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」の句で有名で人気のある人で私も好きです。
わりと「夫恋」の句が多いように思います。
 

 初恋のあとの永生き春満月     池田澄子
 
恋の情熱を燃やすのはやはり若いころ、しかしその後の時間も長いんですね。そんな時間の流れが表現されていて、季語「春満月」で締めるところのふくよかな感じがうまい。
初恋のあとの長生きをどう生きるか、だよなぁと思わせる句。年を重ねたら、こういう恋句を詠んでみたいというお手本です。
 
(喜夫)
 
鬼城の句。


 女房をたよりに老ゆや暮の秋     村上鬼城
 
誰だってそうだろ、と思ったりネタミのような感情をもったりしていたが、後でこの句の添え書きに「十三回忌」と書かれていたことを知って評価が変わったんです。
 
「秋も終わりの今日は死んだ女房の十三回忌だべさ。女房には生きていたときもお世話になったが、そのあとの十三年もおれは女房がこころにいたから頑張れたんじゃ。これからも女房をたよりに生きて、なるべく子供や孫たちに嫌われない爺さんになりたいもんじゃ。」
 
ぼくにとってはとてもイタイ句で、すごいと思いました。
 

 短夜の看とり給ふも縁かな     石橋秀野
 
唯一女性の句をあげてます。
 
「あれま今日も汚いしょたしょたの背広でお見舞いにいらしたのね。髭のそり残しもあるわよ。私がお世話できないのが悪いのだけど。夜も短くなってもう少しで明るくなりそうだわ。いつもいつも見舞いに来てくれてありがとう、言葉には出さないけど深い縁を感謝しています。もう少しこの短夜が続いてくれたらいいけど。」
 
しょたしょたの背広で見舞いに来た夫は有名な山本健吉ですね。

(葉子)
 
それでは最後にそれぞれ自作の恋の句を出してもらってるので、その句について。
 
(喜夫)


 髪濡れて海霧のつめたさのみを言ふ     橋本喜夫
 
ぼくの句だけ恋の句なの?って感じです。
 
この句は岡井隆の影響でして、岡井さんの短歌にこんなのがあります。
 
「抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言ふ 」
 
これが好きで、こんなものを俳句で作りたかった。死んだ妻を故郷の霧多布にはじめてつれていったときの句です。
でもまあそういう解説をつけないと、これが恋の句ってわからない。
そこが短歌と俳句の違いかもしれない。

(葉子)
 
最後の鬼城の句には最初「へー?」と思ったわけです。そして喜夫さんの句もこうして背景を聞くと鑑賞も変わる。

(優理子)


 風花や握力不足の男の恋     瀬戸優理子
 
かなり昔のものを出しました。そのままストレートに、「あとひと押し、もっと積極的に来て欲しい」という願望を詠んだ句です。これまであげた句を見ても、恋を詠んだ場合、女性の方が俳句は力強いなぁと思います。

(葉子)
 
私の句が最後になってしまって「しまった!」と思っています。


 六花六花鎖骨があいつに逢いたがる     高畠葉子
 
身体感覚そのものの句。ストレートすぎるかもしれませんね。このままです。
 
 
(喜夫)
 
最後に少し季語に関して思うことを話しておこうと思います。
高橋睦郎の「私自身のための俳句入門」で、俳句における季語は短歌の相聞だというのがあるんです。

短歌の相聞が俳句では季語に引き継がれていったのかもしれない。
たとえば今回の選句された30句を見ても季語の持つイメージというものを感じます。
 
 「しぐれ」  どちらかというと失恋に使いやすい
 「星まつり(七夕)」 おりひめ、ひこぼし のイメージ
 「短夜」  きぬぎぬのイメージ
 「いなびかり」  びびっとくる びびび婚もあることだし
 「洗い髪 髪洗ふ」  女性がナルシシズムにて使用
 「花冷え」   すこし失恋めく
 「春」     恋のイメージ
 「姫はじめ」  はじめからエロイ
 「リンゴ 林檎  林檎の花」

  きみ帰す朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ   北原白秋
 
 「蛍」       むかしから多い
 「おぼろ」      使い勝手が良い
 「雪」    使いようによっては相聞で使用可能
 「ふりつもる」 感じが 恋心のつのる感じと通底する

季語をうまく使えれば恋の句もできるのかもしれませんね。

 
 
(葉子)
 
最後にもう一度Aさんに登場願います。
 
♥ この中で共鳴句はありましたか。
 
(Aさん)
 
♡ 優理子さんの選んだ「花菜畑ざぶんと人を好きになる」の句がいいなぁと思いました。わかりやすくて共鳴しました。

(葉子)
 
私もその句が好きです。Aさん、ありがとうございました。
 
さて今回は幅広い人たちに俳句の視点を、もっと生活の中とかでご自身の精神の発露として持ってみたらどうだろうという切り口からも話しをしてきました。

喜夫さんがおっしゃっていたように、老いてくれば老いの恋というものも詠める。
瀬戸さんからは世代によって共感するものの違いがあるということが聞けました。

ということで次回は文法を学んで、古くからの作品を深く読み解ける俳人になろうじゃないか! と次回につないだところで今回のトークショーを終わりにいたします。
みなさんありがとうございました。
 
(終り)
 
 
☆抄録 五十嵐秀彦(いがらし・ひでひこ 俳句集団【itak】代表・雪華、藍生)


※当日急な指名にもかかわらず、質問に答えてくださったS高校のAさん、大勢の目の前でプライベートなことをいろいろと伺ってしまい、ごめんなさい。お陰様でトークショーの内容がとても活き活きしたものとなりました。【itak】幹事会として厚く御礼申し上げます。
 
 
 
 

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