2016年2月10日水曜日

『りっきーが読む』~第23回の句会から~ (その1)


『 りっきーが読む 』 (その1)
 
~第23回の句会から~

三 品 吏 紀
 
 
  ども。りっきーです。今回は読むの方に登場です。
ここ最近はなかなかタイミングが合わず【itak】に参加できない回が続き、お仕事サボり太郎になっておりました(´―`)
そんなおサボり太郎のワタクシに事務局の野良猫さんから、「『読む』、書け(#^ω^)」とのお達しをいただきましたので、久々に今回『読む』を担当する事となりました。
因みにやぶくすしのオニーサンが句会評を公開している筈なので、それぞれの句の俳句的技法や文法の解説など難しい事は、全部そちらにお任せしたいと思います(丸投げ)( ̄▽ ̄)
ワタクシりっきーの方は単純に、読んだ句についてどのような景が浮かんだか、どんなイメージを持ったかなどをダラダラ書き流していきたいと思います。
あ、今回も妄想力全開で書いてますので、「おいおい、その感想はちょっと違うんじゃ―ねーの?」なんて思っても、大目に見てやってくださいm(_ _)m
さて、では読んでみよう! 

 

  わらべうたむかしばなしにつもる雪    増田 植歌

小さい頃何度も読み聞かされた絵本、テレビで見た昔話。
その中に出てくる冬が舞台の話(かさ地蔵とか)などは、子供ながらに「うわぁ、本当に寒そうだなぁ」と想像をどんどん膨らませて話に聞き入っていたのを思い出す。
特に冬の夜にしんしんと積もる雪は周りの音を一切吸い込み、辺り一面静寂に支配される。  無音の銀世界が広がるなか、今度は一体どんな物語が紡がれるのだろう。 



   黒髪に隠すにきびも初日の出       宮川 双葉

結構目立つにきびがポツンとできてしまい正直誰とも顔を合わせたくない(見られたくない)、そんな微妙な気持ちが読み取れる。黒髪に隠すという措辞が、なんとなく年頃の女の子を思わせる。男子だとそこまで繊細にならないだろう。(今時はそうでもないか?)
思春期特有の恥じらいというか、些細な事だけれども心がすぐに揺らいでしまうような、そんな思いも取れる。何にせよ「若さ」がじんわり溢れているような一句かと。 



  遠い日の私の背中雪つぶて        齋藤 嫩子

近年は真冬でも外で元気に遊ぶ子供達というのは、結構少なくなっているような気がする。
今や世の中はインターネット、スマートフォン、携帯ゲームが氾濫し、そして塾や部活に習い事で随分と自由な時間も減ってると聞く。
近所の小さな公園もいつの間にか消えてしまい、アパートや住宅がどんどん建てられてしまっている。大人たちが子供達の自由に遊ぶ場所も機会も奪ってしまっている今、だからこそ作者は外で雪合戦する子供たちの背を見て、かつての自分の子供時代を重ねているのだろう。とてもストレートで景の浮かびやすい句だと思う。 



  寒紅のまだふつきれぬ思ひあり      松原 美幸

大事な人と紡いできた時間が多ければ多いほど、別れの時は様々な思いが残ってしまう。
人の記憶(心)は味覚や嗅覚、聴覚や触覚といった五感と共に深く刻み込まれるが、この句では「紅」という鮮やかな色、視覚から来るものが吹っ切れない思いに強く結びついているのだろう。
別れてもなお吹っ切れぬくらい人を想う、そんな情念のような句だからこそこの寒紅という季語が見事にマッチしているのではないかと思う。


(その2につづく)

 

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