2015年12月19日土曜日

『葉子が読む』~第22回の句会から~ (その1)


『 葉子が読む 』 (その1)
 
~第22回の句会から~

高 畠 葉 子
 

今回「読む」企画を書かせて!と名乗りをあげた。
本当に久しぶりで、文体をどうしたものか?から始まっている。と気負ったところでクオリティが高くなる訳でもないので普段のままにありのままに(あぁ、最早古い言い回し)書くことにしよう。今回のイベントには私の自宅ご近所である小樽潮陵高校からも参加があったと聞いている。どの句が高校生のものなのか分からないのも、また楽しいものだった。一読これは高校生?とはならなかったという事は、大人っぽい高校生、若々しい大人って事らしい。俳句ってなりたい自分になれるのね。



 敷きつめた銀杏黄葉や去り難し    綾

 近所に高校がある。校門へ向かう坂道には桜・銀杏・萩が揃っている。季節をたっぷり味わえる。秋の色で敷つめられた道を眺め踏みしめ歩くのは晩秋の楽しみだ。さて。作者は去り難しと言う。そうなのだ。365日のうちせいぜい5日程の秋の名劇場だ。どんなに去り難くともやがて朽ちてしまう。美しい景色を感じた時その時間を惜しむと同時にその時に持つ心だとか、物だとか、人だとか、取り巻くすべてを愛しむ事を再認識し去り難くなるのかも知れない。



 山白く喪中のはがきちらほらと    平田 麗子


 11月に入るとまさにちらほらと届く喪中のはがき。年年、枚数が増えて来ている様に感じる。また、喪中はがきを用意する事も増えてきた。この句の後半からの平仮名の表記がはらはらと降る雪も見えるようで効いている。喪中の葉書。喪中のはがき。表記で作者と送り主との距離感も伺える。喪中はがきを手にして思う季語が「山白く」視線が遠くに飛んでいる所がいいな。

 

 淡恋と弾け飛びたる冬苺       銀の小望月
 
 読みは「あわこい」としたい。いや、それ以外ないでしょ!という声もありそうだけど・・・。「たんれん」はないよね。淡恋と冬苺。まして弾け飛ぶという。淡い恋と言ってるけどさぁ、本音の所では別の想いがあるのよね??なんて読んでみる。確かに冬苺の粒粒ってぱんぱんに張って今にも弾けそうだし。そんな思わせぶりな?作者にまんまとハマり花言葉まで調べてしまった。冬苺の花言葉は「未来の予想」「尊重と愛情」「誘惑」とあった。ほう!と唸った。
淡い恋は弾けてどうなったのか気になるよ!
 

 木の葉散り山の地蔵も眠りけり    山納 秀俊

 季節ごとの地蔵菩薩を思うと秋に眠るというのはとてもよく似合う。ひと仕事終えたようにいったん眠るのだろう。しかし世の苦悩を包み込む地蔵は冬に目覚め人々の苦悩を包むのだ。笠地蔵のプレストーリーの様だ。
 

 凩や声を涸らして歌ひ切る      山鹿 浩子

 木枯しではなく「凩」が相応しい。歌い切ったという作者の一途さを思う。声を涸らしてとは言っているが、心の内の叫びとも読める。声を涸らし、心を涸らしやり切ったという作者は凩の先にある新たなスタートを見つめているに違いない。
 
 
(その2につづく)

 

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