2015年10月11日日曜日

俳句集団【itak】第21回イベント抄録②



俳句集団【itak】第21回イベント抄録②


『鴨々川ノスタルジアってなあに?』 

~八木一紅女の世界~

 2015年9月12日 札幌・道立文学館
 
 

 続いて歌人・山田航さんによる、札幌の下町情緒を写し取った俳人・八木一紅女の紹介です。


◇八木一紅女の世界

<本名は敏(とし)。1897年(明治30年)~1977年(昭和52年)。室蘭市に生まれ、札幌市中央区、現在のZepp札幌付近にて生涯を過ごした。1923年(大正12年)に句作を始め、「ゆく春」に所属。室積徂春に師事。すすきのの情緒を描き続けた俳人で、句集に『花冰』『紅提灯』がある。小原流華道の師範でもあった。戦後の札幌画壇を牽引した画家、八木保次の母>。
 Bocketに、【itak】幹事の青山酔鳴さんに句集「花冰」の書評を書いてもらいました。
このひとの子供がススキノ生まれススキノ育ちの八木保次というおしゃれでかっこいい画家で、その人のことを調べているうちに知った。僕は浅草の情景を描いた久保田万太郎の句が好きなんですが、八木一紅女はススキノの情緒を描いたと感じた。

<薄紅抄 大正14年~昭和7年>

 泣きやみて耳すます子に蟬時雨
 クリスマス雪となりけり待ち侘ぶる
 祖母と寝し子に蚊帳吊つてやりにけり
    旅芸人の子にそゞろ哀れを覚えて
 子鴉の甘へて見たき頃なるに
 手毬唄うたふてやれば弾みけり
 外套に埋めし襟や雪眼鏡
 柚子湯の香肌に移りし寝ごころや

 「子鴉の甘へて見たき頃なるに」の前書きを見ると、旅芸人の子がいるような環境だった。

<白椿抄 昭和8年~昭和15年>

 アイスクリン甚平の子も買つてゐる
 廻りめぐりて水にも飽きし日傘かな
 福引やこよりの端を染めし紅
 人の世を踊りつくして蝶々かな
 凉み台肩の細きを言はれけり
 洗ひ髪いつも若いと言はれけり

 なんとなく下町情緒がある。「人の世を踊りつくして蝶々かな」は青山酔鳴さんの書評、タイトルで取り上げた。この句に限らず、蝶々の句が多い。八木一紅女自身は芸者さんとかいうわけではないが、そういうイメージが出てきてもおかしくない作品。「涼み台~」や「洗ひ髪~」など色っぽい。

<(白椿抄続き)>

   美人画に題して
 女のよわさ絵にうるはしや春の宵
 狂乱の果ての死思ふ黒鳳蝶
 クツションの残り香甘き春の夜や
 牡丹雪一片黒き思ひあり
 椿散る哭け黒髪のとくるまゝ
 紅梅や橋の彼方の廓の灯
 淡雪や淋しがらせる唄が好き
 黒百合や我が夢の花いとし夢

 美人画に題してのことわり書きがある。絵が好きだったみたいで、絵を題材にした句も多い。それで息子を画家にしたのかなとも思う。「紅梅や」の句は今も情景が浮かぶ気がする。この橋はどこの橋だろうと。ひょっとしたら鴨々川にかかってる橋ではと思う。ススキノならでは、ススキノじゃなかったら生まれなかった。

<花壺抄 昭和16年~昭和19年>

 花びらに触れむとすれば薔薇消えぬ
 野菊乱れぬかりそめの夢追へるにや
 洋車呼べば何か寒げに答へ来る
 雲の峰勝たねばならぬモンペはく
 流星や今宵もうたへ恋の歌
 虫の闇紅提燈をともさばや
 美しき夢の燈ともす螢かな

 「勝たねばならぬモンペはく」など完全に戦時中ムードの俳句もある。一方であでやかな花の句もある。「花びらに触れむとすれば薔薇消えぬ」。あでやかだけど幻のようでもある。このころの一紅女の俳句は夢幻的。夢を見ているような。「紅提燈」の「ともさばや」はともしたいという意味だが、紅提燈もすごくよく出てくる。紅提燈ばかり並んだところもある。新たな季題としてみてはどうかという提案もしています。飲み屋の赤提灯とはちがって、夏祭りで子供に持たせるような、子供が持つ小さな提燈。紅提燈には夏祭りのにぎやかな風景がうしろにあるんですね。

<埋火抄 昭和20年~昭和33年>

 紅提燈ゆるる細みちこみちかな
 埋火や激情人を狂はしむ
 胸の燈がふつとともりぬ紅提燈
 誰れも知らじ胸に燃えゐる椿なれば
 紅の紐とけば凉しき面輪なる
 女泣いて帯や崩れん夏の露
 花燈籠かそかにゆるる女かな
 みどり髪月の泉にしたたりぬ

 戦後の作品です。ここに紅提燈がけっこう出てきます。「埋火や~」は非常に熱い句、「誰れも知らじ~」なんかも胸に秘めたものがある。この時期にこういう句が増えた理由は分からないが、戦後まもない時期だったというのが関係しているかも。ボケットの中でも、戦後まもないころのススキノの話を聞いたりとか、場合によっては、そのころの写真が見つかったりすることもある。急激に街が変わっていった時期。ススキノの街の変化というのも、このころの作風の変化に関係あるかなとも思う。「女泣いて~」「花燈籠~」「みどり髪~」若い女性を思わせる。こういう句は一紅女自身だけではなく、芸者さんや遊女さんの姿が背景にあるのかもしれないと思う。

<紺青抄 昭和24年~昭和31年>

 塗下駄のほのめく桜月夜かな
 にじり寄る膝のまろさよ京簾
 買物籠の中にも春の霰かな
 誰か呼べる声ぞはるかに紅提燈
 紅提燈ともすこの子も夢の子よ
 ゴム風船金魚屋も並ぶ春の町
 咲き狂ふ七つのゆめの花氷
 帰る人来る人にゆるるまゆ玉よ

 どこか下町情緒がある。「買物籠~」など生活に密着した句もある。また紅提燈の句も出てくる。このあたりから分かるように、一紅女が詠む紅提燈は夢の中のこと。遠い記憶の中の象徴として出てくる。いつか出会った人だけど、いつか別れた人。一度出会って、もう会うことも無い人。そういうのが紅提燈に象徴されている。「ゴム風船~」下町の状況。「咲き狂ふ~」はお花を氷に閉じ込めたもの。


◇まとめ

こういう都会では生まれない、かといって農村でも生まれない。ススキノという場だから生まれた、そういうモチーフが一紅女にはたくさん出てくる。俳句という文学を考える上でも、自分の育った町と対話する、自分にしか詠めないモチーフを積極的に詠もうとする、そういうのは一紅女さんに学べるところがあるんじゃないかと思う。そして俳句は下町情緒とも相性の良い文学。札幌にもこういう作品があったということで、みなさんに紹介したく思って、今回お話させていただきました。

(了)
※鴨々川ノスタルジア2015は好評のうちに終了いたしました。また来年の企画を楽しみにお待ちくださいませ。 http://kamokamo-do.com/?p=1572 
 


☆抄録 栗山麻衣(くりやま・まい、俳句集団【itak】幹事・銀化、群青)
 
 

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