2015年9月22日火曜日

俳句集団【itak】第21回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第21回句会評①

  
2015年9月12日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
今月もお鉢が回ってきたので、役目を果たすこととする。遅ればせながら俳句甲子園での旭川東高校の準優勝を讃えたい。栄光の影には必ず顧問の先生のご努力があるわけで、今回で定年と聞いている。先生長い間ご苦労様でした。いつだったか、強豪開成高校を破った松山東高校の顧問の先生が男泣きするのを見たことがある。いつか転任先の高校生を引連れて松山で活躍し、男泣きする「〇ジカル佐藤先生」を見てみたいなと勝手に夢想している。さて今回も早速佳句を拾ってゆこう。


 飴玉を噛めば崩るる星月夜     三品 吏紀

飴玉とか喉飴とか意外に俳句になりやすく、よく見るネタではあるが、舐めて溶けるのではなく、崩れるの措辞がよい。崩れる となると雲の峰などの安直な季語を選びそうなところを持ちこたえて、星月夜と「ほどよく飛ばした」のも佳し。「星月夜が崩れる」といった想定外の連想が浮かんで意外に詩的である。


   ヘイ     タクシー
 Hey Taxi 昔の秋に乗せてって  酒井おかわり

岡井隆の短歌など、短歌では英語、英文は成功するが、俳句は難しい。せいぜい鷹羽狩行のOH 程度か。加藤楸邨も英文使っていたが代表句にはなりえない。掲句はその中では健闘していると思う。タクシーをとめて、「どこまで」「私が倖せだったころの、あのころの秋まで乗せてって」。なんか短編小説みたいでいいのでは。


 古書店の奥に河童の棲むところ   ふじもりよしと

一番人気の句。採ったひとたちも、無季であることは気づいていたはず。私の選句評にも〇が点いていた。「戦争が廊下の奥に立っていた」 ではないが、無季句で成功するには「戦争」のようなそれに代わる詩語が必要。この句は「河童」であろう。河童は季語でなくても読者にとってある程度共通のコンテクストというか、詩的共感を持っているのであろう。古書店の奥の薄暗さ、黴臭さもまさに最高のスチュエーションであろう。無季句に点が集まるということは、さすがに現代俳句協会的な俳人が多いイタックならでは(皮肉ではなく褒めています)。これが◎人協会系や、伝統◎句協会系なら一点も入らないということになろう(これは皮肉)。


 君の手に君の皺ある林檎かな    鈴木 牛後
 
林檎を誰かから誰かに手渡すという行為は、ただの動作だけでなく、林檎のもつ詩的イメージもあるから、ただの動作だけでない。たとえば青春俳句の匂いもするし、相聞の匂いもする。しかも「君」のレフレイン。愛する君に林檎を手渡した時、その掌にはそれなりに皺が刻みこまれていた。それは時間という皺かもしれぬ。中高年の夫婦愛としても、感謝の気持ちも籠っていてそれなりに共感が得られる仕立てになっている。私も「地」で頂いた。さすがの作品だ。


 ほどほどの出世諦め菊の酒      高畠 霊人

ある年齢を迎えると仕事人としては先が見えるようになってくる。先が見えればその目標にさらに突き進むひとと、先が見えるので「はっちゃきこいてもしょうがないな」という諦念に似た感覚もできる。これはサボるわけではなく、手を抜くわけでもない。価値観を多様にしようという熟年の知恵でもある。掲句は「ほどほどの出世」を成し遂げているひとだからこそ詠める句ともいえる。これが超出世したひとであれば嫌みに聞こえるし、まったくあさっての社会的にはアウトローだと、負け犬の遠吠えになる。「菊の酒」が季語としてほどよく座っている。
 

(つづく)


 

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