2015年7月27日月曜日

俳句集団【itak】第20回句会評② (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第20回句会評

  
2015年7月11日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 

 つまらない文庫と寝たの夏の風     大原智也

 いただいた句。女の子のつぶやき調に表現したのが奏効している。おそらく文庫を「男」と無意識下に読ませてしまう おかしさも付きまとうのである。「つまらない男と寝たの」でも十分すごいフレーズだ。夏の風のすがすがしさの中で、つまらない文庫を顔の上にかけてうたた寝してしまった。つまらない が決して作者や読者にとって、つまらない、後悔していると思っていない のでは と思わせてしまう力がある。座五の季語は「夏の風」 でおさめたのも良い。先ほども「風ですかした」と表現したが、俳句で座五に困ったときは 風を吹かせるか、適切な植物を持ってくるのが一番穏当な手法だ。「そこにたまたま曼珠沙華が咲いてたから・・・」と答えるのは客観写生を理解していない芸のないお婆ちゃん俳人のよく使うセリフである。採れなかった人はやはり「夏の風」が平凡と思ったのかもしれないが。「ハンモック」「籐寝椅子」のような生活の季語も一考の余地があるかもしれない。

 デモに立つ乙女の髪の月桃花    高畠葉子

 月桃はあまり北の地域ではみない花。おそらく沖縄などのデモではなかろうか。社会性俳句は廃れている平成であるが、社会性というよりも、いま生きている世の中を活写するという意味で機会詩としてどんどん詠むべきだ。乙女という言葉が甘くなりがちだが、甘くならずに決まっている。バックに琉球美人の黒髪が見えてくる。佳句なのだが、点があつまらないのは月桃花がすこしマニアックすぎたかも。ハイビスカス(仏桑花)あたりでよかったかも。作者は当句会では骨のある女流俳人のひとりなので、「点なんか入んなくっていいの」とおこっているかもしれないが。怒らないでね。

 ジーンズの裾折るたびに南吹く    籬 朱子

 裾という足元に視点をずらした構図を設定して、南風という比較的大きくて気持ちのよい季語をかぶせている。「たびに」という措辞でその映像が何度でもリフレインされる。ここではジーンズの触感や、それを履いている若者の姿も想起させている。しかも裾おるたびに若い女性の下肢がすこしづつ凉しげになる。古典的なアイゼンシュタインのモンタージュ手法でできている。もちろん作者本人は星野立子的に「なーんにも」考えずにつくっているのだ。だからこそおそるべし。

 水を買ふこの世当然原爆忌  松原美幸

 「原爆忌の日に水を買う」という行為。水を飲むのではなく、水を買うという現代では当たり前のことが、不思議にひびく。当然 という措辞。わかりやすいようで、わかりにくい。当たり前という意味で使用したのであろう。たとえば「原爆忌この世たやすく水を買ふ」 というようなニュアンスなんであろう。水をください と言って死んでいったあまたの犠牲者を想起させ、コンビニなどでたやすく水を買う現代の行為と原爆忌の取り合わせは素晴らしい。あとは表現法だろう。

 付け爪の気づかれたくて夏帽子    高橋ヨウ子

 夏帽子の鍔へさりげなく手をやる、手の指に付け爪。とてもきれいなネールアートなのであろうか。できたら海の色だといいですね。夏帽子に焦点を置くことで、そこにある爪も見えてきて素材が分散せずにきちんと詠めている。中七の「気づかれたくて」もさりげなくうまい作り。ちなみに私の病院では爪専門外来というのをやっているが、今欧米でも「爪の悩み」はなんと命に関わる高血圧や心疾患と同じくらいにDLQI(患者さんの悩みの指標を数値で表したもの)が高いのだ、だから「髪はおんなの命」ならぬ「爪はおんなの命」なのである。もし「髪がおとこの命」なら、私はすでに命はない。

 吊るさるる凉しさハート葛てふ    松田ナツ

 蔓草に花が咲いてる。その名前が「ハート葛」という名なのであろう。ハート型の花弁なのであろうか。「葛てふ」という「いいさし」のままで終了したので、読み手としては??マークがついてわかりにくくしてしまったのであろう。たとえば「吊るさるる凉しきハート葛かな」 でもよかったのではと思う。作者としては 「凉さが吊るされる」 ということに詩の焦点を当てたいのであれば、「ハート葛」というとても詩のある名前なので感動が分散してしまうのだ。両方言いたいのであれば 「凉しさも吊らるるハート葛かな」 でも良い。とても良い素材なので勿体ない感じがするが、私の意見など無視して結構です。でも諦めずに保存しておいてほしい句です。

 航跡は孤独のひかり月凉し     栗山麻衣

 月に照らされた海面に船の航跡がはかなく消える。一瞬その航跡に月の光が映り、消失する。そのはかなさを「孤独のひかり」とした。航跡=水の動き=澪を ひかり に転用し、直上の月の光へアングルを切り替える作り。「夏の月」ではなくて、「月凉し」が海の凉さまでうかがえる。あんまり点をあつめなかった理由は一口に言えば「孤独」という措辞の難しさであろう。でも難しい措辞であるからこそ、挑戦すべきであろう。私も「孤独」というベタな言葉で俳句に挑戦してみたい。

 
(つづく) 


 

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