2014年5月20日火曜日

俳句集団【itak】第13回句会評(籬 朱子)


俳句集団【itak】第13回句会評

  
2014年5月10日


籬 朱子(銀化)
 
 
 【itak】の句評の4番(3番かも)打者(橋本喜夫)がお休みの為、代打で登場することになった籬 朱子です。今回句評として書いた句の数は、全体の15%程でしょうか。年齢も幅広く、ベテランから初心者までバラエテイに富んだ句の一端を御紹介出来たらと思います。


 北辛夷恋をしないという自由    今井  心
 
 
恋をするのもしないのも自由だが、私は目下恋を<しないという自由>を選択しているということだろう。
<しないという自由>を選択すると、思わぬところで相手に振り回されなくて済むことは確か。 だがしかし、恋とはしようと思って出来るものだろうか?しないと思って止められるものだろうか?? 恋は多くの場合、偶発的なもので、西洋でも落ちる(fall in love with~)という動詞が使われているではないか。 あるいは<しないという自由>という表現が可能になるほど、恋というものそれ自体の認識が変わってしまっているのかもしれない。
この句の呈示した<しないという自由>は一筋縄ではゆかないなぁ。などと、すっかり縁遠くなった身があれこれ心配しても仕方がないか。


 水筒は斜め掛けなり昭和の日    内平あとり


子供の頃の遠足で水筒は斜め掛けが当たり前だった。
というかそのように指導もされていた。
今の子供達はどうなのだろう。今度観察してみるとしよう。
昨今リュックサック(バックパック)を背負う年輩の方々が多くなった。よく見てみるとバックは斜め掛けになっている。
何でも斜めがけにするのは見栄えよりも、安全を優先するためか。そんな手堅さが昭和と響きあっているようだ。
 
 
 連翹のふるへ偏頭痛をちらす    安藤 由起
 
 
「満開の連翹を見ていると、偏頭痛も忘れてしまった・・・」と言うのが作者の気持ちであったと思う。それぐらい連翹の星形の黄色い花はインパクトがある。頭痛を止める位のパワーを持っているのだから花は凄い。
 
 
 春風を堰き止めてゐる献血車    三上 晴海
 
 
イベントがあると会場の何処かに献血車が停まっていることがある。四角くて白い壁のような車の存在感。献血は人の命を繋ぐものだ。
あたかも春風を堰き止めている様だという見立てが新鮮。


 母だけに分かる文字ある種袋    吉村 佳峰


この種袋は店先に整然と並んでいる色鮮やかなそれではない。
ほの暗い抽斗の中に大事にしまわれて春を待つ、母の手作りの種袋。
種袋も古封筒か何かで代用しているのかもしれない。
何と書いてあるか判然としないが、分かる人(母)が分かれば良い。

種袋を作ったお母さんの思いも温かいが、それにも増してその種袋を通して母を思う気持ちが温かい。世代を越えて支持された最高点句。


 絵葉書にA子と書けり寺山忌    五十嵐秀彦


寺山修司の句はほんの数句しか知らない私が、コメントするのは心もとないが、上五中七で分かる人達には分かってしまう雰囲気が、分からない身には切なくもある。
寺山修司を知ってみたい、と思わせるのに充分な1句。


 お隣は夫婦別姓はうれん草     田口三千代


この句も高得点句。若いご夫婦だろうか。夫婦別姓はまだまだ少ない中で、お隣は別姓で通している。
より独立した人格の持ち主なのかなぁ・・・。ちょっと羨ましいような気がしないでもない・・という作者の気持ちもあるのか。
そう思わせるのは、<はうれん草>という季語の健全さが大いに物を言っているからだろう。
 
 
 割箸の数だけありし花見かな    三品 吏紀
 
 
とても俳句的な句。割箸の数=参加人数。その参加人数分の花見がある。これ以上簡潔に花見を言い得た句があるだろうか。
必需品の割箸に着目したあたり、古びることのない江戸の俳諧をみるようだ。
 
 
 刺激して螢袋となる細胞      瀬戸優理子
 
 
刺激して万能細胞になるというSTAP細胞が話題になったばかり。先頭のSはstimulus(刺激)の頭文字だというから、刺激がいかに重要かは想像に難くないが、「なんでも刺激すれば出来るのか?!」という点が問題となっている。 コツはあるらしいが、刺激して螢袋になったら本当に面白い。
この句も前述の<はうれん草>のように、螢袋という植物名を想起したセンスの良さが光っている。
 
 
 補助輪の外れたるとき夏に入る   増田 植歌
 
 
一般的に子供の自転車の補助輪を思うが、多分それはこの句の表面の意味だろう。人生で補助輪の必要な時というのは何も子供時代だけではない。進学した時、就職、転職、退職、習い事に至るまで、何か新しい事が始まる春に補助輪は必要なのだ。

ふっと気がつくと一人乗りできていた。
それまでの時間が<夏に入る>という言葉に上手く集約されている。
 
 
 陽炎や齝みゆたにねまり牛     草刈勢以子
 
 
齝(にれか)みとは反芻のことだという。
捕らえどころのない陽炎と、存在感のある目前の牛。
陽炎が燃え立つ頃の北海道の牧場では、このような光景がいたるところで見られるはず。
静かな大地と生き物の生命力に溢れた句。
 
 
 囀りが毛細血管まで流る      岩本  碇
 
 
北海道は今まさに囀りの真っ最中。小鳥たちの澄んだ声が耳から全身に伝わる心地よさを、言葉で表すのは難しい。
囀りが作者の体に染み渡る感覚を<毛細血管まで流る>と言いきった点に共感した。句の途中に切れが入らないことで、スピード感も生まれた。
 
 
 身の丈に風の重さよ浜防風     久才 透子
 
 
ハマボウフウは砂浜に自生する丈の低い(5~10㎝)植物。白い小花を目にした人もいるだろう。
風を防ぐという名前から、<風の重さよ>という措辞が生まれたのか、それとも作者が身の丈に浜風を感じているのか。
どちらにしても潮騒が聞こえる様な趣のある句。
 
 
 旧道に逸れまつさらの桜かな    内平あとり
 
 
旧道ということは新道があるわけで、すでに使う頻度が少なくなった道というイメージがある。そこをさらに逸れるということは人里離れた山奥に入って行くということだろう。

<まつさらの桜>とは人の世に晒されていないという意味だろうか。 そういう所に咲く桜こそが桜なのかもしれない。
 
 
 ちちははが亡くて先頭かたつむり  新出 朝子
 
 
何と言っても季語の<かたつむり>が秀逸。 こんなところに<かたつむり>が顔を出す。 俳句の魅力を改めて教えられた1句。
 
 
 巨乳に夢微乳に慈愛春溢るる    青山 酔鳴
 
 
哺乳類であるかぎり、どんな形であろうとも乳と無縁ではいられない。ことに春であれば。大小の乳を持つ生き物全てを抱きとめておおらかな賛歌となっている句。   
  

◇ 

 

※朱子さんありがとうございました。次回はよろしくお願いします、喜夫さん♪
 そしてみなさまのコメントもお待ちしております(^^by事務局(J)

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