2013年11月23日土曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~橋本 喜夫~

句集『無量』の一句鑑賞
橋本喜夫

 わが視野を石狩と呼ぶ大暑かな    五十嵐秀彦


『無量』を通読して、感じたのは従来五十嵐氏の俳句に付き纏っていた現代詩的な難解さはイメージだけが先行していたということだ。共感した佳句が多く、そのどれもが難解さなどは感じられず、むしろ「手練れ感」があることだ。もしかして、「手練れ」と評すると作者本人が一番嫌うかもしれないが、季語の選択、言葉の選択力どれをとってもうまい俳人である。作者本人が持っているリリシズムと作者が選んだ師二人の好影響もあるのだと思う。さてたくさんの佳句のなかからあえてこの句を抽出した。作者は仕事上、転勤族であったが、おそらく終の住み家を石狩の地に選んだのではないだろうか。もしくは自分の住んでいる場所あるいは地域をあえて「石狩」と呼びたかったのだろう。さて「石狩」という固有名詞はどういうイメージを持つであろう?広辞苑の記載を借りれば「北海道もと11か国の一つ。1869年国郡制設定により成立。現在の石狩、空知、上川支庁の地域」とある、つまり広大なイメージである。「石狩平野」という地名も想起され、広大なイメージが湧く、「視座」とせずに「視野」としたところも、そのイメージを助長するのだ。作者は高い位置から石狩平野を望んでいたとする。いま自分の見下ろす視野は石狩という広大で肥沃な平野であり、そのような広い視野を自分も持ちたいと望んでいるのであろう。そこで選択した季語が「大暑」。二十四節気の一つで、太陽の黄経が120度のときで、太陽暦では7月22日頃に当たり、暑さが最もきびしい頃である。つまり、大暑という季語を暑さが最もきびしいというイメージではなく、「もっとも巨大な暑さ」という捉え方をしたのである。つまり温度感覚を、空間感覚にイメージ転嫁させて使用している。大暑という季語を石狩という固有名詞でメタファーしたことにより、もちろん厳しい暑さではあるが、広大で、すがすがしく、肥沃な季語として読者は感じ取ることができるのだ。もちろん、自分の視野を石狩と呼んだことで、今後の作者の人生観や、終の住み家まで想起できる作り方である。掲句は時候の季語である「大暑」を用いて、石狩の大景を詠んだ秀句であり、しかも作者みずからの来し方と行方(未来)をも彷彿させる大きな句柄の作品になっている。
( 雪華誌より転載 )
 
☆橋本喜夫(はしもと・よしを 俳句集団【itak】幹事 銀化・雪華)
 
 

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