2013年4月8日月曜日
【itakスタッフ】野良猫リポート#5 ポリリズムの巻
3月9日、外は嵐。
毎度おなじみ「りっきーリポート」ですが担当のりっきーが参加できなかったので
野良猫さんが代打を務めさせていただきます。にゃーご。
野良猫リポート#5 ポリリズムの巻
1月はテストだの受験だの、人間の学校関係者は忙しくて参加できないだろうなとは思っていて。3月はどうだろう?メインは一段落したとはいえ、部活と云う部分では動きが鈍いのでは?
来なかった時の落胆は大きいのであまり考えないようにしていたのですが、参加申し込み有り。高校生が来てくれるとなぜか座が盛り上がるのでスタッフ冥利に尽きまする。
今回から選句のまとめ方を少し見直しまして、これまで参加者各自が選句を読み上げていたものを、選句メモに書いてもらって番号で読み上げていくドライ且つ結構アナログな方法にヴァージョンアップしました。他者の選句状況によって後半の選句がブレることもなくなり、時間短縮にも効果があったのではないかと思います。披講まで各句を声を出して読み上げないので、休憩時間にはお近くの皆さんと「この句っていいわよね」「この句のこれってなんのこと?」と会話を弾ませておいででなにより。
そんな休憩中に某大きなお兄さま方とお姉さまが「ごにょごにょ」「ぱ・・・む?」「・・・でしょ?」と話し込んでいらっしゃるので野良猫さん@聞き耳頭巾参上。「どうされまして?」。そうしましたら、「パフュームでしょ?」とのお答え。「へ?」「だからポリリズムってさ」「あ~パフュームの曲にありますけどね~」。でもこれは選句表に有った「春の風ぶつきらぼうなポリリズム」のことですよねぇ。
「ポリリズムって何?」「ポリフォニーのポリっすかねぇ?」「だからさ、パフュームの」「音楽用語?」「ポリゴンデータ関係ありますかね?」「いやだからポリってなに?」・・・(至るカオス・もう、おうちに帰ってググろうニャーん!)的な結論の出ない我等の会話に、痺れを切らした「ポリリズムのことですか?」という若々しい声!おおー待ってたよ君、さっきからこっちチラ見してたのを野良ちゃんはみてたんだよ!知ってるなら、知ってるなら、知ってるならさっさと教えてちょうだいーーー!
「えーポリリズムというのは」「はい」「ポリリズムというのは音楽用語で、多重的な、とかそういった意味で」(もっと簡単に頼むよ)「いろいろな方向から音が重なって」(zzzzzうぅ、よくわかんなーい)「ぁwせdrftgyふじこlp;@:」(ごめんなさい、音楽用語だってこと意外一歩も前進してないのTT)「で、このポリフォニーの有名な曲がドビュッシーの月の光」(あ、それはわかるよ、わ~んわかるよ!)「つまりはそういったことであります」(ありがとう、パフュームじゃないことはよく理解したよ)。
かくしてお兄さまもお姉さまも野良猫も、高校生との会話を満喫した休憩時間でありました。見るに見かねたとはいえ、見知らぬ大人に声をかけるのは勇気のいることだったのではないかと思います。ありがとう!次回もなにか教えてもらえる小ネタを仕込んで・・・(笑)。
教えてくれた琴似高校の彼は、新人の田中君。おなじみ川中君と一緒に来てくれたのでした。5月も来てね、待ってるから!
せっかくなので若人の俳句も改めて。
白銀の今だ残りし春の夜
猫の恋波乱の色や白と黒 ( 川中伸哉 )
淡雪や薄らとつもる手稲山
朧夜や川も霞むる鏡かな ( 田中悠貴 )
え、で、ポリリズムについては・・・Wikiですがどうぞ(^^;
昔部活で歌った曲にそんなスコアあったような気もす・・・(ま、わかってませんよ野良猫だからね。あとECOも大事。分別しよう。ん?結局パフューム?)。
以上代打野良猫がお送りしました。
猫だから難しいことはわかんないにゃ~ん! △ △
あ、あとごめんね、猫だから爪が出るから句会写真も撮れなかったにゃん。ごめんにゃさい(=ΦωΦ=)
2013年4月6日土曜日
『かほるんが読む』~第6回の句会から~ 掲句一覧
『かほるんが読む』をご高覧頂きありがとうございました。
文中掲句について一覧をまとめましたのでご覧くださいませ。
(その1)
カンバスには呪詛斑れ雪にはジェッソ 早川 純子
ふきのとう今夜は主役だ友つどう 佐々木美智子
春はあけぼの誰れにでも似合う服 中村 朗子
凍り道奥歯噛みしめ春ショール 大友 包(その2)
三月の地吹雪とこそ掻き抱く 井上 康秋
屋移りを了へたる庭にダリア植う 月岡 道晴
日に百度溜息つきぬいぬふぐり 室谷安早子屋移りを了へたる庭にダリア植う 月岡 道晴
淡雪や薄らとつもる手稲山 田中 悠貴
(その3)
(その3)
春彼岸シアター・キノに原節子 柏田 末子
春を待ち静かに逝った冷蔵庫 後藤あるま
わかさぎのあんまり輝いている夕べ 平 倫子
考えることをやめたら春がくる 恵本 俊文
(最終回)
絵のなかの道よりあふれくる雪は 福本東希子
水温む「さんぽ」を鼻で歌う人 鍛冶 美波
猫の恋波乱の色や白と黒 川中 伸哉
春待つやamazonで買ふ『蜘蛛の糸』 岩本 碇
2013年4月4日木曜日
『かほるんが読む』~第6回の句会から~ (最終回)
『 かほるんが読む 』 (最終回)
~第6回の句会から~
小 笠 原 か ほ る
絵のなかの道よりあふれくる雪は
三月の声を聞きどことなく安堵した矢先に朝起きてカーテンを開け ると
昨日は見え始めていたアスファルトや庭の土が真っ白になっている 事が
幾度かあった。本当に「絵の中から」でもあふれてきたように。
三月も尽きようとしているが・・ もうないだろうと思っていていいのだろうか。
水温む「さんぽ」を鼻で歌う人
私も好きなアニメのひとつ「となりのトトロ」
「あるこう あるこう わたしはげんき~」と久石譲さん作曲の軽やかな曲だ。
やはり春は自然と元気に鼻歌だって出てくる季節なのだ。
少し元気のなさそうな作者に何気なくその人は聞かせたのだろうか 。
バッチリの選曲と思う。余談になるがアニメの父役、 考古学者の草壁タツオの
声優が糸井重里だったのはとても良かったと思う。
猫の恋波乱の色や白と黒
白黒つけるの白と黒か、白い猫と黒い猫か・・。
恋する時期にあれほど精一杯叫べるのは羨ましい気がする。
恋に限らず日々の暮らしも少しは波乱があった方が面白くて
いいのかもしれない。 心も揉まれて強く終いには図太くなってくれる。
でも・・・ドロドロまでは・・・嫌だな~と我儘を言ってみたり( 笑)
春待つやamazonで買ふ『蜘蛛の糸』
芥川龍之介「蜘蛛の糸」それはそうなのだが・・
映像がある(かなり妄想に入ってしまった)。
amazon=世界中に新旧問わず膨大な商品を展示している蜘蛛 の巣で、
そこに欲しい物を探しに検索に検索を重ねた消費者が捕らえられる (表現は悪いが)。
ありがたい事に好みまでポンっと一瞬で理解してくれる。
初めてamazonのお買い物かごで指先ひとつで買い物をした時
妙にドキドキした。慣れてきた頃、気を付けないと癖になる; とも思った。
店頭で購入するのも楽しいのだが老眼をかけて探し物をすると
とても疲れるので、たま~ のamazonでの買い物はかかせないこの頃。
以上で「かほるんが読む」を終了させていただきます。
5・7・ 5の一句に込められた作者だけが知っている言葉に含まれた、それぞれの想い。 その想いを少しでも読み取れる様になれたらいいなと思っています 。
「あ!そうだったのか!」 とトンチンカンな読みをする事も多々ありますが、それはそれでいいのだなと少しずつですが理解している最中です。
まだまだ、 まだまだの私ですが何気ない日常の出来事や行き場のない気持ちな どを、素直に一句に詠み込められる様になればいいなと思っています。
未熟な私の「読む」をお読みになって下さった方々、 ありがとうございました。
(終わり)
事務局註;「かほるん」は事務局で名付けたとおりの可愛らしい方であります!
事務局註;「かほるん」は事務局で名付けたとおりの可愛らしい方であります!
2013年4月2日火曜日
『かほるんが読む』~第6回の句会から~ (その3)
『 かほるんが読む 』 (その3)
~第6回の句会から~
小 笠 原 か ほ る
春彼岸シアター・キノに原節子
原節子といえば1953年小津安二郎監督の「東京物語」 が浮かぶ。
近年、小津監督に捧ぐ「東京家族」 が山田洋二監督によりリメイクされたばかりだ。
親の気持ち、子の気持ち、子の連れ合いの気持ち。
何気ないやりとりにぐっとくる場面や反省させられる場面がある。
それでも確かな事はいつの時代も親は子に計り知れない程
気を遣いながらも笑って見ていてくれるという事。
私は既に両親はいないけれど、 そのありがたみがいなくなってから解るのは皮肉なものだ。
春を待ち静かに逝った冷蔵庫
「冷蔵庫」が夏の季語である事は重々承知で詠んでいる句だ。
では何故?! 日々の暮らしの基本となる食を長年支えてくれた愛着のある
冷蔵庫だったのではないか。 家電寿命はいいところ持って10年位だ。
毎日の色々な気分で扉を開けにらめっこも何度したことか!
「逝った」に込められた気持ちに頷きたくなる。
わかさぎのあんまり輝いている夕べ
まるで目の前に、
くらい美味しそうな句。 きっと作者は満面の笑みで感動の拍手もしたかもしれない。
かなり前にわかさぎ釣りをした事があるが冷凍人間になってしまい そうに寒い。
しかしあの美味しさを想像し忍耐あるのみ! で釣り上げた果ての揚げたての天ぷらの
味は忘れない。
考えることをやめたら春がくる
眠っている時以外は何かしらの思考は止まらない。
もう考えない様にしよう!という事自体考えている事になる。
入り口はあるが出口がない。しかし凧の糸がプッっと切れた様に
目の前がすっきりする瞬間がある。 結果が出た訳でも考えが決まった訳でも
ないのに。基本的に人間ってうまく出来ているのかもしれない。
春は特にそんな気分の切り替えを助けてくれる、 期待できる季節だと思う。
(つづく)
2013年3月31日日曜日
『かほるんが読む』~第6回の句会から~ (その2)
『 かほるんが読む 』 (その2)
~第6回の句会から~
小 笠 原 か ほ る
三月の地吹雪とこそ掻き抱く
ぼちぼち春の兆しが感じられてもいい頃なのに、 まるで真冬に戻ってしまった
様な今年の北海道の雪。なごり雪なんてものじゃなく本降りなのだ 。
でも三月なのだから、あと少しの辛抱と自身に言い聞かせているよ うに思う。
屋移りを了へたる庭にダリア植う
何かと移動の多い春。進学、就職、転勤。 特に子供が家を出て一人住まいを
始めるお宅は大変だ。 しかしこの句はそういう移動ではないようだ。
庭にダリアを植えたという。どんな思いを抱き植えたのだろう。
ダリア・・ ナポレオンの妃ジョセフィーヌがバラに加えて収集に情熱を
傾けていた花。
日に百度溜息つきぬいぬふぐり
いぬふぐりの事を少し調べてみた。そこで、溜息をついているのは
作者なのかそれとも可憐な花には似合わない名を付けられたいぬふ ぐりの
溜息なのか( 実際に人は日に何度くらい溜息をついているのだろう・・・)。
しかし、百度は多すぎないのかな・・・もし作者の溜息だとしたら、
何だか・・・勝手に心配になってきた。
淡雪や薄らとつもる手稲山
この冬、手稲山にもずっしりと積雪があったに違いない。
それでも春晴れの日の風はどこか少し暖かく足元ばかりを
気にしていた目線もようやく辺りの景色を愛でながら歩ける様にな るのが
淡雪の頃なのだ。しみじみと山を眺めて詠んだ一句なのだろう。
(つづく)
(つづく)
2013年3月29日金曜日
『かほるんが読む』~第6回の句会から~ (その1)
『 かほるんが読む 』 (その1)
~第6回の句会から~
小 笠 原 か ほ る
みなさまはじめまして、小笠原かほると申します。
「かほるんが読む」(事務局が可愛い呼び名を付けてくれました!実物は・・申し訳ありません) を書かせていただく事になりました。
俳句とのご縁はまだまだ浅くわたしが読む(汗) のは100年早いのですが
「こんな初心者もいるのね」 と思って下さればありがたい事でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
カンバスには呪詛斑れ雪にはジェッソ
カッコイイ句!私にはまず詠めないような句。
深い意味があるのだろうな。
俳句を始めてから気がついた事は自分は漢字に疎い事( 国語は好きだったのだが)
文法がなってない事。井戸端話しならテンポはいいのだが・・。
いつかこういう一句を詠んでみたい。
ふきのとう今夜は主役だ友つどう
春を告げる香り。
冬眠から目覚めた熊も最初に食べるらしい。
旬のものはそれぞれの季節にあるけれど閉ざされた冬からの開放時 期の
味は格別かもしれない。 ふきのとうの料理を囲み賑やかな友との語らい
が聞こえるようだ。
春はあけぼの誰れにでも似合う服
明け方が一番美しい季節の春。晩秋からモノトーンを装おっていた
ショーウィンドウには眩いとりどりの色がお目見えする。
街も人も心も静から動へ変わって行きどこかわくわくした気持ちに
なるのが春。
凍り道奥歯噛みしめ春ショール
凍った道は本当に怖い。奥歯も足の指先もふくらはぎも腰の辺りも
妙に力が入り歩行は肩が凝る。 気をつけているのに転び骨折したりもあるから
怖い怖い。 巻かれた春ショールがそんな気分を少し軽くしてくれるのだろう。
(つづく)
(つづく)
2013年3月28日木曜日
『かほるんが読む』がはじまります!
俳句集団【itak】事務局です。
3月去る。
とはいうものの、蝦夷地は暴風雪に苛まれたひと月でした。
ご好評の『読む』シリーズです。
今回は『りっきーが読む』に続きまして
『かほるんが読む』をスタートしたいと思います。
第6回俳句集団【itak】の句会には今回80句が投句されました
(40名のご投句で、見学の方を含めて42名のご参加でした)。
その中から小笠原かほるが毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。
前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は明日3月29日(金)18時からです。ご高覧下さい。
☆小笠原かほる(おがさわら・かほる 北舟句会 迅雷句会 室蘭在住)
2013年3月26日火曜日
俳句集団【itak】第六回対談抄録『酒場と写真と全共闘一代記』
第6回となる【itak】は3月9日、札幌・中島公園の北海道立文学館で開かれ、一部交通機関が止まるほどの悪天候にも関わらず、54名の参加者で盛り上がりました。
第1部イベントでは昨秋、『新宿、わたしの解放区』(寿郎社)を出版した根室出身の写真家・佐々木美智子さん(愛称・おミッちゃん)と、北海道新聞記者・岩本茂之さん(碇)による共著者トーク『酒場と写真と全共闘の一代記』が行われました。この本は、新宿ゴールデン街で伝説のバーをやりながら全共闘や映画のスチールを撮った佐々木さんが語る戦後ニッポンの裏面史を、岩本さんが聞き書きしたもの。PowerPointを使ってスライドを見ながら、岩本さんが佐々木さんの本を書くきっかけや彼女の半生について語った後、佐々木さんが自主制作した映画『いつか死ぬのね』(1974年)、『アリバイ 新宿村で出会った人々』(1974年)のダイジェスト版上映が行われました。以下、第1部イベントをご紹介します。五十嵐秀彦さんの紹介の後、佐々木さん、岩本さんが登壇。
岩本さんがPowerPointを使いながら、佐々木さんの半生をたどりました。
■執筆のきっかけ・岩本茂之
2005年の夏、札幌から東京に転勤し、ささやかな夢だった新宿ゴールデン街に飲みに行って、バーをやっていた佐々木さんに出会った。一見、ほんわかした優しそうな表情の佐々木さんから語られる話を聞いてびっくり! 原田芳雄さんと餅つきをやり、松田優作さんは「ユーサク」と呼び捨て、沢木耕太郎さんから蔵書をもらい、全共闘のシンボル・秋田明大さんと行動を共にした。あの若松孝二監督を「ケチだ」とバッサリ・・・・・・○×#▲@? 何だか分からないけどすごい人なんじゃないか。もっと話を聞きたい、記録に残したいと思って、佐々木さんの元に通い始めた。
■根室時代
佐々木さんは根室の農家に生まれた。小学校2年の時、太平洋戦争に突入。長兄は旭川・第七師団の徴兵検査で「近衛兵に抜擢する」と言われたが、跡継ぎだからと拒否。すると「天皇陛下のために死ねないのか」と怒りを買い、リンチで殺された。以来、佐々木さんの母親はショックで人が変わったように暗くなった。そんな根室が大嫌いになった佐々木さん。根室高校を卒業後、同じ職場で知り合った函館出身の男性と結婚、故郷を捨てたのが長い旅の始まりだった。
■函館・札幌時代
渡島当別での新婚生活は、閉鎖的な官舎暮らし。一度限りの人生、自分の力で生きてみたいと思った佐々木さん。離婚を決断し、函館のキャバレーや札幌・ススキノの料亭の事務職で働いた。だが根室から訪ねてきた母親から、「おまえは傷もんだから東京で手に職をつけておいで」と言われ、美容師になるべく上京する。ちょうど札幌・大通公園ではテレビ塔の建設真っ最中。佐々木さんにとっての「三丁目の夕日」だった・・・。
■新宿で屋台引き
母親に言われて美容学校に行ってみたものの、拝金主義的な校長の祝辞に嫌気が差し、初日で自主退学。22歳、一人で生きていくため、やくざに所場代を払い、新宿・伊勢丹裏で、おでんの屋台を引き始めた。そこで、バタ屋、靴磨き、街娼、ヌードダンサー、役者といったすばらしい人たちと出会い、人生観ががらっと変わった。ある時、お客だった日活撮影所の人間からに「かたぎになれ」と言われ、編集部に入ることになった。
■日活時代
職場は編集部。脚本を書けると思いきや、ひたすらネガを切ったり貼ったりの地味な仕事。でも石原裕次郎、小林旭、赤木敬一郎、吉永小百合・・・そこでもまたいろいろな人たちに出会い、裏方たちは後のお店の常連客になった。でも映画の世界は監督、カメラマン、主役クラスの役者が第一。女性の自分はそのどれにもなれない。それならと一人で自立できる仕事として写真家を目指した。
■写真学校
写真学校に入り、常に広角レンズで被写体に迫った。工業地帯の海で追われゆく漁師たち、横浜の麻薬の巣窟、成田闘争・・・。次第に社会意識に目覚めていく。
佐々木さんは映画仲間と日大闘争のドキュメンタリー映画を撮った。やがて映画の撮影は終わったが闘争は終わらない。最後までドキュメントしたいと思い、一人カメラを持ってバリケードの中へ通い続けた。常に学生たちの側に立って写真を撮り続け、やがて信頼を勝ち取るようになった。
■新宿ゴールデン街
闘争の撮影に追われ、生活費を稼ぐ時間もない。学生たちもバリケードを排除されて集まる場所がない。じゃあ大好きなゴールデン街でバーをやろう!と思い立ち、伝説の<むささび>を始めた。ビール箱の椅子、フーテンたちに持って来させた電話帳をペタペタ貼った壁紙のたった3坪の解放区。学生を中心に作家、漫画家、役者、ポルノ女優や映画人たちが集った。喧嘩はしょっちゅうで警察沙汰も。貧乏学生にはいつも酒代を負けてやった佐々木さん。そんな商売じゃ儲かるはずもなく、結局、映画編集のバイトで店の家賃を稼いだ。
■政治の季節の終わり1969年、東大・安田講堂陥落の直前にキャンパスに入った。機動隊にぼこぼこに殴られ、カメラとフィルムを取り上げられた。全共闘のシンボル・秋田明大さんとも行動を共にしたが、やがて政治の季節は終わりを迎えた。
■映画
黒木和雄監督に呼ばれ、京都のお寺で『竜馬暗殺』のロケに参加した。現場は、金はなくとも毎晩酒盛りをやって映画について熱く語り、時に原田芳雄、石橋蓮司、松田優作といった面々が黒木監督をつるし上げるほどだった。原田さんいわく「野蛮なパワー」がみなぎる現場は結束力もすばらしく、あの歴史に残る名画を生んだ。
■再びの解放区
パラオの遺骨収集団に取材で参加し、同行したインテリやくざに気に入られた。ゴールデン街の3坪から一転、55坪の高級クラブを借りる。<ゴールデンゲート>は左翼、右翼、私服、役者、歌手、学生たちも集まる前代未聞の解放区だった。だが学生運動は佐々木さんの嫌いなセクト主義に陥り、閉塞感いっぱいのまま店をたたむことに。そして、スペイン、さらにブラジルへと旅立つ。
■ブラジルへ
雑誌の仕事でリオのカーニバルを撮りに行き、開高健著「オーパ!」の影響でアマゾンへ。店をやったら大繁盛し、アマゾンの川魚で寿司を握ったり、ピラニアをスープにしたり。マフィア系のライバル店と銃撃戦も。でもそんなマフィアとも次の日から仲良しになるような生きやすい社会・ブラジルに惚れ込み、永住を決意。日系人のための図書館をつくり、沢木耕太郎さんから蔵書2万冊を寄贈してもらった・・・。
今79歳、原点・新宿でもう一回、みんなが集まれるお店をやろう!
■この本を通して伝えたかったこと
何もない根室の原野から始まった人生。行き当たりばったり、出たとこ勝負の人生だったが、人と人が出会って、いろいろなことが生まれた。一歩を踏み出してみないと状況は何も変わらないし、可能性は無限大にある。そんな出会いの背景にあるのは、メールやツイッターではなく(自省も込めて)、野蛮なパワー(原田芳雄)によって生まれた濃厚濃密な絆がある。酒場も<場>であり、俳句も<座>の文学。そんな人と人との集いである【itak】の重要性を感じる。
■佐々木美智子さんから一言
わたしが新宿で屋台を引いていた頃はちょうど東京オリンピックを控えて、屋台に対する取り締まりが厳しかった。何にも悪いことをしていないのに、交番に連れて行かれ、泣いたことを覚えている。今もオリンピックの誘致が話題になっているが、みんなが少しでも明るくなれるのならいいのかなとも思ったり、複雑だったりする。でもあの屋台の時代のように弱い者が排除されるようなことはあっては絶対ならないと思う。わたしは大好きな兄を軍隊で殺され、あの当時はどの家もそうだったと思うが、わたしの家族は本当に暗くなった。わたしは戦争だけは絶対許せないと思っているし、私たちは「個」として生きられなかった時代のことを絶対忘れちゃいけない。
その後、佐々木さんの自主制作映画『いつか死ぬのね』『アリバイ 新宿村で出会った人々』のダイジェスト版を上映しました。坂田明さんのサックスが流れる中、田中小実昌、たこ八郎、秋田明大・・・佐々木さんが新宿ゴールデン街で出会った人々の顔の数々に目を赤くする参加者もいました。その後、第2部の句会までの短い時間を使って、佐々木さんのサイン会も開かれました。会場には、佐々木さんが新宿『ベルグ』で行った『ブラジル写真展』の作品も飾られ、参加者のみなさんも見入っていました。
(了)
今企画に際し、意気に感じてくださって、はるばる伊豆大島から【itak】のためにお越しくださった佐々木美智子さん、雪の中かけつけて、書籍即売・写真展示をお手伝い頂いた『寿郎社』のみなさんにたいへんに感謝いたします。また、悪天候の中、お運びいただき感動をともにしてくださった参加者のみなさんすべてに、この場を借りて深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
俳句集団【itak】幹事一同
※文中『いつか死ぬのね』『新宿村で出会った人々』について
歌手・渚ようこさんのHPをリンクさせていただきました。
(了)
今企画に際し、意気に感じてくださって、はるばる伊豆大島から【itak】のためにお越しくださった佐々木美智子さん、雪の中かけつけて、書籍即売・写真展示をお手伝い頂いた『寿郎社』のみなさんにたいへんに感謝いたします。また、悪天候の中、お運びいただき感動をともにしてくださった参加者のみなさんすべてに、この場を借りて深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
俳句集団【itak】幹事一同
※文中『いつか死ぬのね』『新宿村で出会った人々』について
歌手・渚ようこさんのHPをリンクさせていただきました。
2013年3月23日土曜日
2013年3月20日水曜日
俳句集団【itak】第6回句会評 (橋本喜夫)
俳句集団【itak】第6回句会評
2013年3月9日
橋本喜夫(雪華、銀化)
第6回も佐々木美智子さんという素晴らしい方をお迎えして、盛会に終わってよかったなと思う。
2か月に1回のこの会も無事1周年を迎えられそうで、やれやれというところか。句会の進行も、今回から選句表を集合させて、まとめて読み上げる方式になり、スムーズになったと思う(自画自賛だったが、懇親会で少し、読み上げるのが早すぎて、点盛りが大変だったという指摘もあった)。
句会評も何回か続き、読む方も、書く方も少し飽きがきてると思うので、今回は何かに絞って書いてみたい。今回は句評の時私がよく使う「フックの効いた言葉」に注目して句評をしてみたい。要するにひっかかりのある言葉、よく言えば詩的共鳴箱を共鳴させられた言葉、???と思った言葉、要するにアトラクテイブな言葉であろうか。
ボサノヴァに面影浮かぶ日永かな 小笠原かほる
ブラジルで生まれた新しい感覚のサンバ、リズム。この句会の前に美智子さんのブラジルの写真を見ていたからか、ひっかかった。もともとこの音楽には詳しくないが、面影というとラテン系の肉感的な女性のシルエットが思い浮かぶ。
あまり、点が入らなかったのは日永との兼ね合いか?ぎらぎらした太陽の方がよかったのか?
春分や時の等しさ愛しけり 村元幸明
春分で、時が等しい、言わずもがななのではあるが、これをわざわざ詠んだひとはいなかった。昼の時間、夜の時間が等しいことを作者は愛しているというのだ。わかるようで、わからない、解せないからひっかかるのだ。もともと時間というものを俳句で詠むのは難しいと、かの山本健吉は言っているが、私はそうは思っていない。春分という時候の一日を愛しているわけだはなく、時が等しいだけを愛しているわけであり、アンビバレンスな可笑しさもある。ちなみに上五は「や」でなく、「の」にすべきであろう。
啓蟄のしんがりにホモサピエンス 籬 朱子
高点句であった。言葉としてのフックはどこにもない。すんなり入ってくる。すんなり入ってくる句が悪いとは言っていない。ただ意味が分からない句と意味が分かる句どっちをとるかというと、意味が分からない句を採る方が多いかもしれない。「しんがりに猫」の加藤楸邨の句もあったが、それ以上にいい意味で知的操作が付加された句だ。意味は誰でもわかるであろう。啓蟄という季語の例句で、人間を虫たちと同格に扱った句はなかったと思う。
春寒や臼歯に銀の被せ物 今田かをり
アマルガムをまっこうから詠んだ句はあまりないのではないかと思う。しかも銀という質感が、春寒とよくマッチしているかと思う。この句で言うフックのある言葉は、「銀の被せ物」だろう。寒々とした質感もあり、何のことを言っているかよくわかる。使っている言葉に一つも詩的なものはない。それでいて春寒感が伝わる。
微熱あるのよ桜餅が寝ている 柏田末子
フックが効いた表現と言えば、口語表現もあろう。ただしそれも文語の海のなかに浮いている氷山であるから、フックが効くだけであって、それのみでは俳句として屹立させるのは難しい。この句は「微熱あるのよ」もけっこうキャッチな表現だが、つながる桜餅が寝ているがうまいのである。桜餅の桜の葉っぱが、枕カバーのように思えてきた。
ため息の重さを笑え花ミモザ 後藤あるま
中七までのフレーズたしかに、フックが効いている。ここまで来たら下五の季語を何を取り合わせるかである。私は有名な「花や植物の季語が苦手俳人」なので、取れなかった。花に詳しい籬 朱子氏が採っているので的確な季語だったのであろう。
春愁的なため息を笑い飛ばせ、という発想がとにかくよい。中島みゆき的だ。
女来てゆたかに占める春の椅子 五十嵐秀彦
「春の○○」という表現は春の水などと違い、邪道な季語であるという人がいる。有名な俳人(特に俳人協会系)でもたくさんいる。そんなことはどうでもいいでしょうと思う。季語をそもそも一級季語、二流季語として分けること自体が、俳句や俳壇を心が狭いギルド的にしてしまう。この椅子に春夏秋冬あてはめてみると、春が一番よいことがわかる。そしてこの俳句の場面のような豊かなおばさんはごまんといる。ここでは「ゆたか」にフックが効いている。皮肉である。そしてここにも肉がある。
ホワイトアウト今痛きほど空の青 久保田哲子
使いたい言葉、時事的な言葉を詠みたいと思っても力量がいる。なかなか俳句的なものは作れても、今日考えられるほんものの俳句にはならない。この句はよくできていると思う。文句を言わせてもらえばやはり「今」だろうか。これが、詩を弱めているのだと思う。どうすればいいか私もわからない。まだ「けさ」とか「けふ」とか限定した方がよさそうにも思う。
雪解けや八艘飛びのランドセル 大原智也
よく景が見えて、かわいらしい句ではある。八艘飛びがフックのあることばなのだが、この景を詠むのにこの言葉が適しているのかどうかは疑問だ。つまりこの場合私には逆向きのベクトルが働くフックになってしまった。もっとかわいらしく、フックの効いた比喩がないかと代案を考えたが、出ない。3点入っているので、採ったひとたちは八艘飛び→義経の八艘飛び→子供の春泥を飛び越えるさま、と矛盾なく連想できたのであろう。詠んでいる景はとてもいい。八艘飛びをどのように感じるかが、読者により違いが生じるであろう。
鍵穴が古墳のようだ万愚節 内平あとり
中七までの口語体の言葉にフックを感じた。私の息子は小学校のころ大事な塾の進級試験で、前方後円墳を鍵穴古墳と答えて試験に落ちたことを思い出す。このようにフックの効いたフレーズが生まれればあとはどのような季語と組み合わせるかだけが勝負である。そういう意味では俳句も少しメカニックなところがあると思う。もちろん、ことばの組合せ、融合だけでなく、詩であって欲しいし、韻文性のある詩歌にほかならないという考えもあると思う。
さてこの句万愚節は最適がどうかは私にもわからない。悪くないと思う。なぜなら、万愚節はいささか俳諧の方へ傾斜する趣の季語であるが、その名の通り万の句に合わせられる季語である。
校庭の鎖のかをり凍ゆるむ 久才透子
凍てという感覚の季語をかをりという嗅覚に変換したところがいいであろう。たとえばぶらんこの鎖。たしかに長い冬のあと、少し錆びついた、なつかしい匂いを発する。凍ゆるむ、という季語も、北海道らしい感覚と思う。鎖のかをりというフックの効いた言葉を利用するなら、卒業す、あたりの季語でも面白いかもしれない。
言葉に重奏性が出てきて。輪郭をはっきり表現したい場合はこの句でいいであろう。
春光にへらりへらりと離職票 高畠葉子
オノマトペにフックを効かせるのは難しいが、このへらりへらりは効いていると思う。わたしは下五の離職票なるものの輪郭が結べなかった。どんな用紙なのか、へらりへらりなので、うすっぺらい紙なのであろうが・・・比喩や用言は重奏性を好むが名詞というか、「もの」を表現するときは私の場合イメージが湧かないと取れない。
春光やへらりへらりと失職す、ではだめか、と思ってしまう。
春浅し産湯のごとき母を抱く 村元幸明
このような「母もの俳句」は好き嫌いが分かれるが、私は母がつくとすぐ採ってしまう癖があった。はじめの5年間くらいであろうか。最近は「母もの俳句」には厳しい。なるべく採らないようにしている。この句のフックは実は「産湯のごとき母」だと思う。ごとく、ではないのだ。ごとくであれば意味は採りやすい。産湯につけるようにして母を抱く、というふうに動作に産湯という比喩がかかってくる。ところがこの比喩は母にかかっている。つまり産湯のような体温を持つ母なのか、産湯のような軽さの母なのか、にわかに重奏性を帯びてくる。ごとく、だと意味は明確だがフックがないと思う。ふつうの母恋の句だと思う。
考えることをやめたら春がくる 恵本俊文
フックの効いた言葉はひとつもない。この句は十七文字すべての内容にフックがあるわけだ。人間冬の間うつうつものを考える、それをやめれば春が来るというフックの効いた断定である。これも口語句なので全体としてフックを効かせている。私が印をつけたが、天に採らなかったのはおそらく韻文性に乏しいと感じたからにほかならない。たとえば内容は反対になるが、考えることをやめたる寒さかな、のような。内容には文句はない。俳句って内容に申し分なくても採れないことってあるよね。韻文だから口に出して気持ちよくならないと・・・
目刺焼く人生が二度あるごとく 五十嵐秀彦
井上陽水のうたに出てくるベタな、使い古されたフレーズしかし、口誦性のあるフレーズに説教くさい、教訓くさい季語であればノーサンキューであるが、目刺焼く、と置いたところが手柄であろう。季語そのものがフックがあるのである。考えれば考えるほどばかばかしいくらいに、謎めいてくる。人生が二度楽しめるのになぜ目刺焼くのだろうか?とか一度目は目刺焼かなかったのだろうか?とかそんなばかげた妄想したりして、完全にひっかかった。フックは「鉤」であるから当然、「罠」にもなる。
朝まだきうぐいす来たは幻聴か 佐々木美智子
夜まだ明けきらぬ早朝、つまり春暁である。夢ともうつつともつかぬ寝床で作者はうぐいすの声を聴いたのであろう。それは確かなものだっかかもしれないが、何せ作者も夢の中で聞いたので、確たる証拠がない。そこで幻聴か、と下五に置いた。
この幻聴か、の疑問形がフックが効いている。あまり俳句を作ったことないひとかなとは思った。まず幻聴などという言葉は使わない。しかし朝まだき、というやはり短歌などに使われる雅語も入っている。初うぐいすの声を聴いた喜びが、「幻聴か」という素直な表現に十二分に表現されている。
桃の日は細身の魚買ひにけり 久保田哲子
北海道の雛祭りは季節的にはまだ寒く、春寒という感じで、桃の節句からは程遠い感覚だ。そこにさよりなど細身のしかも白身の魚を買った。ただそれだけではあるが、季感としてこの取り合わせの適切さを思う。フックのある言葉はない。十七文字すべてがフックの効いた内容になっている。
遠雪崩夜汽車のやうな父とゐて 今田かをり
夜汽車を比喩に使う、これもある程度フックは効いている。夜汽車のイメージで、なつかしきもの、恋しいもの、ふるさとを感じるものとして父、母に用いることはありうると思う。心があたたまる感じもする。だが私がこの句を頂いたのは遠雪崩の季語の選択である。つまり遠からず来るであろう危惧、たとえば父の身に何かが起こること、もしくは自分を含めて家族の身に何かが起こること。立子が雛の日にふと自分の死を思ったような感覚である。心底やすらげるものに浸っているときこそ、いつか来る遠雪崩を思うという感覚を私は肯定する。こういう感覚はネガテイブとは言わない。少なくても平和ボケしていないのだ。
なまら鳴るムックリの音春兆す 早川純子
これはどう見ても「なまら鳴る」でしょう。この句のフックはこれしかない。中七まで笑えるのだから、春兆すなんてなまぬるい季語にしてほしくなかった。「亀も鳴く」とか持ってきてふざけて欲しかった。以前この欄でふざけ過ぎの句を難じたこともあったが、春兆すだと逆向きのベクトルが働いている感じだ。
春待つやamazonで買ふ「蜘蛛の糸」 岩本 碇
アマゾンで買う句は一度作りたかった。いつ作るか、今でしょう。と思うが、先にやられたと思った。だからこの句に印はつけた。しかしなぜ天、地、人に漏れたか。
ひとえに「蜘蛛の糸」がだめだと思った。これ何を持ってくるかで決まると思う。
「阿部一族」みたいないい本の題名さえあればよい句になる。
優しさに慣れずにひとり雛納め 佐々木成緒子
「優しさに慣れず」は女性のナルシシズムもよく出ていてフックのある言葉と思う。印もつけたが、なぜ最後は採れなかったかというと。「ひとり」が説明的と思ったから。優しさに慣れずに雛を納めけり、でもよいのではと思ってしまった。前半で孤独なナルシシズムが伝わったのであるから、あとは単純でいいというのが私の俳句に対する考えです。
以上今回も言いたい放題です。言いたい放題がいやな方はどうかこの欄から私を外してください。助けてくださいと紙飛行機に書いて窓から飛ばしたい心境です。
これイタックに対する不満ではありません。あしからず。
※助けてあげません!来月もよろしくお願いいたします(^^ by事務局(J)
登録:
投稿 (Atom)







