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2014年3月2日日曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~久才 秀樹~



句集『無量』の一句鑑賞



久才 秀樹

 

 
 秒針の速度牡丹雪の速度     五十嵐秀彦


 こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、春待つ氷雪。「津軽には七つの雪が降る」という歌があるが、北国の雪は7種類どころではなく、毎 回違う顔を見せてくれる。
 
 掲句は「牡丹雪」。雪の落ちる速度を秒針に例えただけと言えばそれまでだが、この句に惹かれた理由は、秀彦氏が、数ある雪の中から、この「牡丹雪」を選んだからだ。

 この句の秒針は、流れるように回る秒針(スイープ運針)よりも、「カチカチ」という1秒ごとに刻むもの(ステップ運針)に感じられた。その秒針には、温かく湿った「牡丹雪」がぴったりだ。秒を刻むように降る牡丹雪は、北国の人々にとって待ちわびる春への、まさにカウントダウンともいえる。

 雪国に住む俳人だからこそ、この取り合わせが生まれたのだと思う。『無量』は雪を意識してまとめられた句集ではないだろうが、私には「冬」、特に「雪」を題材とした句に惹かれるものが多かった。『無量』には、秀彦氏の師であり、「雪の雄大」と呼ばれる深谷雄大氏(旭川)も跋文を寄せている。



☆久才秀樹(きゅうさい・ひでき 俳句集団【itak】幹事 北舟句会)


2014年2月28日金曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~岩本 茂之~

 

句集『無量』の一句鑑賞



岩本 茂之

 

 
 はまなすや語り部として地に翳る     五十嵐秀彦


3年前、日本最東端・根室半島の先端にある納沙布岬に行った。どっしりと低くて太い灯台からは歯舞諸島がよく見え、北海道が千島列島とつながっていることを実感させられる。北海道地図を広げると、利尻、礼文、天売、焼尻、奥尻といった他の離島より本島に近いことが分かる。その日は島から煙が上がっているのが見えた。燃しているのはもちろんロシア人で、その距離たった3キロちょっと。こんなに近いのに人と人との行き来はない。

灯台のそばには、やはり日本最東端をうたう食堂があって、私はラーメンで体をあたためた。そんな食堂のそばや、海辺にはハマナスが咲いていた。ハマナスの花は、あの派手で華麗なバラ科に属しながら、どこか地味で寂しげで、荒涼とした何もない海辺がとても似合う。

長い長い歴史のなかで、ハマナスはいくつもの物語を見てきたことだろう。例えば、クナシリ・メナシの戦い。フランス革命と同じ1789年(寛政元年)、和人が科した苛酷な労働や暴行に怒ったアイヌ民族の有志が蜂起し、首謀者37人は松前藩によってこの地で処刑された。その石碑もあって、その事実を初めて知った。現代に入っても1945年夏のソ連参戦で歯舞の住民は島から追い出され、漁師は長年、拿捕や銃撃に苦しんできた...。


掲句は、史実に残らないことを含め、厳寒の北海道でたくましく生き抜いてきた人間や生き物たちのさまざまを想起させてくれる。そしてハマナスの赤は、ブラキストン線の北側で生まれ育った者の持つ北方性を色濃く帯びているとも感じさせてくれる。



☆岩本茂之(いわもと・しげゆき 俳句集団【itak】幹事 北舟句会)






 

2014年2月26日水曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~恵本 俊文~


句集『無量』の一句鑑賞

恵本 俊文

 
 
 こときれてゆく夕凪のごときも        五十嵐秀彦



2013年12月29日夜。

東京、新宿のゴールデン街にある「裏窓」という店にいた。

故・浅川マキさんの曲名を店名とした狭い店内には、マキさんが使ったヤマハのアップライトピアノが置かれている。この日は、マキさんとの共演も多かった渋谷毅さんのソロライブが開かれた。

「夕凪」が織り込まれた一句。マキさんの「夕凪のとき」という曲が思い浮かぶ。ぱったりと風が止むとき、命あるすべてのものがこときれる。いや、命なき無機物までもが、そうであるような気さえする。夕凪のごときものは、身の回りに、無数にあるのだ。風が急に止む瞬間、ぼくは言葉すら失ってしまいそうになる。

かつて、マキさんがポロンと弾いたピアノから流れてきたのはダニー・ボーイ。渋谷さんが演奏を終えた時、この小さな店にも夕凪が訪れた。



☆恵本俊文(えもと・としふみ 俳句集団【itak】幹事 北舟句会)

2014年2月17日月曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~栗山 麻衣~


句集『無量』の一句鑑賞

栗山 麻衣

 
 
 無頼派と生活人の万華鏡        五十嵐秀彦



いやあ遅くなってすんまそん。五十嵐秀彦さんの第一句集「無量」面白く読ませていただきました。イタック内部であんまり褒め合うのもどうなのかなーと思いつつ、やっぱ素晴らしかったです。いやあ勉強になった。


 一読しての印象は、どこか哀しみをたたえたアングラ芝居を見た時のような感じと申しましょうか。あまり俳句では見ないような言葉、非日常世界へ連れていかれるような表現に驚かされ、その独特の凄みに圧倒されました。「一代の咎あれば言へ沙羅の花」「蝶有罪あるいは不在雨あがる」「月光の告訴満ちゐる口の中」とかね。


 しかし、みんなよく見て! ワタクシは当初見落としておりましたが、地味だけど情景が浮かんだり、ユーモアが漂ったり、しみじみしたりする句も意外に(←失礼)あるのですよ。役者が楽屋でふと漏らした言葉のようなやつ。「新涼や夕餉に外す腕時計」「氷下魚裂くつまらぬ顔は生まれつき」「窓ぬぐふ人惜しみ年惜しむとき」とかとか。
 というわけで、結論。この句集の魅力はずばり、作者の心の中に住む絢爛たる無頼派と堅実な生活人の織りなす万華鏡的輝きなのだ。ちなみに、その世界観が融合したような作品もありマス。「茄子漬の昨日に染まる箸の先」「靴底の雪剥がし黙剝がしけり」(←これが一番好き)「数珠持つて来いと言はれし花見かな」とかとか。日常を詠んでいるにもかかわらず、味わっているうちに異世界へと足を踏み出してしまう。



☆栗山麻衣(くりやま・まい 俳句集団【itak】幹事 銀化)


2014年2月15日土曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~鈴木 牛後~


句集『無量』の一句鑑賞

鈴木 牛後

 
 
 沫雪やわれらと呼ぶに遅すぎて        五十嵐秀彦


「われら」には独特の郷愁の匂いがする。なぜだろうか。
「われら」と聞いて思い出すものがふたつある。
ひとつは大江健三郎の「われらの時代」。学生時代の一般教養の文学のレポートにこの小説のことを書いたおぼろげな記憶がある。もちろんどんなことを書いたのかはまったく憶えていないのだが、単位を取得できたところをみるとまあまあの線をいっていたのかもしれない。
もうひとつは青春ドラマの「われら青春」。中学生のころだったと思う。青春とは何かも知らないくせに、面白くて欠かさず見ていた。
イメージとしての「われら」が表象するものは「連帯」というようなものか。「われらの時代」では時代との連帯はついに実現しないのではなかったかと思うが、夢想としてのそれはおそらく底流としてあっただろう(記憶は曖昧だが)。「われら青春」では、浪費としての連帯がはてしなく続いていった(こういう言い方は語弊があるかもしれないが)。浪費こそが青春だと言い換えてもいいかもしれない。誰しもが思い出すそんな日々。もう私たちには「われら」と呼ぶ関係は帰って来ない。
作者はそれを悲観しているかと言えばそんなことはないだろう。降ってはすぐに融ける沫雪のような心性は、所詮一時期のものだ。すぐに草は生い茂り、否応なく生は転がっていく。それに、誰もが気づいているように、連帯とは裏を返せば桎梏でもある。連帯を求めて桎梏にからめとられた季節が作者にもあったに違いない。
そう、僕たちはもう「われら」と自分たちを呼ぶことはない。しかし、年齢相応に伸ばした触手同士が触れ合うことはあるだろう。連帯ではなく桎梏でもない何か。もしかしたら俳句の座はそのようなもののひとつかもしれない。作者のイタックに対する思いをこの句からほのかに感じるのは私だけではないと思う。



☆鈴木牛後(すずき・ぎゅうご 俳句集団【itak】幹事 藍生)

2014年2月13日木曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~高畠 葉子~


句集『無量』の一句鑑賞

高畠 葉子

 
 
 靴底の雪剥がし黙剥がしけり         五十嵐秀彦





雪の朝。前を歩く人の靴底の凹凸をそのまま残し剥がれゆく雪に見とれた事があった。そのシーンは長く私の記憶にとどまっている。いつかこのシーンを表現したい!と冬が来るたびに思いは募るばかりだった。

2013年夏。句集『無量』を開き、真っ先に飛び込んできたのは掲句だった。雪と暮らす人ならば靴底の跡がほろりと剥がれる様に気付く人も少なくはないはずだ。そしてこの秒に満たない瞬間を切り取るのが俳人なのだろう。

この句に出会ってから私は何度となく、靴底から(それは男靴だ。けっして女靴ではない)剥がれる雪と剥がした雪を想った。雪を剥がし、黙を剥がす。ここに、ある瞬間「黙」と決別した(それも長年の黙だ)男が見えてくる。そうだ。この句は解放の句であるのだ!と読みだすと、靴底の雪を剥がした「力」を読まずにはいられない。それはほろりと靴底の雪を剥がす重力ではないのだ。ぱんぱんと自らが地を蹴り雪を剥がし決意を新たにする動作があるのだ。人は何かを思いきる時、或いは決意する時、その瞳は一瞬の動きを捉えるものらしい。私にも剥がれた雪がスローモーションで見えた気がする。

秀彦さんには雪がよく似合うと思う。初めてお会いしたのが雪の夜だったからかと思いきや、多くの方が秀彦さんと冬という季節を重ねているようだ。
これからも秀彦さんの雪を秀彦さんの言霊で触れてゆきたい。



☆高畠葉子(たかばたけ・ようこ 俳句集団【itak】幹事 弦同人)

2014年1月5日日曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~安藤 由起~


句集『無量』の一句鑑賞

安藤 由起

 
 
 その細き身をその旗として夏野        五十嵐秀彦


リフレイン構造の句である。<窓ぬぐふ人惜しみ年惜しむとき> <靴底の雪剝がし黙剝がしけり> <幻影となり父の声雪の声>など、本句集の中にも多く登場する。句またがりが生み出す独特のリズムが私は好きだ。

 一見すると軽妙だが、しみじみとした情趣を感じずにはいられない。一面の夏草が生い茂っている。誰に恥じるでもなく、自らを旗として。その命の絶唱を対岸から見つめている作者は、何を思うだろうか。堂々とした自然とは対照的に、人間は小さく姑息である。その業の深さに懸命に向き合おうとしているように私には思える。

 作者とは、一昨年に句づくりを再開して以来、たびたび句座をともにさせていただいている。句歴の浅い者、あるいは異端めいた作風でもあたたかく迎え入れる寛容さは、すなわち俳句の持つ懐深さとイコールであるといつも感じている。




☆安藤由起(あんどう・ゆき 俳句集団【itak】幹事 群青同人)

2014年1月3日金曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~久才 透子~


句集『無量』の一句鑑賞

久才 透子

 
 
 虚子の忌の飛行機雲をくぐりけり        五十嵐秀彦


飛行機雲は、人が作り出した雲である。
頭上にできた飛行機雲。
はるか高いところにあって、大きな空に消えてゆく。

高浜虚子は、言うまでもなく、明治から昭和にかけて活躍した偉大な俳人である。
その功績は、現代の俳句界にいまだに影響を与え続けていると言っても過言ではない。

虚子という俳句界の巨人の忌日。
飛行機雲を、仰ぐでもなく、見上げるでもなく、くぐっているのだ。

俳句を勉強する上で、先人の句を諳んじたり、たくさん読む、触れる、
のはとても大切だと思う。
でも、どんな偉大な俳人の句でも、平伏したり、畏れ多い、と感じすぎる必要はないのだ。

時に、句ができなくて落ち込んだり、他人の句ばかり素晴らしく感じる時があるけれど、
それは自分自身が勝手に作り上げた飛行機雲のようなものなのだ。
自分は自分の句を詠めばいいのだ、と、心が軽くなる一句であった。



☆久才透子(きゅうさい・とうこ 俳句集団【itak】幹事 北舟句会)

2013年12月27日金曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~今田 かをり~


句集『無量』の一句鑑賞

今田 かをり

 
 
 うららかに行方知れずとなりにけり        五十嵐秀彦


 秀彦さんに初めて会った時、それは第一回itakの会場でだったが、どこか無頼の風が吹いていた。さらに言えば、集中に〈沫雪やわれらと呼ぶに遅すぎて〉とあるが、秀彦さんより一世代前の団塊の世代に繫がっていくような匂いがした。権威におもねらない、既成のものの見方をまずは疑ってみる、というような生き方は、〈独活膾隆明定本詩集哉〉〈自転車に青空積んで修司の忌〉といった嗜好にも現れている。ただし、こういう人にとって、この世は生き難い。〈なあ友よこの世だつて存外寒い〉、たしかに、このうつし世は存外寒いのである。
 ところで、掲句であるが、この句を読んだ時、はっとした。「行方知れず」になったのは、他の誰でもない詠者だと読んだのである。芥川龍之介は、死のかなり前に作った〈水涕や鼻の先だけ暮れのこる〉を、辞世の句として選んだが、掲句は、詠者の願望ではあるまいか。西行〈願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ〉の、俳句バージョンの気がしてならないのである。なぜなら、この世からの消え方として、「うららかに行方知れず」以上の消え方があるだろうか。
 五十嵐秀彦はすでに辞世の句を用意している。その辞世の句を懐に、軽くて薄い、そして「存外寒い」この世を颯爽と渡っていくなんて、本当に素敵である。


☆今田 かをり(いまだ・かをり 俳句集団【itak】幹事 銀化)

2013年12月25日水曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~籬 朱子~


句集『無量』の一句鑑賞

籬 朱子

 
 
 一睡の花の気配とともにあり        五十嵐秀彦


 曰く言い難く素敵な句である。
一睡の主体が作者なのだとすると、花の色やかをりとともにある、この幸福感は夢と現の間を言い留めている。一睡の主が花という可能性もあるだろうか。
 眠りから覚めたばかりの、早朝の花とともにあるというなら、その気配を堪能する作者が見える。只今源氏物語に耽溺している私としては、この句が源氏物語全体の気配にも相応しく思えるのだ。
 源氏物語と言えば、紛れもなく和歌の世界である。俳句はその和歌優美から先の自由を求めて発展してきた。
 しかし此の句を読むと、俳句の源が日本の古典文学と繋がっていること。そして処に何の破綻も無い事に深く感じ入ってしまうのだ。


☆籬 朱子(まがき・しゅこ 俳句集団【itak】幹事 銀化)

2013年12月17日火曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~青山 酔鳴 ~


句集『無量』の一句鑑賞

青山酔鳴




 赤とんぼ無数失踪者無数    五十嵐秀彦



 ほんの数年前まで、このひとの名前も存在も知らなかった。こうして句評を書かせていただけるようになるなど、出会いとは全く不思議なものである。

 どちらかというと不純な動機で参加した初めての句会にあったのが掲句である(ここは若いひとも多く集う句会である)。「なんだか物騒な句だな」というのがその時に感じた印象である。

 句集『無量』には季節は万遍なく盛り込まれ、読めば口角がすっと上がるような句も少なくないのだが、多くがそう云うようにやはり無常、寂寥、冬の乾燥した空気のようなものに支配されている感がある。掲句にしても、「失踪者」を持ち込むことで読者の心にチクリとしたものを否応なく打ち込んで来る。わかっていても自分ではどうしようもない出来事、問題として提示されても、だからといって自分に何ができるんだろうという無力感。新聞の見出しにあったとして、それを読んではいても、どうしようもないじゃないか。
 だが、考えてみれば自分に縁のない人間とは実のところほとんどがそうであり、それらはすでに失踪者となんら変わらない位置にあるともいえないか。それらは都市の、地球の欠片のように無数であるだろう。掌の細胞は足の裏の細胞のことは知らない。だがひとつの身体の細胞として共に存在し、共に代謝していく運命ではあるのだ。

 ちっぽけな赤とんぼ。実体としては捉えかねる失踪者。俯瞰されて、ともに無数。並べ置かれることであるいは遠い遠い相関が提示され、わが身もその一部であることを知らされる。掲句はそんな性質を持っているのかもしれない。

 この句と出会って以来、多くの句座を共にさせていただくようになった。『無量』にはそれから詠まれた句も多く収録されており、感慨深く読ませていただいている。生意気をおそれずに思ったままを云えば、掲句以前と以降では、氏の体温が少し上がっているようにわたしには感じられる。出会った時「物騒」と感じた句は『無量』のなかで、むしろ逆のオーラを放っていると思えるように、わたしの感覚も変化した。これからも無数の赤とんぼ、無数の失踪者の貌が氏の言葉によって明らかにされていくだろう。まったくもって個人的な感想ではあるが、氏の選り出す言葉のひとつひとつが興味深くて仕方がない。




(おまけ)
 ヨーロッパでは蜻蛉は「魔女の針」とも呼ばれ、嘘吐きの口を縫い付けるという迷信がある。あるいは魔女の針で口封じされた者が無数であるというオカルト句・・・あれれ?なんだかさらに物騒なような・・・。



☆青山酔鳴(あおやま・すいめい 俳句集団【itak】幹事・群青同人)


2013年12月15日日曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~山田 美和子~


句集『無量』の一句鑑賞

山田美和子

 



 月照らす机上流砂のごとき文字   五十嵐秀彦



シネマを想わせる句である。すでに一つのシーンが完成されている。
あとは各々好きな脚本で仕上げればよい。
シルクロードで駱駝に乗ろうか、ロレンスに逢いに行こうか、
どこか郷愁を誘う、足音を忍ばせて中腰で席を探した深夜の映画館を思いださせる。
美しい句は一編のシネマをも創りだしてしまう。


☆山田美和子(やまだ・みわこ 俳句集団【itak】幹事)
 

2013年12月13日金曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~三品 吏紀~


句集「無量」の一句鑑賞

三品吏紀
 

五十嵐秀彦氏の最初にして最後(?)の句集、「無量」の一句鑑賞ということで、駄文ながらもここに句評を書かせていただく。
全然見当違いな事を書くかもしれないが、そこは勘弁していただきたい。

「無量」出版直後は、様々な方がSNSや紙面を通して書評を発表していたが、不思議な事にこの句集は何かしら「冬の匂い」が強く感じられるようなコメントが多くあった。
五十嵐氏曰く、「どの季もほぼ同じ数の句を自選した」ような事をおっしゃられていたのだが、なるほど、皆あの表紙にすっかりイメージが焼きついてしまったとみられる。
そこへ五十嵐氏の句が持つ強い言霊が、より一層読者を冬の世界へと引き込んでしまったのだろう。かく云う自分もその中の一人だ。


 街角を曲がる角度で冬に入る    五十嵐秀彦


「無量」五十嵐ワールドの冬の句の中でも、最もシンプルですっきりと詠まれた句ではないかと思う。
通勤通学で通い慣れた街並み。しかし季節が一つ動くたびにその装いも大きく変わってくる。冬に入るともなれば、街路樹の葉はことごとく落ちて裸木となり、人々は着ぶくれして足取りが重くなる。冬囲いなども見られるだろう。
だがそれは四季のある私達の国での一つのルーティン。決して特別な事ではなく、ただ過ぎ行く日常の風景の一つ。
この句は他の冬の句に比べ、直感的に作られた感のある句のように思う。きっと通勤中にふと閃いてて詠んだ句だろう。隠喩的な表現を用いず、「街角を曲がる角度」という生身から発せられた言葉は、とてもシンプルでそして誰もが共感する句ではないか。
いわば「さっぱり風味」の句とでも言おうか。「無量」には難解で思考をフルに使う句が多く並ぶ中、一種の清涼剤としての役割も感じられる。

様々な感性を引き出しに持つ五十嵐氏の傍で、一緒に俳句を楽しむことができるというのは、本当に自分は幸せだとつくづく思う。


☆三品吏紀(みしな・りき 俳句集団【itak】幹事)

2013年12月11日水曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~小笠原 かほる ~


句集『無量』の一句鑑賞

小笠原かほる
 
五十嵐秀彦氏句集『無量』を読む
 
「無神論」より


 大寒や人は柩を空に置く    五十嵐秀彦


私が5歳の時に父方の祖父が亡くなった。
それは私にとって記憶に刻まれる初めての葬儀の参列となった。
極寒の旭川。姉妹兄弟合わせて15人の父の生家は身内だけでも
ごった返す人だった。辺り一面積雪で真っ白な家の正面には
ギラギラと飾りの付いた花輪がどんどん置かれていく。
まだ小さい私は珍しくてしばらくそれを見上げていた。
出棺の日も吹雪。父達がゆっくり大事そうに柩を持ち上げ戸外に運んで
玄関を出た瞬間、一瞬雪が止みその先に田舎の空が広がって
そこに向かって柩が掲げられている様にみえたのだ。
この一句は半世紀前のあの日の事を思い出させてくれた。
そしてこの時父の涙を初めて見た。一瞬父ではない誰かに
感じたのは父親を失った子供の顔をした父だったからと今なら思う
どの季節でも命の終わりを見送る辛さは同じであるが
真冬の別れは心の底をも凍るように寂しさが重く押し寄せてくる様
気がするのだ。


☆小笠原かほる(おがさわら・かほる 俳句集団【itak】幹事)

2013年12月9日月曜日

句集『無量』の一句鑑賞 ~大原 智也~


句集『無量』の一句鑑賞

大原智也

 奪ひあふ刻のかたみや古暦    五十嵐秀彦

 この句を読んで、思い浮かんだのは祖母の部屋。 
砂壁に貼ってある日めくりは、現在も亡くなる前日の3月3日で止まっている。
 
それまでちぎり取っていた1枚1枚こそ、北の開拓地で苦闘した日々そのものだったのかもしれない。


☆大原智也(おおはら・ともや 俳句集団【itak】幹事)

2013年11月27日水曜日

五十嵐秀彦第一句集『無量』から ~平 倫子~

五十嵐秀彦第一句集『無量』から

――寺山ワールドという通過点――
                      平 倫子

 


手に馴染みやすいフランス装の本である。今年1月のitakの会で、山口亜希子さんにお会いして、魅力的なお人柄と豊富な話題に引き込まれたのだったが、その方が書肆アルスの編集者で、五十嵐さんの句集の発行人でいらした。

 

五十嵐さんにはじめてお会いしたのは1999(平成11)年9月、北海道の「藍生はまなす句会」に旭川から参加されたときだった。それ以来「藍生」と「はまなす句会」と、そして最近は俳句集団【itak】でご一緒させていただいている。

 

『無量』を一読したとき、つぎの三句が立ち上がってきた(括弧内はページ)。

 

  かたくりや希望は別の名で咲きぬ(25

  自転車に青空積んで修司の忌(27

  五月雨や父なきときを母とゐて(104)

 

そして繰り返し読むうちに、これらの三句がわたしの中で鍵句になって定着した。以下はそのことをふまえた試し読みである。

 

1.「自転車に青空積んで修司の忌」、あるいは寺山ワールド

 

この句は2002(平成14)年5月に「はまなす句会」に投句され高得点句だった。五十嵐さんが寺山修司に強い関心を持っておられるのを知ったのもこのときである。同年「藍生」8月号の<選評と観賞>欄で黒田主宰が、若い世代が寺山の世界を受け継いでゆく、と注目しておられた句であった。

この年北海道文学館では、寺山修司の特別企画展「テラヤマ・ワールド きらめく闇の宇宙」があり、4月20日の山口昌男と九條今日子のトーク・セッションにはじまって、夏まで文芸セミナーや映像作品鑑賞のイベントが続いていた。

その後五十嵐さんの寺山研究はどんどん進み、深められ、2003年には「寺山修司論」で現代俳句評論賞を受賞され、いまや寺山修司研究のエキスパートとして知られている。

 

『無量』を読んで、いままで句会や会誌「藍生」で目にしていた同じ句が、句集のなかでは異なる色や光を放っていることを知った。五十嵐さんが寺山の土や空を共有しておられることが確認出来たのも句集になってこそであった。

 

  自転車に青空積んで修司の忌

  街角を曲がる角度で冬に入る

  露寒やどこにも行かぬ日の鞄

  古里の母音の空の花芒

  下駄なんか履いてゐる人ほととぎす

  その細き身をその旗として夏野

  大寒や人は棺を空に置く

  悼一句寒の日の透くセルロイド

  沫雪やわれらと呼ぶに遅すぎて

 

2.「五月雨や父なきときを母とゐて」、あるいは喪の仕事

 

五十嵐さんはいつか「自分はさびしがり屋だ」といわれたことがある。そこが五十嵐さんの優しさを裏付けていると思う。読み返すほどに、お父上の晩年に寄り添って多くの句を詠み、また喪の仕事(平成216月父上を亡くされた)としての悼句をあのようにたくさん詠まれたことに、五十嵐さんの優しさがにじみ出ている。寺山の若書きの句「林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき」や「父と呼びたき番人が棲む林檎園」の肉親への心情にもつながるのではないだろうか。

 

  こときれてゆく夕凪のごときもの

    肉塊の淋しき西日射す柩

    五月雨や父なきときを母とゐて

    魂ひとつ青野に還す血曼荼羅

  冬の日のなほあたたかな時を病む

  新涼のふたり分け合ふものすこし

  緘黙の父に行き合ふ虫の闇

  幻影となり父の声雪の声

  咳こぼすひとりの刻をひろびろと

  窓ぬぐふ人惜しみ年惜しむとき

  父は去り母は冬日の遠汽笛

  生国は雪生むところ海と山

  母老いて姉また老ゆるつつじかな

 

3.「かたくりや希望は別の名で咲きぬ」、
       あるいは「意味か?音か?」

 

 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に、公爵夫人がアリスにむかって「意味に気をくばりなさい。そうすれば音はおのずから決まってくるのです」(第9章)というところがある。これは英語の格言 ”Take care of the pence, and the pounds will take care of themselves.” (日本では「一円を笑う者は一円に泣く」で知られる)を、キャロルがpの一字をもじってsensesounds にした言葉遊びである。キャロルの意図は、事がらを表現するための方便として、センス(意味・内容)を上位に、サウンド(音のひびき)を下位に見立てているのでる。

 

  かたくりや希望は別の名で咲きぬ

  不可知なる言葉すずらんなどと呼ぶ

  

この二句を見つけたとき、五十嵐さんは若い頃詩を書いておられた、と伺ったのを思い出した。そして五十嵐さんは、まさにキャロルの代弁者だと思って嬉しくなった。「かたくり」や「すずらん」という音のひびきが、それぞれの花の意味・内容を表していない、つまり「名が体をあらわしていない、あるいは逆に、体が名にそぐわない」というのである。その言い分が愉快だった。

黒田主宰は『無量』の序文の冒頭で「五十嵐秀彦。いい名前だと思う」と書いておられる。とても合点がいく。

 

このようにみてくると、『無量』の大半の句はお父上への哀悼の思いと深く結びついていることに気づいた。生国、先祖、信仰、死後の世界、へとひろがって、その延長線上に五十嵐さんの新しい折口信夫研究や中上健次研究があると思った。



☆平 倫子(たいら・くみこ 俳句集団【itak】幹事 英文学者)


(2013年8月24日のブログ記事を再掲)


2013年11月25日月曜日

五十嵐秀彦句集『無量』書評 ~山田 航~


五十嵐秀彦句集『無量』書評
山田 航
 

・・・冬と無常と断絶と・・・

 

 冬の句が多い句集だ。そして無常感と諦念に満ちている。著者は札幌市在住、一九五六年生まれの俳人。俳誌「藍生」と「雪華」に所属している。「雪華」の同人となった一九九七年以降の、十五年間の作品を収録した第一句集が本書である。序文は黒田杏子、跋文は深谷雄大、帯文は吉田類が寄せている。

 北海道という環境が冬の句を多くしているというのは、確かにあるだろう。しかしこの句集には「寒さ」だけではなく「苦さ」もある。敗北の季節としての冬が描かれ続けている。〈氷下魚裂くつまらぬ顔は生まれつき〉〈氷柱折るときなにものか折られけり〉〈指切りをするたび失せし雪をんな〉〈沫雪やわれらと呼ぶに遅すぎて〉いずれも果たせなかったことへの無念に満ちた句だ。かつて何か大きな夢を諦め、断念した。その思いが、彼の句に「冬」を呼び寄せているのかもしれない。

 句集のタイトルである「無量」は仏教用語から来ており、無限の意である。この他にも仏教関係の言葉を用いた句が散見される。〈一代の咎あれば言へ沙羅の花〉〈伝行基観音冥き秋時雨〉〈眼球の無量遊行の十三夜〉〈半跏坐のままや冬日を身に入るる〉しかし著者は別に仏教哲学に深い知識を持っているわけではないという。しかし、冬の句の詠み方にとりわけあふれている諦念が、仏教の無常観と親和性があるのは確かである。自らの無念や敗残の気持ちも置き去りにして、時間はひたすら過ぎ去ってゆき、すべてを無へと変えてゆく。そのはかなさへの共鳴が、句集全体の通奏低音なのだろう。

 著者の文学体験の原点は寺山修司である。しかし北海道に生まれ育った著者には、寺山がその世界の背後に抱えていた「東北」という巨大な体系がない。『田園に死す』などで描かれた前近代的なムラ社会の奇怪さは、いわば「日本」そのものの原始的な姿を浮き彫りにしようという試みだったが、北海道ではその深淵へは近付けない。結果として、この句集は「断絶」の気配に満ちている。ページをめくったらいきなり白紙があらわれて終わりとなってもおかしくないくらい、一句一句が屹立し、世界を断ち切ろうとする。きっとそれが著者なりの、北海道という世界に対する回答なのだ。〈蝶有罪あるいは不在雨あがる〉〈わが視野を石狩と呼ぶ大暑かな〉北海道の向こう側には、ひたすら風の吹く荒野しかない。しかしそれを引き受けることが、俳句という詩型の本質である「断絶」に、一層の強さを与えている。
 
 
(2013年9月5日 北海道新聞 夕刊に掲載)


☆山田 航(やまだ・わたる 俳句集団【itak】幹事 歌人)