ラベル 『読む』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 『読む』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年4月3日日曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (最終回)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (最終回)

 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫
  
 啓蟄の思はぬ足の速さかな        籬   朱子

前述の「蟻穴を出る」の句と相似形の内容を詠んでいるが より余白を拡げた作り。啓蟄のころ出てくる虫たちの思わぬ足の速さに驚いているととっても良いし、この時期の季節の足早さを詠んでいるかもしれないし、前を歩く人間たちの歩く足の速さかもしれない。二月が飛ぶように過ぎてすでに啓蟄という、多忙な日常に生きてゐる人間の「取り残された感覚」が可笑しくてすこし悲しい。


 ジッパーをジュッと上げれば春の雷         綾

ジッパーのオノマトペとして「ジュッと」が気にいったこと。とりあわせの季語が春の月とか桃の花とかエロい系を選択せずに、春雷を選択したことが二つ目の美点。音を立てるということ以外にアナロジーはないが、「ジュッと=春の雷」とはるか遠くて響き合っている感じが好きである。


 ひげ摘まれもやしかがやく日永かな   遠藤ゆき子

食用のもやし、おそらく(わからないが)豆類を光を当てずに芽が出るように水で栽培して育てるのかな。そして収穫時にはひげはおいしくないので、ひげを摘んで出荷するのであろう。光を当てないで光合成させないで育てたもやしを「かがやく」「日永」と光を当てた力技の俳句。素材として大変珍しいいので私には新鮮に映ったが、実際の句会で人気があったかどうかは不明。


 硝子雛しまふ日溜りよりはづし      松田 ナツ

硝子細工の雛人形で小さいものであろう。それを窓辺に置いて、雛祭りがおわれば仕舞う。硝子の冷たさがなくてむしろ、作者は日の温みを感じたのであろう。ひなまつりの、あたたかい質感・肌感覚が伝わる句である。



以上たいへん薄味で、申し訳ないがめまいの薬が効いているうちに終了する。次回は仕事が被る予定でしたが、1週間ずれましたの出席できそうですぞ。それではまた。


※俳句界には眩暈の方が割合多くいらっしゃいます。皆さんもどうぞご自愛ください。
喜夫さん、次回は句会報をよろしくおねがいします。(事務局J)。

2016年4月1日金曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (その4)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その4)
 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫 
 

 牡丹雪唇向けて避けられて              綾

けっこう悲しくておかしい句。上五で切れて読めば牡丹雪のふるなか、時は卒業シーズンであろうか、あこがれの先輩に唇を出してなにかをせがんだかもしれない。そこで避けられる。もちろん牡丹雪はサイズが大きいうえに、ひらひらとどこに落ちるかわからないので唇を突き出して牡丹雪に触れようとしたが、避けられるようにすり抜けていったのである。


 かげろふや音叉身の透く音のして    遠藤ゆき子

音叉の振動が体を震わせて、身が透く感覚。すぐれた身体感覚だと思う。これが、かげろうのゆらゆらした身体感覚とアナロジーを感じたのであろう。十分に理解できる感覚だ。やはり「音」のダブりがこの句の瑕瑾であろう。「かげろうや音叉この身を透けゆくも」とかなんとか工夫してダブりは避けて欲しかった。


 あめせんの水あめ舐る弥生かな     小笠原かほる

水は雪解け感覚として 弥生が佳いのではと思う。最近コンビニであめせん(塩せんべいに水飴を挟んだもの)が売っているのは私は嬉しくてときどき買っている。採れない人は「弥生」がどうか??と思ったのであろう。ベストではないがベターかと思う。


 蟻穴を出でてキッチン爆走す       大友   包

「爆走す」がおおげさでとてもよくできている。キッチンも状況設定がうまい。蟻にとっては九秒台で走っているのであろうが、キッチンの端までたどり着くまでにつかまってしまうだろうな。私だったら 蟻が出たら殺します。


(最終回に続く)

2016年3月30日水曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (その3)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その3)
 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫
 
 
 健忘を都忘れと差し替える         村元 幸明

健忘という病的な状態 と季語の「都忘れ」(植物)を言葉あそびとして捉えた秀品。季語の本意を無視した使い方はアンチ俳〇協会と見ました。健忘という状態の名詞と植物を差し替えることに違和感のある人は採れないだろうな。


 占いが12位の朝猫の恋          韮澤 土竜

朝のテレビ番組でこぞって今日のラッキーパーソンということで、星座占いを紹介している。バッドな12番目の運のひとにはかならず対策や対応策が挙げられていて、それが「たとえば赤いものを食べる」とか、とっても適当なのがとっても面白い。ともあれ、カニ座がバッドな日に「めまい」が発症したので、あながち信用している自分がいる。この句、恋猫のうるさい声に朝の眠りを妨げられたのかもしれない。しかもバッドな一日とくれば詠みたかったのであろう。


 妥協する但しそのあと花見する      高畠 霊人

なんだかとてもおかしい。たとえば労使交渉があるとする、労働者側が折れて労使交渉を妥協して終結させたあと、社長と従業員で花見へ行ったのである。このノウテンキな行為。社長を酔わせて髪の毛を毟ったりしたのかもしれない。「但し」がたいへん味を出している。

 受験生桃の節句どころじゃない      天野 紗更

公立高校の試験日は私の頃40年以上まえから桃の節句とぶつかることが多い。まさにこの通りだ。季重なりではなく、これは受験生が主季語で とても真実をついた作品だ。「どころじゃない」が微妙にうまい。


(その4に続く)

2016年3月28日月曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (その2)



『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その2)
 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫
 

 凍ゆるみ畦も呼吸をしたりけり       角田   萌

中七以下の措辞を生かすために、たとえば「雪解け」「斑雪」とかだと平凡。寒明けだとあまりに漠然としているし。凍てがゆるみ ゆるみ という言葉が、すべての生物や植物が呼吸を始める感覚が表現されていると思う。
 

 冴え返る朝バス停に同じ顔         高橋なつみ

毎朝ばす通勤あるいはバス通学している人の自然な感覚かもしれない。韻文調を出すためと説明的な散文調を回避するために「冴え返る朝のバス停」と切るべきであろう。そのあと「同じ貌」とすればさらにクローズアップされて強調される。


 誰も彼も通り過ぎてく弥生かな       大原 智也

弥生は陰暦三月なので本当は陽暦4月なのであるが、そういうどこかの主宰みたいにうるさいことは言わない。弥生は三月として年度末感覚でよいのである。こころある歳時記にも年度始めの感覚はないと はっきりと書いてある。したがって 中七までの お別れのフレーズが生きてくる。「通り過ぎたる」でなくて「通り過ぎてく」が若者感覚の言葉に近くてこの場合は成功していると思う。だって年寄りはすでに退職して年金をもらっているので、この感覚は起きないであろう。


 恋猫の両者に名誉ある撤退        青山 酔鳴

これはいいですね「名誉ある撤退」のフレーズを最高に生かした状況設定と季語選択。かなりの手練れと見ました。あきらめてすごすごと帰宅する雄猫が浮かんでくる。両者が雌雄なのか、モテナイ雄二匹なのか、ぼかしてあるのが逆にこの句を面白くしている。


(その3に続く)

2016年3月26日土曜日

『やぶくすしハッシーが読む』 ~第24回の句会から~ (その1)


『 やぶくすしハッシーが読む 』 (その1)
 
~第24回の句会から~

橋 本 喜 夫
  
抜けられぬ仕事があり、出れなかったがまたしても大量参加人数。御同慶の至りである。と他人行儀なあいさつをしました。目が回る忙しさと言うが、1週間前から良性発作性頭位眼振という「めまい」が生じて、けっこう困っている。根詰めてPCの前にもいられないので、いつもにも増して適当さが増強すること許して下さい。さっそく、気になった句に触れてみたい。めまい薬が効いているうちに・・・。


 ろう梅のひとつふたつはイミテーション   鍛冶 美波

季語そのままじゃん と言うなかれ。蝋梅の嘘くさい光沢、蝋細工のような質感、ひとつふたつは の中七がうまいですぞ。「イミテーション」なんか昭和の匂いがする言葉。蝋梅の句を一応チェックしてみたが、ここまでストライクにこの質感を言いとめた句はないようだ。

 三月の木さてと翼を開こうか         信藤 詔子 

「三月の木」というもってきかたが、坪内稔典チックではあるが。「さてと」が利いている。蕾の膨らみ、蕾の開花を翼として隠喩にしたのも良好と思う。


 春一番ガソリン臭き路地に着く       五十嵐秀彦

春の明るい気分、すこし華やいだ気分をガソリン臭さに転じたのは、好き嫌いがあると思うが私は捻れた感覚が大好きです。風の季語なので、「吹く」と安易にいかないで「着く」としたのも良好と思う。


 こぼれ餌に針先ほどの芽のひかり    草刈勢以子

中七までいっぱいに使って「木の芽のひかり」を比喩している。釣をしたひとならわかるが、餌がこぼれたあとの、すこしだけ覗く針先を比喩に用いたのはなかなか写生的でもある。
これによって「ひかり=針先」の予定調和感を薄める効果が出ている。


(その2に続く)

『やぶくすしハッシーが読む』は今夜から!


俳句集団【itak】事務局です。


ご好評の『読む』シリーズです。
今回は『りっきー読む』に続きまして
『やぶくすしハッシーが読む』をスタートします。

第24回俳句集団【itak】の句会には今回132句が投句されました。
その中から当会幹事・『やぶくすしハッシー』こと橋本喜夫が
毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。
また、今回はこれをもちまして句会評も兼ねさせていただきます。

前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は今夜3月26日(土)18時からです。ご高覧下さい。

☆橋本喜夫(はしもと・よしを 俳句集団【tak】幹事 雪華、銀化同人)

2016年2月16日火曜日

『りっきーが読む』 ~第23回の句会から~ (最終回)


『りっきーが読む』  (最終回)
 
~第23回の句会から~
 
三品吏紀
 
 
   グーチョキパー柚子湯に鍛え足の指    古川かず江

柚子湯や菖蒲湯などの季節を楽しむための入浴は、いつもよりちょっとゆったり浸かりたいもの。鼻歌混じりの風呂場は爽やかな柚子の香りに満ちて心地よいのだろう。
長湯しつつもなんとなく、手持無沙汰ならぬ足持ち無沙汰。きっと何気なく足の指でグーチョキパーなんて遊んでいたら、思ったより上手くできなくてつい練習に熱がこもってしまったのだろうか。
そういえば私の父も妙に足の指が器用で、幼い私と遊ぶ時によく足の指でジャンケンしたり、つねってきたりして構ってくれた事があったのを思い出す(さすがに足でつねられると腹が立ったので、グーパンチでお返ししたが(-“-))
風呂場の閉じられた空間に流れるゆったりとした時間。日常から切り離されたひとときと共にある柚子の香が、読み手の鼻腔をくすぐるような。



 初湯たぷたぷ何時の間にやら古希迎へ  田口三千代

いつもよりちょっと多めのお湯でゆっくりと初湯の時間を楽しむ。
普段なら多忙ゆえ烏の行水で終わるところを、この時だけは湯の中に身も心も沈め、じっくりと思いを巡らす。
慌ただしく駆け抜けてきた時の中、ふと立ち止まってみるともう古希を迎える自分。
なりふりかまわず走ってきた人生、ここから先は少しゆっくり歩んでいこうじゃないか。
「たぷたぷ」というオノマトペが、時の流れにたゆたう自分を表し、「ちょっと力を抜いていこうぜ」と語りかけているような。


 致死量の恋ぽとり入れ河豚の鍋       酒井おかわり

「致死量」「恋」「河豚の鍋」
この三つの言葉で既にストーリーが出来上がってしまっている。
河豚鍋を囲む二人。この嗜好でおそらく肉体的にも精神的にも円熟している男女なのだろう。
そしてこの恋は互いに大っぴらにできないもの。やがて行き着くとこまで行った先には、アンハッピーの結末しかないのだろう。致死量の恋という措辞に、そんな気配を感じる。
そうなることが分かっていても惹かれ合う心。
そしてまた致死量の恋を入れた鍋を囲む夜を迎えるのだろうか。



(了)

☆三品吏紀  :俳句集団【itak】幹事、北舟句会、迅雷句会


 


 

2016年2月14日日曜日

『りっきーが読む』~第23回の句会から~ (その3)


『 りっきーが読む 』 (その3)

~第23回の句会から~

三 品 吏 紀

 
   冬の雷文庫の世界閉じて聴く     長谷川忠臣

天変地異の前に人は為す術もない。しかし実害の出ない程度の大雨や雷などは、どうにも心が小躍りするような、ちょっとした興奮状態になる。
北国に住んでいると冬に雷というのはちょっと縁遠い感もあるが(雷の前に雪がワサッと降るからね)文庫の世界から現実に戻り、まるで古いレコードを聴くかのように雷の声に耳を傾けるというのもまた、オツな過ごし方ではないか。
 
 
  福袋女の怖さ袋分。           藤澤 汐里
 
……まぁ、あれだ。女性の物欲というのは男性の持つそれとはまた次元が違うものだと思う。(たぶん)女の怖さが袋分なんて、そんなウソ言っちゃイカンでしょー。実際はもっと……
なんて口が裂けても言ってはいけません。最後の「。」が全てを物語り、そして締め括っているでしょう。ちゃんちゃん。
 
 
  健全に呆けてゐると初メール     松原 美幸 
 
健全に呆ける、なんて素敵な響きなんでしょ(笑)
待ち望んだ正月三ヶ日の安穏とした日々。ところがいざ始まってみると喰っちゃ寝以外にすることが無く、思った以上に時間を持て余し仕方なく、寝転がりながらポチポチとメールを打ってる景が目に浮かぶ。
取り敢えず初メールしてみましたよ~~っ、的な気怠さも感じ取れる。案外この句に共感される方は多いのでは? 
 
 
 去年今年切り整へし髪と爪      遠藤ゆき子
 
新年を迎えるにあたって、自身の身だしなみを整える。爪を切り髪を整え、着る服・下着も新品を用意する。これも昔からの日本人の習慣だろう。
爪を切るパチンパチンという音、髪を整えるハサミのチョキンという一つ一つの音が、新たな年へのカウントダウン。新たな年を新たな自分として迎えることが出来る。
どんなに時代が下っても、こういう習慣はいつまでも大事にしていきたいものだ。
  

(最終回に続く)

2016年2月12日金曜日

『りっきーが読む』~第23回の句会から~ (その2)


『 りっきーが読む 』 (その2)
 
~第23回の句会から~

三 品 吏 紀


 実家てふフォアグラ工場去年今年   青山 酔鳴
 
なんとも自虐的、そして耳の痛い句だ(笑)
年末年始はほぼ喰っちゃ寝することが、日本の正しい正月の過ごし方だと思っている。それが実家ならなおさらだ。
フォアグラのごとくぶくぶくと自動的に肥えていく自分。でも正月だからいいじゃないかと言い訳する自分。そして鏡開きの頃には激しく後悔して必死にダイエットに励む自分。
それはきっと来年も再来年も懲りずに繰り返すのだろう。
やれやれ。 
 
 
  トレニアの狂い咲きたる強さかな    銀の小望月

四季のサイクルに沿って植物はそれぞれの時期に合わせて花を開く。
が、稀にそのサイクルから外れてまるではぐれ物の様に時期を外して花を開くものがある。
「狂い咲きたる強さかな」。周りに迎合せず自分の意のままに真っ直ぐに生きる。そこに強さを見たのだろうか。どうしても個というものが埋もれやすい昨今。周囲に流されず常に「己」というものを強く持ち続けて生きていきたいものだ。 
 
 
  引き算の果ての望郷初御空       五十嵐秀彦
 
自分の元からありとあらゆるものが失せ、消えてしまった。
残るのは残るのは胸の内にある望郷の念だけ。しかし再び歩み出すにはむしろ清々しいのではないだろうか。
何もない真青な故郷の空の元からこそ、スタートを切るにはふさわしい。
 
 
  愛咬のごときが昨夜の餅にあり     橋本 喜夫
 
愛咬という言葉はやはり男女の営みを連想させる。そして咬むという行為は「貴方は私のものです。その証を貴方に刻みましょう」というちょっとした独占欲の表れだと思う。
そういう論理でいくとこの句は「この咬み跡の付いた餅はオレのもんだ。誰も手をつけるんじゃねーぞっ」というイメージになるのか。うわぁ、なんてロマンティックじゃないんだろう(笑)
……いや、全く別の読み方をすると、下五の餅というのは、餅であって餅ではない。
つまり「餅の様に白い柔肌」ではないか。そうなるとこの愛咬という言葉のイメージがすんなり句に馴染み、なんとも艶めかしい句にも思える。
そういう意味でこの句は読み手にグッと妄想力を駆り立たせるのではないだろうか。
 
 (その3につづく)


 

2016年2月10日水曜日

『りっきーが読む』~第23回の句会から~ (その1)


『 りっきーが読む 』 (その1)
 
~第23回の句会から~

三 品 吏 紀
 
 
  ども。りっきーです。今回は読むの方に登場です。
ここ最近はなかなかタイミングが合わず【itak】に参加できない回が続き、お仕事サボり太郎になっておりました(´―`)
そんなおサボり太郎のワタクシに事務局の野良猫さんから、「『読む』、書け(#^ω^)」とのお達しをいただきましたので、久々に今回『読む』を担当する事となりました。
因みにやぶくすしのオニーサンが句会評を公開している筈なので、それぞれの句の俳句的技法や文法の解説など難しい事は、全部そちらにお任せしたいと思います(丸投げ)( ̄▽ ̄)
ワタクシりっきーの方は単純に、読んだ句についてどのような景が浮かんだか、どんなイメージを持ったかなどをダラダラ書き流していきたいと思います。
あ、今回も妄想力全開で書いてますので、「おいおい、その感想はちょっと違うんじゃ―ねーの?」なんて思っても、大目に見てやってくださいm(_ _)m
さて、では読んでみよう! 

 

  わらべうたむかしばなしにつもる雪    増田 植歌

小さい頃何度も読み聞かされた絵本、テレビで見た昔話。
その中に出てくる冬が舞台の話(かさ地蔵とか)などは、子供ながらに「うわぁ、本当に寒そうだなぁ」と想像をどんどん膨らませて話に聞き入っていたのを思い出す。
特に冬の夜にしんしんと積もる雪は周りの音を一切吸い込み、辺り一面静寂に支配される。  無音の銀世界が広がるなか、今度は一体どんな物語が紡がれるのだろう。 



   黒髪に隠すにきびも初日の出       宮川 双葉

結構目立つにきびがポツンとできてしまい正直誰とも顔を合わせたくない(見られたくない)、そんな微妙な気持ちが読み取れる。黒髪に隠すという措辞が、なんとなく年頃の女の子を思わせる。男子だとそこまで繊細にならないだろう。(今時はそうでもないか?)
思春期特有の恥じらいというか、些細な事だけれども心がすぐに揺らいでしまうような、そんな思いも取れる。何にせよ「若さ」がじんわり溢れているような一句かと。 



  遠い日の私の背中雪つぶて        齋藤 嫩子

近年は真冬でも外で元気に遊ぶ子供達というのは、結構少なくなっているような気がする。
今や世の中はインターネット、スマートフォン、携帯ゲームが氾濫し、そして塾や部活に習い事で随分と自由な時間も減ってると聞く。
近所の小さな公園もいつの間にか消えてしまい、アパートや住宅がどんどん建てられてしまっている。大人たちが子供達の自由に遊ぶ場所も機会も奪ってしまっている今、だからこそ作者は外で雪合戦する子供たちの背を見て、かつての自分の子供時代を重ねているのだろう。とてもストレートで景の浮かびやすい句だと思う。 



  寒紅のまだふつきれぬ思ひあり      松原 美幸

大事な人と紡いできた時間が多ければ多いほど、別れの時は様々な思いが残ってしまう。
人の記憶(心)は味覚や嗅覚、聴覚や触覚といった五感と共に深く刻み込まれるが、この句では「紅」という鮮やかな色、視覚から来るものが吹っ切れない思いに強く結びついているのだろう。
別れてもなお吹っ切れぬくらい人を想う、そんな情念のような句だからこそこの寒紅という季語が見事にマッチしているのではないかと思う。


(その2につづく)

 

2016年2月9日火曜日

『りっきーが読む』は明日から!


俳句集団【itak】事務局です。

楽しい雪まつりももうすぐ終わり、日一日と春に近づいていきます。

おなじみの『読む』シリーズです。
明日の夜から『りっきーが読む』をアップします。

第23回俳句集団【itak】の句会には52名が参加、104句が投句されました
その中から三品吏紀が毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。

前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は明日2月10日(水)18時からです。ご高覧下さい。

☆三品吏紀(みしな・りき 俳句集団【itak】幹事 北舟句会・迅雷句会)


2015年12月23日水曜日

『葉子が読む』~第22回の句会から~ (最終回)


『 葉子が読む 』 (最終回)
 
~第22回の句会から~

高 畠 葉 子
 

 零余子喰ふせめて憑きもの落ちるまで  高畠 霊人
 
 先日友人と楽しんだランチは季節限定メニューだった。その中に「零余子もち」の葛のあんかけがあり、もっちりとした触感を楽しんだ。そうか。あのもちもちに絡まって憑きものは落ちるのだ。せめてと言っているが大地の滋養たっぷりの零余子を喰えば、すみずみ清清しくなるに違いない。またその事を作者は承知のうえだろう。

 
 コーヒー一杯そして眺むる海の秋    藤森未千子
 
 海を眺めるためのコーヒーなのか、コーヒーを愉しむための海なのか。何れにしてもコーヒー好きな大人の一句。それぞれの季節の海に似合う飲物はあるがコーヒーであれば秋に間違いない。一杯のコーヒーを大切に過す時間として飲むのだ。もう一点記すべきが「海の秋」だ。海そのものの秋と海に纏わるすべての物の秋を感じるのだ。心も頭もその空気のままに任せて過す。そして一句が生れたら最高!もちろんコーヒーは濃いめのホットで。

 
 公園の遊ぶ子一人冬に入る     中田真知子
 
 冬を感じる瞬間はそれぞれだろう。作者は公園に一人遊ぶ子に冬を感じた。一人遊びの子は決して寂しいのではない。一人遊びを楽しんでいるはずだ。そして、冬が好きで、雪が好きで、そんな子だ。作者もまたそんな子を眺め冬になったのだなぁと感じる。「冬に入る」の季感は厳しい季節に入るのだという身構えもあるだろう。しかし長く冬を過ごしてきた私たちは冬を愉しむ事も、快適に過ごすための知恵も道具もある。これから存分に冬を感じ詩に残してゆきたいものだ。

 
 渡り鳥嵐を追つて海こえる      高畠町子
 
 今回の【itak】イベントの前日から、札幌では「嵐」のライブがあった。街は「嵐効果」もずいぶんと有ったようだ。アイドルグループ嵐の影響力恐るべし。で、この句。もしやあの嵐をも詠んでいるのか!とにんまりしている。文字通り、秋の台風後に海をこえてきた渡り鳥とも読めるが「嵐」のライブ当日に出された句だ。街には嵐ファンが溢れ、会場近くの主要道路は渋滞、地下鉄も満員状態であった事を思えばこの句の「嵐」はあの「嵐」であるに違いない。この姿勢は大いに学びたい。俳句もライブだ!

 
 寝そべって死ぬことできる蒲団かな     橋本喜夫
 
 死という字を使った句は難しい。なかなか成功しないと思う。何度かチャレンジはするものの失敗続きの私だ。動物や植物を死なせたりできても人を死なせる句を成功させるのはめちゃ難しい。この句が軽やかなのは「死ぬ」ことできる蒲団だからなのだろう。その蒲団に寝そべれば死ぬことができる。つまりその蒲団以外では生きるのだ。読んでみるとなんてことない様に思えるが、なかなか気付けない事じゃないかな。さすがです。
 
 
(了)

 

2015年12月21日月曜日

『葉子が読む』~第22回の句会から~ (その2)


『 葉子が読む 』 (その2)
 
~第22回の句会から~

高 畠 葉 子
 

 初霜やつひにその本読み終へず     高橋なつみ

 読み終わらなかったその本。読み終へなかった事をさらに「つひに」とまで言われると、作者は「ま、いいっか」と開き直り?かと思う。これは前向きかつ明るい開き直り。読み終えなかったからって何さ!みたいに。その本とはいかなる本かも考えてみる。ミステリーじゃあないな。恋愛小説でもないでしょ。とか。いやいや、本と言っている。小説とは限らないしね。ともかく今は読み終わらなかった本だけれどまた来年初霜の季節はやって来るって事だ。

 
 息吐けば雪の牧場はただ広く      角田 萌

 たかだか人間の発するものはちっぽけだ。目に見えるものはちっぽけだが見えないものは無限大だ。息は白く吐き出され、雪の牧場へほんのちょっとの体温を伝えた。そこには「想い」もあったはず。たとえば志とか夢とか。ただ広くの後にある作者の想いを感じる句だ。

 
 むっつりと歩く人多き神無月      和田 由美

 むっつりと歩く人。がとても良かった。たいていの大人は一人歩く時「素」になっている。その怒っているでもない。哀しがっているでもない。へらへら笑っているでもない。むっつりなのだ。顔の表情だけではなく「むっつりと歩く」その姿だ。そして神無月である意味も納得だ。深刻に季節の厳しさを思う11月でもない、暮らしの忙しさに追われる12月でもない。そんな神無月であるからこそ素の表情が「むっつり」なのだ。通勤時間帯、多くのおとなはむっつり歩いているのだ。音の字余りもまたむっつりを表現している。おとなの句だ。

 
 風が過ぐ華を刈る斬る冬が来る     瀨祭
 
 リズムの調子の良い句。おまけに動詞が四つ!以前友人達と「動詞をたくさん入れる句を作ろう!」というテーマを持った事があった。作ろうとするとなかなか作れないものだ。これでもかと畳み込まれるといっそ気持ちがよい。子音がU音で揃っているせいか。

 
 カフェラテの渦巻き白し日向ぼこ    渉  千佐子
 
 例えば赤い屋根のオープンカフェ。日向ぼこをしいながらのカフェ、佳い時間だ。カフェラテの渦巻きはラテアートか。最近私もラテアートに挑戦している。もちろん難しい。ハートを描いたつもりが誰のハートだい?と言いたくなるようなシロモノだ。ラテの渦巻きってもしかしたらラテアートの失敗作??とか失礼ながらわが身に置き換えて読んでいる。

 
(最終回につづく)

 

2015年12月19日土曜日

『葉子が読む』~第22回の句会から~ (その1)


『 葉子が読む 』 (その1)
 
~第22回の句会から~

高 畠 葉 子
 

今回「読む」企画を書かせて!と名乗りをあげた。
本当に久しぶりで、文体をどうしたものか?から始まっている。と気負ったところでクオリティが高くなる訳でもないので普段のままにありのままに(あぁ、最早古い言い回し)書くことにしよう。今回のイベントには私の自宅ご近所である小樽潮陵高校からも参加があったと聞いている。どの句が高校生のものなのか分からないのも、また楽しいものだった。一読これは高校生?とはならなかったという事は、大人っぽい高校生、若々しい大人って事らしい。俳句ってなりたい自分になれるのね。



 敷きつめた銀杏黄葉や去り難し    綾

 近所に高校がある。校門へ向かう坂道には桜・銀杏・萩が揃っている。季節をたっぷり味わえる。秋の色で敷つめられた道を眺め踏みしめ歩くのは晩秋の楽しみだ。さて。作者は去り難しと言う。そうなのだ。365日のうちせいぜい5日程の秋の名劇場だ。どんなに去り難くともやがて朽ちてしまう。美しい景色を感じた時その時間を惜しむと同時にその時に持つ心だとか、物だとか、人だとか、取り巻くすべてを愛しむ事を再認識し去り難くなるのかも知れない。



 山白く喪中のはがきちらほらと    平田 麗子


 11月に入るとまさにちらほらと届く喪中のはがき。年年、枚数が増えて来ている様に感じる。また、喪中はがきを用意する事も増えてきた。この句の後半からの平仮名の表記がはらはらと降る雪も見えるようで効いている。喪中の葉書。喪中のはがき。表記で作者と送り主との距離感も伺える。喪中はがきを手にして思う季語が「山白く」視線が遠くに飛んでいる所がいいな。

 

 淡恋と弾け飛びたる冬苺       銀の小望月
 
 読みは「あわこい」としたい。いや、それ以外ないでしょ!という声もありそうだけど・・・。「たんれん」はないよね。淡恋と冬苺。まして弾け飛ぶという。淡い恋と言ってるけどさぁ、本音の所では別の想いがあるのよね??なんて読んでみる。確かに冬苺の粒粒ってぱんぱんに張って今にも弾けそうだし。そんな思わせぶりな?作者にまんまとハマり花言葉まで調べてしまった。冬苺の花言葉は「未来の予想」「尊重と愛情」「誘惑」とあった。ほう!と唸った。
淡い恋は弾けてどうなったのか気になるよ!
 

 木の葉散り山の地蔵も眠りけり    山納 秀俊

 季節ごとの地蔵菩薩を思うと秋に眠るというのはとてもよく似合う。ひと仕事終えたようにいったん眠るのだろう。しかし世の苦悩を包み込む地蔵は冬に目覚め人々の苦悩を包むのだ。笠地蔵のプレストーリーの様だ。
 

 凩や声を涸らして歌ひ切る      山鹿 浩子

 木枯しではなく「凩」が相応しい。歌い切ったという作者の一途さを思う。声を涸らしてとは言っているが、心の内の叫びとも読める。声を涸らし、心を涸らしやり切ったという作者は凩の先にある新たなスタートを見つめているに違いない。
 
 
(その2につづく)

 

『葉子が読む』は今夜から!


俳句集団【itak】事務局です。

風台風に見舞われた北海道、自然とはなかなか厳しいものです。

おなじみの『読む』シリーズです。
明日の夜から『葉子が読む』をアップします。

第22回俳句集団【itak】の句会には64名が参加、128句が投句されました
その中から高畠葉子が毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。

前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は今夜12月19日(土)18時からです。ご高覧下さい。

☆高畠葉子(たかばたけ・ようこ 俳句集団【itak】幹事・現代俳句協会会員)


2015年10月18日日曜日

『ゆっきーが読む』~第21回の句会から~ (最終回)


『 ゆっきーが読む 』 (最終回)
 
~第21回の句会から~

安 藤 由 起
 
 
 キャタピラの跡八月の濡れた砂    藤原 文珍

句をつくるとき、「説明しない」ように気を付けている。説明の句ほどつまらないものはない。が、気を抜くとついやってしまう。一切の説明を排したことで生まれる、無機質さの中の生々しい気配に心惹かれる。


 影のないおとこ四五人風の秋     信藤 詔子

影のない男とは、故人のことだろうか。そして、秋の風ではなく、風の秋。風の吹きすさぶ中で、男たちは何をしているというのか。句意は正直よく掴めないが、俳句という短い詩形ゆえの広がりが、読み手の想像力をかきたてる。
 
 
 唸り出すロボット掃除機日短か    遠藤ゆき子

使ったことはないが、決まった時間になると勝手に掃除を始め、終わると自分で定位置に戻っていくらしい。健気に働く姿がかわいいと人気だ。日も傾きかけた頃、突如として開始された掃除に驚く様子が伝わってくる。


 パンストのパンより秋の深まりぬ   青山 酔鳴
 
「〇〇から△△が始まる」系の類想・類句は多そうだが、「パン」はおそらく初めてじゃないだろうか。生身の人間の生態を句に落とし込む、独特のウィットが見事。今年も「パン」から秋が深まってきた。
 
 
(了)

 

2015年10月16日金曜日

『ゆっきーが読む』~第21回の句会から~ (その2)


『 ゆっきーが読む 』 (その2)
 
~第21回の句会から~

安 藤 由 起
 

 柿くってぼんやりしている一日中   トモヤックス

ある意味、一番衝撃を受けた句。確信犯的な投げやりさ加減が20~30代男性の作品かと思ったら、最年少参加の小学生のものだった。柿食へば鐘が鳴るなり・・・
の現代版とでも言うべきか。柿のおいしさにスポットを当てつつも虚無感を漂わせ、おまけに時間経過まで表現するのだからすごい。


 桃すする血は濃淡をくりかへす   橋本 喜夫

「あなたは半年前に食べたものでできている」という書籍が売れているとか。たっぷりの水分をたたえた桃が体内に吸収され、やがて血となり体内をめぐる。医療従事者らしい視点が面白く、「すする」という表現にも勢いがあって好きだ。アレルギーで桃が食べられなくなって久しい自分としては、恨めしい限りだが。


 蓑虫の蓑言の葉を紡ぐごと     栗山 麻衣

今年の夏、実家の車庫に蜘蛛が大量発生した。ぐるぐる巻きの糸の中に、オレンジ色が透けて見える直径5mmほどの卵塊を割りばしで何個も取った。中身のことを考えると、気持ち悪い。しかし、子を成すために懸命につくったものだ。掲句もそんな愛の形を写しとったのかもしれない。


 
(最終回につづく)

 

2015年10月14日水曜日

『ゆっきーが読む』~第21回の句会から~ (その1)


『 ゆっきーが読む 』 (その1)
 
~第21回の句会から~

安 藤 由 起
 

日一日と昼が短くなる秋は、なんだか「暗い句」が多いなぁ~。投句一覧を眺めているうちに、そんな感想を持ちました。陰気な句が好きな安藤が気になる10句を選びました。
 
 
 古書店の奥に河童の棲むところ   ふじもりよしと
 

河童ってどこにいるのだろう。かっぱ寿司の地下厨房と定山渓温泉(※カッパがシンボル)には絶対いるとして、街中なら古本屋が断然ピッタリくる。河童と古本屋。やたらと親和性を感じてしまうのは、世間から隔絶されてひっそり棲息する様が似ているからか、それともカッパ似の店主が多いからか。



 右の目が痙攣していた菊人形   福井たんぽぽ

ホラー小説家・倉阪鬼一郎の「怖い俳句」(幻冬舎新書)を読んだ。「貌が棲む芒の中の捨て鏡」(中村苑子)など、芭蕉から現代に至るまで、さまざまな「怖い句」を拾い集めた力作だが、掲句もそれに匹敵するレベルだろう。エッジの効いたシュールな句を得意とする作者。脳内で映像化された菊人形の顔がまことに怖い。


 もつれずに風わたらせる秋桜    大槻 独舟

コスモスの茎はよくできている。細い割に丈夫で、しなやか。素手ではうまく手折れない。太いのにすぐヘタるガーベラの茎とは真逆だ。そんなコスモスの群生が風に吹かれる様を「もつれずに」と詠んだ。簡単そうな表現に見えるけど、普通には決して出ない。繊細な観察眼をお手本にしたい。

 
 
(その2につづく)

 

2015年10月13日火曜日

『ゆっきーが読む』は明日から!


俳句集団【itak】事務局です。

風台風に見舞われた北海道、自然とはなかなか厳しいものです。

おなじみの『読む』シリーズです。
明日の夜から『ゆっきーが読む』をアップします。

第21回俳句集団【itak】の句会には今回98句が投句されました
(投句49名のご投句で、選句50名のご参加でした)。
その中から安藤由起が毎回心の赴くままに選んだ句を読んで参ります。

前回同様、ネット掲載の許可を頂いたもののみを対象といたします。
掲載句に対して、あるいは評に対してのコメントもお待ちしております。
公開は明日10月14日(水)18時からです。ご高覧下さい。

☆安藤由起(あんどう・ゆき 俳句集団【itak】幹事・壺、群青 札幌在住)



2015年9月6日日曜日

『かほるんが読む』~第20回の句会から~ (最終回)


『 かほるんが読む 』 (最終回)
 
~第6回の句会から~

小 笠 原  か ほ る


 
 とりどりの尻の器量や田植えうた    増田 植歌
 
目の前に、どーーーんと景が見えてくる一句。
きっと人気の句だったのではないかな。
とりどりの尻は皆、それぞれの母と同じ器量なのだろうな。
田植えも尻の器量も受け継がれていくのだ。
 
 
 敷藁に尻うつくしき西瓜かな       草刈勢以子
 
夏に食べる西瓜なのに「西瓜」だけだと秋の季語になるのも
季語の不思議だ。またまた「尻」を詠まれた一句ですが
西瓜の尻の丸みにはかなわない。そうだ!みなさんもご存じかと思いますが
西瓜の尻のポチっとが小さければ小さいほど美味しいってこと。
なので西瓜を買う時は次々とひっくり返して一番小さいポチっのに決めます。
今のところハズレはないです!
 
 
 生きをればあり舌頭も白桃も      井上 康秋
 
本当にそうだなと思う一句。
白桃の旨さを味わえる、生の実感。
が、角度を変えて読むと、どこか少しエロチックな感じがするのは
私がそうだから?か。むうう・・・。
作者は熟年の男性かな?と思って読んでいるので偏見になってしまっていたら
失礼をお許し下さい。
 
 
 遠く遠く鉄塔は陽炎の中         山田   航
 
この一句の「陽炎」も春の季語なのだけれどメラメラとした夏にも
当てはまる光景かと思い選んだ。
そして秘かに鉄塔が好きなのも理由の一つ。
詳しい訳ではないが男鉄塔と女鉄塔があり、形が違うんです。
電車で出かける時やお墓参りで山奥に行く時は、ぼけーーっと
遠くまでずーっと繋がっている鉄塔を見るのが好きなだけです。
 
 
 大広間二つつなげて夏料理       久才 透子
 
大広間を二つつなげるだけでも夏の感じが伝わる一句。
そこにどどーんと運ばれてくる夏料理。
他の季節ではピンとこないかもしれない。
ワイワイガヤガヤと楽しい声が聞こえてくるようだ。
 
 
以上で小笠原かほるの妄想入り読む企画を終了させていただきます
勉強不足、知識不足丸出しで、すみません。
それでも暫くぶりに参加されたみなさまの俳句と向き合う事で楽しむ事ができました。
では、みなさまありがとうございました。
 
 
(了)