『ここで一句』
札幌西高等学校 第19代校長 平野謹三先生を偲んで
「ここで一句」── 沸き上がる「ウォー」という歓声と拍手。私たちは、平野校長先生の俳句を聞くのではなく、立たされた集会から解放される合図として反応した。訓話の最後に必ず俳句を私たちに披露してくださった。それはおよそ30年経った今でも、思い出に残る。
1981(昭和56)年12月、校長先生が最初で最後の句集『冬怒涛』(673句)を発行されたのを、私は当時知らなかった。1984(昭和59)年、私たち西高34期卒業時に、438名全員の名前を織り込んだ俳句を作り、色紙に書いて渡してくださった。全部積み上げたとすると1枚2ミリの厚さ、90センチ近くになる。当時は感慨のなかった俳句だけれども、今じっくりと読んでみると、校長先生の俳句に対する思い、私たちに対する思いが、伝わってくる。
平野校長先生は、34期が卒業すると同時に教職生活を終えられ、ご自宅で第二の人生を送られたそうだ。惜しくも2003(平成15)年12月、お亡くなりになり、私たちと共に西高の百周年を祝うことが出来ないのは、残念である。
集会で披露した句、私たちが卒業時に頂戴した俳句の一部をここに収録した。溌剌と俳句を披露してくださった平野校長先生の声と姿を思い出しながら、読んでいただきたい。収録にあたっては、国語科大嶋寛先生が丁寧に纏め遺してくださった『「そこで一句」集』の他に、資料として『札幌西高新聞』をはじめとする発行物、34期が各自保管していた色紙を参照した。
訓話・旅吟(昭和56~59年)
芽木の窓明日ある出会ひまたひとつ 1学期始業式 56年 4月8日
ひびき合ふ何かが充てる木の芽かな 対面式 4月9日
万緑の底青春の朝生まる 運動会 6月14日
少女像双手に青嶺抱きをり 2学期始業式 8月20日
オーケストラ胸の底まで青嵐 管弦楽団第12回演奏会 8月25日
雪晴や避難訓練整然と 避難訓練 12月21日
冬銀河生徒の眼負ひ明日の背 2学期終業式 12月22日
卒業の視野離れざる大雪嶺 32期卒業式 57年 3月10日
入学の眼にゆるぎなき残雪嶺 35期入学式 4月8日
大いなる出会ひの窓や風光る 対面式 4月9日
明日創る力青嶺に谺なす 運動会開会式 6月13日
雲払ひをり立秋の蒼穹像 2学期始業式 8月19日
オーケストラ新しき星殖やしをり
管弦楽団創立70周年記念第13回演奏会『北の道程』 8月26日
心継ぐ古稀の母校や天高し 70周年記念式典 10月2日
平安の旅の出発天高し 修学旅行しおり 10月19日
翔つ前の息鎮めをり初鴉 始業式 58年 1月20日
風花や白樺に目ののこりをり 33期卒業式 3月10日
卒業やこころの奥に雪嶺聳つ PTA広報誌ひろば 3月10日
眼の底の雪嶺明日をひらきをり 36期入学式 4月8日
ふれあひの芽ひびきあひこの眼鏡 対面式 4月9日
青嵐睦みつなげり大飛球 野球東西戦 7月2日
灼けゴビに長城力尽きゐたり 中国旅行嘉峪関にて『寒来』 8月3日
流星の始め終りや沙漠の中 中国旅行敦煌にて『寒来』 8月3日
胸奥の銀河揺れをりオーケストラ 管弦楽団第14回演奏会『北の道程』 9月8日
卒業の天ひろげをり芽白樺 贈卒業生(34期卒業記念品に)59年 3月10日
芽白樺母校上向くものばかり 西高新聞 3月10日
色紙の句
新年
大雪山引きよせ引きよせ吾子の凧 『冬怒涛』旭川
春
春日の長き道歩々急ぐなし
望み満つ雪間の黒土香を放つ
雪解けてその丸みつつ石ひとつ
橋渡り万の木の芽に会ひにけり
芽吹き初む森が結べる香かな
萌え出づる力見えくる原野かな
芽落葉松明日への樹液滾りをり
谷風の幸便満つる芽白樺
空広し必至に滾る芽白樺
夏
北限の植田や空の動かざる
泉の香嗅ぎあてし馬天仰ぐ 敦煌にて『寒来』
大雪山に羽翼を試す若き鷹
天高く雅志宏げをり夏の樺
秋
胸に聳つ初冠雪の大雪山
始業ベル秋蝶の宙動きたり
香りをり稲田の上の真澄空
風雪に耐へ力増す樺一樹
雪山河動かざるもの動くもの 『冬怒涛』旭川
雪野貫く一条の川史創る
一凍河流れの芯の巧まざる 『北の道程』北見
冬木には冬木のひかり父母の国 『北の道程』宮の森
ご長男の文昭さんが、遺された資料を探してくださった。出来れば438人全員の俳句が残っていれば、と望んだものの、およそ30年前のこと。叶わなかった。1983(昭和58)年夏休みに、西高の先生達と一緒に行った中国旅行『絲綢之路紀行』(素稿・2,734句)『絹の道旅吟抄』(1,193句)『熱沙ゆく』(300句)、第二の句集『北の道程』(1,122句)の原稿があった。
退職にあたって西高新聞の取材に、高校生の無気力について訊かれ「西高生を信じているから、絶対そんな事はない」と言い切った。校長の志に応えるように私たちは生きていく必要がある。
どの芽樹も母校の歴史負ひにけり 『北の道程』宮の森
平野謹三(ひらのきんぞう)
1924(大正13)年1月21日 茨城県鹿島郡大洋村(現・鉾田市)に生まれる。
茨城県立鉾田中学校(現・鉾田第一高等学校)卒業。
1944(昭和19)年 二松学舎専門学校本科(現二松学舎大学)卒業。茨城県で教員となる。
1953(昭和28)年 横浜から北海道に渡る。津別高等学校教諭。
1954(昭和29)年 安藤幹夫に勧められ、俳句の道に入る。57年 月寒。
1955(昭和30)年 寒雷に入会。
1961(昭和36)年 様似高等学校教頭。66年 長万部。68年 月寒。
1971(昭和46)年 熊石高等学校校長。
1976(昭和51)年 北見柏陽高等学校校長。集会時に必ず一句を披露し、恒例となる。
1979(昭和54)年 旭川東高等学校校長。ヨーロッパ、アフリカ旅行。
1981(昭和56)年 札幌西高等学校校長。12月1日、句集『冬怒涛』発行、題簽、加藤楸邨。
1983(昭和58)年 夏休みの2週間、西高教師らと中国シルクロード旅行。
1984(昭和59)年 3月31日、退職。
退職後、奥の細道を行く。
2003(平成15)年12月、永眠。戒名、 智光院覺道謹順居士。
2012(平成24)年10月13日発行
札幌西高同窓会誌『輔仁』95号
開校百周年記念号より転載(一部改訂)
*怺へ(こら-へ)
☆増田 植歌(ますだ・うえか 札幌ホトトギス会)
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