『 おヨネが読む 』 (その1)
~第12回の句会から~
栗山 麻衣
いやあどうもどうも。いつもお世話になっております。栗山麻衣でございます。なんでおヨネなのかというと、なんか「麻衣が読む」だと真面目っぽすぎるっつうか、なんか気乗りがしないもんだから。うふ。おヨネなのは、米が好きだからでありマス。
つうことで先日欠席しました句会の句、鑑賞させていただきマス。いつもながらの不勉強、いたらぬところが多々あるかとも思いますが、異論反論、叱咤激励、ご指導ご鞭撻大歓迎でございます。何卒夜露死苦!
種々の箱にみな蓋雛納む
これは「種々の箱」がピリッと効いた一句。お雛様ご本人たちはもちろん、五人囃子の笛太鼓や三人官女の持ち物など雛飾りは確かに細々とした道具が多く、それぞれをそれぞれの箱にしまわなければなりません。その幾つもの箱の存在に目を向け、表現したところに、お雛様に丁寧に臨む作者の姿勢がうかがえます。ナイス。
雛納む息の通へる和紙一枚
こちらは箱ではなく、お雛様をくるんだ和紙に注目した作品。中七下五は「和紙には人間の息が通る」という事実を述べているだけとも読めますが、季語「雛納む」を取り合わせることで、お雛様が来年の桃の節句まで穏やかに過ごせますように…という祈りを込めたようにも受け取れます。作者はきっと優しい人なんだろうなあ。
流氷来港酒場やロシア帽
「りゅうひょうく」「みなとさかばや」「ろしあぼう」。三段切れっちゃあ、三段切れ。流氷と港というのも、ダブりっぽいっちゃあダブりっぽい。とはいえ情景も浮かぶし、北海道らしくて力強い。後世まで残るタイプの作品かというとビミョーかもしれませんが、この勢いは捨てがたいと思わされました。このイメージをもっと細かく詰めたり、逆に広げたりしたら、作品に作者ならではの目が出てくるのでは? とか言っちゃって、作者、大ベテランさまでしたらすんまそん。何様感あふれるワタクシの感想でございました。
カフスボタンあるいは寒きくすりゆび
現代詩っぽい味わいの一句。薬指っつうことは、結婚指輪を外したのでしょうか。この場合の「寒い」は心理的な寒さも表しているのかな。男同士の複雑なつながりと葛藤を描いたおフランス映画の邦題「あるいは裏切りという名の犬」の場合、ワタクシは「あるいは」の前に「親友」という言葉が省かれているのではないかと考えているのですが、掲句の場合はハテさて。「寒くないと思っていたけど、あるいは…」なのか。カフスボタンを留めた作者。「ひょっとしてオレ、寒いのか」と自問自答しているのかもしれません。
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