第3回週俳十句競作・落選展 句評(3) 鈴木牛後
薹 早川純子
十句はほとんど性的なものの暗喩となっているが、このような句群について評を書くのは難しい。チャレンジ精神は評価したいが、選者に選ばれるというより選者を選ぶ句群だろうと思う。少なくとも私はちょっと。
ひとにまた茎のありけり蕗の薹
「茎」は作者の意図では陰茎を暗示しているのだろうが、この連作から独立して読めば人間そのものと解することも可能だ。「茎」は幹ほどしっかりしたものではなく、かといって草や芽ほど頼りないものでもない。小さいながら大地に根を張る植物体を支え、養分を末端まで供給し、なにより茎は植物体そのものである。人間も土の上に生きて、風に煽られて大きく揺れたり、日照に枯れ上がりそうになったりしながらようやく立っていて、そして、その五感の先にあるもろもろの関係性(社会ともいう)に影響を与えつつ、また与えられつつ生きている。季語「蕗の薹」が、そのささやかな矜持を象徴している。
失職日 高畠葉子
作者が最近失職したということを知っている身としては切ない。
テーラーの鋏よく鳴く寒夜かな
私の住む町では見かけないが、今でもテーラーというものはあるのだろう。高級な背広などを作っているのだと思うが、私にはまったく縁のないところなので想像してみるしかないが、そんなテーラーでは腕の良い職人が名のある鋏などを使って生地を裁断したりしている。名士にもその腕を認められる生業のすばらしさがそこにはある。「鋏よく鳴く」という措辞に尊敬、憧憬の感情などを見てとることができるだろう。この句の作中主体が失職者だということはどこにも書いていないが、タイトルからそう演繹することをお許し願えば、寒い夜をひとり歩いてきた彼女には、それがどんな音に聞こえたのだろうと思わずにはいられないのだ。
泡雪を舌にのせてる失職日
タイトルのもとになっている句だが、「のせてる」という俗な言い方が惜しかった。淡雪と失職との取り合わせが良かっただけに。
モヨロ人 久才秀樹
モヨロ貝塚 は網走市にある先住民族の遺跡。この作品は網走に近い北見市在住である作者のものとすぐにわかった。一般の人はモヨロ人などというものはほとんど知らないだろうから。
この句群はまだ詩になっていない言葉たち、という印象だ。口をついて出た言葉が俳句となる途中で道に迷っている、と言ったらいいだろうか。
流氷の底に隠れしモヨロ人
「流氷」と「モヨロ人」というオホーツクの風物ふたつを詠んだ句。モヨロ人の暮らしていた頃(wikipedia によれば5世紀から9世紀)も、今と同じように流氷が浜に押し寄せていただろう。流氷の恵みを得ながらの、ある意味豊かな暮らし。そんなモヨロ人も、いつしか北海道から消えていった。もしかしたら母なる海の象徴である流氷の底に隠れているのかもしれない。
その時 三品吏紀
少し言葉が空回りしているかもしれないが、「転移癌」というショッキングな言葉、また「死ぬる」「念仏」などから、全体として死者を悼む感情が感じられる。それが最後に「薔薇愛でる…」の句で落とされてしまうのは構成としてどうなのかと思う。また、句が季節の順になっていないのはあまり良い印象を与えないだろう。
俎板に秒針重ね打つ根深
秒針の音と、作者が俎板で葱を刻む音がシンクロしているのだろう。料理人が葱を刻むにしては遅すぎないか、という気がしないでもないが、包丁3回に秒針1回くらいということなのかもしれない。料理人だからそれくらいだよね、たぶん。それはともかく、掲句は「重ね打つ」という複合動詞がよく効いていて臨場感がある佳句だと思う。
(了)
0 件のコメント:
コメントを投稿