牛後が読む(その3)
~旗揚げイベントの俳句から~
鈴木牛後
葎とは、つる性植物のカナムグラのことだが、私はこの植物を見たことはない。
でも、棘のある植物ということで想像することはできる。名前はわからないが、
そのような植物はうちの周りにもたくさん生えているからだ。
葎を行くなら、必要なのは角ではなくて鎧だろう。角などあっても、棘から身
を守れないからだ。しかし作者は、「やがて角もつ」と言う。これは確信では
なくて願望なのかもしれない。角など持たずに生きてきた人生、たまには角を
振りかざして生きてみたいよね、ということか。
社会生活を送っていると、なかなか自己主張するのは難しい。日本人は自己主
張が下手だという話はよく聞くが、それゆえこの極東の地まで辿り着くことが
できたのだろう。自己主張ばかりしていたのではとうに死に絶えていたに違い
ない。それでも、何か言いたいことは誰しもある。世間という葎はあまりにも
強く絡まりすぎていて、そこを突き抜けるにはやはり角が必要なのだ。
鼻唄をとくと聞かせて草を引く
角川俳句大歳時記には「夏は雑草が茂りやすい。畑作は雑草との戦いである。
(中略)畑のところどころから草取女の鼻唄が流れる。」とあり、季語「草取
り」と鼻唄は常套的な取り合わせではないのかなという気がしていた。
それでは、草取りのときに聞かせるのはどんな歌がいいのか、考えて見た。
「ビートルズ」などはどうだろう。団塊の世代が定年帰農して聞かせるならい
いかもしれない。リズムに乗って草取りも捗りそうだ。もっと年配なら、「さ
ぶちゃん」あたりがいいかもしれない。「与作」が定番になりそう。若い世代
なら「AKB」のようなリズムの早い曲を口ずさみながら、草取りも楽しくできそ
うだ。
そんなことを考えながらもう一度掲句を読むと、やはり鼻歌が一番という気が
してくる。草取りなどの単純作業をしていると、頭が空っぽになるというのは
誰しも経験することだが、そんなときに無意識に流れ出てくるのが鼻唄だ。草
取りという行為をいつまでも続けるには、頭は半分無意識の領域に突っこんで
いるくらいがちょうどいいのかもしれない。そう思ったら、「とくと」という
措辞はとても効果的だ。
(つづく)
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俳句集団【itak】からのお知らせ
第一回イベントから4週間が過ぎました。
句評『牛後が読む』の好評連載中ではありますが
当日の投句で掲載の許可を頂いたものの一覧と
選句状況のまとめを、来週にも公開したいと思います。
紙の俳誌を持たない俳句会の事実上の俳誌となります。
ご参加のみなさま、ご高覧のみなさまの
お目に留まれば幸いです。
ラベルは「投句・選句一覧」といたします。
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