2015年11月30日月曜日

俳句集団【itak】第22回句会評④ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評④

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 おじさんのくしゃみに滅ぶ星ひとつ  酒井おかわり

 星や地球など大きなものを詠むときのこつは、品格のある詠み方でそれなりに表現する方法と、その逆でとても小さく、とるに足らない方法で詠むやり方がある。品格のある詠み方だとかっこつけた感じになり、空疎な俳句に陥りやすい。後者は小さいもの、とるに足らぬものを詠むので、「モノ俳句」として実感のあるものになる。掲句は後者の方法をとり、句会でも案の定たくさんの人気をあつめた。「おじさんのくしゃみ」というとるにたらぬものの極みと言えるものを提出して、星を滅ぼしてしまうと嘯く手法である。「おじさん」を選択したのがなんとも心憎く成功している。季語を大事にする結社ならば「くしゃみ」の季感が弱く、比喩に使っているという欠点をあげるかもしれぬ。私はそんなことはないと思うが頂かなかった。思い切り軽いものから、思い切り大きなものへ展開してゆくやり方も私としては予定調和に思えたからだ。それでも「おじさん」「星ひとつ」という二つの措辞がその「わざとらしさ」を補ってあまりある結果となった。


 冬木立日に晒してる骨密度      齋藤 嫩子

 骨粗鬆症の句は「老いの句」としてよく詠まれるがほとんど失敗作である。ところがこの句はみごとに嘘くさくなく詠めている。これはひとえに「日に晒してる骨密度」の措辞が秀逸だから。日光に晒すことで、ビタミンD3の吸収がたかまり、骨密度が上がると医学的にも理屈があっているだけでなく、冬木立を日に晒したときに生じるスカスカな逆光が、骨密度の語感と響き合っている。


 白銀の地吹雪に髪押さえけり     銀の小望月

 地吹雪が吹き込み、その瞬間、髪の長い女性あるいは女子学生が頭に手をあてて、立ち止まり、その瞬間を耐えている景が佳く見えてなかなかよいスナップショットを捉えている。なぜ人気を博さないのかというと、「白銀」が当たり前すぎるから。。ここは「女学生地吹雪に髪押さえけり」などとして、写生に徹したほうが成功したのではないかと思う。


 刑務所で野菜売ります文化の日   遠藤ゆき子

 はじめて読んだときからもうすこし人気がでる句でなないか、と思った。上五中七のフレーズがとてもよい。ほんのすこしの意外性をついている。「文化の日」に落とし込んだのが、いかにも俳人らしい諧謔なのだが、この句会では共感が得られにくいようであった。私は「文化の日」で良かったと思う。


(つづく)


 

2015年11月28日土曜日

俳句集団【itak】第22回句会評③ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評③

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 

 むかし悪童ぶっきらぼうに葱提げて   田口三千代

 上七の「むかし悪童」の持っていきかたがまずうまい。ぶっきらぼうの棒に葱を提げるという措辞もうまい。「ぶっきらぼう」という措辞と上七の破調感がマッチしているのである。むかし悪童だったが今は好々爺の年輩が葱をさげて、悪友のところへ酒でも酌み交わしにゆく景であろうか。作者とこの句の主人公との関係性も垣間見れる感じがして、気持ちのよい句である。


 すべらない話し時々海鼠噛む       籬  朱子

 かのダウンタウンの松本氏がすっかりメジャーな娯楽に押し上げた「すべらない話し」。インパクトのある措辞なので、俳句にするには力技が必要である。まず今日はたびたび出てくるがこういうインパクトのある措辞を使う場合は一級季語だと塩梅がわるい。なぜなら詩が分散するというか、言葉と言葉がケンカしてしまう。そこで人事句として使用されることが多い「海鼠」を選択したのがまず良し。そこで「海鼠かな」にすると感動の切れ字なのでやはり詩が分散する。そこで「海鼠噛む」 にした。これも良し。しかも「時々話が噛んでしまう」ことにイメージが繋がる「時々」をあしらっている。すべらない話に逆光を当てている。さらに海鼠という「てらてらしてすべるもの」を噛んでいるわけである。
 あまりに「頭で考えすぎている」 または 「言葉遊びに過ぎない」と思ったひとは採らないであろう。ちなみにこの批判の仕方もかの俳〇協会がよく使う手法である。私がよく使う反論は「頭使わなきゃどこ使うの?」と「俳句は言葉遊びでなかったら何ナノ?おんな遊び?」である。


 木の葉髪おでこのアブラ窓にあり    福井たんぽぽ

 「おでこのアブラ」を俳句にしようというチャレンジ精神。私は大賛成。髪の毛がハラハラ落ちてくる季節の男性。そんな中年男性は油ギッシュになっているので、窓辺で外を見て黄昏れているだけで、ガラス窓に脂がつく。うーん かなしくてシュールな景である。ただ「窓にあり」だと何かを比喩的に述べているのか、実景を述べているのか いささか不明。たとえば一案として「木の葉髪おでこのアブラつく硝子」、できたら「脂」という漢字使った方がいいかもしれない。


 船酔いのはじまつており雪蛍       信藤 詔子

 「雪蛍」という北海道での一級季語、あわれ、たそがれ、人生、生死、冬のおとずれ、はかない命、人生の終末、などいろいろなキーワードで詠まれてきているが、「船酔い」と取り合わせたのはおそらく初めてではなかろうか。船酔い→海上、船上 というイメージがあるからかなり遠い存在ではある。しかし、船酔いのはじまり つまり なんとなくの眩暈、吐き気、頭痛、閃輝暗点のような前兆感、これから具合悪くなるぞという心持が、雪蛍とすばらしくミスマッチしているのである。


(つづく)

 

2015年11月26日木曜日

俳句集団【itak】第22回句会評② (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評②

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 立冬のスクールゾーン風通す    松田 ナツ

 立冬という季語は意外に難しいのだが、「スクールゾーン」をもってきたのはとても「立冬」に気持ち良く繋がる。つまり季語の本意をついている感じ。座五の「風通す」が物足りない感もあるのだが、このあたりは作者の考え方次第である。「風通す」だとやはり季語の本意をなぞったのみという感覚が否めない。でもこのままの方が「気持ちの良い句」としてすっと受け入れるひともいるだろうな。この辺は現俳協と俳人協会の違いかもしれないな。


 紅葉且つ散る狂乱の赤い犬     猿木 三九

 「狂乱の赤い犬」がインパクトのある措辞。「紅葉且つ散る」という一級季語につけたのは私は賛成。つまりチャレンジ精神が好きなのである。ただ詩になっているかが問題。
 季語の本意を大事にする結社なら、共感は得られないかもしれぬ。紅葉の「赤」→赤い犬、紅葉の乱舞→狂乱といったようにどこかでアナロジーを探している感じが逆に予定調和を感じてしまう。経験的にはこのようなインパクトのある措辞には「人事の季語」を付けた方がなんとなくさまになると思う。たとえば一案だが「父の日の父狂乱の赤い犬」とかにした方が様になるのでは。あくまでも私の考えだが・・・。


 特売の黄色いチラシ蜜柑剥く    大原 智也

 「特売のチラシ」などというとてもおしゃれじゃないものを俳句にしたのは、これも大賛成。ただこれも黄色→蜜柑 というふうにステレオタイプのアナロジーや比喩に転じているように感じられるのがやはり欠点かと思う。こういうのも 生活や人事の季語を付け合せた方がいいと思う。あくまでも一案だが「特売の黄色いチラシ踏むラガー」とか。なにを言いたいかというと、インパクトのある措辞や素材を中心に持ってきたいのだ。そのために人事や生活といった季感の弱い季語を使用するというテクである。まあ〇人協会には叱られそうだが・・・。


 小春日やバス三台をやり過ごし   中田真知子

 「孫俳句」と同じように「バス俳句」といって、バスが句に入ると絶対にとらない主宰もいるそうな。たしかにバスが入った名句といえば石田波郷の句しか思い当たらないな。この句バスが入った句としては出色の出来ではないだろうか。小春日和のなか、バス亭にすわってのんびりして、おもわず三台乗り過ごしたわけであるが、作者は「やり過ごした」のである。そのあたりに作者の日頃の生き方や、人生観も垣間見ることができる。10分や20分の時間を惜しむよりも作者は小春日を楽しむ生き方を選んだわけである。

(つづく)

 

2015年11月24日火曜日

俳句集団【itak】第22回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評①

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 いまプレミア12で日本が韓国にだらしない逆転負けを食ったばかりなので、大変テンションが下がっている。なので、あたりちらしてしまいそうだが、大人なので、落ち着いて今回の句評はじめてみたい。22回にもなるのに64人という句会参加数。北海道というか札幌の俳句の世界の可能性を感じる数でもあり、嬉しい限りだ。さてなるべく多くの佳品を拾ってゆきたい。


 息白し炭つぎ湯たち茶がひらく    高畠 町子

 無点句ではあるが、当初から気になっていた。つまり俳句のタブー的なことをわざとに沢山おかしている感じがしたので(もちろん初心者で思わずやってしまったかもしれないが)。季語のあとに、畳み掛けるように「炭つぎ」「湯たち」「茶がひらく」と動詞を三つも使ったこと。もうひとつは「炭」「息白し」という季重なり。私が面白いと思ったのは、炭を継いで、お湯をわかし、やがて湯たち、その湯を茶葉にそそぎ、茶葉がゆっくりと開いた という時間経過を隈なく表現しているのだ。結果として湯呑茶碗のなかに、ゆっくりと茶葉がひらいてくる景が立ち上がってくる。作者が表現したい景がわかるのだ。だからこの句の欠点は上記のタブーを犯したことではなく、むしろその景と「息白し」という季語のミスマッチに尽きる。上五に作者のゆったりした豊潤なひとときを味わっているような感覚の季語をつければよいのだ。


 寄せ鍋の底まで浚い切り無言     青山 酔鳴

 私は地でいただいた。「寄せ鍋の底をつつく」とか「寄せ鍋を食べているもの同士が見つめあう」とか、そんな句はごちゃまんとあるが、「浚い切り無言」の止めがいかにも秀逸である。今の私のようにテンションが下がって無言なのか、満腹感にひたって無言なのか、二人の間に気まずい空気が初めからあり、それを払拭するため必死に鍋底を浚っていたのだが、それすらもやり切って、とうとう黙り込むことしかできなくなった景なのである。


 スーツケース引きずり冬の嵐来る   久才 秀樹

 取り合わせというか二物衝撃の句なのだが、「スーツケース引きずる」ことと「冬の嵐が来る」という関係性が意外に遠いようで近い気がして、決して荒唐無稽ではない。スーツケースを引きずる という措辞が「冬の嵐」をうまくメタファーしていると感じられた。


 逝き遅れ蜻蛉尻から灰となり      高畠 霊人

 「晩秋の塩辛蜻蛉」であろうか、まだよろよろと生きている蜻蛉が尻から灰になっているという表現は秀彦氏も語っていたが、シュールであるし、いままであまりされていなかった表現である。詠んでいる内容はよいのだから、あとは俳句として「切れ」を出したいところ。「灰となり」という連用形止めはどうしても川柳フレバーになりがち。だからせっかくの表現も川柳的な「穿ち」ととられても仕方がない。たとえば「逝き遅れ尻から灰となる蜻蛉」と体言止めにするのも一案である。


(つづく)




 
 


 

2015年11月21日土曜日

第22回句会 投句選句一覧④


※作者・投句一覧が空欄のものは 掲載の許可がなかったものです




 

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