俳句集団【itak】第22回句会評②
2015年11月14日
橋本喜夫(雪華、銀化)
立冬のスクールゾーン風通す 松田 ナツ
立冬という季語は意外に難しいのだが、「スクールゾーン」をもってきたのはとても「立冬」に気持ち良く繋がる。つまり季語の本意をついている感じ。座五の「風通す」が物足りない感もあるのだが、このあたりは作者の考え方次第である。「風通す」だとやはり季語の本意をなぞったのみという感覚が否めない。でもこのままの方が「気持ちの良い句」としてすっと受け入れるひともいるだろうな。この辺は現俳協と俳人協会の違いかもしれないな。
紅葉且つ散る狂乱の赤い犬 猿木 三九
「狂乱の赤い犬」がインパクトのある措辞。「紅葉且つ散る」という一級季語につけたのは私は賛成。つまりチャレンジ精神が好きなのである。ただ詩になっているかが問題。
季語の本意を大事にする結社なら、共感は得られないかもしれぬ。紅葉の「赤」→赤い犬、紅葉の乱舞→狂乱といったようにどこかでアナロジーを探している感じが逆に予定調和を感じてしまう。経験的にはこのようなインパクトのある措辞には「人事の季語」を付けた方がなんとなくさまになると思う。たとえば一案だが「父の日の父狂乱の赤い犬」とかにした方が様になるのでは。あくまでも私の考えだが・・・。
特売の黄色いチラシ蜜柑剥く 大原 智也
「特売のチラシ」などというとてもおしゃれじゃないものを俳句にしたのは、これも大賛成。ただこれも黄色→蜜柑 というふうにステレオタイプのアナロジーや比喩に転じているように感じられるのがやはり欠点かと思う。こういうのも 生活や人事の季語を付け合せた方がいいと思う。あくまでも一案だが「特売の黄色いチラシ踏むラガー」とか。なにを言いたいかというと、インパクトのある措辞や素材を中心に持ってきたいのだ。そのために人事や生活といった季感の弱い季語を使用するというテクである。まあ〇人協会には叱られそうだが・・・。
小春日やバス三台をやり過ごし 中田真知子
「孫俳句」と同じように「バス俳句」といって、バスが句に入ると絶対にとらない主宰もいるそうな。たしかにバスが入った名句といえば石田波郷の句しか思い当たらないな。この句バスが入った句としては出色の出来ではないだろうか。小春日和のなか、バス亭にすわってのんびりして、おもわず三台乗り過ごしたわけであるが、作者は「やり過ごした」のである。そのあたりに作者の日頃の生き方や、人生観も垣間見ることができる。10分や20分の時間を惜しむよりも作者は小春日を楽しむ生き方を選んだわけである。
立冬という季語は意外に難しいのだが、「スクールゾーン」をもってきたのはとても「立冬」に気持ち良く繋がる。つまり季語の本意をついている感じ。座五の「風通す」が物足りない感もあるのだが、このあたりは作者の考え方次第である。「風通す」だとやはり季語の本意をなぞったのみという感覚が否めない。でもこのままの方が「気持ちの良い句」としてすっと受け入れるひともいるだろうな。この辺は現俳協と俳人協会の違いかもしれないな。
紅葉且つ散る狂乱の赤い犬 猿木 三九
「狂乱の赤い犬」がインパクトのある措辞。「紅葉且つ散る」という一級季語につけたのは私は賛成。つまりチャレンジ精神が好きなのである。ただ詩になっているかが問題。
季語の本意を大事にする結社なら、共感は得られないかもしれぬ。紅葉の「赤」→赤い犬、紅葉の乱舞→狂乱といったようにどこかでアナロジーを探している感じが逆に予定調和を感じてしまう。経験的にはこのようなインパクトのある措辞には「人事の季語」を付けた方がなんとなくさまになると思う。たとえば一案だが「父の日の父狂乱の赤い犬」とかにした方が様になるのでは。あくまでも私の考えだが・・・。
特売の黄色いチラシ蜜柑剥く 大原 智也
「特売のチラシ」などというとてもおしゃれじゃないものを俳句にしたのは、これも大賛成。ただこれも黄色→蜜柑 というふうにステレオタイプのアナロジーや比喩に転じているように感じられるのがやはり欠点かと思う。こういうのも 生活や人事の季語を付け合せた方がいいと思う。あくまでも一案だが「特売の黄色いチラシ踏むラガー」とか。なにを言いたいかというと、インパクトのある措辞や素材を中心に持ってきたいのだ。そのために人事や生活といった季感の弱い季語を使用するというテクである。まあ〇人協会には叱られそうだが・・・。
小春日やバス三台をやり過ごし 中田真知子
「孫俳句」と同じように「バス俳句」といって、バスが句に入ると絶対にとらない主宰もいるそうな。たしかにバスが入った名句といえば石田波郷の句しか思い当たらないな。この句バスが入った句としては出色の出来ではないだろうか。小春日和のなか、バス亭にすわってのんびりして、おもわず三台乗り過ごしたわけであるが、作者は「やり過ごした」のである。そのあたりに作者の日頃の生き方や、人生観も垣間見ることができる。10分や20分の時間を惜しむよりも作者は小春日を楽しむ生き方を選んだわけである。
(つづく)
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