俳句集団【itak】第28回句会評③
2016年11月12日
橋本喜夫(雪華、銀化)
背景の消された写真鵙の声 瀬戸優理子
中七までの措辞、やはりフックのある言葉だ。つまり引っかけがある。普通はこの言葉に立ち止まり、何だろうか?と考える。すでに作者の罠にはまっている瞬間だ。人物の写真で背景が消されている場合とは何か?たとえば犯罪や事故があった場合で、背景で場所が特定されてはまずい場合がある。そして人物そのものを浮きたて、背景が無駄になる場合(遺影など)がある。そのほかにもいくつかのケーススタデイができる。そしてそのいずれもが不穏で不吉だ。そして鵙の声という着地につながる。
老猫や次の初雪までの日々 三品 吏紀
以前も述べたことがあるが上五に季語以外の言葉をもってきて「や」で切るという俳句は昔からあることはあるが、それほど多くはなく今後の俳句の流行にしたいなと思っている。例句としては 頂上や殊に野菊の吹かれをり 原石鼎 がある。しかしなかなか自分ではいい例句ができない。掲句は人気は集まらなかったようだが、切り口として面白い。まず自らが買っている年老いた猫を詠嘆している。つまり作者の詠みたいことは老猫へのいたわり、愛情、いままで過ごしてきた時間の長さなのである。そして中七以下。来年の今ころ、初雪がふるころにはこの年老いた猫はどうなっているのだろうか、この1年間にどんどんダウンヒルに向かい猫が死んでしまうのではなかろうかという恐れである。
豚汁の深夜食堂冬めける 中田真知子
中七までの措辞、素材。まさに俳句の素材である。豚汁というのは俳諧の世界でないと詩にはならないであろう。寒い時期の豚汁をすするのはこの上ないよろこび。そういう意味で冬の季語選択に賛同する。そこで「冬めける」が最高かどうか は判断が難しい。冬ぬくし だとつきすぎ感。冬に入る、冬はじめは冬めけると同様に悪くない。冬深し だと深夜食堂の深とかぶる感じがするし。。。ん~他人の句に何悩んでるんだろう 私。
鶏のやうに銀杏拾ふ人 籬 朱子
とってもあっさりあっさり表現されていて、切れ字がなくて、~~~の人。で終わる感じは読む人が読むと平明に見えるが逆に「手練れ感満載」である。おそらく予想した何人かのうちに朱子さんも入っていたが朱子さんとは完全に特定できなかった。なにも句会で誰が作ったか想像するあるいは探索するのは刑事じゃないんだから意味のないことなのだが、そんなことして句会を個人的に楽しんでいる。ただ結果論からいうと朱子さんに近づく証拠は揃っていた。まず比喩に「鳥」を使ったこと。それと~~人 の終わり方。これは銀化の俳人および中原道夫も比較的多い特徴。何やってんだろう 私。鳥がついばむように銀杏を何回も何回も拾う姿が見えてくる佳句である。採るかとらないかはいつも言っているが個人の好みだけである。
落照の黄金を泳ぐ鴨となる 長谷川忠臣
湖面を大きな入日が照らしており、湖面すべてが黄金いろに染まる。その黄金いろの奥からはじめは一点の影としてみえて、徐々にすべるように抜け出る鳥影、そして近くまできて、鴨とわかった。そんな景である。冬の落照の短い時間的推移と鴨の動きがよくわかる句。
0 件のコメント:
コメントを投稿